傭兵㉒
ベルゼイン帝国の帝都『ヴォルゼイス』の一角の簡素な邸宅区画に1人の男が歩いている。この邸宅区画は皇城の近くに設けられた高位貴族の邸宅が置かれた区画だ。高位貴族の邸宅が固まっているこの区画は当然ながらその警備は厳しい。
男が向かった先はそんな高位貴族の邸宅の一つだ。
(くそ……このまま行けば俺は終わりだ…)
男の心の中には一歩足を進める度に絶望が広がっていった。男の名はクギル=ラーゴイムという。傭兵団『リンゼル』の『元』団長である。肩書きに元と付くのは解任されたからではない。単にリンゼル自体が消滅してしまったのがその理由だ。
ベルゼイン帝国の第一皇子であるエルグドの依頼によりアレン達を抹殺しようとしたのだが、その理不尽極まる戦力の前にあえなく壊滅させられてしまったのだ。
(あんな……化け物共に手を出すのは阿呆だ)
クギルは歩きながら国営墓地であった事を思い出す。それは苦々しさを伴う行為だった。
「さて……お前らに最後の選択の機会を与えよう。俺達の役に立つつもりがあるのなら殺さないでいてやる。その気がないのならここで殺す」
アレンが言い終わると今まで発していたよりも遥かに凄まじい殺気がクギル達に叩きつけられる。今までの殺気でさえクギル達には耐えるのがやっとであったレベルなのにそれよりもさらに上があった事でクギル達は自分達との格の差を思い知らされたのだ。
クギル達はヘナヘナと腰が抜けてしまいへたり込んでしまった。傭兵としてあり得ないレベルの失態であるが、アレン達から感じる潰されそうな圧迫感に比べれば大した問題ではない。
「ふむ……どうやら役に立つ方を選んだというわけだな」
アレンの言葉にクギル達は全員が頷く。
「みんな、こいつらはここで殺さないつもりだが、それで良いか?」
アレンは全員に視線を移す。アレンの視線を受けた者達は苦笑しながら頷いた。ここまで心折れている以上、これ以上はただの虐殺になってしまう。それは彼らの美意識に反するのだ。
「さて、みんなの優しさに感謝しろよ。団長はお前だな」
アレンはクギルを真っ直ぐ見つめて言う。一切殺気を緩めずクギルに告げるアレンにクギルはただ頷くしかできなかった。
「それじゃあ……」
アレンはそう言うと掌に瘴気を集める、そのままクギルに放った。アレンから放たれた瘴気はクギルを覆い、すぐさまクギルの体に吸収される。それを他の団員達は呆然と眺めている。
「ふむ……俺の術を破るぐらいの実力があれば殺すつもりだったがどうやら杞憂だったみたいだな」
アレンの声には嘲りの感情はない。ただ事実を指摘する冷酷さがあっただけだ。
「お前はこれからベルゼイン帝国に戻って、俺を殺そうとした依頼人を始末しろ」
アレンの言葉にクギルは驚愕する。クギル達の依頼人はベルゼイン帝国の第一皇子であるエルグドだ。つまりクギルはベルゼイン帝国を敵に回すことになる。事実上の死刑宣告だ。
「お前の部下達は今お前にかけた術とは違う術で縛る。フィアーネ、フィリシア」
「うん♪」
「わかりました」
アレンが声をかけるとフィアーネとフィリシアが進み出る。
「どちらかだけでも大丈夫とは思うんだが、念のために二重にかけておいてほしい」
アレンの言葉に2人は頷くと空中に魔法陣を展開させる。その魔法陣はゆっくりと降りてきて魔族達の体をすり抜けていく。すり抜けた魔法陣は地面に吸い込まれ消えていった。
「終わったわよ」
「これで大丈夫です」
フィアーネとフィリシアがそう言うと、状況を理解していない魔族達は顔を見合わせる。別に痛みも何も感じなかったのだ。
「お前達に何がおこったのかはすぐにわかるさ。さて、お前には先程伝えたように依頼人を始末してもらう。お前が団長なんだからこの不始末はお前が責任をとるのが筋だ」
「わかりました」
アレンの言葉にクギルは反論したかったが口から出た言葉は自分の思っていた言葉とはまったく違ったものであり、自分の意思に基づいたもので無い言葉が自分の口から発せられた事にクギルは大いに戸惑う。
「その顔からすれば理解したみたいだな。俺がお前にどんな術をかけ、お前がどんな状態なのかが……」
アレンが嗤う。クギル達にしてみればアレンのその嗤いは心底恐ろしいものであった。
「それじゃあ、さっさと行け。この墓地を出てから転移魔術を使えよ。結界は解いておく」
アレンはそう言うと剣を地面に突き刺した。その瞬間にパリンと言う音が響き、アレンが最初に張った結界は砕け散った。通常の国営墓地の結界の状態になったのだ。通常の国営墓地の結界では入る事はそれほど苦では無いが出るのは門から出るしかないのだ。アレンが今回張った結界はその門からでることすら出来なかったのである。それを解除した以上、門からなら出入りは自由になったのだ。
アレンの言葉を受けて、クギルは立ち上がると国営墓地にむかって歩き出す。自分以外のものに半ば強制的に歩かされているのをクギルは感じていた。
(くそ!! くそ!! )
クギルは心の中で毒づきながら目的の邸宅へ急ぐ。つい昨日までこんな事になるとは思ってもみなかった。簡単な仕事であり人間共で遊ぶつもりだったのにこのような事になったのだ。
クギルはそしてついに目的の邸宅に到着する。門番に要件を伝えるとあっさりと通される。どうやら話は通っているようだった。
邸宅内に通されたクギルは案内の執事の先導に従い歩き出す。執事が執務室の扉をノックし、中から入室の許可が出るとクギルは扉の中に入る。
扉を開けたクギルの目に、5人の男が目に入る。第一皇子のエルグド、その両隣に護衛の騎士、従者のアベン、そしてもう1人の男の顔を見たときにクギルの表情は凍る。
「なぜお前が……」
クギルの呆然とした声に男はニヤリと嗤う。
「もちろん、依頼を受けに来たことを伝えるためだ」
「依頼だと?」
「ああ、リンゼルが失敗した依頼を引き継ぐと言う事だ」
「な……」
男の言葉にクギルはエルグドを見る。
「本当に残念だよ。クギル君……リンゼルほどの傭兵団が壊滅してしまうとは完全に想定外だったよ」
エルグドの少しも残念そうでない言葉が癪に障ったが、それ以上にクギルの中に芽生えた感情は諦めだった。エルグドをここで始末してそのまま逃げるつもりだったのだが、この場にこの男がいる以上、逃れることは不可能であった。
男は一瞬でクギルとの間合いを詰めると剣を心臓に突き刺す。
「が……」
心臓に突き刺した剣を引き抜くとクギルは口をパクパクさせながら崩れ落ちた。傷口から血が溢れ出し、執務室の絨毯を血が穢していく。
「ふん……役に立たない男だったな。所詮は……」
エルグドが侮蔑の言葉をクギルの死体に投げつけようとして途中で止める。
「な…」
「え?」
「そんなバカな……」
エルグドだけでなく周囲の者達も呆気にとられる、男の剣は確実にクギルの心臓を貫いたはずなのにクギルが立ち上がったからだ。しかし、立ち上がったクギルには表情はない。視線もエルグドに合っていなかった。
「俺はローエンシア王国の墓守であるアレンティス=アインベルクだ。日頃の魔族の低脳ぶりには辟易している。今回のこいつらを送り込んだ貴様を始末するように命じたのだがどうやら失敗したようだな。次の奴を送り込むのは構わんが、もう少しまともな実力者を送り込め。強い奴を送り込めばそいつを送り返してやるから。いつかはお前の喉元に手が届くだろうさ。ああ、こいつは俺からの贈り物だ」
クギルの口からアレンの言葉が紡ぎ出されると同時にクギルの体から瘴気が溢れ出すとアンデッドに変貌する。
「デスナイト……」
エルグドの口からデスナイトという単語が紡ぎ出された。




