月姫⑥
ガタゴト……
パカパカ……
アディラ一行がクルノスを出発して1日が過ぎていた。昨日の正午前に出発したことで結構余裕のある行程となり、アウィグという宿場町で一泊した。たっぷりと休息をとったアディラ達一行は翌朝問題無く出立する。
昼頃まで何の問題も無かったため、予定通りの行程を消化していた。だが森の入り口に入ろうとした所で馬車が止まった。この周囲は人が住んでいないために普通に考えればここで止まる理由は存在しない。
アディラはメリッサに視線を送るとメリッサは頷き、御者席に座るウォルターに事情を尋ねる。御者席のところには小さな窓があり、そこから御者席と馬車の中でやりとりが出来るのだ。
「ウォルター殿、どうされたのですか?」
メリッサの言葉にウォルターは声を潜めて事情を説明する。
「賊です。数は20といった所です。今からヴォルグとロバートが対処いたしますので少々お待ちください。あと、念のためにあなた方も備えておいてください」
ウォルターの言葉にメリッサは頷くとアディラに事情を説明する。
「こんな王都の近くで賊? 何か妙ね……」
アディラの言葉にメリッサもエレナも頷く。ローエンシア王国の治安は周辺諸国よりも良いというのが一般的な評価だ。ジュラス王の政策は多くの国民に利益をもたらし、それにより貧困を理由にした犯罪行為は少しずつ減っているというのが現状だった。
「おそらくはアディラ様を狙う何者かが雇った者かと思われます」
メリッサの言葉にエレナも同調する。
「確かにメリッサの言う通りです。ひょっとしたら他国の者の手引きかも知れません」
「いずれにせよ。ヴォルグ殿とロバート殿ならば問題はないと思います」
メリッサの言葉にアディラは頷く。ヴォルグとロバートの実力なら賊ごときに後れをとるとは思えない。アディラ達は2人の近衛騎士達に賊の相手を任せる事にした。
ヴォルグとロバートは騎乗したまま賊の前に進み出る。チラリと馬車の方を見るとヴィアンカと共にジェド達が馬車の護衛に付いているのが目に入る。これで“アディラの手を煩わせる事がなくなった”とヴォルグとロバートは安心する。
賊の前まで進み出た所でヴォルグが声をかける。
「お前達はローエンシア王国王女のアディラ=フィン=ローエン殿下と知ってなお襲うのか?」
ヴォルグの言葉に賊達は明らかに狼狽する。貴族だと思っていたら予想以上の大物だったからだ。賊達はお互いに視線を交わしている。
「何怯えてんだ。この国の王女を捕まえれば一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るだろうが!!」
頭目と思われる人物の声が響くと賊達は覚悟を決めたのだろう。それぞれが武器を構える。
「はぁ……」
「ふぅ……ま、こんなもんだよな。こいつらのような輩の知的レベルは」
ヴォルグとロバートは呆れた様に言う。王女の誘拐など行えば一生遊んで暮らせるお金が手に入るわけは無い。間違いなく国を挙げての捜索が行われ関係者もろとも処刑場へ送られるに決まっている。
増しては、アディラ一向の戦闘力を考えればそもそもアディラを誘拐すると言う事自体が不可能なのだ。
実の所、ヴォルグもロバートもここで賊に出会うという事を偶然とは考えていない。何者かの手引きがあったと考えていた。要するにこいつらは賊を装った工作員ととらえていたのだ。だが、こいつらが襲った相手がアディラである事を知らなかった事からアディラ本人をねらったわけではない事を察したのである。
ヴォルグとロバートは馬から降りると賊に向かって殺気を放った。ヴォルグとロバートの殺気はもはや一角の騎士であっても戦意を保つのは難しいほど強いものだ。当然、この程度の賊達では抗うことは出来ない。
ガタガタと震えだし武器を手から次々と落とす。先程まで余裕のある表情を浮かべていた頭目もヴォルグとロバートの殺気に恐怖の表情を浮かべている。さすがに部下の手前、武器を取り落とすような醜態はさらさなかったが、この段階で勝負は決したとみて良かった。
勝負は決したとみたヴォルグとロバートは殺気を緩める。殺気が弱まった事で少しだけ賊達はようやく息を吐き出した。
「さて……お前達は誰に雇われた?」
ヴォルグの言葉に賊達は驚愕の表情を浮かべる。雇い主がいることを悟られているとは思っていなかったのだ。だが、ここに至ればもはや自分達が生き残るためには雇い主を売るしかないと考えた頭目は素直に話し出す。
「俺達を雇ったのは『鉄魔』です」
「鉄魔だと?」
「は、はい、冒険者チームです」
頭目の言葉にロバートは記憶に引っかかるものがあったのだろう。ヴォルグに視線を向け言う。
「確か、『ミスリル』クラスの冒険者3人が『プラチナ』『ゴールド』の冒険者チームを傘下に収めた冒険者チームだったな」
ロバートの言葉にヴォルグが納得したように口を開く。
「ああ、なるほど先日王女殿下が伸した連中はその『鉄魔』の連中というわけか」
「恐らくな。バカなやつらだ。あそこで止めとけば恥をかいただけで終わったのに、これで極刑は免れないな」
「じゃあ、こいつらは闇ギルドというわけか」
「そんなところだろ」
ヴォルグとロバートは『鉄魔』がこの段階でどのような絵を描いたか大体察した。おそらくこの闇ギルドに依頼して一行の足止めを行い自分達を襲うか、助けるフリをしてこちらの不意を突くという作戦と2人は考えた。
「俺は王女殿下に報告をしてくる」
ロバートがそう言うとヴォルグは頷く。1人で20人もの賊を見張るのは通常であれば危険であるが、現段階で危険はないと2人とも判断したのだ。
ロバートがアディラの元に向かった時に賊達の中から声が発せられる。何かを期待したような声だ。
ヴォルグが賊達の視線の先をチラリと見ると3人の冒険者が歩いてくるのが見える。ヴォルグ達は知らないが先日アディラ達に伸された冒険者達だった。
エシュレムがその冒険者を見て顔を歪める。このような場所にあの冒険者が現れた事は当然偶然では無い。かといって友好的な目的でない事は明らかだった。
「ん?」
近付いてくる3人の冒険者達の様子を見てジェドが訝しむ。そして冒険者の顔を見た者達もその異様さに気付く。
「ジェド……あの人達…」
「ああ、確実に何かされてるな」
「ジェド…どうする?」
「俺が行くからシア、レナン、アリアは念のために不測の事態に備えてくれ」
「わかったわ。気を付けてね」
「了解、まかせて……」
「わかった。ジェドの言うとおりにする」
ジェド達の中で話がまとまると3人に向かってジェドが歩き出す。エシュレムとラウラも参加しようとするが、シアが首を横に振って止める。あの程度の相手ならばジェド1人で確実に対処できるはずだからだ。
ジェドと3人の間合いが少しずつ狭まる。3人の冒険者達が突如駆け出し、先頭の1人が剣を抜くとジェドに斬撃を放とうとした。
だが、ジェドは慌てることなく3人を迎え撃つ。3人の攻撃はジェドの目には稚拙すぎて真面目に相手するのもアホらしいレベルだ。
男の横薙の剣閃をジェドは男の肘を右手で掴み制すると同時に左拳を顔面に入れた。ジェドの一撃は十分すぎるほどの威力であり男は吹き飛ぶ。ジェドはそのまま左足を軸に一回転すると男の肘を制していた右裏拳でもう1人の男を殴り飛ばした。またも男が吹き飛び地面に転がる。
最後の男は仲間2人がやられたにもかかわらずそのまま突っ込んでくる。ジェドは冷静に男の踏み出した左膝の内側を蹴り飛ばす。足を払われた形になった男は倒れ込もうとする男の頭を掴むとジェドは左膝を顔面にいれた。
鈍い音が周囲に響き、男はその場に崩れ落ちた。3人の冒険者をジェドはわずか1分程で制したのだ。もはや完全にジェドの実力は『プラチナ』クラスの冒険者では相手にならないレベルに達していたのだ。
(……なんだ。弱いな…何かされていると思ったが…思い違いか?)
ジェドは3人をあっさりとのしたのだが、未だ警戒を解いていない。3人の様子に気になる点があったからだ。
そして、ジェドが気になっていた点が何かは次の瞬間に明らかになった。3人の体が痙攣を起こし始めたのだ。
「が、がぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ぎぇっぇえぇぇっぇぇぇええ!!!!」
「あぁぁぁあぁぁぁっぁあ!!!」
男達は痙攣しながらそれぞれの苦痛の叫びを上げ始める。ジェドは異様な空気を感じ男達から間合いを取った。
男達の皮膚が突然裂け始める。いや、男達の体が変貌しようとしているのだ。皮膚が裂けた下から人間とは別の皮膚が姿を見せる。ジェドはその皮膚に見覚えがあった。その皮膚は悪魔の皮膚にそっくりだったのだ。
痙攣が治まり立ち上がった男達はすでに人間の姿をしていなかった。男達は悪魔へと変貌を遂げていたのだ。




