魔将Ⅱ⑨
「いた…」
ジェドの声にシア、兄(姉)弟子の近衛騎士達が頷く。
ジェドの視線の先には巨大な戦斧を振り回し、アンデッド達を破壊するゴルヴェラがいた。このゴルヴェラの名はジ・バルという。ジ・バルは戦斧で敵を粉砕する事を好むパワーファイターである。愛用の戦斧は多くの敵の血を吸っている。
ウォルター、ヴォルグが前面に出るとジ・バルは魔獣を駆り突進してきた。すさまじい速度で突っ込んでくるジ・バルであったが近衛騎士達に動揺はない。
シアは無詠唱で【火球】を連発する。ジ・バルはシアの【火球】を見て嘲りの表情を浮かべる。無詠唱は確かに威力を犠牲にして発動を早める。だが、だからといって威力が無ければゴルヴェラである自分になんらダメージを与える事は出来ないのだ。
ジ・バルにとって戦闘とは圧倒的な力で敵を粉砕する事であった。人間の小賢しい策などジ・バルにとって何ら脅威ではない。
確かにジ・バルとシア、ジェド、近衛騎士達の間には戦闘力に大きな隔たりがある。例えば闘技場でジ・バルと相対すればシア達なら5分程で全滅することだろう。
だが、この戦闘ではその通りに行くとは限らない。相手を格下と侮るジ・バルとあらゆる手段を使うこの6人達なら十分勝負になるのだ。
アレンはそう思ってこの6人を組ませたのだ。
シアの放った【火球】は魔獣の前に着弾し燃え上がった。その火は決してジ・バルにとって脅威ではない。いや、相手にするのすら馬鹿らしいレベルであったろう。だが、魔獣にとってはそうではないのだ。突然眼前に広がった火の壁に魔獣は急停止する。
急停止した魔獣のためにジ・バルは体勢を崩した。そして間髪入れずに火の壁の向こう側からシアの【魔矢】が放たれる。シアの【魔矢】が狙ったのはまたしてもジ・バルの騎乗する魔獣だった。魔矢が魔獣に突き刺さり魔獣は悲しげな声を上げて倒れ込んだ。
「ち…」
ジ・バルの声に苛立たしさが混ざる。ジ・バルはこの人間達を魔獣に踏みつぶさせるつもりだったのだがそれが頓挫したからだ。
「ちっ…小賢しい奴らだ。まぁ良い。貴様らが死ぬことに変わりはないのだからな」
ジ・バルが凄まじい殺気を6人に向け放つ。この戦場のどこにいても感じられるほどの凄まじい殺気だった。実際に遠く離れた場所で羽を休めていた鳥たちがジ・バルの殺気をおそれ一斉に飛び立ったぐらいである。
だが、6人の顔に絶望の色はない。確かに凄まじい殺気であり、これほどの殺気を受ければ並の実力者達であれば心が折れるかも知れない。いや、心が折れなくとも萎縮してしまい普段の力を発揮することは難しいだろう。
「やはり強いな…」
「ああ、だが…」
「アレンほどじゃないという事ですか?」
ウォルターとヴォルグの言わんとする所にジェドが割り込む。その会話を聞いていた者達も静かに頷く。
「確かにな。先生達に比べればまだ戦えるな」
ロバートはニヤリと嗤う。
「お喋りは後よ。後輩の前で先輩がヘマするわけにはいかないわよ」
ヴィアンカの言葉に3人の近衛騎士達が頷くとジ・バルに向かい動く。アレン達に比べれば間合いに入り込む速度、タイミング、呼吸は甘いがそれでもその技量はもはや一流と言っても良いだろう。
ジ・バルは4人の近衛騎士達を迎え撃つ。だが、その顔には僅かながら警戒を含んでいる。この4人の近衛騎士達が今まで自分が殺してきた者達よりも遥かに強いことを察知したからだ。
ウォルターの斬撃がジ・バルに向け放たれるが、それをあっさりと躱したジ・バルが戦斧を振りかぶり、逆にウォルターの頭を粉砕する一撃を放とうとする。しかし、ロバートが戦斧を盾で押さえる事により、致命的な一撃を放つ前の力の空隙を押さえた。
「ふん!!!」
だが、ジ・バルはその状態から力を入れ、盾で押さえていたロバートごと薙ぎ払った。薙ぎ払われたロバートはウォルターを巻き込み転倒する。追撃がこなかったのはヴォルグとヴィアンカが斬撃を繰り出し注意をそちらに向けたからであった。
すぐにウォルターとロバートは立ち上がり体勢を整える。そこにジ・バルの嘲りの言葉が投げかけられる。
「所詮は人間か。随分と非力だな?」
ジ・バルの嘲りにも近衛騎士達はまったく反応しない。ゴルヴェラに比べて力が劣るのは最初からわかっていたことだ。そこで嘲ろうが事実を事実として伝えているだけであり、そこに怒りなど湧きようもない。
「ロバート、助かった」
「この間の飯おごってもらった分の借りはチャラな」
「じゃあ、別に助かっていないから、菓子はまだ返してないぞ」
ウォルターとロバートがどうでも良い話を始めた所で、ジ・バルが不快気な声を上げる。
「人間如きがふざけるな!!」
その声にウォルターとロバートは面倒臭そうにジ・バルに視線を移す。
「今、大事な話をしているのだから後にしろよクズが」
「話に割り込むなよ。空気を読め、低能が!!会話に割り込むなら断りを入れるのが筋だろうが、まぁゴルヴェラ如きにそんな礼儀を求めること自体が無意味なのだろうがな」
ここぞとばかりに2人がジ・バルを挑発する。少しでも挑発し冷静さを失わせようという考えからだった。
「舐めてくれるな…人間如きが…」
ジ・バルが2人に間合いを詰めようとしたところに、ヴィアンカがナイフを投擲する。
「ふん!!」
戦斧を振るい難なく投擲されたナイフをたたき落としたジ・バルであるが、一瞬、ウォルター、ロバートから意識が逸れると2人はジ・バルに突進する。
ジ・バルは煩わしげにウォルター、ロバートに視線を移す。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
視線を2人に移した瞬間にヴォルグが雄叫びを上げてジ・バルに突っ込む。勿論、ヴォルグが雄叫びを上げたのは自分にジ・バルの意識を向けさせるためである。
ジ・バルはウォルター、ロバートの斬撃を戦斧で捌きながら、自分に突進してくるヴォルグに目を向ける。
3人の斬撃を躱しながらジ・バルは戦斧を振り回す。ジ・バルの戦斧の速度は凄まじくまた、膂力も恐るべきものだ。人の身でジ・バルの振るう戦斧に触れれば間違いなく骨が砕かれるだけでなく肉片となってしまうことだろう。
そのため、3人は細心の注意を払いながらジ・バルの戦斧を躱し続ける。
躱し続ける3人に対してジ・バルは苛立ちを募らせる。
(くそが、ちょこまかしやがって!!よし…)
ジ・バルは大きく戦斧を横薙ぎに振るう。すると、ヴォルグの位置からジ・バルの背中が見える。大きな隙だった。ヴォルグはジ・バルの背中に突きを放つ。タイミング、速さから躱す事は出来ない。
だが…。
突きを放ちきる前にヴォルグの背中にゾワリとしたものが走る。
『攻撃の瞬間には意識がそちらに集中してしまいますので、返し技には十二分に注意してください』
『ロムの言うとおりです。逆に言えば相手が攻撃する時反撃に最も適したタイミングと言えます』
ヴォルグの脳裏にロムとアレンの会話が再生される。
そして、そこからヴォルグは一瞬でジ・バルの罠を悟る。極限まで集中したヴォルグの中では時間の経過が非常にゆっくりに感じられた。
(間に合え!!!)
ヴォルグは左腕に装着した盾を上げる。ヴォルグが盾を掲げた次の瞬間に盾と肩に凄まじい衝撃が襲いヴォルグは吹っ飛ばされる。3メートルほどの距離を飛び地面を転がる。
「「「ヴォルグ!!!」」」
近衛騎士達の声がほぼ同時に発せられるが、近衛騎士達は視線をジ・バルから一時も離さない。すかさずヴォルグの抜けた穴をヴィアンカが飛び込み埋める。
シアとジェドは吹っ飛ばされたヴォルグのもとに駆け寄る。ヴォルグは痛みに呻いており、どうやら鎖骨を骨折したようだったが命に別状はないようだった。その事を悟るとシアとジェドは胸をなで下ろす。
ヴォルグを吹っ飛ばしたのはジ・バルの尻尾であった。サソリのような形状の尻尾を鞭のように振り回しヴォルグを吹っ飛ばしたのだ。その威力は凄まじく盾で防がなければヴォルグの命はなかったかも知れない。鋼鉄製のヴォルグの盾は大きくひしゃげている。
ヴィアンカが参戦したところで戦線は崩壊することはなかったが戦力が低下したことは間違いない。
その一方でジ・バルも不満だった。先程の一撃はヴォルグの命を奪うための必殺の一撃だったのだ。だが、結果は命を奪うことは出来なかったのだ。しかも、3体1という不利な状況は何も変わっていないのだ。おそらく尻尾の一撃は次からはあそこまで綺麗に決まることはない。
一応戦線離脱させたとはいえ、手の内を晒した不利益に見合う成果かと問われれば否というところだった。
「シア、ヴォルグさんに治癒を行ってくれ」
「わかったわ」
ジェドの言葉にシアは即座に反応し治癒魔術を展開する。シアの両手がヴォルグの左鎖骨に添えられ治癒魔術が施される。
「助かるよ」
ヴォルグの顔から苦痛の表情が和らいでいく。折れた鎖骨がつながりそれに伴う痛みが軽減されていく。
「ヴォルグさん、もう少し待ってくださいね」
「ああ」
シアはヴォルグに声をかける。シアの治癒魔術の腕前は相当なものなのだ。骨折の治癒に必要な時間はせいぜい1~2分だ。大抵の治癒魔術師なら骨折をなおすのにかなりの熟練者であっても5分はかかる。そのことからもシアは並大抵の治癒術よりも遥かに高い技術を持っている事がわかる。
シアがヴォルグの治療を始めた時に、ジェドもジ・バルに斬りかかる。
「く…」
ジ・バルの口から苦戦の声が漏れ始める。
(まずい…あの人間が治癒を終えれば戦いに復帰する。負けることはないだろうが…)
やっかいだとジ・バルが思い始めた時に、ヴォルグが立ち上がるのを視界の端に捕らえる。
そこにジェドの手から一つの瓶が投げつけられる。いつもなら躱したのだろうが、ヴォルグが立ち上がった事に意識をとられたために反応が一瞬遅れてしまい、ジ・バルは戦斧で瓶を割った。
瓶の中には液体が入っており、それがジ・バルの戦斧を握る手に降り注いだ。ジェドの投げた瓶には油が注がれていた。最初は何かの毒物である事を警戒したジ・バルであったが体調に変化はなかった事から安心した。だが戦斧を振りかぶった時の滑りが油であることに気付き戦慄する。
油で滑る手の為にジ・バルは事実上、武器を奪われた事になる。いや、奪われたというのは言い過ぎかも知れないが、少なくともいつもの感覚で戦斧を振るうのは不可能だった。
そこに、ヴィアンカの斬撃がジ・バルの戦斧を襲う。
キィィィン!!
金属のぶつかる音が周囲に響く。ヴィアンカはジ・バルの戦斧の斧の部分に剣を引っかける。いつものジ・バルであればヴィアンカの力で戦斧を絡め取る事は出来ないだろう。だが今は違う。柄の部分についた油のためにジ・バルの手から戦斧はズルリと滑り落ちてしまった。
「くそがぁぁぁぁぁ!!!」
小賢しすぎる方法で武器を奪われたジ・バルの怒りは頂点に達する。いや、自身の敗北が迫ることを本能が察したのだろうか。その恐怖を振り切るための咆哮だったのかも知れない。
ジ・バルはヴォルグを吹っ飛ばしたときのようにヴィアンカに尻尾を鞭のようにしならせ攻撃するがそれを防いだのはウォルターだった。ウォルターは盾を掲げジ・バルの尻尾を受け止めたのだ。
だが、渾身の一撃であったためウォルターの持つ盾はひしゃげ、同時に衝撃はウォルターの左腕をへし折る。ウォルターはそのままヴィアンカの背中に激突し、2人まとめて吹っ飛ばされてしまった。
背中に強烈な一撃を受けたためにヴィアンカは一瞬息が止まる。だが、追撃はこない。ロバートが腹に剣を刺し込み、ジェドもまた剣を横薙ぎしてジ・バルの脇腹を斬り裂いたのだ。
「がはぁぁ!!」
ジ・バルの口から苦痛の声が上がる。
「2人とも離れて!!!!」
シアの声を受けて、ジェドとロバートは離れる。そこにシアの【火矢】が襲う。この火矢はシアがきちんと詠唱を行ったものであり、先程の火球とは威力は全く違う。
火矢が着弾した箇所は、ジ・バルの両手と左目、腹部だ。両手に着弾した火矢は急激に温度を上げると両手についた油を発火させ、目に着弾したものは左目を焼き、腹部に着弾したものはジ・バルの内蔵を焼いた。
「くそがぁぁぁぁぁ!!この俺が貴様らなんぞにぃぃぃ!!!」
それが、ジ・バルの最後の言葉になった。立ち上がったヴォルグが、距離をとったロバートとジェドが、それぞれとどめをジ・バルに繰り出す。
3人の剣はジ・バルの首、心臓、腹にそれぞれ刺し込まれる。ジ・バルの口から血の塊が吐き出され、3人が剣を引き抜くとジ・バルは膝から崩れ落ちそのまま動かなくなる。
その顔は無念という感情がはっきりと表れている。
ヴォルグが剣を振りかぶり、ジ・バルの首を落とした。念には念を入れての行動である。ヴォルグがジ・バルの首を落とした段階でようやく全員の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「ウォルター、ヴィアンカ、無事か?」
ロバートが倒れ込む2人に声をかける。
「シア、治癒を頼む」
「はい」
シアが2人に治癒魔術をかける。
「とりあえず勝てたが、この消耗した状態じゃ次はきついな…」
ヴォルグの言葉に全員が頷く。かろうじて怪我の具合は軽かったが、体力、精神力の消耗は著しかったのだ。
「一度下がりましょう。王女殿下の所まで後退し体勢を立て直しましょう」
ジェドの言葉に全員が頷く。彼らは自分達がアレン達のような強さを持っていないことを自覚している。アレン達であればこのゴルヴェラ達との連戦であっても勝利を収めることが可能だろうが、自分達はそうでないのだ。
「そうだな体勢を整え直す事が重要だ。2人の治癒が済んだら移動しよう」
ロバートの言葉にまたも全員が頷く。
それから程なく2人の治癒が終わり6人はアディラ達の元に移動する。すでに3体のゴルヴェラが討ち取られた事をまだエギュリムはこの段階で把握していなかったのだった。




