墓守Ⅱ①
「アレンティス=アインベルク……だと」
男がアレンの名を聞いたときにニヤリと口角を釣り上げる。男の名は『ゴルヴァン=メーディ』という。暗殺を生業とする男だった。ゴルヴァンは暗殺を専門に行う闇ギルド『闇の魔人衆』のギルドマスターだ。
闇の魔人衆の構成人数はわずか5名だが、その実力は桁違いに高い。闇の魔人衆に狙われれば、例えオリハルコンクラスの冒険者であっても生き残る事は不可能であると言って良かった。ある意味、裏社会の最終兵器と呼ぶべき存在であると言って良いだろう。
「ああ、そいつを殺して欲しい。闇の魔人衆ならば簡単な仕事だろう?」
ゴルヴァンに語りかける男に一切の恐れはない。仮にも闇の魔人衆のギルドマスターに応対するとき、どのような身分の者であっても少しは身構える。巧妙に隠そうとしてもどうしても根源的な恐怖を隠しきることは出来ないのだ。
しかし、この男にはそれがない。まるで人形のような表情でゴルヴァンに話す様子はゴルヴァンにして薄気味悪さを感じずにはいられなかった。
「だがアインベルクはこのローエンシア王国における重要人物だ。そのような男を殺せば捜査は厳しいものになるし、なによりもアインベルクの実力はかなり高い。簡単な仕事なわけがない」
ゴルヴァンの言葉は“それに見合うだけの報酬が必要”であることを意味していた。言われた男は表情を全く変えずに言葉を紡ぐ。
「もちろん、十分な報酬を用意している。希望の額を言って欲しい」
男の言葉にゴルヴァンは再びニヤリと嗤う。元々この話を受けることに対して不満があるわけではない。依頼主の背後にアレンを邪魔に思う者がおり、かなりの高位のものであると当たりを付けていたのだ。
何しろアレンは王女アディラと婚約してる。アレンが死ねばアディラの婚約者の座が空き自分の子どもをそこに座らせ王族とのつながりを持つ事がその目的であると考えるのは当たり前の事だった。
「そうだな……白金貨100枚だな」
「……白金貨100枚だと?」
「ああ、言っておくが交渉は無駄だ。白金貨100枚だ」
ゴルヴァンの要求した額はあまりにも巨額であり男はここで初めて言い淀んだ。そのため値切り交渉に入るであろうと思い、前もって釘を刺しておいたのだ。
「前金か?」
男は相変わらず抑揚のない声でゴルヴァンに告げる。それはゴルヴァンにとって予想外の返答であった。
「何?」
「持ち合わせが白金貨100枚もない」
「どういうことだ?」
男の言葉の意味するところが解らずゴルヴァンは訝しげに尋ねる。
「前金が要求されることを想定して予め用意していた額は白金貨30枚しかない。残りの70枚は後払いで良いか?」
男の言葉にゴルヴァンは驚く。てっきり値切り交渉が行われると思っていたのに男が気にしていたのは前金かそうでないかだったからだ。
「白金貨100枚だぞ?」
「当然だ。白金貨100枚がいるというのなら出す。それだけあいつが邪魔なのだ」
「王女殿下とのことか?」
「それもあるが、エジンベートの公爵令嬢との事もある」
「そういう事か……」
「アインベルクが邪魔なのは婚約者だけが理由というわけではないということだ」
男の言葉を聞きゴルヴァンは納得する。この男の雇い主は1人ではなく複数いるという事に思い至ったのだ。1人で白金貨100枚というのなら躊躇もするだろうが、複数ならばその負担はかなり軽減される。
「良いだろう。白金貨100枚で請け負う」
ゴルヴァンの言葉に男の表情はやはり崩れない。
「そうか……それなら『メムルーク邸』にアインベルクをおびき寄せるからそこで始末してもらおう」
「メムルーク邸? あそこは国の管理下に置かれているはずだ」
「問題無い。メムルーク邸にアンデッドを発生させるつもりだ。アンデッドが絡む事ならばアインベルクが派遣される可能性が高いからな。むしろ国の管理下にある方がアインベルクが派遣される可能性がより高まるというものだ」
「それもそうだな」
「闇の魔人衆はいつでも動けるようにしておけ」
男はそう言うと同時に踵を返しゴルヴァンの前から退出する。扉が閉まりゴルヴァンは息を吐き出す。人形のような薄気味の悪い男に対してゴルヴァンでさえ息がつまるような感覚を感じていたのだ。
しかし、その感覚が去るとゴルヴァンの表情に凶悪なものが浮かんだ。
「アレンティス=アインベルクか、今までは見逃してあげていたが良い機会だ……」
ゴルヴァンは声に暗い愉悦を含ませて呟く。強者である事は知っていたが自分達、闇の魔人衆の敵ではないという思いがあったのだ。
だが、ゴルヴァンは知らなかった。人形のように薄気味が悪いと思っていた男が部屋を出た所でゴルヴァンよりもはるかに邪悪な嗤いを浮かべていた事を……。
王都フェルネルの大通りをアレンは1人歩いている。服装は国営墓地の見回りに身につけている事から私用ではなく、公用である事が窺える。
アレンは王城に出仕し、ジュラス王達にいつものごとく指導を受けなんとか合格点をもらうとジュラス王に一つの仕事を頼まれたのだ。
その仕事とは王都の郊外にある屋敷に一週間程前からアンデッドが出没するようになったため、その調査を行ってくれという事であった。アンデッド関連の件はアインベルク家にまずは相談するというのが慣例だったのだ。またアインベルク家としてもアンデッドの研究の面から考えれば都合が良かったのだ。
今回調査を命じられた屋敷の元の持ち主は『ギリアド=メムルーク』という男だった。ギリアドはかつてアスドラー子爵の依頼でレミアを浚おうとして返り討ちにあった結果、死刑になった。その後、この屋敷は国の管理下に置かれることになったのだ。管理下に置かれたといっても立ち入りを禁止するぐらいであり、積極的に国も管理していたわけではなかった。
現在の発生しているアンデッドはスケルトン、死霊といったものであり、それほど脅威ではないのだが、アンデッドが発生するにはそれなりの理由があるために、対アンデッドにおいて右に出る者のいないアレンが派遣されたというわけであった。
(しかし……ギリアドがあの時の男だったなんてな)
アレンは調査を命じられるまでギリアドの事をすっかり忘れていたのだ。アレンの中ではすでに済んだことであり、一々思い出す価値のない連中でしかなかった。ギリアド達がアレンのこの心の内を知れば怒り狂う事は間違いないだろう。まぁ、怒り狂った所で再び潰されるだけのことなのだが。
(ん?)
調査の場所に向かうアレンは歩きながら周囲を警戒する。誰かが自分を見ているような気がしたのだ。さりげなく周囲に気を配るがアレンの索敵には引っかからなかった。
(気のせいか? いや……用心にこした事はないな)
アレンは自分に対して悪意を持つ者がいることを当然ながら自覚している。そのために決して大丈夫などという根拠のない事は考えないのだ。
アレンは周囲を警戒しながら屋敷への歩みを進めるのであった。
 




