魔将Ⅱ⑪
地面に降り立ったジルゴルは『暁の女神』のメンバー達に向けニヤリという嗤いを向ける。その嗤いに彼女たちは嘲りの感情を感じる。
その感想は正しい、ジルゴルは『人間如きに負けるはずはない』という思いがあり、それが嗤いとなって表面上に表れたにすぎないのだ。
「さて…人間如きに俺の名前を教えるのもどうかと思うが、俺を地上に降ろした偉業に免じて俺の名前を教えておいてやろう」
ジルゴルの尊大な物言いに『暁の女神』のメンバー達は不快気な表情を浮かべる。
「俺の名前はジルゴルだ」
ジルゴルの名乗りにリリアが答える。
「そう私達は『オリハルコン』クラスの冒険者の『暁の女神』よ。私はリーダーの…」
リリアの言葉はジルゴルの嘲りの嗤いによって中断される。
「ひゃははははは!!」
「…何がおかしい!?」
一頻り嗤いジルゴルはリリアに言う。
「俺が貴様ら如きの名前を知りたいとでも思っているのか? 貴様らの名前に価値なんぞないというのに愚かにも程があるというものだ」
「な…」
「第一すぐに死ぬ貴様らなんぞに興味など無いわ。魔獣を殺したからと言って彼我の実力差も把握していないとはな」
ジルゴルの嘲りにエヴァンゼリンは憤る。
「舐めるのも大概にしろ!!」
「エヴァンゼリン!!熱くならないで!」
憤るエヴァンゼリンをリリアが窘める。冷静さを欠いて生き残れるような相手ではないのだ。
「ふん…では死ね」
ジルゴルは動くと凄まじい速度で突きをリリアに放つ。リリアは盾を掲げるとジルゴルの槍の穂先を受け止める。リリアの盾はミスリルで出来ており丈夫で軽い。しかも、リリアは魔力を通しておりその強度はもはや鋼鉄製のものと比較するのも馬鹿らしいぐらいだ。
ジルゴルは立て続けに突きを放つ。リリアはその突きをすべて盾で受ける。
カカカカカカッ!!!
立て続けに放たれる突きにリリアは近づけない。エヴァンゼリンとミアがそれぞれ武器を抜きジルゴルに突進する。エヴァンゼリンは両手剣、ミアはミスリル製の片刃のショートソードだ。
ニヤッとジルゴルは嗤うとエヴァンゼリンを槍の柄で薙ぎ払う。エヴァンゼリンはかろうじて剣で受けるがとてもジルゴルの膂力を受け止めることは出来ない。エヴァンゼリンが大きく体勢を崩したところにジルゴルの槍が襲う。
「ぐっ…」
ジルゴルの槍はエヴァンゼリンの左肩を貫いた。苦痛の声がエヴァンゼリンの口から漏れる。
エヴァンゼリンが負傷したことを悟ったメンバー達はすかさずフォローに走る。不用意に走り出たミアにジルゴルは槍を回転させると柄の部分で左腕を殴りつける。
ビキィィィ!!
ジルゴルの槍の柄をまともに受けたミアは骨を砕かれ吹っ飛んだ。
「くそ…」
リリアがジルゴルに斬りかかる。上段から振り下ろしたリリアの斬撃をジルゴルは柄で受け止める。ジルゴルは片手を引き、力の均衡を失ったリリアは前のめりにつんのめった。リリアがつんのめった先にジルゴルの槍の穂先がある。その槍の穂先が凄まじい速度で放たれる。
リリアは首をひねって穂先を躱し、そのまま一回転しながら斬撃をジルゴルに見舞う。今度はジルゴルが後ろに下がり躱す。だが、これで終わらない。リリアは間合いを取られることは不利と思い。間合いを詰め斬撃を見舞った。
リリアとジルゴルが激しい技の応酬をしている間に、ユイメはミアとエヴァンゼリンの治療を行う。二人の患部にそれぞれ手を当てるとユイメは同時に治療を行う。肩を貫かれたエヴァンゼリンの傷とミアの折られた腕が治っていく。
アナスタシアは魔矢を放つタイミングを待っている。縦横無尽に戦うジルゴルとリリアに放てばリリアを巻き込むんでしまう。
「よし!!ユイメありがとう」
「助かったわ!!」
治療を終えたエヴァンゼリンとミアが戦線に復帰しようとするが、ユイメがミアに声をかける。
「ミアはリリアとエヴァンゼリンの援護を徹底してね」
「わかってるわ。ユイメこそ下がって」
ミアがニッコリと笑うとエヴァンゼリンは両手剣を構え、リリアとジルゴルの戦いに参戦する。
リリアにとっては心強い、ジルゴルにとっては面倒な相手の参入だった。ジルゴルはリリアに思いの外、手こずっている自分に苛立ちを覚え始めている。この人間達の実力は想定していたよりも高い。今、自分と斬り結んでいる女だけでなく、二人のけが人を同時に治療した女、復帰した女達二人、槍の穂先を魔術で弾いた女、すべてが想定していたよりも強い。
(ふん…なかなかの実力であることは認めるが…)
ジルゴルはリリア、エヴァンゼリンの剣を捌きながら、要所要所で攻撃を繰り出す。
「ぐっ…」
リリアの口から苦痛の声がもれる。ジルゴルの槍がリリアのミスリルの盾を貫いたのだ。ジルゴルの槍を持ってしても魔力によって強化されたミスリルの盾を一撃で貫くことは出来ない。ジルゴルはリリアのミスリルの盾の同じ箇所に何度も突きを放ち少しずつ穿っていたのだ。ジルゴルの槍は盾を貫くと同時にリリアの腕を貫いたのだ。ニヤリと狙いが上手くいきジルゴルはニヤリと嗤う。
だが、ここでリリアは剣を投げ捨てると槍の柄を掴む。
「ぬ?」
ジルゴルは危険を感じ槍を引き抜こうとするが、リリアの腕から槍を引き抜くことは出来ない。そこにミアの鎖分銅が2本放たれ、一本はジルゴルの右手に槍の柄とともに絡みつき、もう一本はリリアの腰に巻き付いた。
そこにエヴァンゼリンの剣が振り下ろされる。ジルゴルは左腕に魔力を集中し、エヴァンゼリンの剣を受け止める。
ギィィィン!!
まるで金属同士を打ち合ったような音が鳴り響く。魔力によって強化されたジルゴルの左腕は鋼鉄…いや、ミスリルクラスの硬度になるのだ。
「ちっ…」
ジルゴルの舌打ちはこの戦いが思い通りに進んでいない証拠と言えるだろう。それだけ『暁の女神』は善戦していると言って良い。
そして、『暁の女神』は千載一遇の機会を得たのだ。その機会はリリアによって槍が封じられた、エヴァンゼリンによって左手が封じられた。そして何よりアナスタシアからジルゴルの意識が外れた。
アナスタシアの魔術の詠唱が終わった事を確認したリリアは槍から右手を離す。それと同時にミアはジルゴルの右手に絡まっていた鎖を手放すとほぼ同時にリリアの腰に巻き付けた鎖を思い切り引っ張る。その瞬間、リリアの腕を貫いていた槍が引き抜かれるとジルゴルはバランスを崩した。
エヴァンゼリンも同じく行動を開始しており、槍が引き抜かれる瞬間に後方に跳び、ジルゴルから距離をとる。
そして…アナスタシアの魔術が放たれる。
アナスタシアの放った魔術は【炎の奔流】だ。【炎の奔流】は、天界の浄火を召喚し敵を焼き尽くす【聖炎】と地獄の業火を召喚し敵を焼き尽くす【業炎】を合わせ放つ術である。
天界の浄化と地獄の業火を同時に放つ事で、たとえ天界の者だろうが地獄に住む者であっても焼き尽くす事が出来るのだ。
もちろん、同時に複数の魔術を繰り出すことは魔術師にとって超高等技術…いや、奥義と呼んでも差し支えないレベルの技術だ。
アナスタシアの放った【炎の奔流】がバランスを崩したジルゴルへ直撃する。
ドゴォォォォォォォォ!!!!!
凄まじい爆発と熱が周囲を覆い尽くす。ユイメは『暁の女神』のメンバー全員に防御陣を敷き、アナスタシアの放った【炎の奔流】の余波から守る。だが、ユイメの防御陣であっても【炎の奔流】の余波をすべて防ぎきることは出来なかった。だがユイメが防御陣を展開しなければ、リリア、エヴァンゼリンは一緒に吹っ飛んだことだろう。命がありなんとか動けたのはユイメのおかげである事は間違いなかった。
「アナスタシア!!もう少し手加減してよ!!」
エヴァンゼリンが足下をふらつかせながら立ち上がるとアナスタシアに文句を言う。
「あはは…ごめんね」
アナスタシアはバツが悪そうに笑う。さすがに一緒に吹き飛ぶ可能性があった以上、この程度の避難は甘んじて受けるべきであろう。
「いてて…まぁ、これで仕留めたと言う事で…いいわね」
リリアも立ち上がり投げ捨てた剣を拾いながら言う。
「まったくユイメが守ってくれなかったら私達も消しとんでたわよ」
ミアも起き上がりアナスタシアに避難の声を向ける。またもアナスタシアはバツが悪そうに笑う。
「まぁ、でもこれでやっと一体か…」
リリアの声は暗い、貫かれた腕が痛むのとかなり体力を消耗したのだ。
「あいつ、私達が前に倒したゴルヴェラとは桁違いに強かったわね」
エヴァンゼリンの声にも疲労が滲んでいた。
「そうね…どうやら私達のゴルヴェラの戦闘力の基準は低く設定してたみたいね」
ユイメが反省の弁を述べると他のメンバーも頷く。自分達がかつて斃したゴルヴェラはここまで強くなかったのだ。ゴルヴェラとの戦闘経験がある者などほとんどいないために『暁の女神』のメンバー達がゴルヴェラの強さを見誤っていたとしても仕方がないと言えた。
「ん?」
アナスタシアが炎がまだ燃える中に人影が立っている事に気付く。
「みんな…まだあいつ生きてるみたいよ」
「そんな…」
「あれで死なないの?」
「本当にしつこいわね」
アナスタシアの言葉にリリア達も炎の中に目を向けると確かに黒煙の向こうに人影が見える。
黒煙の向こうでジルゴルは槍を振るう。一気に黒煙が吹き飛びジルゴルが再び姿を現す。だが、【炎の奔流】によるダメージはかなりのものなのだろう。ジルゴルの腕と顔には火傷が目立っていた。
「あんた…どうやって【炎の奔流】に耐えたの?」
アナスタシアの言葉には戸惑いの感情が含まれている。【炎の奔流】をまともに食らって生きている存在がいることが信じられなかったのだ。
「ふん…同時に複数の魔術を展開できるのが貴様だけのはずがなかろう」
ジルゴルは【炎の奔流】を放たれた瞬間に躱す事は不可能であり無傷でこの危機を脱することは出来ないと思い威力の軽減に徹したのだ。
同時に発動したのは【氷壁】で氷の壁を築き、その氷の壁と自身の周囲にに【霜屑】を展開させ急激に周囲の気温を下げたのだ。凄まじい熱量であったが二つの術を展開した事で何とか命をつないだのだ。
「まぁ…俺の防御陣も少しは役に立ったみたいだがな」
声をした方を見た『暁の女神』達は戦慄する。そこにはもう一体のゴルヴェラがいたからだ。
そのゴルヴェラの名前はネルク、剣と暗器を使って戦うというトリッキーな戦法を好むゴルヴェラだ。
「な…」
「もう一体…」
「まずい…」
『暁の女神』達の口から焦りの声がもれる。ジルゴルだけで『暁の女神』は満身創痍になったのだ。そこにまったく無傷のゴルヴェラが現れたのだ。ここでの横槍は戦いを決定付ける一手だったのだ。
「お嬢さん方、ジルゴルをここまで追い詰めるなんて中々やるじゃないか」
ネルクの声には優越感が滲み出ている。それはそうだろう、この状況で自分がいかに有利な立場にいるとわかればこのような態度も頷ける。
「別に追い詰められてなどいない」
ネルクの言葉にジルゴルはふて腐れたように言う。
「まぁそういうな、さて…このお嬢さん方はもう殺すんだろ?」
「当然だ」
「俺も混ぜてもらうぞ」
「ふん、好きにしろ」
ジルゴルとネルクが嫌らしく嗤う。二体のゴルヴェラ達はすでに頭の中で『暁の女神』達をどのように嬲り殺すかの算段を付けているのだろう。
だが、それは実現することはなかった。
「ゴルヴェラが一体か…フィアーネ、今回もすぐに始末できそうだな」
新たな声の主に全員の視線が集まる。新たに現れた人数は二人、少年と少女だ。ゴルヴェラ達は当然、この二人の名前を知らないが、『暁の女神』のメンバーは知っている。
アレンティス=アインベルク…。
当代のアインベルク家当主にして『暁の女神』達が最も実力を知りたいと思っていた少年だ。
「『暁の女神』のみなさん、このゴルヴェラ…俺達が殺していいですか?」
アレンの言葉には気負いも何もない。ただ当たり前の事を行おうという声だった。




