演習⑨
ジルガルド地方…
ローエンシア東北部に位置する王家の直轄地である。それほど豊かな土地ではないために、人口は少ない。正直それほど旨みの無い土地である。にも関わらず王家がこの土地を直轄地としているのは国防上の観点から必要だからだ。
ジルガルド地方はイスタリオン辺境伯領に隣接している。イスタリオン辺境伯領はいくつかの国と国境を面しており、ローエンシア王国において国防上の要所中の要所だ。当然、イスタリオン辺境伯は巨大な軍事力を有して有事に備えている。
だが、何事にも絶対はない事を代々のローエンシア王家は十分に理解しており、もしイスタリオン辺境伯が敗れそうな場合には辺境伯領との境目にある『イデス砦』に常駐している一個旅団4000名が支援にすかさず向かう手はずとなっている。
また、万が一イスタリオン辺境伯領が陥落した場合には、ジルガルド地方が国防の最前線となるのだ。
ジルガルド地方の中心都市は『ルジアム』という。ルジアムは堀と高い城壁に囲まれた城塞都市であり防衛に特化した都市である。ジルガルド地方の行政、経済の中心ではあるが、前述したようにイスタリオン辺境伯への支援、敗れた際の防衛が求められるこの地では、軍事施設に都市がくっついたという感じである。
ただ、常駐する軍の数は精鋭とはいえ、一個大隊500人程度である。国家の防衛上の拠点としては少々心もとないといえるが、ルジアム自体が城塞都市であり防衛に適した都市のためにわずか500人であっても援軍がくるまで持ちこたえる事は十分に可能だった。
ルジアムを中心に街道は整備され各村々と繋がっており、有事には近辺の人々も速やかにルジアムに避難することが出来る。
今回の件でジルガルド地方に魔将候補が現れた事で、応援を呼んだのだが、元々、この規模の魔将候補なら『イデス砦』に駐在している一個旅団を動かせば用足りるはずだった。しかし、ジルガルド地方に魔将候補が現れる前にイスタリオン辺境伯領に出没した魔将候補の討伐の応援として駐在している旅団が出ていたのである。
『イデス砦』が軍を動かしてからすぐに、ジルガルド地方に魔将候補が現れたのだ。魔将候補は『イデス砦』の軍が留守になる機会を狙っていたらしい。その事に気付いたがすでに辺境伯領で戦闘に入っているらしく抜けるのは難しい状況と言う事らしい。
そのような頭の回る魔将候補ならば迂闊にルジアムに駐在する軍を動かす事は出来なかったために応援を呼んだのだ。
ルジアムに備え付けられた転移施設にアレン達は立っている。一行の人数が12名を超えているので一度で送り出すことは出来ない。そのため、2回の転移を行う必要があった。
無事に2回の転移を終え、一行が揃うとルジアムの都市長に会いに行くことにする。会いに行くのはアレン、アルフィス、アディラ、アルフィスの従者ロアン、護衛隊長のアルドの五人である。
他のメンバーは待合室で待機となった。
「それじゃあ行こうか」
「ああ」
「はい♪」
アレンの声にアルフィスとアディラは一声返し、他の二人は頷いた。
都市長の執務室への道を歩く間にアレンはアルフィスに問いかける。
「アルフィス…」
「なんだ?」
「都市長って確かルジアムの軍の指揮権も持っていたよな」
「ああ、ルジアムは軍事都市の側面が強いからな。でそれがどうした?」
「いや、王太子であるお前とアディラが来るのに出迎えがなかった事に違和感があったんだ。それをしないと言うことは俺達は歓迎されてないのかなと思ってさ」
「ああ、それは勘違いだ。俺が先触れを出して、出迎えよりも与える魔将候補の情報の精査に時間をかけてくれと伝えておいた」
「出迎えがいらない…って、お前王太子として拙くないか?」
「大丈夫さ、ジグドーラ都市長はたたき上げの傑物だからな。そういう世渡り的な事はあまり好きじゃないんだ。むしろ喜んでいるんじゃないか」
「そうか、それなら助かる」
アレンとアルフィスはそんな会話をしながら都市長の執務室の前に到着する。アレンがドアをノックすると、扉が開き秘書らしき人物が顔を見せる。
「お待ちしておりました。お入りください」
丁寧な一礼を受け、アレン達は都市長の執務室に入室する。アレン達が入室するとすでにジグドーラ都市長は一礼していた。アレンと言うよりもアルフィス、アディラへの一礼であるように思えるが、ジグドーラ都市長は王家に仕えているのでこの対応は当たり前といえる。
ジグドーラ都市長は顔を上げる。年齢は50手前ぐらいだろう。髪を短く刈り込み、豊かな髭を蓄え都市長としての威厳たっぷりだ。ただ眼光は思ったよりも柔らかく、部下を大切に扱う人物なのではないかと思わせている。
「王太子殿下、王女殿下、アインベルク卿、お出迎えもせずに申し訳ございません」
ジグドーラ都市長は謝罪から入る。真面目な人物らしくアルフィスの命令とは言え、王族を迎えることもなかった事にストレスを感じていたようだ。
「いやジグドーラ都市長、あなたは私の願いを聞いてくれただけだ。仕事の邪魔をしてはと思ったのだが、却って入らぬ気遣いをさせてしまったらしい」
アルフィスが反省の弁を述べる。よかれと思ってやったのだが、却ってストレスを与える結果になった事をアルフィスは察したのだ。
「いえ、殿下のお心遣いは大変有り難く…」
「そう言ってもらえると有り難い…さて」
アルフィスは挨拶もそこそこに本題に入る。
「そうですな…それではこちらに」
ジグドーラ都市長は執務室にある会議用の机にアレン達をすすめる。既に地図や資料などが置かれており、準備をしてくれていたらしい。
アレン達が着席すると、2人の官吏が入室してくる。どうやら各部門の担当者達のようだ。1人は文官の服装をしていることから物資の担当だろう。もう1人は武官の服装をしていることから魔将候補の担当なのだろう。
2人の官吏はアルフィス達に一礼すると自己紹介をする。
「ウィル=アーゴンです。今回は殿下達の補給担当となります」
ウィル=アーゴンと名乗った男は三十代に入ったばかりと思われる。長い金色の髪を後ろでまとめどことなく怜悧な印象を受ける。
「ディオグ=ゾールです。魔将候補の情報担当になります」
ディオグ=ゾールは軍人と言うよりも官僚のような雰囲気を持つ男である。というよりも軍官僚という事だった。後で聞いた話だと非常に優秀な男で、このジルガルド地方の軍に関する書類を一手に引き受けているとの事だった。
アレン達も礼を返し2人が着席すると、いよいよ魔将候補討伐の具体的な話し合いがもたれることになった。
「非常に申し上げにくいことなのですが…」
ディオグがアレン達に非常に申し訳なさそうに口を開く。
「二日前に新たな魔将候補の存在が確認されました」
「え?」
「残念ながら事実です。ただしその規模は150体ほどのゴブリンの集団です」
「ゴブリンですか…」
「そちらの方は我々で対処するつもりですが、現在行方を眩ませております。もし、本命の魔将候補との戦いに現れた場合は厄介なことになるかと…」
「いや、もしその新たな魔将候補が現れればこちらで対処いたしますので、心配はいりません。その情報をいただけただけで十分すぎるほどです」
アレンは何でもないような顔をしてディオグに答える。油断しているわけではないが、新しい魔将候補を捕縛する事ができれば得られるものはより大きくなるのだ。
「それで現在確認されている魔将候補の魔物の構成は?」
「はい、基本的には亜人種で構成されています。ゴブリン、オーク、トロル、サイクロプスです」
「解りました。それで、魔将候補は現在どの辺りに?」
「はい、この辺りにいると思われます」
ディオグが指し示した場所は、ジルガルド地方の北西部に広がる森林地帯と平野の境目である。
「魔将候補はかなり用心深く、危険を感じるとイグラム森林地帯へと逃げ込むのです。そしてその際に一気にバラバラに逃げ出し、見失ったところでまた一つにまとまるのです」
ディオグの話からすると本命の魔将候補はかなり頭の切れる将らしい。撤退するときに蜘蛛の子を散らすように逃げれば結局、追撃の方も分散することになり、軍としての指揮が不可能となってしまう。予め集結地点を定めておけば何も問題はない。
「なるほど…となると魔将候補を討ち取るには逃げ道を防ぐ必要があるというわけですね」
アレンはそう独りごちる。
どうやら自分が思っていた以上に厄介な相手らしい。蜘蛛の子を散らすように逃げる相手を逃がさないようにするためには包囲戦を仕掛けるしかないのだが、こちらの数は相手よりも圧倒的に少ないのだ。
「はい…やはりこちらも軍を…」
ディオグの言葉も当然だ。元々、今回のやり方は軍の常道から考えれば下策中の下策だ。少ない数で大軍にあたろうというのは軍法から見れば邪道以外の何物でもないのだ。
「いえ、それには及びません。私だけでなく一行の中には召喚術を行える者が複数おりますから見かけだけの人数ではありません」
アレンの言葉にディオグは不満そうであるが、それ以上は言わなかった。
アレンの言葉は正確ではない。召喚術というよりも死霊術であり、相手の魔物をアンデッドとして使役するつもりなのだ。
「それで、もう一つの魔将候補の方なんなのですがゴブリン以外の種族は確認されているのですか?」
「いえ、ゴブリンだけとなっています」
「では、その魔将候補達による被害内容を教えていただけますか?」
「近隣の村々を襲っております。主な被害は家畜、作物、人的被害も出ています」
「そうですか…」
「はい」
「解りました」
ディオグの説明が終わり、次にウィルが話し始める。
「次に物資ですが、すでに王太子殿下により指示のあったものは用意してあります。ご確認ください」
ウィルから目録が渡される。
目録には、荷台1台、天幕6つ、水20樽、矢300本、魔石、カイトシールド30、槍30本、戦斧30本、土木道具、鍋などの調理器具、燃料の薪とあった。
食料関連は王都にあるアインベルク邸の貯蔵庫にあり、それを必要分だけフィアーネの空間魔術により取り出すことになっている。本当に最小限度の物資しか用意していないのだ。
「それから魔将候補の近くに転移させてくれる魔術師なのですが…」
「はい、すでに準備は終わっています」
アレンは転移魔術を使える魔術師を手配してもらっていたのだ。そうするだけで、大分時間の節約になる。一度に転移魔術で運ぶことの出来る人数、物資は限られている。どうやら、今回手配された魔術師は、かなりの術者のようで一度に8人まで運べるということらしい。
アレン達の中で転移魔術が得意なのはレミアなのだが、それでも一度に運べるのは6人が限度であった。それを考えればかなりの腕前といえる。
「ありがとうございます。それでは必要な情報は受け取りましたので、さっそく出発したいと思います」
アレンの言葉に3人は頷く。もともとの話は通っており、ここでの話は確認事項という側面が強い。もう一つの魔将候補の存在は必要な情報であり有意義なものであったが、現時点では『気を付けとくか』ぐらいしか考える事は無い。
アレン達が立ち上がると、都市長とその部下達も立ち上がる。だが、アルフィスはそれを制する。
「都市長、見送りは無用だ。あなた方の見送りは我々が王都に凱旋するときに頼む」
「しかし…」
アルフィスの言葉に都市長は苦い顔をする。真面目な彼は納得しづらいのだろう。
「都市長の真面目さは最初の時に把握しているつもりだ。だが、我々は何も成し遂げていない。あなた達の見送りを受けるのは何かを成し遂げてからと考えているのだ」
「…解りました。ご武運を」
「「ご武運を!!」」
3人の挨拶を受け、アレン達は退出する。
待ち合わせの場所までの道すがら、アレンはアルフィスに聞く。
「なぁアルフィス、どうして都市長達の見送りを断った?あんな言い訳までして」
「ああ、都市長達は信用に足る男達だがそうでないやつもいる」
「内通者がこの…っていないはずないか」
「そういうことだ」
どこの組織にも必ずなにかしらの情報を漏らす者がいる。アルフィスは時々、王太子としての振る舞いを忘れ苛烈な処置をとることはあるが普段はそうではない、国と民の利益を優先するのだ。
「それで、この段階でそれを行うという根拠がお前は持っているのだろ?」
「ああ、今回魔将候補が出没した場所は王家直轄地、若しくは俺を支える家の領地、そして、国防上重要な拠点だ」
「…ほぅ」
「となれば、何らかの意図があると思うだろ」
「外国…魔族…国内貴族…候補が多すぎるな」
「というわけだ。そんな状況で必要以上に情報を与えるわけにはいかない」
アルフィスの言葉にアレンは頷く。
この大量の魔将候補の発生は何者かが人為的に行った可能性もあるのだ。国防上の重要な拠点に現れているというのなら外国勢力が絡んでいる可能性も高いが、国内貴族が外国と組んで引き入れようという可能性も捨てられない。色々とちょっかいをかけてくる魔族という可能性だってあるのだ。
「なるほど、都市長達が直々に見送れば人目を引く可能性が高いか…」
「まぁすでに俺達がここに来た事はかなり知れ渡っているだろうが、少しでも可能性は減らすべきだな」
「なるほどね、それでもう一つ疑問だ。いつものお前なら自分を囮にして相手の尻尾を掴むのに、どうしてしなかった?」
「あ~それは…」
アルフィスはアディラにちらりと視線を移す。その視線でアレンは察する。要するにアディラの身を案じて危険をできるだけ排除しようとしたのだ。
「そういうことか…」
「ああ、アディラの実力は理解しているが、それでも危険は少ない方が良いだろう?」
「確かにな」
アルフィスの言葉にアレンも頷く。
「さて、お前の話を聞いて気を付けるべき事がまた増えたな」
「ああ」
「最初に言っとけよ」
「すまんすまん」
アルフィスは謝ったが、それほど真剣に謝っているようには見えない。多少の罠なら打ち破ることが出来るという考えがあるのだろう。そしてそれはアレンも同じ考えだった。
一歩後ろを歩くアディラはアレン達の話を聞きながら思う。
(お兄様もアレン様も本当に心配性だな…心配してくれるのは嬉しいけど、私だって少しは役に立つと言う事を示さなくちゃね)
アディラはこの戦いでアレンの役に立つことを示そうと心に誓った。




