魔人Ⅱ⑤
「ロム様!! キャサリン様!! 申し訳ございません」
オルカンドを倒したロムとキャサリンの元にナシュリス達は謝罪の声をかける。その表情には一様に畏まっており、ナシュリス達の目にはロムとキャサリンへの恐怖心が見える。敬語の任についているナシュリス達がまったく役に立てなかった事への叱責があると思ったのだ。
「大した相手ではありませんでしたので、私達だけで十分対処できましたので気にしないで下さい」
ニッコリと微笑むロムの笑顔と言葉にナシュリス達はほっと胸をなで下ろす。だが、それを表面上に出すような事はしない。相手の寛大さに対して当たり前のように振る舞えば間違いなくナシュリス達はこのアインベルク家に居場所はなくなるだろう。
「それにしてもあなた方はともかく…駒は本当に情けないですね」
続けて放たれたロムの言葉にナシュリス達は身を凍らせる。自分達に向けたの言葉では無い事はわかっているが、それでもナシュリス達の肝を冷やすには十分すぎる言葉だったのだ。
アインベルク家にはナーガ達とは違う立場の『駒』と呼ばれる人間、吸血鬼がいる。話によるとアインベルク家に何かしらちょっかいを出し、返り討ちに遭ったマヌケ共という説明を主人であるレミアから受けていた。
ナシュリス達はここまで来たが、『駒』の男達は離れの窓からこちらを伺っている様子が見て取れた。
ロム達の発する威圧感、戦いを見てすっかり腰が抜けていたのだ。『駒』の中には、先日フィリシアが殲滅した闇ギルドの『フィゲン』の元構成員達がいる。フィリシアの命令に従い、アインベルク邸の駒の宿舎に入れていたのだ。
ちなみに元『フィゲン』の連中は、この後、エルゲナー森林地帯に送られることが確定している。
「こんな事でエルゲナーに送って役に立つのでしょうかね…少しばかり鍛えておかないといけませんね」
ロムの言葉にキャサリンも頷く。ナシュリス達はみな平伏して嵐が自分達の元に来ていない事を感謝していた。
「さて…それでは、尋問を開始しましょうかね」
ロムはそう言うと、オルカンドの元に歩き出す。もちろん、何の警戒もしていないわけでは無く、オルカンドがどのような行動を起こそうが即座に対応出来るように警戒をしている。
「あなた、もし魔人がこの段階で危害を加えようとしたら、その瞬間に殺しますよ」
キャサリンの言葉にロムは頷く。ロムとしてもここまで圧倒的な実力差を見せつけられまだ調子にのるようなら、手心を加えるつもりは全くなく始末するつもりだった。そこまで状況判断が出来ない低脳など生かしておくつもりはないのだ。
「さて、起きなさい」
ロムはオルカンドの顔面に【水瓶】で発生させた水を落とし、オルカンドの意識を取り戻させる。
「ひっ!!」
目を覚ましたオルカンドはロムとキャサリンの姿を見ると、短く叫び声を上げる。慌てて起き上がると膝をつき、両手を顔の前に組むと蹲った。その姿は主人にに慈悲を乞う奴隷を思わせる。
「現段階であなたを殺すつもりはありません」
ロムの言葉の内容はオルカンドに希望を与えるものであったが、ロムの声色や視線などからまったく好意的なものを感じる事は出来なかったためにオルカンドの心に平安が訪れることはなかった。
「現段階…この意味を正しく認識していると仮定した上で私は話を続けるつもりです。期待を裏切らないで下さいね?」
ロムの言葉にオルカンドはゴクリと唾を飲み込んだ。ロムの言葉の意味するところは、『質問に正直に答えろ、嘘をつけば殺す』という意味である事は間違いなかった。
「あなたは何故、当家にやって来たのです?」
ロムの言葉にオルカンドは素直に話し始める。魔人であるオルカンドが完全に心を折られているという現実にナーガ達もゴクリと鍔を飲み込む。
「は、アレンティス=アインベルクという男を殺せと言う声が頭の中に響き渡ったのでございます」
「ほう…?」
オルカンドの言葉にロムはただ一言だけ言葉を発しただけであったが、オルカンドは頭を伏せロムの慈悲を乞う。
「も、申し訳ございません!!!!! こ、殺さないで下さい!!!!!!」
オルカンドはロムが恐ろしくて仕方が無いようだった。舌を高速回転させ命乞いを始める。
「俺、いや私にはアレンティス=アインベルクという男には何の恨みもございません!!ただ、この頭に響く声を何とかしたかった故の行動だったのでございます!! 私は役にがぁ!!!」
オルカンドの命乞いは突如中断された。中断された理由はキャサリンが戦槌をオルカンドの背中に容赦なく叩き込んだからだ。
凄まじい威力だったのだろう。戦槌がオルカンドの背にめり込んでいる。当然、戦対を振り下ろされた箇所にあった肩甲骨は砕けている。
「が…あ、な、何故?」
「アレン様をこの段階で呼び捨て…こちらの寛大な心に期待しようという心は理解しますが、こちらがそれに応える義理はありませんよ?」
「ひぃ」
「その辺のことを認識していると期待してましたが…処分しますか…」
キャサリンは戦槌を振り上げる。キャサリンの目には一切の慈悲の感情が抜け落ちたようだった。それを制止したのはロムである。
「待ちなさい。アレン様を呼び捨てにする愚かさは許しがたいですが、ここは寛大な心で許してあげましょう」
「……まぁ、一度だけなら許してあげましょうか、でも…次も寛大な対応をしてもらえると思わない方が良いですよ?」
「は、はい!!!」
キャサリンの言葉と殺気にオルカンドは再び蹲る。その怯えっぷりは見ていて滑稽なものではあるが、ナーガ達は笑わない。
「では、言葉遣いでも、こちらを不快にさせれば殺しますよ…その事を念頭においてから答えなさい」
「は、はい!!」
「では、その声の主は誰かわかりますか?」
「い、いえ…存じ上げません」
ロムの質問にオルカンドは恐る恐る答える。言葉遣いでロムとキャサリンを不快にさせれば容赦なく殺される事を察しているのだ。
「アレン様を害すれば声が止むと考えた根拠は何ですか?」
「は、実は何もございません。アレンティス様を害する事を求めている以上は、それを果たせば消えるのではと思った次第でございます」
「なるほど…それではあなたにとって、その声はそれほど不快なのですか?」
「…はい、情けない話でございますがこの声に抗うことは困難を極めます」
「そうですか…それではあなたを生かしておく事は出来ませんね」
オルカンドの返答にロムの声は途端に低くなる。ここでオルカンドを見逃せば次はアレンを直接襲う事になるだろう。もちろん、アレンの実力なら難なく斃せるだろうが、わざわざ主の手を煩わせる必要は無い。
ロムとキャサリンが殺気を放った事にオルカンドは震え上がった。ひたすら蹲り慈悲を乞う。
「お、お許し下さい!! 絶対にアレンティス様へ危害を加えるなどと言う事はいたしません!!」
「まぁ、あなた如きではいかなる手を使おうともアレン様を害する事は出来ないのですが、蚊が寝室にいると安眠できませんからね」
「そうですね…アレン様を付け狙うような輩を行かしておくわけには行きませんよね」
オルカンドの命乞いにロムとキャサリンはさらに殺気を放ちながら言葉を発する。
「さて…殺しますか」
キャサリンが戦槌を持つ手を振り上げる。戦槌に魔力が供給され大幅に強化されていくのを周囲の者は察した。オルカンドは逃げなければという思いはあるのだが、二人の殺気に当てられ腰が抜けてしまっていた。
「な、何でもします!!! 何でもしますから!!! 殺さないで下さい!!! アレンティス様への絶対の忠誠を誓います!!!!!」
オルカンドは遂に涙を流しながら懇願する。
「待ちなさい…この魔人にはまだ利用価値がありますので、ここでの処分は…」
ロムの言葉にキャサリンは戦槌を下ろし、殺気も収める。
「あなたは魔人となるときにどのような術を使いましたか?」
「え?」
「答えなさい」
「は、はい、生贄を捧げて…ひぃ」
生贄と言う単語にロムとキャサリンから一瞬だけ殺気がもれる。その一瞬だけ漏れた殺気にオルカンドはすっかり怯えてしまう。
「早く続きを…」
ロムの声に促され、オルカンドは続きを放つ。
「契約の魔術を行い、自分を魔人の体に変貌させるのです…」
「なるほど…キャサリン」
オルカンドの言葉が終わるとロムはキャサリンに言葉をかける。
「なんです?」
「この者はここでは殺しません。アレン様に生かすか、殺すかを決めてもらいませんか?」
「……わかりました。あなたの判断にまかせます」
ロムの言葉にキャサリンが同意を示す。とりあえずここでオルカンドの命が失われることはなくなったのだ。
「しかし、どうして殺さないという判断に至ったのですか?」
キャサリンの疑問にロムは答える。
「おそらく、この者にアレン様を害せよと言ったのは『魔神』でしょう」
「それはわかります」
「そして、魔人への変貌の術式を開発したのも魔神でしょう」
「…そういうことですか」
「ええ、魔神の開発した術式を使って変貌した魔人に声が届くようになっているのでしょう」
「という事は…」
「はい、間違いなく魔人は魔神の復活のための生贄…いえ、エサと言う事でしょうね」
「カタリナ様…エルヴィン様、ジュセル様…そしてキャサリン…あなたにその術式の解析を行ってもらいたいのです」
「…なるほど…殺すにしても…」
「はい、術式の解析が終わってからですね」
オルカンドはロムとキャサリンの会話を聞き、自分が決して助かったわけではなく、利用されるだけである事を察した。しかも、使い潰されるだけの未来しか感じる事は出来なかったのだ。
その後、見回りを終えたアレン達に、ロムが事の顛末を伝えるとアレンはニヤリと嗤い、オルカンドの命が助かることが決まった。
だが、それは決してオルカンドへの慈悲に基づいたものではなかったため、オルカンドはまったく心に平安は訪れなかった。
その後、フィアーネが行動制限の魔術を行い、オルカンドは一切の敵対行為を封じられてアインベルク邸で命を繋ぐことになった。
もし、フィアーネの術に掛からなければ、アレンは容赦なく始末するつもりだった。オルカンドの魔人としては非力だった事がオルカンドの命を繋いだのは皮肉な事と言えるだろう。
そして、オルカンドの苦難の時が始まることをオルカンドはすぐに思い知ることになるのだった。




