月姫⑫
「大変だったんだな」
アレンがアディラに優しく声をかけるとアディラは“幸せ”としか表現できない表情を浮かべた。
「はい、でもみんながいたから私は全然怖くなかったです」
アディラはふとすると緩みそうになる、いや崩れそうになる表情を何とか堪えていた。
ここはアインベルク邸のサロンである。魔族達を撃破したアディラ達一行は敵の中で息のあった者達を拘束すると近くの村で荷車を購入し王都へ連れてきたのだ。逃亡が危惧されたが、アディラの『逃げ切る自信があればやってみなさい』という言葉にあっさりと白旗を上げると黙って護送されたのだった。アディラの弓術の神業を見せられれば逃亡は不可能なのは明らかである。
王都に到着したアディラ一行はそのままアインベルク邸へとやってきたというわけだった。御者役のウォルター以外の近衛騎士3人にアインベルク邸に報告した後に登城する旨を伝言に頼み、アレンに事の次第を伝える事にしたのだ。
アディラがアレンへの報告を優先した理由は魔族の捕虜であるキュギュスの存在があったからだった。アディラとしてみれば妙な真似をすれば即座に射殺すつもりなのだが、相手は魔族である以上、取り逃す可能性も考慮に入れたのだ。そうすれば無辜の民が被害を被る可能性があったためにそれを避けるのが目的であった。
ちなみに室内にはアレンとアディラの他にジェド達4人とエシュレム親子、メリッサ、エレナがいる。
「それにしても、魔族1人、『ミスリル』クラスの冒険者3人、闇ギルド5人とは……」
アレンはアディラが今回捕まえた戦果に驚いていた。現在、アレンが抱えている案件は非常に厄介なものが多いのは周知の通りであり、少しでも戦力を確保出来るのは本当に有り難かった。
しかも、今回アディラが捕まえた者はかなりの戦力になるのは間違いなかった。アディラが捕まえた者達は王族であるアディラを襲撃した以上、裁判にかけられれば間違いなく極刑となるのは確実だった。
アディラは『裁判を受けて極刑になるのとアレン様に仕えるのとどちらかを選んで下さい』と問いかけると全員がアレンに仕える事を即決したため、そのまま連れてきたのだ。
「はい、少しでもお役に立てればと思いまして」
アディラははにかみながらアレンに答える。アレンはニッコリと微笑むとアディラの頭を撫でる。アディラは昔からアレンに頭を撫でられるのが大好きだったのだ。少々、子ども扱いする事になりアディラが気分を害する可能性をアレンは心配したのだが、完全に杞憂だった事がアディラの表情が物語っていた。
「ぐへへ~アレン様、ぐへへ~♪」
いつものアディラの残念な笑い声が発せられたが、アレンは優しげに微笑む。アレンにとってアディラの奇行は可愛らしいという感想しか持っていなかった。ある意味、アレンもアディラに毒されているのかも知れない。
「それでは、そちらのお二方を紹介してくれるか?」
アディラの頭から手を離しアレンがアディラに言うとエシュレム親子が立ち上がった。
「初めましてアインベルク侯、私はエシュレム=ローガムと申します」
「ラウラ=ローガムです。よろしくお願いします」
エシュレム親子が挨拶をするとアレンも挨拶を返す。
「アレンティス=アインベルクといいます。よろしくお願いします」
アレンの丁寧な挨拶に2人は驚く。王女の婚約者であり、侯爵が平民でしかもたかだか『シルバー』クラスでしかない冒険者にここまで丁寧な挨拶がされるとは思ってもみなかったのだ。
「これからアディラを守ってくれるという事ですから、よろしくお願いします」
「はい、精一杯やらせていただきます」
「それでアディラ……この方達に伝えているのか?」
アレンの言葉にアディラは小さく首を横に振った。アディラとすれば欺そうとして伝えなかったのでは無かった。魔神の剣は国家機密レベルであり、総責任者のアレンの許可なく伝える事は出来ないと考えていたために伝えなかったのだ。
「そうか、気遣わせてしまったな」
「ううん、アレン様の判断を仰ぐべきだと思ったの」
アディラの言葉にアレンはまたしても優しげに微笑む。それからすぐに真顔になるとエシュレム親子に魔神の事を告げるため口を開く。
「ローガムさん達には知って置いてもらいたいことがあります」
「なんでしょうか?」
アレンの言葉にエシュレム達は背筋を伸ばす。これからアレンの伝える言葉は決して軽い内容のものでないことを察したのだ。
「アディラが護衛を探している本当の理由です」
「はい」
「現在私達は国営墓地に眠る魔神に対処するために戦力を集めています」
「ま、魔神……ですか?」
「はい、信じられないかも知れませんが本当の話です。魔神の力がどれほどのものか正直わかりません。アディラも俺達の大事な仲間ですが、その専門は弓術であり近接戦闘はそれほどではありません」
「え?」
「あ、あれで?」
エシュレムとラウラの口から呆然とした言葉が紡ぎ出される。アディラがギルドで冒険者を投げ飛ばすのを目の当たりにした2人からすればアレンの評価に疑問を持ったのだ。
「もちろん弱いと言うわけではありません。弓術の腕前に比較して近接戦闘は1枚、2枚も落ちます」
アレンの言葉にアディラは頷く。アレンの言っている事は事実であり弓術は超人的であるが、体術的には『ミスリル』クラスの冒険者には及ばないのだ。
「そのためにアディラの周囲には信頼の置ける者を護衛として雇っているのです」
アレンは続けて言う。
「あなた達の目的が何かは知りませんが、アディラを害するつもりがなければ気にしませんよ」
アレンの言葉にエシュレム達は驚く。確かに自分達がアディラの護衛についたのは自分達の目的があったからだ。もちろん、アディラの害になる事は絶対ないのだが、その事を出会ったばかりのアレンから言われれば驚くというものだった。
「もちろん、目的はありますが王女殿下を始め、王族の方々、アインベルク侯に害意があるわけではございません」
エシュレムの言葉にアレンは満足そうに頷く。アレンとしても別にエシュレム達を排除しようと思っているわけではない。ただ、念のために釘を刺しただけだった。アレンはアインベルク家に自分から関わろうとする人間は極少数派だと認識している。にもかかわらず将来のアインベルク夫人であるアディラの護衛になったのだから、何かしら他に目的がある可能性が高いと思っただけなのだ。
「それじゃあ、アディラそろそろ行こうか」
アレンが柔らかく微笑みアディラに告げる。アディラは首を傾げてアレンに問い返した。
「アレン様、どこに行くんですか?」
「もちろん、王城だ。アディラ達が捕まえた連中をアインベルク家が預かる許可をもらいに行く」
アレンの言葉にアディラは迷惑をかけたのではないかと不安になった。そのアディラの心境をアレンは察すると静かに首を横に振る。
「誤解するなよ。俺はアディラに本当に感謝しているんだ。戦力強化は急務の所に魔族、『ミスリル』クラスの冒険者が手に入った事は僥倖としか言いようがない」
「は、はい♪」
アレンの言葉にアディラの表情は緩む。アレンは次にジェド達に視線を移す。
「良ければジェド達はうちに泊まっていってくれ。一緒に夕食をどうだ?」
「ああ、今夜は泊めてもらうよ。キャサリンさんの料理は楽しみだな」
「ええ、キャサリンさんの料理を食べれるなんて幸せだわ」
「嬉しい……アレン様、ありがとう……」
「キャサリンさんの料理……楽しみ」
ジェド達は嬉しそうに微笑む。キャサリンの料理の腕前を知るジェド達にとってアレンの誘いを断るなどあり得なかったのだ。
「よろしければ、エシュレムさん達も夕食どうですか?」
アレンの言葉にエシュレム達はおそるおそる答える。
「はい、ごちそうになります」
「お願いします」
2人の返事にアレンは微笑みながら頷く。
「それじゃあ、俺とアディラで王城に行ってくるから、みんなはくつろいでいてくれ。もう少ししたらレミアとフィリシアが帰ってくるからな」
アレンの言葉に全員が頷く。アディラはアレンと共に出かけられるのが嬉しいのだろう。頬がさっそく緩んでいる。
「それじゃあ、アディラ行こうか」
「はい♪」
アレンはアディラの手をとると待たせてある馬車に向かった。
(えへへ♪ 最後にご褒美もらっちゃたわ♪)
アディラは喜色満面の笑みを浮かべ、油断するといつもの残念な『ぐへへ』な笑い声を出さないように気を付け、アレンの手の暖かさを感じながら幸せな気分で王城に向かうのであった。
今回で『月姫』編は終了です。次回は閑話をはさんでから新章となります。




