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魔将Ⅱ⑬

 フィアーネは何気なく歩くことでネルクの間合いにスルリと入り込むと、容赦ない拳の一撃をネルクの腹に見舞った。フィアーネの一撃が放たれる瞬間にやっと危険を認識したネルクはフィアーネに裏拳を放つが、フィアーネの一撃の方が遥かに早くネルクに到達する。


 フィアーネはさらに第一撃と同じ箇所に追撃を加えると、横蹴りを胸に入れる。


 ドゴォォォン!!


 恐るべきはフィアーネの実力だ。二撃をネルクに入れ、間髪入れずに横蹴りと計三発の打撃を入れたのだが、周囲の者には打撃音が一つしか聞こえない。三発もの打撃をほぼ同時に叩き込んだという事だった。


 フィアーネの横蹴りを受けたネルクは3メートル程の距離を吹っ飛ばされると地面を転がる。人の身であれば確実に勝負は決まっていただろうが相手はゴルヴェラである。この程度で終わるとは思えない。そのため、倒れ込んでいるネルクの頭をフィアーネは容赦なく踏み抜く。


 しかし、ネルクは間一髪でフィアーネの踏みつけを躱す事に成功すると、何とか起き上がりフィアーネを睨みつける。


 フィアーネは目を細めるとネルクとの間合いを一瞬で詰め、右拳を顔面に放つ。


 ネルクはフィアーネの右拳を躱すとフィアーネの右手を切り落とそうと斬撃を放つが、フィアーネはそれを読んでおりクルリと一回転して斬撃を躱すとそのままの勢いで肘を顔面に放つ。


 ドゴォ!!


 凄まじい打撃音を発しネルクはまたも吹っ飛ばされると地面に転がった。


(ぐはっ…、なんなんだこの女は…)


「終わったのか?」


 ネルクは地面に伏したまま、フィアーネに声をかけるアレンの声を聞いた。


「いえ、まだよ。アレンは終わったのね」

「ああ、偉そうにしていたけどあっさりと終わったな。『暁の女神』との戦闘で思ったより弱っていたらしい」

「結局のところ、ゴルヴェラって実際の実力と自分の実力への評価に大きな開きがあるのよね」

「単純に自惚れ屋が多いんだろ」

「なんというかピエロな種族ね」


 アレンとフィアーネの会話を聞きネルクは起き上がる。


「舐めるなよ人間が!!!」


 ネルクはそう叫ぶと魔力を集中する。膨れあがった魔力がネルクの体を覆う。どうやらこれがネルクの切り札らしい。


 フィアーネにやられた傷が急激に塞がる。どうやら覆った魔力は再生能力を強化するためのものだったらしい。そしてこの段階でこの術を使ったと言うことは、おそらく身体能力も強化された事をアレンとフィアーネは推測する。


「アレン…わかってると思うけど私に任せてね」

「ああ」


 アレンとフィアーネの言葉には強者の余裕があった。それがネルクには気にくわない。


「死ね!!」


 ネルクは間合いを一瞬で詰めるとフィアーネに斬りかかる。フィアーネはネルクの剣を体を捻って躱すと裏拳をカウンターで放つ。先程までのネルクなら躱す事無くまともに顔面で受けたのだろうが今度は躱す。


 裏拳を躱したネルクはフィアーネに斬撃を絶え間なく放つ。フィアーネもネルクに拳、貫手、手刀などで除けながら反撃する。目まぐるしく変わる攻防を通してフィアーネとネルクは互いに主導権を握ろうとせめぎ合いを行っている。


(へぇ…フィアーネの動きについて行っているのはなかなかやるな…でも)


 アレンはフィアーネとネルクの攻防を見て正直、ネルクがここまでやるとは思わずちょっと感心していた。アレンはフィアーネの実力を高く評価していたためにここまで食い下がるネルクの実力を見直したのだ。


(ま…そろそろだな)


 アレンがそう考え始めた時に、突然ネルクの頭が打撃音とともに大きくのけぞる。フィアーネの拳がネルクの顔面を捉え始めたのだ。


 ネルクの魔力による肉体強化は永続的なものではない。魔力を消費していくのだ。魔力を消費すれば当然、術の効果もそれにともない減少する。アレンはフィアーネとの攻防を見ているうちに僅かながらネルクの剣速が落ちた事を見抜きピークが過ぎた事を察したのだ。あとはどんどん弱くなっていくだけである。


 アレンが気付いた事は当然フィアーネも気付いている。フィアーネも本気を出せば、ネルクの動きを上回る事は可能だったのだが、フィアーネはネルクの肉体強化に限界が近いことを悟り温存することにしたのだ。


 一方フィアーネの拳を顔面に受けたネルクは動揺する。切り札を使っているのにも関わらずこの女を斃す事は出来ないのだ。


「じゃあ、そろそろ行くわよ」


 フィアーネがそう言うと、懐に飛び込みネルクの剣を振るう手を押さえるともう片方の肘をネルクの胸に叩き込む。


 ビキィィィィ!!


 周囲に胸骨の砕ける音が響く。フィアーネの一撃の強力さが窺い知れる音だった。


「がはぁ!!」


 ネルクの口から苦痛の声がもれるが、フィアーネはまったくそれに構うことなく、肘を叩き込んだ手でそのまま首を掴むと剣を持つ手を押さえていた手で顔面を殴りつける。そのまま拳を横に滑らせると今度は顔面に肘を叩き込む。


 顔面に入った肘は容赦なくネルクの歯を砕くと血と共にネルクの歯が飛び散った。


「くそがぁ!!!!!」


 ネルクは叫ぶ。だが、フィアーネは動じることなく凄まじい速度で横蹴りを放つとかなりの距離をネルクは吹っ飛ぶ。かろうじて転倒はしなかったようだが、傷が再生しないところを見ると肉体強化は終わったらしい。


「あなたって弱いわね…」


 フィアーネの失望の声にネルクの自尊心はこれ以上無いほど傷つく。


「あなたの使っていた術は魔力を燃料にあなたの有する能力を増加させるものなんでしょう?」


 フィアーネの言葉にネルクは答えない。


「私も似た術を使っているけどあなたと違って戦闘中に解けるなんて間抜けすぎる事はしないわよ」

「…」

「所詮はゴルヴェラね…さっきのゴルヴェラといい、そこでアレンに斬られたゴルヴェラといい。どうしてこう情けない奴しかいないのかしら」


 フィアーネの言葉にネルクは憤るがそれを表面上に出せない。理由はただ一つ、フィアーネを恐れていたからだ。フィアーネの言葉は静かであるが時間が経つにつれてその圧力が巨大になっていく。これほどの圧迫感を受けた記憶はネルクにはほとんどなかった。


「さて…それじゃあ、そろそろ先程の侮辱の落とし前をつけさせてもらうわね」


 フィアーネは言い終わるとゆっくりとネルクに向かい歩き出す。ネルクは近づいてくるフィアーネを見て奥歯がカチカチと鳴り始めている。本能がフィアーネを恐れている事を理解したときにネルクは心が折れる。


「降…」


 ネルクが命乞いの言葉を発しようとした時に突然フィアーネは間合いを詰める。フィアーネはネルクの心が折れ、命乞いの言葉を告げようとした事を察するとそれを無視してとどめを刺すことを選択したのだ。


 フィアーネの拳がネルクの腹部に突き刺さると、ネルクの体はくの字に折れ曲がる。フィアーネは延髄を握りそこを支点にして、もう片方の手で顔を上げさせる。そのままフィアーネはネルクの喉に膝を入れる。


 ゴギャァァァァ!!


 フィアーネの膝によりネルクの喉は潰され声が封じられる。


(ま、待ってくれ!!助けてくれ!!降参する!!)


 声にならない叫びがネルクの中で響く。だが喉を潰されたネルクからはその叫びが発せられる事は無かった。


 フィアーネはネルクの顎を掴むと凄まじい力で握りつぶす。またもとんでもない痛みがネルクを襲う。


(ぎゃあああああああああああ!!)


「相手の実力を読み取れない程度の力しか無いからこんな無様なことになっているのよ」


 フィアーネの言葉に一切の慈悲はない。フィアーネにとってネルクは虫よりも価値の無い存在なのだ。


「あなたのような醜すぎる生物でも、せめて散り際だけは美しく彩って上げるから感謝しなさい」


 フィアーネはそう言うとネルクの頭部を両手で掴む。


「これ滅多に使わないんだけど、これならあなたのような醜い生き者でも美しく散れるわよ」


(な…なにを…やめてくれ…)


 フィアーネの口が動く。何かの詠唱をしている事がネルクにはわかる。だが、聞いたことのない詠唱だ。


(さ…寒い…ま、まさ…か)


 ネルクを掴むフィアーネの両手から冷気が送り込まれる。人間であればこの段階ですでに凍結してしまい命を散らしていたことだろうが、ネルクはゴルヴェラである。人間よりも魔術に対する耐性があり、肉体的にも頑強だ。それゆえに少しずつ体温が下がり凍結の速度も遅いのだ。

 またフィアーネも少しでもネルクに恐怖を与えるために出力を少しずつ上げていたのだ。フィアーネはネルクの挑発からゴルヴェラが敵に対して一切の敬意を持ち合わせていないことを察していた。そのような生き方をしてきたのだから最後には自分に跳ね返ってくるのは当然の事だった。

 

(ヒ、ヒィ…やめ…て)


 もはやネルクにはフィアーネの恐怖から逃れたいという想いしかなかった。


「さて、あなたのようなアホでもわかったでしょう?嬲り殺される事の惨めさが…」


 フィアーネの言葉にネルクは心の中で頷く。するとフィアーネの両手から注がれる冷気が止まる。


(ま…まさか、助かるのか)


 ネルクが生存の可能性を見いだした。この少女は自分を改心させるためにこのような苛烈な措置を行ったのかと思いニヤリと心の中で嗤う。ネルクは改心などまったく思ってはおらずこの場を逃れ必ず復讐するつもりだった。


(くく…甘い奴だ)


 だが、それは単なる思い込みである事をネルクは次のフィアーネの言葉で思い知らされた。


「本当にあなたって真性のクズね。私が冷気を止めた事で命が助かるとでも思ったんでしょう?」


 フィアーネの言葉にネルクは身を振るわせる。


「あなた…私を甘いと思ったでしょう? 放つ雰囲気でわかるわ。どこまでもお目出度いわね。冷気を止めたのは助けるためじゃなく殺すための準備よ。まったく…」


 フィアーネはそう言うと両手から冷気を一気に放出する。


(や…)


 ネルクの心の声はフィアーネの放つ冷気により命そのものが凍結された。


 フィアーネは完全に凍結し氷像と化したネルクの額に手を置き魔力を送り込む。凍り付いたネルクの体は送り込まれたフィアーネの魔力により振動を始めた。限界を迎えたネルクの氷像にヒビが入り始め、ついに砕け散る。


 文字通り粉々に砕け散ったネルクの体は光を反射してキラキラと輝き地面に降り注いだ。

 それは一種の幻想的な光景であったが一つの命が失われた事を考えれば残酷な美しさである。だがその光景を見るすべての者がその幻想的な美しさに目を奪われていた。


「さて…これで終わりね」


 フィアーネはネルクの残骸をもはや一顧だにしない。ただやることを終えたという意識しかなかった。


「フィアーネ、お前にしたら珍しい斃し方だったな。あの術初めて見るぞ」


 アレンがフィアーネに声をかける。フィアーネとはそれなりの時間、一緒にいるがあまり魔術を使わない。自分の圧倒的な武術で敵を粉砕してきた姿しか思い浮かばなかった。


「そういえば見せた事無かったわね。私、無手での戦いが一番好きだけど氷寒系の術も得意なのよ」

「そうだったのか」

「うん、お父様とお母様に手解きを受けてたからね」

「じゃあさっきのゴルヴェラを斃した術も」

「ううん、あれは私のオリジナルね。【凍結地獄コキュートス】というのよ。本来は広範囲の敵を一気に殲滅する為の術だけど、今回はゴルヴェラ一体に集中してみたのよ」

「なるほど…色々と使い勝手の良さそうな術だな」

「そうね。まさかこんな使い方が出来るとは私も思ってみなかったわ」

「あれ? その言い方だと集中して放ったのは初めてという事か?」

「ええ、意外と上手くいったわ」


 『暁の女神』のメンバー達は、アレンとフィアーネの会話の様子を聞きながら先程の2人の戦いについてそれぞれ話していた。


「ねぇ…みんな、私は夢でも見てるのかな?」


 リリアの言葉にメンバー達は一斉に首を横に振る。


「…そうよね。現実よね」

「それにしても、アインベルクの名は伊達じゃないという訳ね」


 エヴァンゼリンはアレンがジルゴルを叩き切ったのは、力による両断ではなく技で斬ったという事が理解できていた。

 何の気配も発することなく間合いに入り込み、斬撃を見舞い槍で受けさせることにより動きを封じ、予備の剣で腹を斬り裂き頭から両断する。見た目は非常に豪快であり繊細さをまったく感じる事は出来ない。

 だが、一流の戦士であるエヴァンゼリンにはわかった。あの豪快な剣に隠れてしまったが、アレンの剣の真髄は相手にまったく初手を読ませない『静謐』さにあるのだ。自分達の剣術、戦闘技術とはまったく原理の違うアインベルクの戦闘術にエヴァンゼリンは戦慄する。


(私にはまったくわからない…実力が違いすぎる)


 エヴァンゼリンがそう考えていたときにアレンから声がかけられる。


「みなさんがあのゴルヴェラを消耗させてくれてましたので楽に斃す事が出来ました」


 アレンはそう言うとペコリと一礼する。


 これはアレンの本心である。ジルゴルには『弱すぎるだろ』と言ったがあれは相手の心を居るためのものであり、意識を逸らす目的で言った言葉であったのだ。体調が万全のジルゴルならばアレンもあの短時間で斃す事は出来なかった事だろう。


 アレンの礼を受けて、『暁の女神』のメンバー達は慌てる。


「いえ私達こそ助かりました。おかげでみな生き残る事が出来ました」


 リリアがリーダーとしてアレンとフィアーネに礼を言う。ジルゴルだけなら『暁の女神』であっても最終的に勝利を収める事が出来たという自信はあったが、ネルクの参戦によりもはや生き残る事は厳しすぎる状況だったのだ。


 アレンとフィアーネは『暁の女神』の対応に好感を持った。『オリハルコン』クラスの冒険者ともなればその名声、権威は貴族を遥かに上回る。にも関わらず『暁の女神』はこの誠意ある態度である。このような対応をされてアレンやフィアーネは好感を持たないはずがなかったのだ。


「とりあえず。かなりみなさんは消耗されていますので一端私達と下がりましょう。アルフィス達の所なら一応安全だと思います」


 アレンの提案にリリア達は頷く。現状を考えるとそれが最善手である事は間違いなかった。


 アレン、フィアーネ、『暁の女神』はアルフィス達の元に歩き出す。


 ドォォォン!!


 そこにアルフィス達が居ると思われる場所に爆発音が響く。どうやらあそこが戦場となっているらしい。


 『暁の女神』のメンバー達が顔を見合わせる。みなあそこにアルフィスとアディラがいる事を知っていたのだ。


「アインベルク卿…急いで王太子殿下と王女殿下のもとに行かないと!!」


 リリアがアレンに声をかける。そこにアレンの冷静な声が響いた。


「残念ですが間に合いません」

「そんな事ありません!!」


 エヴァンゼリンがアレンに非難の声を上げる。あまりにも冷たすぎるとアレンに対して非難の気持ちを叩きつけたのだ。他のメンバーの表情も同じ気持ちらしい。


「死体…残るかな?」


 アレンの言葉は『暁の女神』にとって火に油を注ぐものであった。


「どうしてそこまで薄情なんですか!!!」

「え?」


 アレンが不思議そうに『暁の女神』のメンバーを見る。その視線を受けてリリア達も不思議そうにアレンを見る。


「あの…みなさん、もしかしてアルフィスの命が危ないとか思ってます?」

「「「「「え?」」」」」

「アルフィスの戦いを見逃したくないから急ぐつもりではなかったのですか?」

「それはどういうことです?」


 リリアの言葉にアレンは事も無げに言う。


「アルフィスが嬲り殺すという選択をしない限り、私達がつく頃には死んでますよ」


 アレンの言葉を受けて『暁の女神』達は絶句した。


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