継承①
魔族達の国であるベルゼイン帝国の郊外に簡素だが、手入れの行き届いた邸宅があった。
その邸宅の主の名は『イリム=リオニクス』という。ベルゼイン帝国において武の象徴である魔剣士の中でも最強と名高かったイグノール=リオニクスの息子である。
イグノールが人間の少年に敗れたという話はイリムに衝撃を与えた。父イグノールを超えるのは自分だという思いがイリムにはあったのだ。
父イグノールは用心深い男だった。桁違いの実力を持ちながらも常に策を張り巡らし、事にあたる父の事を臆病者と蔑む者もいたが、イリムはそんな父を尊敬していた。
彼にとって策を弄するというのは、戦いに臨む者の心得として当たり前すぎることだったのだ。
その父が敗れたのだ。単なる剣の腕前では、イリムは父に伍する腕を持つと思っているが、策を巡らすという点では遠く及ばない事を自覚している。
イリムがそんな父を斃した人間に興味を持つのは至極当然であった。
ベルゼイン帝国、いや魔族にとって人間は蔑むべき存在だった。魔族よりも身体的、魔力的に劣る劣勢種族というのが、一般の魔族のとらえ方である。そのため、人間に敗れたイグノールの名誉は不当に辱められた。
『所詮、駆け引きが上手なだけの男よ』
『魔剣士筆頭の器ではない』
『魔族の面汚し』
嘲りは悪意となってイリムに押し寄せてくる。だが、イリムの心に怒りはわかないというよりも相手にしていなかった。イリムの興味は父イグノールを斃したという少年の方に注がれていたのだ。
父が生きているときは何も言えずに、死んで安全になった瞬間に陥れるようなクズなどイリムの興味を全く引く存在ではない。遠くで蠅が飛んでいるからといってわざわざ蠅を始末しに出かけるほどイリムは暇ではないのだ。もし、自らの前にわざわざ来れば殺すがそれだけの事であった。
イリムは日々の鍛錬をしながら父を斃した少年とどのように戦うかを模索していた。
その時に、戦いの一部始終を見ていたという第二皇子アシュレイの従者であるエシュゴルに話を聞こうとしたのだが、父イグノールのいない現在となってはエシュゴルに会うことは出来なかったのだ。
そんな時に、イリムの元にベルゼイン帝国の皇女『アルティリーゼ=クレリア=ヴェルゼイル』が訪れた。
アルティリーゼの訪問の目的は、父である皇帝イルゼムの書状を渡すことである。いかに父イグノールの名声があるとはいえ、リオニクス家は身分的には魔剣士は一代限りの騎士爵にすぎない。家の力など存在しないに等しいのだ。
その騎士爵の家に皇帝自ら書状を書き、しかも皇女に届けさせるという出来事は異例中の異例であると言って良い。
「座っても良いかしら?」
アルティリーゼはリオニクス家に到着しイリムに客間に通された瞬間に不躾な発言をする。
「はい、皇女殿下におかれましてはわざわざご足労いただきありがとうございます」
イリムは無位無官の少年であり、高位の者と会う機会などほとんどないため、敬語が正しく使えているかあまり自信がなかった。
「ふふ…確かに今は皇女として訪問しているけど、私も『座っても』という不躾な発言をしているのだから、そんな言葉遣いをしなくても良いわよ」
アルティリーゼの言葉にイリムは安堵した表情を浮かべる。
「そうか…それなら遠慮無く…それでなぜアルティ自らここに来たんだ?」
「目的は『あなた』のためよ」
「俺のため?」
「そう、イグノール殿が人間に敗れたためにリオニクス家は侮られているわ」
「確かにな…」
イリムの声は淡々としている。ここまで話がくれば、イリムにもなぜアルティリーゼがここに来たかが理解できる。問題はそうする事によるアルティリーゼとイルゼムにどんな利益があるというのかが見えてこなかった。
「確かに陛下の書状と皇女殿下であるアルティがここに来た事は、すぐに広まるし、それによる我が家を侮るのも多少はなりを潜めるだろうな」
落ち目のリオニクス家に皇帝イルゼムが書状を送り、皇女自らが届けたという特別扱いは、皇帝がリオニクスを、いやイリムを庇護すると宣言した事を意味する。この段階で、もし堂々とリオニクス家を侮辱すれば、皇帝の怒りを買うことになるのだ。
「それで…俺を助ける事で陛下には何の利益がある?」
「簡単よ…イグノール殿亡き後の最強の魔剣士を確保することができる」
「俺はどうやら自分が思っている以上の存在と思われているようだな」
イリムは苦笑いする。しかし、アルティリーゼは笑わない。真剣な目でイリムを見ている。
「イリム、お父様はあなたに騎士爵を授けるつもりよ。あなたが自分自身をどう評価していようが、お父様はあなたを手放すつもりはないわ」
「ふ~ん…それで俺に何をさせるつもりだ?」
「簡単に言ったら私の護衛ね」
「お前の?」
「そう、私はお兄様達を蹴落としてベルゼイン帝国を手に入れるつもりよ」
「正気か?」
「もちろん、ベルゼイン帝国ぐらい手に入れないと…」
「おいおい、帝国がついでか?」
「というよりも、帝国はそのための手段ね」
イリムとアルティリーゼは幼馴染みである。幼い頃に父イグノールが皇帝に召し出された時に出会ったのだ。お互いにすぐに打ち解け事あるごとにアルティリーゼはイリムを呼び出していた。
お互いに成長し、互いに恋愛感情を持つのは自然の流れであったのだ。だが、身分の違いからイリムはアルティリーゼへの想いを押し殺している。またアルティリーゼも自分の素直な想いを伝えることがイリムに対する足枷となる事を感じており、言い出すことはできなかった。
「アルティ…陛下はお前の考えを知っているのか?」
「ええ…」
皇帝がアルティリーゼの本心を知っていると言う事は、皇帝の中でアルティリーゼは後継者候補の第一人者、若しくはそれに準ずる存在というわけだ。
「そうか…」
「じゃあ、イリムは私の言葉をお兄様達に持っていく?」
「アホか…俺があいつらを嫌いなのは知ってるだろ?」
イリムは三人の皇子達が嫌いだったのだ。昔から権力をかさにしてくる皇子達にイリムは嫌悪感すら抱いていたのだ。
「ふふ…あなたは絶対にそう言うと思ったわ」
「ふん…」
「ねえイリム…」
「なんだ?」
突然、アルティリーゼの声に緊張が含まれる。
「ずっと私の側にいてくれる?」
アルティリーゼは余程の決意を持ってこの言葉を言った事をイリムは理解する。
「もちろんだ」
イリムは即答する。それはイリムの本心だったからだ。
「うん、ありがとう」
アルティリーゼはイリムの言葉を聞き安堵の表情を浮かべる。今のやりとりが何を意味するかわからない二人ではない。
「では、騎士爵はお前の近くにいるために必要なものだからありがたく受けるとして…そのために何をすれば良い?」
「話が早くて助かるわ。魔剣士のレヴァンス=エーゲイル卿と戦って魔剣士としての実力を示して欲しいの」
「ああ…あいつなら手加減しなくてもいいしな…」
「そうね…イグノール殿を口汚く罵った魔剣士だからね…」
「そういうことだ。で…いつだ?」
「7日後ね」
「そうか」
イリムはアルティリーゼの言葉を聞きニヤリと嗤った。




