魔将Ⅱ⑧
「貴様…どうやって…」
リラムンドの声には苦痛、怒り、そして困惑があった。確かにリラムンドはフィリシアに意識を向けたが、それでもレミアが背後に回り込むのを見逃すような事はしない。
だが、実際にはリラムンドは背後をとられ背中を切りつけられた。
「教えて上げないわよ」
レミアの言葉はにべもないという表現そのものだ。なぜ手の内を敵にわざわざ話してやらねばならないのだろう。
レミアがそう言った瞬間にフィリシアの剣がリラムンドの腹を貫く。
「がぁ!!!」
リラムンドは新たな苦痛を自分に与えた相手を睨みつける。だが、その目に含まれる感情には怒りよりも恐怖の色の割合が多い。武器を握れない手、背中、腹を斬り裂かれた現状がリラムンドに死の恐怖を呼び起こしたのだ。
「ま、待ってくれ…」
リラムンドが声を上げる。
レミアとフィリシアはリラムンドの命乞いを聞くつもりなど一切無かった。フィリシアの剣がリラムンドの双眸を斬り裂く。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
リラムンドの絶叫が響く。
「あなたには惨めで無残な死体をさらしてもらわなくてはならないんです。申し訳ありませんが、命が終わるまで存分に苦しんでくださいね」
フィリシアは謝罪するが、その謝罪が形だけのものであることをリラムンドは理解する。いや、理解できない方がおかしい。
「謝る必要なんて無いわよ。どうせこのクズはこの危機を脱したら私達を殺しに来ようとするんだからね」
レミアの言葉にリラムンドは反論できない。いや、反論したところで意味が無い事を察した。この二人にとって自分の命乞いなどその辺の石ころと同じく価値を一切見いださないだろう。
「ああ、一応言っておくけど私達はお前の命乞いなど一切聞かないし、不快だからさっさと始める事にするわ。苦痛の声を張り上げて死んでね」
リラムンドはガタガタと震えながらレミアの声を聞いている。斬り裂かれた双眸はもはや光を感じる事はできない。闇の中でレミアの残酷な内容の言葉を聞くともはや絶望しかリラムンドは感じる事はできない。
リラムンドは闇の中で今まで味わったことのない恐怖を感じていた。見ることが出来ていれば予想がつくのだが、見えない恐怖は未知の恐怖そのものでありそれがやがてくる苦痛と相まって際限ない恐怖にとらわれるのである。
「ぎゃああああああああああああ!!!!」
リラムンドが感じた苦痛はゴルヴェラの身体的特徴である尻尾に発した。レミアが尻尾を腰のあたりから斬り落としたのだ。
「がぁぁぁぁっぁ!!俺の…俺の…貴様らぁ…」
リラムンドの声は苦痛に満ちている。ゴルヴェラにとって尻尾は種の誇りの側面がある。ゴルヴェラの尻尾はサソリの尻尾のような形状をしており、普通の剣ではまず傷を付けることは出来ない。傷のない尻尾はゴルヴェラ達にとって強さの象徴であり、敵に背を見せないという勇敢さの証であったのだ。
「ん?ゴルヴェラには尻尾について何か思想的なものがあるというわけですね」
「そのようね。まぁ新しい情報をくれたと言う事で礼を言っとくわね。他者に迷惑しかかけられないクズなのに最後の最後ではじめて役に立ったわね」
レミアとフィリシアの会話はこの段階にきても挑発を含んでいる。
レミアとフィリシアは視線を交わすと頷き、それぞれ剣を振り上げる。
リラムンドは闇の中でレミアとフィリシアが自分を次の斬撃で殺す事を悟る。その確信は絶望、怒りをごちゃ混ぜにしたものだった。
「じゃあ、ご苦労様でした。惨めな最後を遂げてくれて有り難うございます」
「お前の死体はクズ共へちゃんと送り届けて上げるわ」
「待っ」
リラムンドの最後の言葉は言いきる前に中断された。フィリシアの剣がリラムンドの首をはね飛ばし、レミアの剣が左肩から心臓を斬り裂いたからだ。リラムンドの首は地面に落下した時に自分の状況を理解したのだろう。絶望の表情を浮かべ何度か口をパクパクさせると動かなくなった。
「さて…これでこっちの狙い通りになってくれるかな?」
「ゴルヴェラの聴覚が人間よりも優れているというのならここで何が起こったかを理解しているんじゃないですか」
「そうね、残りのゴルヴェラの仲間意識が高ければ問題ないわね」
レミアとフィリシアの狙いはリラムンドを惨殺する事で残りのゴルヴェラ達がレミアとフィリシアに向かってくるように仕向けることだった。そのためにリラムンドを嬲り殺しにしたのだ。
アレンも婚約者達も意味なく加虐を行う事はしない。だが、戦闘において必要であると判断すれば敵への加虐行為を行う事に躊躇はない。
「じゃあ…とりあえずこのゴルヴェラの死体を届けましょうか」
「そうね、死体からも盗聴できるかもしれないからね」
フィリシアの言葉にレミアが賛意を示すと近くにいるアンデッドにリラムンドの死体を魔将のもとに運ばせる。アンデッド達がリラムンドの死体と大鎌を持つと魔将がいると思われる場所に運び始める。
それを見送り十分離れたところでフィリシアがレミアに言う。
「それにしてもこんなに上手くいくとは思いませんでした」
「そうね。ゴルヴェラは本当に私達人間を見下しているからあっさりとかかるわね」
「対峙した時からこちらは罠を張り始めているんですけどね」
「そうね、あれを見抜かれたのであれば、もっと細心の注意をはらう必要があるけどさっきのゴルヴェラは気付かなかったわね」
レミアとフィリシアの言う罠とは当然、レミアがリラムンドの背後に回り込んだ事である。レミアはリラムンドと対峙した時に転移魔術の基点を自分の足下の位置に設定していたのだ。
気配を極限まで殺し、基点を設定したレミアの技量はもはや神業とよんでも差し支えないだろう。その神業レベルまで気配を殺して展開されたレミアの作戦を、フィリシアはほぼ正確に察知したのだ。
作戦を把握した以上、フィリシアのやることは決まった。すなわち罠の存在を気取らせないために言葉を使いリラムンドの意識を逸らし始めたのだ。
あとは戦いを通して転移魔術の基点に背を向けさせる配置をとることで、準備は完了する。
決行の合図は、レミアの『この程度の奴に2人がかりなんて恥ずかしい』という言葉だった。普段のレミアなら絶対にやらない提案だ。だが初見のリラムンドにはそれが嘘か本当か判断する材料がないのだ。
そして、フィリシアは信憑性を持たせるために1人でリラムンドに斬りかかり、意識をフィリシアに向けさせる事で罠は完了し、転移魔術を発動したレミアは、リラムンドを背中から斬りつけたのだ。
結局の所、レミアとフィリシアが最初から最後まで戦いの主導権を握っており、リラムンドは手のひらで転がされていただけだったのだ。
「さて…一体は始末したわね」
「そうね、多分アレンさんとフィアーネも一体は始末したでしょうから、残り9体と言った所ね」
「さて、これからが本番ね」
「ええ」
レミアとフィリシアは互いに頷き合い次のゴルヴェラとの戦いを見据えた。




