月姫⑨
ジェドはルカ達の戦いをすり抜けて、高みの見物を決め込むレゴルバに向かって駆け出す。
アレンほどではないが、ジェドの身体能力も非常に優れており、もはや並の『ミスリル』クラスの冒険者ではジェドと戦う事も出来ない。一方的に潰されるだけだった。
ジェドが迫るのを見てレゴルバはニヤリと嗤う。アシュレ達よりも遥かにジェドが強いことをこの段階で見て取ったのだ。ジェドならば素晴らしい実験材料になると考えたのだ。
(ふん……やはり魔族はアホだな)
つい嘲りの表情が浮かびそうになるのをジェドは必死にこらえる。そしてその堪える表情がレゴルバには決死の覚悟をジェドがしていると勘違いしたようだ。ますます嫌らしく口を歪めている所を見てジェドは察する。
(すぐに吠え面かかせてやる……さ!!)
ジェドは突然、速度を上げる。先程も素晴らしい速度だったのだが、速度を一段階上げたジェドは凄まじいという表現そのものだった。
ジェドがここで速度を上げたのは、レゴルバを動揺させるためである。大した事はないと思わせ斬り結ぶ直前でそれを裏切ることで動揺を誘うというのが作戦だったのだ。正直、こんな事で勝負が決まる相手ではないとジェドは当然思っている。だが、少しでも有利に働くならばやっておくというのがジェドの基本戦術なのだ。
ジェドは横薙ぎの斬撃をレゴルバに放つ。レゴルバも剣を抜くとジェドの斬撃を受けた。『キィィィィン』という澄んだ音が周囲に響き、そこから激しい剣戟が展開される。
レゴルバの表情に僅かながら動揺の表情が浮かぶ、ジェドの実力が想定していたよりも遥かに高い事が動揺を誘ったのだ。
ジェドの戦い方には決まった型がない。いや、正確に言えば型が無いように見えるのだ。だが、その斬撃、体の使い方はきちんとした術理に基づいて行っている。理に従った動きにはまったく無駄が無く美しいの一言である。
ジェドは剣を振るいながら少しずつレゴルバの周りを回り始める。それに従いレゴルバもジェドに合わせて体の向きを変えていく。当然ながらこれはジェドの作戦だった。
作戦としては単純極まりないものであった。ジェドが回り込む事でシアから意識を逸らす事だった。シアに背を向けているレゴルバならば当然シアからの攻撃は容易に入るだろう。
(おいおい、シアを舐めすぎだろ……どうしてここまでシアに注意を払わないなんて真似が出来るんだ?)
ジェドは激しい剣戟をレゴルバと行いながらため息をつきたくなっていた。魔族が人間を舐めているのは毎度の事だがそれにしてもジェドとしては不思議でならなかった。ここまで人間を舐めるほど、魔族は本当に強いのだろうかと最近は思い始めていたのだ。もちろん、ジェド自身は油断するような事はしないのだが、最近は魔族が相手ならば人間を舐めた行動を取るから逆にやりやすいとさえ思っていたのだ。
レゴルバが背を向けた瞬間にシアは【魔槍】を放った。威力、精度はもちろん、放つ際の気配の無さ、早さがシアの魔術の特徴だ。シアが魔槍を放った瞬間にレナンとアリアも駆け出した。
レナンとアリアは人間ではなく『魔人』にカテゴライズされる存在だ。当然その身体能力は人間よりも数段優れている。だが、身体操作の技術はジェドに大きく及ばない。だが、それはジェドの技量あっての事であり、2人が弱いと言う事を意味するものでは無かったのだ。
(なんだ?)
ゾワリとした感覚を首筋に感じたレゴルバは咄嗟に横に跳んだ。そして先程まで自分の首のあった場所に魔槍が通り過ぎるのを視界に捉える。魔槍を放ったであろう人物の顔をレゴルバは確認する。
(あの女……なぜ嗤っている? 予想通り事が進んでいるという表情だ。奇襲である魔槍での攻撃は失敗に終わったのに……あのガキ共が本当の切り札か?)
レゴルバはシアの余裕の表情を訝しむと同時にレナンとアリアが迫っていることを察する。だが、レゴルバが最も注意すべき相手はシアでもレナンでもアリアでもそして、ジェドでも無かったのだ。
では誰をレゴルバは注意すべきだったのか。それはレゴルバの身に起こった出来事でになった。もちろん、わかったところでもう襲い。
「がっ……」
レゴルバの背中に突如激痛が走ったのだ。背中を見ると黒い矢が突き刺さっていた。
(今度は何だ? 誰が……)
レゴルバは混乱し矢を射かけたであろう人物を確認する。視線の先には黒い弓を構えたアディラがいた。そう、この場でレゴルバが最も注意を払うべきだったのはアディラだったのだ。
レゴルバの背中を射貫いたアディラは艶やかに微笑むとそれきり興味を失ったように、自分の仲間達に向き合う。
「くそがぁぁぁっぁ!!!」
レゴルバは激高し叫ぶがそれこそ悪手以外の何ものでもない。なぜならばアディラという危機意外にもレゴルバには多くの危険が迫っていたのだ。
ジェドは容赦なくレゴルバの背中に魔剣ヴォルバドスを振り下ろした。
「がぁ!!」
またも背中に発した激痛にジェドを睨みつける。ジェドはさらなる追撃を行い横薙ぎの一閃を放つ。
レゴルバはかろうじて後ろに跳ぶことで躱すが、当然それで終わりでは無い。レナンとアリアが今度は攻撃を行ったのだ。レナンはレゴルバの脛を蹴りそちらに注意を向けさせるとアリアが顔面に拳を見舞う。
まともにアリアの拳を受けたレゴルバは顔を仰け反らせた。レゴルバは体勢をすぐに立て直してアリアに斬撃を放とうとするがレナンが顎を蹴り上げる。
(な……蹴りだと…この距離で?)
レナンとレゴルバの距離はわずか50㎝程しかない。まさかこの距離で真上に蹴りが放てるとはレゴルバは思っていなかったのだ。レナンの蹴りをまともに受けたレゴルバの顎は粉々に砕けていた。レゴルバの口の中に血が溢れる。
そこにジェドの突きがレゴルバの心臓に突き刺さり、ほぼ同時にシアの魔槍がレゴルバの喉を貫いた。目から光が失われレゴルバは倒れ込む時にはすでに命を終えていた。
ジェドはレゴルバが死んだ事を確認するとアシュレ達を怒鳴りつけた。
「そこまでだ!! お前達を操っていた魔族は死んだ。武器を捨てろ!!」
ジェドの言葉にアシュレ達は武器をその場に落とす。レゴルバが死んだ事により操っていた力が消えたのだ。その事に気付いたアシュレ達はその場にヘナヘナと座り込んだ。
ジェド達は座り込んだアシュレ達の元に近付いてから言い放った。
「お前達は王女殿下を襲撃した。当然ながら重罪人である事は間違いない。俺達も貴様らがあの賊共の雇い主である事はすでにわかっている。言い逃れはするな時間の無駄だ」
ジェドの言葉には反論を一切認めないものがある。アシュレ達は口を紡ぐと力なく頷く。
「ふん、往生際が良いな。死刑になりたくなければ今後貴様らは、アインベルク家に忠誠を誓え」
ジェドの言葉にアシュレ達は頷くしか出来ない。もし、断ったりすればその場でジェドが自分達を斬り捨てるつもりである事を察したのだ。ジェドとすればアシュレ達に改心など一切望んでいない。ジェドは基本的に人の善意というものを信じる方だが、そうでない者もいる事を知っていたのだ。
ジェドはアシュレ達は人の善意を食い物にするような連中である事を直感的にも状況的にもわかっていたのだ。
「俺達は」
「喋るな!!貴様らの身の上も名前も主義主張も何も興味はない」
アシュレが口を開こうとした瞬間にジェドが言葉を被せ口を封じる。そのジェドの態度にアシュレ達は自分達の地獄が終わった訳ではないことを思い知らされたのだった。




