脅迫①
ローエンシア王国の王都フェルネルにある王城の一室でローエンシア国王ジュラスは執務室で執務を執っている。
最近になって国営墓地で魔神の活動が報告され、様々な備えをするようになり、その対応にジュラスはかなり力を入れている。より正確に言えば、アレンが活動しやすいように場を整えているのだ。
アレンはジュラスにとって親友の忘れ形見であり、息子の親友であり、娘の婚約者であり、将来の義理の息子だ。ここまで条件が揃っている以上、先人としてはアレンを支援することは当然である。
現在ジュラスが執っている執務の内容も国営墓地に関する事であった。
魔神の対策ももちろんだが、アレンが魔族に狙われているという事もジュラスは決して軽視していない。アレンは魔族に襲われた際にその能力をあげて撃退している。報告を読むと爵位を持つ魔族や魔剣士と呼ばれる者達を完全に手玉にとり斃していることは分かる。
だが、何事にも絶対はない。実際にイグノール=リオニクスという魔剣士との戦いでアレンは傷を負ったという話だった。
アレンからの情報でイリムは魔剣士として最高レベルにあったと言う話であったために差し当たってアレンを上回る戦闘力を持つ者はほとんどいない事は証明されたがどのような手段をとるかわかったものではないのだ。
「ユーノス…お前の息子は私が守ろう」
ジュラスは小さく呟く。
アレンはアルフィスを支え、この国になくてはならない存在となる事は確実だ。いや、すでに成っていると行っても過言ではない。
「誰だ?」
その時、ジュラスが小さいが落ち着いた声を発する。
その声にジュラス王の警護にあたっていた近衛騎士達は警戒を強める。ジュラス王の言葉はこの執務室に自分達以外に何者かが潜んでいることを意味するのだ。
「陛下?」
「いかがなされました?」
「この部屋には我々以外居りませぬが…?」
近衛騎士達の数は4人。みな優秀な騎士達である。その彼らでさえ、その何者かの気配を察する事ができなかったのだ。近衛騎士達は全員が腰の剣に手をやり、緊張の面持ちで周囲に目をやる。
「そうか…お前達は気付いていなかったのだな…」
ジュラスの言葉に近衛騎士達は狼狽える。守るべき主君が気付き、自分達が気付けないなど護衛として最も恥ずべき事だ。
「そこにいるであろう…」
ジュラスはそう言うと部屋の一角を指差す。近衛騎士達は主君が指し示した場所に目を移すが近衛騎士達の目にはいつもの執務室でしかない。
「【不可視】の魔術だな」
ジュラスの淡々とした声が執務室に響く。
【不可視】の魔術は暗殺者が好む魔術である。人間は視覚によって得た情報で物事を判断する割合が非常に高い。【不可視】は人間がその情報を仕入れる主要器官の目から自分を消す事が出来るのだ。
それゆえ、暗殺者にとって必須と言っても過言ではない魔術だ。だが、ある程度の武術の心得のある者にしてみれば姿が見えないからと言っても、気配などを察知して容易に暗殺が成功するものでは無いのだ。
完全にジュラスに察知されていた事に気付いた何者かが【不可視】の魔術を解く。するとジュラスが指し示した一角から一体の魔族が姿を現す。
「き、貴様!!」
「何者だ!!」
剣を抜こうとした近衛騎士達をジュラスが片手をあげて制する。その様を見た近衛騎士達は剣の柄から手を離す。
「ふはは…さすがに利口だな…ジュラス王よ」
その魔族は黒を基調とした執事服に身を包んでおり、いかにも人間を蔑んでいるという感情を隠さずにジュラスに尊大な口調で話しかける。
(こいつ、ひょっとして私が恐れていると勘違いしてるのか?)
魔族のあまりの勘違いぶりに笑い出しそうになるのをなんとか堪える。道化がせっかく道化らしい滑稽さを疲労してくれているのだから邪魔をするのは野暮というものだろう。
「私の名はオルディ=マーカン、ベルゼイン帝国第三皇子であるトルト殿下に仕えし者よ」
オルディと名乗った魔族は得意気にジュラスに向け嗤う。
(第三皇子? ああ、アレンの報告にあったな。そんな雑魚の名前が)
ジュラスはアレンの報告にトルトの名前があった事を思い出した。他国の第三皇子の下っ端如きが何のようだ?とジュラスは思う。
(まぁ、アレン関係だろうな。本人に手を出せば潰されるから外堀を埋めようという事か…)
ジュラスはオルディに何も答えずオルディを見やる。
「私がここに来たのは貴様の部下の墓守が我がベルゼイン帝国の者を殺害したという事でその謝罪を求めに来たのだ」
オルディの言葉にジュラスはまたも沈黙を通す。
(なんだ…結局は魔族とやらの知恵も人間と同じか…)
ジュラスは正直な話、オルディの言葉に失望していた。オルディの行動は、昔から他国の要人を排除する事に用いられる陳腐な手段であったからだ。魔族が独自のやり方でアレンを排除しようというのなら、もちろんジュラスはそれを阻止するつもりだったのだ。そしてその魔族独自の方法を正直、楽しみにしていた所もあったのだ。
だが、結局提示された方法は、対象者の上司を脅迫し対象者を排除させるというものだった事に大いに失望したのだ。
「謝罪だと?」
舌打ちを堪えそうなジュラスの声であるが、自分が優位に立っていると勘違いしているオルディは心地良さげに嗤っている。
「そうだ、謝罪の証として墓守の首を持ってこい。そうすればローエンシア王国は見逃してやろう」
オルディの口元が醜く歪む。どこまでもジュラスを見下した様な言い方だ。
「それはベルゼイン帝国の総意か?」
ジュラスの言葉にオルディはさらに口元を歪めて嗤う。オルディの中ではジュラスの言葉は脅迫に屈したものと捉えたのだ。
「勿論だ。墓守を殺し安寧を買え、それが利口だ」
オルディの尊大な言葉に本来であれば近衛騎士達は怒り狂うべきなのだが、彼らは恐怖のためにまったく動けない。
そう…
日夜鍛錬に励み、並の騎士、兵士達とは一線を画す近衛騎士達が恐れていたのだ。
だが、その相手はオルディなどではない…。
近衛騎士達が恐れていたのはジュラス王だ。普段は温厚である敬愛する主君が近衛騎士達は恐ろしかったのだ。近衛騎士達はジュラス王が怒っているのを察していたのだ。
「おい」
ジュラスが口を開く。オルディはジュラスの口調の変化に訝しがる。
「トルトの首を持ってこい…そうすればベルゼイン帝国は見逃してやる」
ジュラスの言葉は執務室に響いた。




