閑話~デート:アディラ編①~
「ぐへへ」
アディラのいつもの笑い声がテルノヴィス学園の女子寮のアディラの私室に備えられているベッドの中から聞こえてくる。
ローエンシア王国の王女として常に見本となるべく振る舞うアディラであったが、婚約者のアレンがからむと途端に残念になるのだ。勿論、この事を知っているのはローエンシア王国でも両手の指を超えない人数である (正確にはアディラはそう思っているだけである)が、最も幻滅されたくない人物である婚約者であるアレンがアディラの『ぐへへ』について一定の理解を示していることで、自重も最近はおざなりである。
アディラがこの残念な笑い声を上げる理由は婚約者であるアレンとのデートの日が近付いてきたからであった。
「いよいよ明日かぁ~楽しみ♪」
学生であり寮生活を行っているアディラは他の婚約者達と違い自由に会うことは出来ない。もちろん、休日ごとにアインベルク邸に赴きアレンや他の婚約者達と楽しい時を過ごすのがアディラの日常になりつつあった。
それに加え、アレンの仕事場である国営墓地において『魔神』の活動が確認されたことによりアレンの下で戦う事になったのはアディラにとって嬉しい事であった。
先のゴルヴェラとの戦いでアディラも参加した事は学園の生徒達の間にも知れ渡っており、テルノヴィス学園内においてアディラは王女という立場以上に注目されることになった。
もちろん、戦場にでたアディラに対して『王女らしくない』『血で穢れた王女』『野蛮』と陰口を叩くものがいるのも事実だった。
だが、アディラはそのような陰口など完全に無視していた。むしろ陰口を叩くのはアディラの立場を恐れての事であると考えていたのである。自分を恐れている者に恐れおののくというのもおかしな話と考えたのである。敵として眼前に立つ事もできないような弱者などアディラにとって気にするほどのものでは無かったのだ。
アディラの周りには強者が多い。アレン、ジュラス王、アルフィス、フィアーネ、レミア、フィリシア、ロム、キャサリン、メリッサ、エレナ…そんな強者を知っているアディラにとって陰口しか叩けないような弱者を恐れる理由はどこにも無かったのだ。
いずれにせよアディラの関心はアレンに関する事が大部分を占めているのは間違いなかったのだ。
(アレン様にどこまで甘えて良いのかしら…もしかして…ぐへへ…ぐへ…へ)
アディラは睡魔が自分の意識を奪うまで例の笑い声を心の中で発していた。
翌日…
アディラは夜明け前に起き出す。アディラが夜明け前に起き出した理由は今日のデートのためだ。
アディラはアレンに王都の民の憩いの場であるフェルネル中央公園でのんびりするつもりだったのだ。もっと言ってしまえば公園の芝生でアレンに甘えるつもりだったわけである。
公園に行くと言う事はほぼピクニックのつもりで行けば良いのだ。ピクニックと言えばお弁当よねと考えたアディラは自分でお弁当を作る事にしたのだ。まだアディラがアレンの婚約者になる前にフィアーネ達との作戦会議で『胃袋を掴む』という事で料理を振る舞うと言う事になり作り始めたことでアディラは料理の練習をしていたのだ。
元々努力家で真面目なアディラは料理の練習にも一切手を抜くことなくどんどん腕を上げていった。少なくとも同年代の少女達よりも遥かに料理の腕前は高いのだ。
テルノヴィス学園の寮の私室には備え付けのキッチンがある。貴族の子弟が通うこの学園では生徒達は侍女を伴うのが普通で、ちょっとした食事などを作らせたりするのだ。
あくまで使用するのは侍女達であり生徒は基本、扱わないのだ。
「さて…やっぱりピクニックには王道のサンドウィッチよね」
アディラはアレンに食べてもらい褒めてもらう姿を想像すると口元がみるみるうちに緩んでいく。
「ぐへ、じゃない。落ち着くのよアディラ!!」
いつもの残念な笑い声が出るのを何とか堪える。
「やっぱりタマゴサンドは絶対に必要よね。あとはハムとレタス、チーズサンドもいいな。アレン様は味の濃いものよりも薄味が好きだから…でも、アレン様もあまり健康な男性なのだからボリュームはそれなりに必要ね」
アディラは冷蔵庫を開けて中の食材を取り出す。
この冷蔵庫は、密閉した箱形の食材保管庫であり、氷を箱の上部に備え付けることで中の温度を下げるという単純なものである。アディラは【氷結】を使うことが出来るのでほぼ費用をかけること無くこの冷蔵庫を使用することが出来た。
取り出した食材は卵、ハム、バター、チーズ、レタス、トマトなどである。アディラの料理は基本に忠実だ。料理下手な者は無茶なオリジナリティを出そうとしてすべてを台無しにしてしまう。アディラは料理を仕込んでくれた王城の料理人達にその事を厳しく教え込まれた。
「よし!!がんばろう!!」
ふんと鼻息を荒くしてアディラはサンドウィッチを作り始める。
アディラの手際はプロの料理人の手際にはとても及びつかないが、それでも下手と論じられることはあり得ない。
カチャカチャカチャカチャ!!!
タタタタタタタタタタ!!!
トントントントン…
アディラの私室に料理の作る音がリズム良く響く。音を聞いているだけでアディラの料理の腕前が決して下手出ないことがわかるというものだった。
「う~ん…ガッツリ系はやっぱり肉よね…でも冷めたらおいしくないかも知れないし」
アディラは口元に手をやり献立を考えている。実の所、結構前から献立は考えていたのだが、最後の一品を決めかねていたのだ。
パンを切り分け、両面にバターを塗りながらアディラは最後の一品を考える。色々と悩んだのだが結局、アレンは健康な18歳の男子という事でスライスした肉を大胆に焼き、王城の料理人達が譲ってくれた特製ソースに絡めそれをパン挟み込むというシンプルな形に落ち着いた。
王城の料理人達がこの選択を見れば微笑みながら頷いただろう。料理は食べてもらう人の事を考えて献立を立てるべきなのだ。
アディラは手際よく肉を焼き、ソースと絡めるとバターを塗ったパンに挟み込む。
作り上げたサンドウィッチを切り分け、昨晩のうちに用意していたバスケットに綺麗に入れていく。
「ふん~♪ふん♪ふん♪」
アディラは自然と鼻歌を歌い始めている。
「できた!!」
アディラはニッコリと微笑み自信作の弁当を見る。我ながら良い出来だと思う。
アディラは飲み物の紅茶を水筒の中に入れ終わると片付けを始める。自分の使ったものは自分で片付けるというのがアディラのポリシーなのだ。
手早く片付けを済ませた辺りで、ドアをノックする音がした。どうやらメリッサとエレナが来たらしい。優秀な2人の侍女はアディラが弁当を作り終え片付けが終わる頃を見計らって入室することにしたのだろう。
もし準備中にメリッサとエレナが入室してしまえば手伝うことは容易に考えられる。それをアディラが望んでいない事を知っているため2人は大体終了した時間を見計らったわけだった。
「「アディラ様、お早うございます」」
2人は揃って一礼する。
「お早う2人とも、今お弁当関係は全部終わったから、身だしなみを手伝って」
アディラの言葉に2人は微笑みアディラを鏡台の前に座らせるとメリッサは髪を梳き始める。アディラの髪は絹糸のような手触りでありメリッサは実はアディラの髪を世話をするのが楽しみだったりする。
ある程度整えたところで、エレナが取り出してきたのは膝下までの長さの淡い水色のフレアスカートに、太股まである黒いチュニック、白い絹のシルクのストールだった。
「アディラ様、今日はこれで行きましょう」
エレナの弾んだ声にアディラも声を弾ませ了承する。
「うん♪確かにこれなら良いわね。ストールの巻き方はどうするの?」
「ふふふ~」
アディラの問いにエレナ自信たっぷりに答える。
「今回は『サイドノット』で行こうと思います」
サイドノットは最近の流行の巻き方で、ストールを二回巻いてから結び目を横にずらすというものだ。ストールは巻き方次第で印象が大分変わるので、王都の女性は身分に関わらずストールを一つは持っている。
「それじゃあ、終わったら髪をお願いね」
アディラはさささっとエレナがコーディネートしてくれた服に着替える。再び鏡台の前に座るとメリッサがアディラの髪方をセットする。メリッサが髪を整える間にエレナはアディラに薄く化粧を施す。
「「お綺麗ですわ」」
メリッサとエレナは準備の終わったアディラの姿に見惚れる。2人の言葉からはアディラを飾り付けることが出来る幸せを噛みしめているようだった。
実際に鏡にうつるアディラの姿は、可愛らしくもあり美しくもあった。メリッサは髪方は結局いつも通りのシンプルに背中に流すというものを選択したのである。メリッサ曰く『アディラ様にはこのシンプルな髪方こそ最も似合う』という事だった。
「ありがとう2人とも。アレン様は喜んでくれるかな」
アディラの言葉に2人は微笑みながら頷く。
アレンは婚約者達を非常に愛おしく思っていることは明らかである。そのアレンが自分のために飾り立てたアディラを見て嬉しくないはずがなかった。
「アディラ様、今日のアディラ様を見たらアインベルク卿は果たして我慢できるかわかりませんよ?」
エレナがニヤニヤと笑いアディラに言う。
「ちょ…エレナ」
メリッサがエレナを窘めるような視線を送る。エレナの冗談は際どいものが多々あるため手綱をきちんと握っておく必要があるのだ。
「え?そうかな~。ひょっとしたらアレン様に迫られちゃうかも~ぐへへ」
アディラの様子を見てメリッサは頭を抱えそうになる。メリッサがエレナを睨みつける。その視線とアディラの『ぐへへ』を聞いたときにエレナは『まずい調子に乗りすぎた』という表情を浮かべた。
「アディラ様、アインベルク卿は皆様方との結婚まで必死に耐えておられるのですから誘惑しようなどと考えてはなりませんよ」
メリッサの言葉にアディラは『はい』と小さく呟く。だが心の中で『誘惑じゃなくて甘えるだから大丈夫よね』と思っていることは2人も読んでいなかった。
アディラの様子を見てメリッサとエレナは胸をなで下ろす。さすがに結婚前のアディラとアレンが一線を越えるのを認めるわけにはいかないのだ。まぁアレンの為人から考えて結婚まで一線を越えるような真似はしないだろうけどそれでも必要以上に苦行を強いるのは悪い気がしたのだ。
「エレナ…」
メリッサのやけに低い声にエレナはびくりと体を震わせる。
「な、何かな?メリッサ…」
エレナは声を震わせメリッサを見る。いや、顔だけ向けるが視線はメリッサから外されている。
「あとでゆっくり話をしましょうね」
メリッサの妙な迫力のある声にエレナは自分の考え無しの行動を後悔するのであった。
 




