月姫①
「え? 私が視察に?」
アディラの口から戸惑いの言葉が兄のアルフィスに向け発せられた。その戸惑いの言葉を受けてアルフィスはアディラにニヤリと笑うと話を続ける。
「ああ、お前も王族として公務を受け持ってもらうのは当然だろう」
アルフィスの言葉にアディラは頷く。アディラもまた王族である以上、義務から逃れるつもりは一切無い。だが今回の公務の内容が今までとは違うものだったために大いに戸惑ったのだ。
今回、アルフィスから伝えられた公務は王都から馬車で3日程かかるクルノスという街の視察だったのだ。クルノスは王都フェルネルの南に位置する都市であり、特段問題がある所ではないのだ。そこに視察に行く理由がアディラには思い至らなかったのだ。
「確かにクルノスは治安、経済、インフラも現時点で問題はない」
アルフィスの言葉にアディラは頷く。
「だが、問題がゼロというわけでは無い」
「はい、それはわかりますが、それと私が視察に行く理由が結びつかないのですが」
「まぁそうだろうな」
「え?」
アルフィスの言葉にアディラは本気で意味がわからないという表情を浮かべた。アルフィスの言葉通りならこの視察はそれほど意味が無いように思われるのだ。
「今回の視察は表向きだ。アディラにはやってもらいたいことがあるんだ」
「私にですか?」
「ああ、視察にかこつけてお前に選抜をしてもらいたいと思っている」
「選抜?」
アルフィスの言葉にアディラは首を傾げる。アディラの反応は予想通りだったのだろうアルフィスは気を悪くした様子もなく続ける。
「ああ、魔神との戦いは激しいものになるのは当然だ。お前の護衛にメリッサとエレナがつくのは当然なんだが、それだけでは厳しい」
アルフィスの言葉にアディラはメリッサとエレナに視線を送ると2人は納得したように頷いた。メリッサとエレナにしてみればアディラの盾となる事もまったく厭わないのだが、魔神という人知を越えた存在相手に自分達が盾になったからと言ってアディラを守れるか不安だったのだ。
「もちろん、メリッサとエレナもこれまで通りお前の護衛についてもらう。それにウォルター達4人もお前の護衛につけようと思っている」
アルフィスの言葉にアディラは頷く。メリッサ、エレナはアディラにとって信頼している侍女達だ。それにアレンの弟子である4人の近衛騎士達の実力も人柄もアディラは信頼していた。その人選にまったく不満はない。
「だが、まだ足りない。そこでお前に選別をしてほしいわけだ」
アルフィスがここまで言ってアディラは納得した。自分の護衛なのだから自分が信頼できる者を選ぶようにとアルフィスは言ってるのだ。
「わかりました。自分が命を預ける護衛なのだから自分の目で選べという事ですね」
アディラの言葉にアルフィスは頷く。
「ああ、そしてこれはお前の鍛錬も兼ねている事を忘れないでくれ」
アルフィスの言葉にアディラは頷く。アルフィスは護衛チームを自分で選抜するように言っているのだ。アディラ、メリッサ、エレナ、4人の近衛騎士達の特性と欠点を正確に把握し、それによってどのような人員を補充するかを考えなければならないのだ。
「わかりました。でもお兄様、一つ伺ってもよろしいですか?」
「なんだ?」
「どうしてクルノスなんですか? 人員ならばこの王都でも十分に揃っていると思うのですが」
アディラの言葉にアルフィスは首を横に振る。
「確かにそうとも言える。だが、野には思いがけない人材がいるのも事実だ。クルノスにはそういう人材がいるかもしれない。常に人材を探す心構えを持っていないとな」
「確かにそうですね。わかりました、クルノスで人材を探してみたいと思います。ところで、何人ぐらいなら雇えるのですか?」
「基本はお前が必要と思う人数なんだが……」
「え~と、メリッサ、エレナ、ウォルター達近衛騎士4人……」
このメンバーなら欲しいのは魔術師であるとアディラは結論づけるとその旨をアルフィスに告げる。
「お兄様、魔術師を探そうと思います。あと『オリハルコン』クラスの『暁の女神』の方々をお願いしたいんですが」
アディラの言葉にアルフィスは頷く。
「すでに『暁の女神』にはお前の護衛につくことを要請している」
「それで結果は?」
「“喜んで”だ。ゴルヴェラとの戦いでお前の実力をかなり高く評価していたらしい」
「本当ですか♪」
「ああ」
アルフィスの言葉にアディラは喜びの声と表情を見せる。アディラはゴルヴェラ討伐において『暁の女神』の実力だけでなく、人間的にも信頼していたのだ。
「それでお兄様、クルノス出発はいつです?」
「これから10日後だ。それと視察の方もきちんとやることいいな?」
「はい」
アルフィスの言葉にアディラは元気に返答する。こうしてアディラはクルノスで人材確保に出かけることになったのだ。
* * *
10日後にアディラ達一行はクルノスに向けて出発する。
一行は、アディラ、メリッサ、エレナ、ウォルター、ヴォルグ、ロバート、ヴィアンカにジェド、シア、レナン、アリアと駒である吸血鬼の傭兵であるルカ、アジス、カルムだ。
アレンがアディラがクルノスに視察に出かけることを耳にしたアレンがジェド達も護衛について行ってもらう事を頼み込んだのだ。もちろん、アディラの護衛にウォルター達もついていく事を知らされたのだが、いかにウォルター達であってもゴルヴェラが複数現れた場合には分が悪いと思ったのだ。
もちろん、このジェド達の費用はアレンの自腹である。ジェドは無料で構わないと伝えたのだが、アレンは『プロの冒険者をただ働きさせるわけにはいかない。いくら友人であってもそれはそれ、これはこれ』とまったく譲らなかった。ジェドも結局は折れたのだが、オリハルコンの冒険者を雇うという事を考慮に入れると破格の安さで請け負ってくれたのだ。
アディラの乗る馬車にはアディラ、メリッサ、エレナが乗り込み、御者はウォルターが行う事になっている。ゴルヴェラの襲撃があった場合に戦闘力が大幅に劣るものがいれば足を引っ張るという考えからウォルターが行う事になったのだ。
そして、ヴォルグ、ロバート、ヴィアンカは騎乗して馬車を護衛し、その後ろにジェド達が荷馬車を引いてついていくことになった。
その荷馬車を引くのはシアの瘴操術で作った彫刻だ。シアは瘴気で馬を2頭作ると荷馬車を引かせていた。その馬車にはジェド、シア、レナン、アリアが乗り込んでいる。ルカ、アジス、カルムの3人は徒歩であった。
基本的に駒として扱う連中にはアレン達の扱いは基本配慮しない。ひとによっては非道と思うかも知れないが、アレン達にしてみれば彼らが今までやってきた事を考えれば命があるだけ感謝しろと言ったところだった。
ルカ達は副業で盗賊達に情報を売りつけ、その情報により多くの者達が被害にあったのだ。その被害者の中には、家族まるごと全滅してしまった例もあったのだ。確かにルカ達自身が直接手を下したわけでは無いが、どう考えても不幸を撒き散らす片棒を担いでいるのは間違いなかった。
アディラ達一行が王都フェルネルを出発したのを冷たい目で眺める男が3人いたことにアディラ達一行はこの時、誰も気付いていなかった。




