聖女Ⅱ③
「ゴイアーグ卿が浄化任務に失敗…」
ファリアの言葉にユグディアティス4世は重々しく頷く。そこにゴイアーグを非難する様子は一切見られない。
ルーク=ゴイアーグは間違いなく一流、いや超一流の実力の持ち主だ。歴代の聖女であっても彼に劣る実力は相当数昇ることだろう。また人格も大変優れており上に媚びず下に優しく、信者の信頼も厚い人物である。
もちろんファリアもルーク=ゴイアーグを尊敬していた。
「うむ…ゴイアーグ卿の実力は確かなのだが、残念ながらその彼であっても成し遂げることは出来なかった」
「それでゴイヤーグ卿は?」
「浄化任務の失敗により重傷を負っている。だが幸いにも命に別状はない」
ユグディアティス4世の言葉にファリアはほっと胸をなで下ろす。
「ゴイヤーグ卿が成し遂げられない以上、もはやファリア以外に任務を達成する事ができる者はおらぬ」
「はい…」
ユグディアティス4世の言葉にファリアは頷くがその声は固い。ゴイヤーグ卿が失敗するような任務の難易度に緊張するなというのは酷というものだろう。
「しかし、ゴイヤーグ卿の失敗の理由は…」
ファリアの言葉に答えたのはコルキスである。
「卿の護衛についていた者達が言うには、『リキオン』を守るために強力な守護者が設置されているらしい」
「守護者…」
「うむ…相当な強者らしい。ゴイヤーグ卿の護衛の聖騎士が為す術なくやられたとの事だ」
「しかし、ゴイヤーグ卿はよくその守護者から逃れることが出来ましたね」
「それは『暁の女神』の方々も護衛に参加していただいたからだ。彼女達のおかげで奇跡的に死者はでなかった。もし、『暁の女神』が護衛に参加していなければゴイヤーグ卿の一行はみな死んでいたことだろう」
コルキスの言葉にファリアは考え込む。『暁の女神』の実力の高さは聞いていたが噂以上の腕前という事がわかる。
「コルキス枢機卿、『暁の女神』の方々は現在どこに?」
「もちろん、『リキオン』が再び奪われないようにジラドルグの城に滞在してもらっている」
「そんな場所に…危険ではないのですか?」
「いや、『リキオン』の守護者は『リキオン』から一定距離とると煙のように消えたらしい」
「そうですか…」
ファリアはコルキスの言葉に納得の表情を浮かべる。
「発言をよろしいでしょうか?」
静かに聞いていたファリアの護衛であるエレリアがコルキスに発言を求める。
「エレリア=トスタン、発言を許可する」
コルキスはまったくの自然体でエレリアに許可を与える。
「はっ、ゴイヤーグ卿の護衛の聖騎士達を為す術無く倒したという守護者が相手では私達ではファリア様を守り切れるとは思えません」
「ふむ…お主らの言い分ももっともだが心配はいらぬ」
「は?」
「当然の事ながら増援を用意しておる」
「増援…ですか?」
エレリアは鸚鵡返しに聞く。
「ああ、お主達は確かにラゴル教団における最精鋭と言って良いだろう。だが、ゴイヤーグの護衛もお主らに劣るものでは無い」
コルキスの言葉にエレリア、シュザンナは頷く。コルキスの言った言葉は事実であり反論するようなことではない。
「となると…」
「そう、新たに冒険者を雇っている」
「冒険者…」
「不満かな?」
「いえ、コルキス枢機卿が揃えたという冒険者…誰かと思いまして…」
「それは現地で実際に確認した方が良かろう。増援は4人だ」
「たった4人ですか?」
「ふむ、4人と言っても『オリハルコン』クラス2人と『ミスリル』クラス2人だ。『暁の女神』も加われば凄まじい実力者の集まりと言える」
「確かに…」
エレリアもコルキスの言葉に頷かざるを得ない。『オリハルコン』クラス7人と『ミスリル』クラス2人の計9人の戦力は間違いなく一個旅団を上回ると見て良いだろう。
「ファリア、本来であれば外部の者の力を借りることなく神盾『リキオン』を取り戻さなくてはならぬのだろうが、そうも言っておれぬのだ」
ユグディアティス4世はファリアに対してそう言葉をかける。
「はい、この命に替えましても『リキオン』は取り戻して参ります」
「そうではない。神盾『リキオン』は確かに我らがラゴル教団の至宝ではある。だが命と引き替えにしてまでというものではない」
ファリアの返答にユグディアティス4世は諭すように言う。
「我々は神盾『リキオン』が無くとも約200年やってこれた。だが聖女はそうではない。聖女は常にラゴル教団の存在していた。お前が新たな聖女として就任するまでの十数年がどれだけ信者にとって苦しい時期であった事を忘れてはならぬ」
「はい」
ユグディアティス4世の言葉にファリアはただ一言だけ返す。
「よいな。必ず無事に帰ってくるのだぞ」
「はい」
「エレリア、シュザンナ」
「「はっ」」
「必ずファリアを守り切れ、それが護衛であるお主らの使命であることを心得よ」
「「はっ」」
ファリアと護衛に2人は一礼すると教皇の執務室を出て行く。
聖女達が出て行き執務室の扉が閉められた後、残ったユグディアティス4世とコルキスは視線を交わす。
「猊下…」
「コルキス卿も堪えて欲しい。ゴイヤーグ卿が敗れた今、聖女ファリアしかおらぬのだ。それに…」
「最善手を打てない事情は存じ上げております」
コルキスの言葉にユグディアティス4世は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
聖女ファリアの安全を確保し神盾『リキオン』を回収する方法は今回ユグディアティス4世とコルキス枢機卿が打った手以上に確実なものがあったのだ。
その最善手とは『アインベルク侯』へ依頼することであった。禁忌の騎士を斃し、ゴルヴェラ11体を討ち取りジルガルド地方失陥を防いだ規格外の怪物ならば聖女を守り切る事も可能だろう。
増してや『アインベルク侯』は聖女とも面識があるという話だ。決して無下に断るような真似はしないはずだった。
だが、『アインベルク侯』に依頼すると言う事はローエンシア王国に借りを作る事に他ならない。ただでさえ前回の禁忌の騎士の件で借りがあるのだから、これ以上の借りを作ればローエンシアの介入を強める可能性もあったのだ。
ジュラス王は宗教に寛大だが、それはあくまでローエンシアの国益に反しないという条件がつく。そのようなジュラス王に必要以上の借りを作ると言う事は危険であると思っていたのだ。
ユグディアティス4世はジュラス王を決して過小評価していない。むしろ過小評価できる程度の知性しかない者がユグディアティス4世は羨ましかった。ユグディアティス4世は決して暗愚では無かったためにジュラス王の実力を恐れていたのだ。
「猊下…おそれながら猊下は最善手を打たれたと私は確信しております」
「すまぬな…」
「あとはファリア達を信じる事にいたしましょう」
「そうだな」
ユグディアティス4世とコルキスはファリア達が出て行った扉をじっと見つめていた。




