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遡る記憶 初


※『揉め事処理屋』の三人組は出てきません。




「そろそろ四百年になるのか」


感慨深げに美雪が言うものだから、思わず笑ってしまった。そんな顔は、彼女にはあまりに似合わない。と、いうより変だ。


正確に数えてはいないけど、だいたい四百年前にある鬼が人間の世で不正を(おこな)った。四百年前となると、美雪は今程強くなくて女の子らしいところも結構あった。自分もまだ当主じゃなかった。二人共まだまだ未熟な若者だ。


「もうそんなに経つんですね」


自分とも美雪とも違う柔らかい声。右腕であり側近の(ゆう)は、穏やかに微笑んで隣に屈んだ。


四百年前に事件を起こした鬼は、華島家が統括していた者だった。犯罪者とはいえ墓位はと、丘に建ててやったのだ。一年に一回来るか来ないかの頻度だが、必ず三人で墓参りをするのが暗黙の内に決まり事となっている。


「そういえばお前の初恋って、そん時に関わった人間なんだろ?」


ニヤニヤと少々不快な笑みを浮かべる美雪に、言葉だけの返事をして線香を上げる。


「想像付きませんね。どんな人だったんですか?」


美雪に続いて優までもが尋ねてきて、意外に思うと同時に苦々しかった。この話はしたくないし、彼女について語りたくもない。目を伏せて曖昧に笑った。


「さあね。それが恋だとは僕は思わないけど、彼女はとても哀しい人だった」


彼女の笑った顔は殆ど覚えていない。


そんなしんみりとした空気に、居心地の悪さを感じたのだろう。突然美雪は大声を上げると、帰ると言い出した。気を遣ってそうしたのではないというのは、こいつの性格からして間違いない事は承知している。


それが何だか妙に快くて、思わずプッと吹き出した。


「さっきから、何でてめぇは笑うんだよ!」


「いつもの事なんだから、気にしちゃ駄目だよ美雪。その内頭の血管が切れて死ぬかもよ?」


口の悪い美雪を優が宥めるが、その発言は火に油を注いだようで、キレた美雪が殴りかかった。


「ほら帰るよ。栗饅頭が待ってる」


優が殴られる前に二人の肩を軽く押した。今日のおやつは栗饅頭にしようと、昨日から考えていたのだ。早く帰って待ち望んだ栗饅頭を食したい。



▲▲▲


殺して、殺して、殺して、殺して。



一体、どれだけの数を殺してきただろう。



哀しいのか、辛いのか、苦しいのか。



悔しいのか、恐いのか、はたまた楽しいのか。



自分でも分からない。何でこんなことをしているのか。



分からないまま殺していった。分からないからこそ殺していった。



赤くて、朱くて、紅い視界。



刀も塗られた。腕も塗られた。着物も塗られた。顔も塗られた。



聴こえる音は、誰かの悲鳴と肉の切れる音。



何の悲鳴なのかさえ判断はつかない。興味も無い。



嗚呼、今日も私は堕ちていく。


▲▲▲



牢に捕らえられていた鬼が脱走したとの報告を受けた、華島家当主は修行に調度良いと、討伐部隊に息子の和夜を参加させることにした。


それなりに危険度の伴うものだったが、刑羅隊も六人程赴くというのが何よりも決め手となり、息子の修行に、という想いも確かに存在していただろうが、半分位は家の面目の為だった。


脱走した鬼は元々華島家に仕えていた鬼で、罪を犯したというだけでも散々叩かれたというのに、脱走なんてしてくれたお陰で華島家への風当たりは強くなる一方だ。その場凌ぎの打開策として、華島家次期当主の和夜が遠征に出されることとなった。


「いつまでそうやって、膨れているつもりだい?」


「膨れてない」


討伐部隊の隊長に呆れ半分に言われて、否定の言葉を即答した。


人間の世界へと逃げ込んだ愚かな鬼のせいで、わざわざ此処まで足を運ぶ羽目になったから、更に和夜は機嫌を損ねている。


宗家の御曹司だというのに、一族の誰一人として成功を確実に思う者はいなかった。それだけならばまだ良い。では何が嫌なのか。それは幼馴染の美雪の、心許ない一言にある。


『へー』


たったそれだけ。言葉どころか、単語ですらない。ただの相槌。ただの返事だった。こんな、興味も関心も感じられない返答なんて期待していない。望んだのは怒って悔しがる姿だ。自分はそれを見て、多少の優越感を味会う予定だったのに。


美雪の態度のせいで、特に気に止めなかった一族の反応が頭に来て苛ついて、屈辱的な気分にさせた。


口では否定しているが、拗ねているのはこれ等の理由からだ。


人の気配の無い、薄気味悪い路地を歩く。そんな時だ。静まり返った夜を切り裂く、悲鳴が聴こえたのは。


「こっちだ!」


のんびりとした雰囲気は一変して、張り詰めた緊張感が和夜達七人は走る。


隊長の刹那に続き駆ける内に、血の臭いがし出した。一層濃くなる血の臭いが、悲鳴が上がった場所へ近付いている事を証明してくれる。


ぎゃぁぁぁぁぁぁ!


声とも音とも判断出来ないものが、耳に入ったと同時に目を見開いた。


そこは辺り一面血の海で、切断された腕やら脚、胴体に頭までゴロゴロと散乱していた。正に、地獄絵図と言っても過言ではない光景が広がっている。


足を少しでも動かせば、ピチャッと血の跳ねる音がして眩暈がした。耐性のある自分でもここまでになるのは、転がっている死体が全て妖のものだからだ。一体どんな奴がこんな惨い事をしたのだろうか。


口元を押さえながら地獄を見渡す。道の隙間に身を隠すようにして蹲る女が一人。きっとあれは違う。


「おい!これはお前の仕業か!」


隣から発せられた言葉にハッとして、向けられた視線の後を追う。


いたのは一人だけだった。背格好からして、少年だろう。身体中にベットリと血を浴びている事と、手にしている刀からは血が滴り落ちている事から、殺ったのはこいつで間違いないと確信した。


少年がゆっくりと振り返る。その緩慢な動きに気怠さを感じた。


「……だったら何?別に妖怪なんだから殺したって問題無いだろ?」


血の海の中で平然と立って答える少年は、化け物と恐れられる妖怪よりも異様で、恐ろしく感じる。


そこでふと違和感を覚えた。まさか少年は人間だとでも言うのだろうか。人間がこれだけの数の妖怪を相手に出来るとは、到底思えないし考えられない。だが、こんな惨い事を同族に出来るかとも思う。


「隊長。どうやら此処に転がってる奴等、全員指名手配になってます。標的が逃がした者達かと」


「……ご苦労」


渋い顔で告げる。人間は妖の法では裁けない。仮に少年が妖だったとしても、大した罪になることは無い。


「もしかして、貴方達のお仲間さんだったりする?」


欠伸混じりに投げ掛けられた質問に驚く。骸と化した妖達の姿は、人間からすれば皆異形だ。対して和夜を含め七人は、何処からどう見ても人間そっくりの形をしている。それなのに何故仲間だなんて言うのか。


「……いや。僕は和夜。君は?」


「…………あきひこ。名乗ることに何の意味があるのか判らないけど、一応覚えておく」


訝しげな視線を和夜に投げた後、背を向けて立ち去った。


あきひこは異様だった。けれども何だか惹き付けられた。変に魅力があって、関わりたいと妙な事を思ってしまったのだ。


「名前なんか教えて、どういうつもりだ」


「彼の名前が知りたかった」


何の意味もないし、知っていたからと言って、役立つとも思えない。無駄かもしれないが無駄じゃないかもしれない。


また今度。再度必ず会える様な気がして、彼が消えた先を暫く見つめていた。





「剣術で暁彦(あきひこ)の隣に並べる者はいないね」


「世辞は要らない」


神社の境内でひたすらに木刀を振る少年と、それを傍観している青年が一人。せっかくの賛辞を、少年は平気で突っぱねた。


青年は特に気にした風もなく、柔らかく笑って見守っている。まるで兄の様な眼差しだが、勿論兄弟等ではない。兄弟ではないが、お互い気心の知れた友人同士だ。


「ねぇ聞くけど。また夜中抜け出してたんだって?」


「ああ。(はやて)も承知の妖怪退治だよ。こういうのって、巫覡(ふげき)の仕事じゃないのか?」


「違うよ。私達の仕事は神様に仕える事で、妖怪退治は陰陽師や僧侶のお仕事」


得た解答に納得したのかしてないのか、木刀を振るのを止めて石畳の上に腰を下ろした。


「そんなところに座らない。袴が汚れるでしょ」


煩いとでも言うかの様に眉を寄せ、空を仰ぐ。馬の尻尾みたく結った長く艶やかな黒髪が、サラサラと重力に沿って流れていく。


「前から言ってるけど、妖怪退治なんてもう止めた方が良いよ茜」


「……その名で呼ぶな」


先程とは違う別の名前で呼んだ颯を、不快を露にして睨み付ける。


毎日毎日誰かしらが被害にあって、皆が皆怯えて恐ろしい思いをし、その手の噂が絶えないというのに、それをどうにかしようと言う者は自分以外いない。


「私が斬っているのは、人に害を為している妖怪だ」


吐き捨てる様に言い、立ち上がって颯に背を向ける。暁彦は、よく晴れた春の空には似合うことの無い、あまり良くない感情をもて余した。




絶世の美女がいるとの噂を耳に挟み、どんなもんかと興味本位で和夜と刹那が一目見てこようと言うことになった。噂の姫君には何とも失礼な話である。


和夜は基本、美女がどうとかという話に興味があるわけじゃない。では何故興味等湧いたのか。それはとっても簡単で、他からしたら自意識過剰に映ることだろう。


「だって、僕より美人か知りたいじゃない」


という発言の根本にあるのは、鬼という種族は美形が多いという事実である。先日和夜に心許ない一言を送った美雪だって、一部では美人と有名だ。一部なのは本人の無愛想さと仏頂面、それから物騒な雰囲気のせいで台無しにしているからである。


そうなると先の和夜の発言も、納得してしまう部分があるのではないだろうか。


「基準下げとけよ」


そんな和夜に呆れて溜め息を付く刹那は、幾分か気分が落ちた風に見受けられる。


噂の姫君は大名の娘で、名前は亜衣というらしい。夢を膨らませるのは個々の自由だが、期待に反した結果になった時の衝撃は凄まじいものだ。なのだから、基準を下げるべきは和夜ではなく刹那の方だった。


程なくして見えてきた屋敷。否応にもなく、刹那の胸は高まった。


「さて、どうやって入る?堂々と正面から入る?それとも不貞の輩らしく、裏からこっそり?」


「正面は無理に決まってるでしょ」


「了解。じゃあ裏からで」


侵入すること事態が楽しいという感じの体で、足取り軽く石垣の上へと飛び乗った和夜。どの様な理由の笑顔にしろ、笑った時の顔なんて、その辺にいる美女よりよっぽど美形だ。


まだ夕暮れとはいえ、弥生の今はあまり明るくない。夜じゃないから、松明を炊くのには早い時間で、警護の人間も多くない。強いて言えば門番くらいだ。そんな手薄な警備の中を、闇と紛れて掻い潜るのは糸も容易い事だった。


「ねぇ、もしかしてあれじゃない?」


刹那の袖を引っ張って、指し示すのは月見やぐらの上。遠目からだから今一正解かどうか判らないが、長い髪を床にまで流しているのと、着物の派手な色からして多分当たっている。


拍子抜けする程、簡単に見つかってしまった姫君。手薄すぎる警備に呆れた。お姫様暗殺なんてのも、容易に出来そうだ。


「尋ね人は見つかったぽいけど、この先どうする?此処からじゃ顔は見れないよ?」


「……あの木はどうだい?彼処からなら見えるだろ」


刹那が出した提案に和夜が頷く。少し離れているが、彼処の木からなら確実に顔は見れるだろう。


「ああ、うん。あれは美人の部類に入るかも」


「入るかも。じゃなくて入るだろ」


和夜の関心した声は珍しい。それ程までに美しい姫だった様だ。


少し切れ長の目に、それを縁取る長い睫毛。陶器みたく滑らかな肌は雪の様に白く、黒く艶やかな髪を一層引き立たせている。


「誰かいるのですか?」


鈴の音の様に可愛らしい声だったが、それとは反してとても警戒している声音だ。


刹那の妖術で普通の人間には、和夜達の声も聴こえなければ姿も見えない筈なのに、月へと向かっていた視線は一直線にこちらに伸びている。


「…………バレてるみたいですけど?へっぽこ術師と呼ぼうか?」


「いるのですね?姿を見せなさい」


和夜が刹那を小馬鹿にした言葉を吐くと、直ぐに亜衣姫は反応した。


刹那は驚いていたようだが、和夜の場合は呆れと同時に軽蔑の対象と格付けている。誰かいるのかと訊ねる前に、助けを求めて悲鳴を上げるのが先だろうに。


二人で目配せして言われた通りに出ていく。


「……見逃してあげますから、今すぐに去りなさい」


へー、と短い呟きと共に眉を上げる。驚いたことに声と手は震えているものの、その眼差しは凛としていて強気な姿勢を見せた。流石、大名の娘なだけはある。


「そっ。じゃあ大人しく帰ろうかな。ね、刹那」


愛想笑いを浮かべ手を振る。最後に刹那の名前を出したのは、記憶に印象付けてあげる為。だってあのお姫様、刹那に釘付けだったから。面白半分でどうなるのか、試してみたくなったのだ。


「なんか。久し振りに、まともな美人を見た気がする」


半ば疲れた声を出した和夜の脳裏には、一人の幼馴染と一人の友人が浮かんでいた。


確かに美人ではある幼馴染は、はっきり言ってまともじゃない。所作は教育された甲斐あって、上品ではある。だがしかし、その上品さは男らしく、『とても上品な殿方ね』と言われるのが良く似合う感じの。且つ、剣術なんてものにのめり込んでいるのだから、女らしさ等望めない。何より酷いのは素が出てしまった時で、口は悪い上に、仕草なんて男らしいを通り越して、まるでチンピラだ。あれを“まともな女の子”と評価してしまったら、世の中が滅茶苦茶になる。


もう一人の友人は…………。あれは詐欺だ。何処からどう見ても、”可愛らしいお嬢さん“なのだが実際は男というオチで、それを知ったときの衝撃といったら、言葉では言い表せない。服装、仕草、顔、名前に至るまで、全てが女なのに………………。


「おいっ!」


そんな阿保らしい物思いに耽っていたせいで、注意が散漫になっていたらしい。刹那にぐいっと、強く肩を掴まれて強制的に急停止をせざる終えなかった。


「ああ、ごめんね。何か解ったの?」


調べに行ってくれていた刑羅隊の五人が、集まっていたのを通り過ぎてしまいそうになったみたいで、どうやらそれで刹那が、慌てて肩を掴んだようだ。


「はい。和夜様の読み通り、今夜妖怪が集まるみたいです」


「そっか。ありがとね。じゃあ捕らえて、臆病な腰抜けの居場所を吐いてもらおうかな」


捕らえるべき鬼を、臆病な腰抜けと評した和夜はニコリと笑い掛ける。これから討伐する姿も知らぬ鬼を思うと、少しだけ同情してしまう。こういう時の和夜は、それは容赦がない。鬼と呼ぶに相応しい、冷然な態度で冷徹な判断を下す。味方には心強いが、絶対に敵には回したくないタイプだ。


妖が集まるであろう場所に向かう途中で、何だか妙に隊の緊張感が高まっていた。今いる場からは、まだ大分距離がある。普段なら気負って失敗する事が無いように、力を抜く様にするのに。


「気を付けて下さい。血の臭いがします」


鼻が良く利く(にしき)という奴が、顔をしかめて教える。それを聞いて思い浮かんだあの少年。きっと皆同じ事を考えたに違いない。


「……あらら」


予想は的中して、この前と同じく血に濡れた少年が、一人立っている他に生存者は見受けられなかった。折角生け捕りにしようと思っていたのに、全滅だなんて最悪だ。


「やあ。また会ったね」


内心胸糞悪い思いだが、表面には笑顔を浮かべる。彼は臆することなく、真っ直ぐにこちらを見つめていたが、その瞳には硝子玉の様に綺麗に景色を映しているだけで、感情の色など映していない。それに尚のこと不快さを感じる。


「あのさ。“あきひこ”の“あき”ってどういう字?」


他の者が戸惑う中、和夜は全く気に止めず笑顔のままで話し掛けた。


「……”暁“」


何の抵抗も無く、すんなり回答した事にほくそ笑む。名が解ればこちらのものだ。


「じゃあ暁彦。何でこんな事してるの?」


名前とは個々を縛るものとして、強い役目を果たす。和夜の呪術は名前を知だけで、相手に掛ける事が出来る。本人の名前で自身を縛り、和夜が下す命令を強制的に完遂させるのだ。


「さぁ。答える義務も無ければ義理も無い」


つまり、暁彦は和夜の質問に対して、思想から感情に至るまで、全てを吐露する筈。……だった。なのに彼は応えたが、答えは得られなかった。これには流石に、和夜も言葉を失う程驚く。


「…………そうだよね。でも君、速く帰った方が良いんじゃない?家の人が心配するでしょ」


動揺を悟られまいと、急いで言葉を続けた。


暁彦は一瞬キョトンとした顔をした後、何が気に障ったのか眉間に深く縦皺を刻む。


文句を言うわけでもなく、口を貝の様に閉ざしたまま踵を返してしまう。引き止めようと手を伸ばしたが、それより先に彼の方が立ち止まった。


「――……けた」


「え?」


低い呟きで何を言ったのか聞き取れない。思わず聞き返したが、暁彦はもうそこにはいなく、腰の刀に手をかけ走っていく。その先にはまだ生き残っていたらしい妖怪が一人。


(まずい!殺されちゃ困るよ!!)


「暁彦!今すぐ止まれ!」


瞬時の判断で和夜が叫び術を掛ける。暁彦は強制的に止まらざる負えなくなるだろう。


「チッ!」


つい舌打ちをした和夜。少し躊躇する様な行動をしたが、暁彦は止まることなく抜刀する。


ガンッ!


金属同士が激しくぶつかり合う音がして、驚きに目を見開いた。刹那が暁彦の刀を鎖で押さえ込んでいたのだ。真っ黒な鎖はじゃらじゃらと、耳障りな音を響かせながら刀をぐるぐる巻きに拘束していく。


「隊長!こっちも抑えました!」


刹那の部下が、残り一人を壺の中に封印するのに成功する。危機一髪の状況に、和夜を含め何人かが息を付いた。


「……放せ」


鎖が伸びるのなんて、初めて見る光景だろうに落ち着き払った声は、なんとも小憎たらしい。


「そうはいかない」


「放してあげようよ。その子がいても、僕達が有利になることは無いんだし」


拘束は解かず、益に成り得るか否かを吟味する。その間、抵抗しても無駄だと理解しているのか、捕らわれたまま大人しくしていた。


「分かった。けれど一つ忠告をしておく。次に会った時は、殺す。覚悟しておけ」


彼にしては、『殺す』なんて言うのは珍しい。


(にしても、この人間……)


怖がりも怯えもしないなんて、精神がイカれてるのだろうか。まだ年若い少年なのに、酷く冷めた目は己の命ですらどうでも良さそうだ。


暁彦は刹那に何も返さず、そこに立ち尽くしたまま一向に動かない。おそらくは、先に帰れということなのだろう。


「じゃあね。会わないことを期待する」


彼に甘えて、先に帰ることにした。運良く手に入った妖から情報を吐かせなければならないし、何故呪術が効かなかったのかを調べなければならないし、やることは一杯だ。


「まぁ、でも。だいだい検討は付いてるんだけどね」


「何のだい?」


独り言のつもりで言ったのに、刹那がそれに反応して聞き返してきた。どうせ道すがらは暇だから、教えてあげてもいいか。


「あの人間の事だよ。『名縛り』が効かなかったのは、どう考えても僕の落ち度じゃないってこと。効かなかった理由として、挙げられるのは四つ。一つ目は僕の修行不足。これは先ず保留として、二つ目は土地自身に何らかの結界や術が仕掛けられているか否か。でもこれは無い。封印術も使えた上に、刹那の鎖だって使えた。だったら僕『名縛り』が効かなかったのは可笑しい。そして三つ目。あの人間が特殊な法力とかを備えていた場合。確かに僕の『名縛り』が効かなかった訳としては納得出来るけど、刹那の鎖を断ち切らなかった理由にはならない上に、妖怪を刀で斬っていた理由にもなら無いから、これも除外するよ。残るは保留の修行不足だけど、斬りかかる時に一瞬動きを止めたでしょ?あれは多分効いてたんだ。そこから考えられる四つ目は、あの人間が名乗った『暁彦』という名が、偽りであること。これが一番有力かな。というか、これしかあり得ない。動きが止まったのは、『暁彦』という名前が彼を縛っているのが事実だからだ。長年『暁彦』として生きてきたんだろう。本当の名前さえ解ればいいんだけど」


長々と喋って、口が少々疲れた。


「和夜。馬鹿なことをと思うかもしれないが、落ち着いて聞いてほしい」


何だろう。急に神妙な顔付きになって。まるで『娘さんを私に下さい!』と父親に向かって頭を下げる時みたいだ。


「お前の話を聞いて確信したんだが、あの人間は女だよ」


「は?えっ、とうとうボケちゃったの?」


「違う。だから落ち着いて聞けって言っただろう」


衝撃過ぎる告白に、頭が追い付かない。だって確かに自分で暁彦と名乗ったじゃないか。袴を履いていたし、立派な刀だって挿していた。動作も男ぽかった。


だが冷静に考えろ。とても身近にいるじゃないか。良い例が。


「最初に感じてた違和感は、それだったのか」


子供の頃から、男として育てられてきたのかもしれない。不運なものだ。


「同情はさておき、さっさと吐いてもらわないとね」


ニッコリ笑った和夜は、可愛らしかった。




日が沈んだ頃、神社の鳥居に一つの影があった。昼間は兎も角、こんな時間に参拝なんて珍しい。と思うのが普通であろうが、颯にとってそれは、何の事はない只の日常だった。


「また?今度は何したの?」


この時間帯に来るのが、誰であるかを知っていたし、それがどんな人物かも良く知っているから気軽に声を掛ける。


人影が近付く。颯も苦笑を浮かべながら、松明を手に歩み寄った。思った通りの姿を見留、苦笑を一層深くさせる。


「……何したの?暁彦」


名前を呼ばれた瞬間、地面ばかり見つめていた顔を上にあげた。


問い詰める様に発せられた声は低く、怒りを感じたが暁彦はお構いなしに何も答えない。


颯が怒るのにもそれなりの理由がある。暁彦の左の指先からは、ポタポタと血が滴り落ちていたからだ。止血は勿論されていなかったし、何より暁彦は特に痛がる様子も見せないのが、尚更颯の気分を害している。


「その怪我の訳を教えないと、手当てしてあげない」


「……割れた壺の破片が刺さった」


少し不満気味に言う暁彦の手を掴んで、傷の具合を良く見る。本当かどうか確かめる為に。


「いっ!」


これには流石に痛かったらしく、小さな呻き声を漏らす。


「何で手当てしないでそのままにしたの?菌が入って膿んじゃったら大変だよ」


そこで『やり方が分からないから』なんて答なら可愛げのあるものだが、この子はそんな事は口にしない。


「城の床が汚れる。だから急いで来たんだ」


「拭けば良いだけの事だろ?」


「調度縁側にいたんだよ。それに拭くのは、私じゃないからな」


縁側で壺を割るとは、一体どういった状況なにやら。そう思ったが、それ以上は聞かなかった。暁彦にとって、この事はあまり踏み込まれたくないものだろう。


「あっそ。じゃあ、こっち来て。消毒して包帯巻いてあげるからさ」


「……颯。悪いけど、急いでくれないか?」


「どうして?」


薬と包帯を取りに背を向けたが、そう言われたので半回転した。訊ねると、暁彦は珍しく嬉しそうに笑っていて、こんな顔を見るのは久し振りだと驚く。


「この後、姉上と出掛けるんだ。簪を買いに行く」


本当に嬉しそうに、年相応な笑顔に少々戸惑う。だが、颯はフッと息を吐いて微笑んだ。


「そうだった。暁彦は昔っからお姉さん大好きだよね」


こんな嬉しそうな顔をするのは、毎回毎回自分の姉の話をする時ばかりで、親友として少し妬いてしまう。


「大好きだ。けれど颯のことも好きだぞ?お前といるのは楽だし」


嬉しい事を言ってくれるが、疑いたくなる程実感が湧かない。


「はい。出来たよ」


「ありがとう」


包帯を巻き終わる。傷は浅くて消毒するだけで済んだ。立ち上がり、駆け出す暁彦の背を見送る。


暁彦が何処で何をしているのかを、知る術を自分は持ち得ていない。それを悲しいと思う。けれど、それを知ってしまったのなら親友という関係は砂塵の如く消え去り、一生元には戻ってくれないだろう。暁彦と自分の間には壁が確実に存在していたが、それが他人にはならず、親友のままでいさせてくれる為の、役目を果たしてくれている。


「私は茜の味方だからね」


呟きは夕闇に紛れて静かに溶けていった。颯が溢した言葉は颯の胸に仕舞われ、誰かが聴くことはない。





「姉上。あれなんかどうですか?きっと似合います」


弾んだ声と素振りで、自身の姉の手を引く暁彦。差された簪を見て、姉は曖昧に微笑む。


「ねぇ暁彦。確かに美しい簪ですけど、私にはあまりに豪奢過ぎないかしら?」


暗に似合わないと言う姉に、暁彦は食い下がる。豪奢ではあるが、その位でないと簪が姉の美貌を引き立たせる事が出来ない。


「では、あちらは如何ですか?」


違う簪を手に取り、姉の手の上に乗せる。選んだのは矢張豪華な簪で、金の細工が美しい簪だ。だが、お気に召さなかったようで、申し訳無さそうに笑いながらもそれを棚に戻した。


「ごめんね暁彦。次は甘味処に行きましょう?」


「はい!ご案内します!」


外に出ることが殆ど無い姉の為、張り切って道案内を申し出る。手を握って転ばないように気を付けながら、興奮気味の暁彦は速くなる脚を押さえられない。


「待って、少し速いわ」


言うと同じ位に身体が傾く。暁彦が焦って腕を伸ばしたが、手を繋いでいたせいで空振って、危ない!と思った時には遅かった。


「……怪我は無いかい?」


「え?」


反射的に目を瞑ったが、予想していた衝撃と痛みは訪れない。代わりに頭上から声が聴こえた。それは何処かで聞いた優しげな声だったが、何処で何時聴いたのか思い出せない。


暁彦は目を見開きただただ驚いていた。何故こんな所で会うのか。瞬時に鍔口に手を掛ける。


「貴方。この前の……」


「姉上に何の用だ」


初対面の相手に、いきなり殺気を撒き散らす暁彦を、慌てて宥めたが、実はこの二人は初対面ではなかった。先日殺すと宣言された程の仲である。そんな相手に警戒は元より、殺意を覚えるのは当たり前と言えよう。


「こんばんは、暁彦」


まるで友達に話し掛けるように、挨拶をしてきた近くにいたもう一人の男は、殺伐とした雰囲気に似つかわしくない、明るい笑顔をその整った美しい顔に浮かべている。


「暁彦のお友達?姉の亜衣です」


勘違いも良いところだが、訂正する事は憚れる。どうしたものかと迷っていると、男―――和夜が口を開いた。


「お友達っていうより、夜中に――」


「友人です。とっても仲の良い」


余計な、知られたくない事を口走りそうになったので、上から被せて無理矢理友人と言い切った。笑顔を浮かべて、今しがた友人になったばかりの男を振り返る。彼の方はクスッと笑って、仲良しだよね。と言った。


「なら、あの日。城の中にいたのは、暁彦に会いにだったのですね?良かったわ。暁彦のお友達でしたら、良い人に決まってますもの」


フワリと笑って言った内容に驚愕しながらも、点と点が線で結ばれたように、きっちりと頭に収まりある出来事を納得した。


「ねぇ、お姉さん。暁彦を少しの間借りても良いかな?」


「少しといわずに、友人同士楽しんでいらして」


「そう?ありがとう」


当の暁彦には了承を得ず姉の方に許可を取って、強引に腕を引く和夜に抵抗はしなかった。


「あっ、刹那はお姉さんと一緒にいてね?女性が一人じゃ危ないから」


てっきり刹那も一緒に三人だと思っていたが、残るとなれば話は別だ。何をされるのか分かったものではない。


「大人しくしてよ。じゃないと………………変な事を言っちゃうかもね」


「……。姉上をお願いします」


屈辱的だったが、心配させないように笑って手を振った。


連れて来られたのは人気の殆ど無い路地裏で、片手を刀に伸ばしす。


「私を殺すのか?」


「何言ってんの?僕は君のことを殺すなんて、一言も言った覚えは無いんだけど」


「…………どうだか」


それ以外に理由が思い浮かばなくて、正直混乱する。それもその筈、暁彦と和夜は一言二言言葉を交わしたこと位にしか、接点が無い知人だからだ。


「……暁彦って、本当はなんて名前なの?君のお姉さんからして、良いとこのお嬢さんが何で男装なんて真似してるのさ」


「関係無いだろ。それを聞く為だけに、わざわざ私の嘘にまで付き合ったのか?」


嫌味と真意を探るつもりで言ったのだが、あえなく肯定されて眉を潜める。和夜はフフッと笑い、目を細めた。


「君って普段は愛想が良いんだね。でさ、どっちの君が本当の君自身なの?」


瞬間、息が止まって視界がぐらついた。こんな、こんな奴に。自分の事を何も解っちゃいなければ、全然知りもしない奴に言われた言葉は、深く深く胸に突き刺さった。


「さあな。戻って良いか?」


動揺したのを、感じた怒りを悟られたくないばかりに押し隠して、これで話は終わりとばかりに、極めて冷たく素っ気なく言い放つ。


「良いよ?答えなくなかったのならそれで」


風に揺らめく和夜の髪が、彼をこの世ならざるものに感じられたのはどうしてか。彼は人間の筈なのに、何故そんな事を思ったのか。


だが、暁彦にとってそれは些末事で、炉端の石ころにすぎない。どうでも良い些末事には、和夜が何者かだけでなく和夜自身も含まれていた。




二人に会ってから帰ると、姉の亜衣の様子が少し違っていた。ボーと物思いに耽ることが多くなったし、声を掛けても気付かないで心ここに在らずといった毎日が増えていた。


「ああ、うん。それって多分、恋煩いってやつじゃない?」


「なっ!?」


最近の姉の様子が変だと、珍しく暁彦から相談を受けて、直ぐに思い浮かんだのは恋煩いで、寧ろそれしかないと確信した。


「おめでたい事じゃない。良かったね」


二人して石畳の階段に座り、団子を片手に話す。因みに種類はみたらし団子だ。


顔を覗き込んで笑えば、俯いていた暁彦の顔は、案の定暗く沈んでいて、我ながら意地の悪いことを言ってしまったと思う。


「もしも姉上が結婚なんて事になったら……」


「まぁ暁彦の気持ちも解るけど、ちゃんとお祝いしてあげなよ?」


大好きな姉が、何処の馬の骨かも分からない輩に取られるのは、我慢ならないのだろう。


「……わかってるよ。ちゃんと笑って見送る」


苛ついた声で返答され、思わず苦笑した。暁彦の怒りはやり場の無いものだ。姉やその相手にぶつけた所で、それは只の理不尽な言い掛かりに過ぎない。


「暁彦も恋をしたら良いんじゃない?」


冗談で言ったつもりが、暁彦は思ったよりも重く受け止めてしまった。視線を颯から外し、正面の虚空をほんの少しの間眺めると、自嘲的に自虐的に笑んだ。


「相手は女か?若しくは衆道になれとでも?」


己の浅慮さに後悔し、唇を噛む。この子にとって、恋とは千里の丘より遠い存在なのだ。今はまだ羨ましいと憧れを抱くことは無いとしても、将来そう思った時があるとすれば間違いなくそれは不幸なもので、恋心なんて芽生えてしまったら、きっと必死にその芽を摘み取るだろう。


「……ごめん」


「別にいい。そんなに気にしてないから」


残った串を手の内に玩びながら、声をやや高くして言ったのは颯に気を遣わせない為だ。それを理解してしまっている彼は、内心相当気落ちしている。


「じゃあな。私はそろそろ帰る。お団子ご馳走さま」


「次は大福でも用意しとくよ」


既に背を向けている暁彦に向かって、手を振りながら言ったところ、キラキラと輝く笑顔が返って来た。


「なら夕方にでも来ようかな」


「来てもいいけど、大福はまだ無いよ?買いに行けてないと思うから」


「それなら手作りでも許す」


「何に対しての許すなの」


大福は暁彦の大好物である。やっと何時もの気楽な調子が戻ってきて、なんとも嬉しい気持ちになった。


「大福とおはぎが楽しみだ」


「知らない間に一品追加されてるのはどうして?第一大福作るのも了解してないからね」


「大丈夫。颯なら上手く作れるさ。例え失敗したとしても、食べるのはどうせ私とお前だけだしな。そういう事だからよろしく」


「あっ、ちょっと暁彦……!?」


強引にも颯に約束を取り付け、断られない内にと速足で去っていく。立派に言い逃げをされて、溜め息を付いた。


この分では夕方にもう一度来るだろう。その前に大福とおはぎを作っておかないと。




今日は特に用事は無い。あるとすれば、夕方にまた神社に行って大福とおはぎを食べる位だ。


暇であるというのが良いことなのは、他にやりたい事がある者だけだ。そして暁彦はやりたい事が無かった。その場合、人間はどうなるかというと、無気力になる。


暁彦は大の字になって寝っ転がり、面白味の欠片もない天井を呆然と見つめていた。やることも無ければ、したい事も無い。何をする気にもならない。指一本動かすのでさえ、億劫に思える。


「あーあ!」


無駄に声を出しだからといって、起き上がるのでもなくそのままの格好で横たわって、無意味に時間を消費するばかり。体を動かすのが面倒になった暁彦は、代わりにと頭を動かす。


「結婚……か」


朝、颯と話した内容を思い出した。未だに相手が誰なのかは知らないが、姉が婚約するのは遠くないだろう。その時、ちゃんと笑えるだろうか。いや、笑わないといけない。嬉し泣きは許されても、悲しみからの涙は許されない。


『どっちの君が本当の君自身なの?』


ふと思い浮かんだ言葉に顔をしかめる。あの時は曖昧に誤魔化した。答えたくなかったのではなく、本当は答えられなかったのだ。自分自身、どっちが自分の意思なのか判らない。自問自答を何百回と繰り返しても、こっちだよ、なんて示してはくれない。


どっちも自分だと思う反面、どちらも違うという自分が現れる。いやいや、愛想が良いのが偽りだと先程までの自分を否定して、どっちだって良いじゃないかと自棄になる自分さえ出てくる始末だ。とても手に負えない。


本当の自分はどれか、と叫べば必ず同じ返答をされる。さぁ。そんなの知らないよ。あれだけバラバラな思考を持っているのに、この時ばかり意見が合うのは一体どういうわけか。


そんな時、ふと思うのだ。自分からも見捨てられた己に、価値などあるのか?と。答えは当然皆無で、価値無しと決めつける自身に哀しくなる。価値があると無理矢理肯定してやったところで、そう思い込みたいだけなのだと否定される。堂々巡りで埒が明かない。


趣味を持ち合わせていないからか、こんな自虐的な思考を巡らして泣きそうになっている事に、ほとほと呆れた。なんとも滑稽で馬鹿らしいことか。こういうのを何と言っただろう。


「……そうだ。自業自得と言うんだ」


唇が震えたせいで声まで震えてしまった。情けない。


「はは。笑えるな。滑稽過ぎて笑えてくる」


そう、これは滑稽なんだ。滑稽な姿とは笑えるものだ。だから笑え。泣くな。笑え。笑え。笑え。笑え。


唇を一度引き結んでゆっくり深呼吸をする。口角を上げれば大丈夫。口角さえ上げてしまえば勝ちなのだから。


何が大丈夫で、何に勝つのか意味不明だが、暁彦はそう思うことで落ち着きを取り戻す。


また深呼吸を繰り返し、静かに目を閉じた。暗い闇に落ちていき、暫くして小さな寝息を立て始めるのだ。




お昼過ぎに暁彦は目を覚ました。


ボーとした頭で緩慢な動作で室内を見渡す。日の光のさし方で、お昼を少し過ぎた頃だろうと推測し、欠伸を漏らした。昼を過ぎても誰も起こしに来なかったのを見るに、居ることを忘れられでもしたのだろう。


「少し早めに颯のとこに行って、大福食べよ」


今更、昼食を作ってもらうように頼むのは気が引ける。お腹は空いたが迷惑はあまり掛けたくない。


それにしても暇だ。後の時間を空腹のまま過ごすのは、結構な苦痛である。街に繰り出しても良いが、欲しいものも特に無い。


「暁彦?いるかしら?」


「あっ、はい。どうぞお入り下さい」


鈴を転がす様な声は、聞き間違えることは無い姉の声で、慌てて襟を正して正座した。


「暁彦とお喋りがしたくて」


「姉上なら私は何時でも大歓迎です。今お茶を用意させますね」


嬉しくなって顔が綻ぶ。一度室を出て、廊下を通り掛かった使用人にお茶を持ってくるよう頼んだ。その使用人は、驚いた顔をして仕切りに謝るので、暁彦は笑って大丈夫だと言い、自分に非があると説き伏せた。どうやら本当に居ると思っていなかったらしい。


「姉上、一つ聞いても良いですか?」


「何かしら?」


襖を閉めて、再び居住まいを正す。


「姉上には今、想い人がいるのですか?」


意を決して紡いだ言葉を、亜衣姫は目を丸くして受け止めた。ポカーンとした様子で、動きを止めてしまった姉の顔の前で手を振ってみる。


「えっ!何で?どうして?」


「最近姉上の様子が変だと、颯に相談したら恋煩いだと言われたか……そうなのかと思いまして」


途端に顔を真っ赤にさせ、慌てる亜衣姫はより一層愛らしく見える。顔に手を当て、熱を必死で取ろうとする姿は、確かに恋する乙女だ。


「そっ、そうなの。私、好きな人がいるのよ」


「相手はさぞや幸せ者ですね」


「でも、私の片想いだから……」


恥じらいながら話す亜衣姫は、暁彦が今まで見てきたどの亜衣姫よりも可愛らしい。


「姉上が片想いだなんて……。一体どんな方なのですか?」


「……この前暁彦と出掛けたでしょ?あの後暁彦はお友達と一緒に何処かに行って、危ないからって側にいてくれた方なのだけど」


直ぐに思い出して内心舌打ちする。その人物は『殺す』と宣言してきた、警戒すべき危険人物だ。そんな奴が意中の相手なんて、最悪としか言いようがない。


「とっても優しくて、親切だったわ。歩くのが遅い私なんて迷惑だったでしょうに、歩調を合わせてくれて、申し訳ないと言ったら微笑んで大丈夫と言うの」


「…………そうなんですか」


「笑ったお顔も美しくいらして、ちょっと悪戯気に笑った時はドキドキしてしまったわ。『姫君は合わせられるのが当たり前だろうに、謝るなんて心の優しい方のようだ』って言われて、顔から火が出そうだった」


「…………………………素敵です」


まるで夢物語でも話すかの様に、うっとりとした調子の亜衣姫は暁彦の翳った表情には気付いていない。


話続ける姉に相槌を打つ。なんとか絞り出したが、本音を言えばこれ以上は聞きたくなかった。だが、自分から話を振ってしまった手前、聞きたくないので止めて下さい。なんて言える訳がないし、折角楽しそうに話しているのに中断させて、嫌な思いをさせたくない。


尚も続いていく話に胸が張り裂けそうだ。


(私の邪魔をして、姉上まで奪って!)


腹の中に潜む怪物が暴れだそうとしている。その怪物を押さえ付ける為に笑顔を作って、けれども詰りながら話を一方的に聞いていた。


「ごめんなさい姉上。今日はそろそろ、颯に会いに行くんです」


「ごめんね。私ばかりが喋ってしまって。気を付けて行ってくるのよ?」


とうとう堪えきれなくなって、終わりの合図をする。まだ少し夕方には早いが、別に構わないだろう。完成していなかったら手伝えばいいだけの話だ。


「はい。ご心配痛み入ります」


もう無理だ。これ以上聞くと気が触れてしまいそうたった。途中からは笑えと何度も命令しなければ、暴れまわって障子や襖、調度品等を全て壊していただろう。


微笑みを残して部屋を出る。大分離れた所まで来ると、一気に駆け出した。早く颯の所に行こう。


あいつなら機嫌が悪くても許してくれる。しょうがないと言いながら、冷静になるまでそっとしておいてくれる。


「颯!」


長い階段を駆け上がり、真っ先に親友の名を呼んだ。


「夕方には早すぎない?」


「手伝おうと思ったんだ」


割烹着という、見慣れない姿に新鮮さを感じる。虫の居所が悪くて、ぶっきらぼうに投げ遣りに言ってしまったのに、颯は嫌な顔をする処か逆に微笑んだ。


促され縁側に座る。割烹着姿であったが、大福とおはぎは完成していたらしい。流石だ。


「あっ、刹那と和夜も一緒にどう?」


「え…………」


知った名前を聞いて、反射的に手が止まる。不安に駆られながら目を上げる。


廊下からやって来た二人を見て、一瞬心臓が止まった。


何か、大事な大事な何かが壊れる音がする。目の前の景色が色褪せていく。


「暁彦と和夜は友達なんだって?」


「あ……ああ」


トモダチ?誰が誰の?


ドクドクと全身が脈打つ音が耳の側でする。心臓を鷲掴みされたように胸が痛い。


「私以外の友達がいてくれて安心した。二人共良い人だよね」


「褒めてもらっても、何も出ないよ?」


(私の邪魔をして、姉上を私から取り上げて、挙げ句に唯一無二の親友も私から奪うのかこの男は……!)


沸騰していく血液が、全身を駆け巡って怒りを増幅させた。押さえようが無い程の怒りが身を焦がす。


(今、此処で殺してしまおうか!)


愚かな行動をしてしまう一歩手前で、なんとか理性が働いて踏みとどまる。


駄目だ。もし殺してしまったら、颯に迷惑が掛かる。颯に嫌われてしまう。だから殺すのは駄目だ。


こんな時どうすれば良いのかは、自分が一番解っている。大丈夫、大丈夫。まだ我慢できる。まだ冷静になれる。まだ笑える。だから大丈夫。感情全部を黒く黒く塗り潰して、真っ暗で光の無い闇へと沈めてしまえば良い。


ゆっくりと吸って吐いてを繰り返す。口角を無理に引き上げて笑った。


「颯以外に友達位いる。割と仲は良いぞ?そういう颯と二人は、いつの間に友達になったんだ?」


「つい最近かな。貴重なお茶飲み友達だよ」


愛想笑いに世間話は慣れている。寧ろ得意分野だ。声も震えていなければ、表情も自然な笑顔を浮かべられていることだろう。


おはぎの味が解らない。好物の大福の味さえ認識出来ない。味のしない物体を、味のしない液体で流し込んで、冗談で本音が漏れそうなのを誤魔化す。


唯一の拠り所で安らぎの場だった此処が、こんなに簡単に苦痛の場に変わる。速く終われ。速く、速く、速く、速く、速く、速く、速く、速く、速く。


「じゃあそろそろ帰るよ。美味しかった。ご馳走さま」


辛抱強く二人が帰るのを待ったが、中々帰らないので先に帰ることにした。これ以上は自分がもたない。見えない黒い靄のようなものが、体にまとわり付いて心を蝕んでいく中、虚ろな表情をして帰路に着く。


「只今戻りました」


帰ったと言っても、誰かが出迎えてくれる訳でもない。静かな空間に胸が痛くなって、速足で自室に向かった。


腹立たしいのと悲しいのが、ごちゃ混ぜになって感情の整理がつかない。


暁彦は口を両手で押さえた。嗚咽を極力漏れない様にしようとするの行為だ。堰を切った様に涙が溢れる。大粒の滴はボタボタと畳に落ちた。咄嗟に目を腕で拭って押さえ付ける。それ以上は畳を汚さないように。


あの刹那という男が憎くて、憎くて仕方がない。あんな奴いなくなれば良いんだ。彼奴のせいで、彼奴のせいで!友人に家族。居場所に存在意義すら奪った、あの男が赦せない。


「…………死ねよ……!」


詰まった声と一緒に吐き出された、憎悪の籠った呪いの言葉。彼奴さえいなければ、彼奴さえいなければ!!


「……うっ、……………」


あの男さえいなければ、自分は幸せになれる。今まで通りに。だが果たしてそれは本当だろうか。


「なれない…………。私は一生幸せになんか……なれない」


そうだ。なれない。なれる訳がない。


もしもあの男がいなくなったら、姉上も颯も哀しむだろう。そこで喜びでもしようものなら、確実に嫌われる。まして殺しでもしたら、その報酬は冷たい眼差しと軽蔑の念だ。


「姉上に嫌われたら、生きていけない」


暁彦にとって姉の存在は、大きなものであり無くてはならないものだ。それこそ生きてはいけないほどに。


「暁彦様、國尋(くにひろ)様が御呼びです」


父親からの呼び出しに、ビクリと肩が跳ねる。目元を袖で拭って、震える口の端を釣り上げた。


「今参ります」


鏡で自分の姿を確認する。幸いにも目は赤くなっていので、泣いていことはバレないだろう。理由をとやかく聞かれるのは、気分が悪い。


「父上、参上致しました」


「入りなさい」


襖の前でかしこまる。中から聴こえた声が、あまりに不機嫌そうで身がすくんだ。


「ッ!」


襖を開けた途端に、投げ付けられた湯飲み。反射で顔を手で守り、当たるのを防いだ。中は空で、運の良いことに火傷はせずに済む。


湯飲みを拾って、部屋の中程で座る。相当機嫌が悪い。怒鳴られる事になるだろうと、ひっそり溜め息を付いた。


「何故亜衣がいないのだ!」


大声で言われた内容に驚く。姉が外に出ることは多くなく、この時間帯はだいたい城内にいる。


「……申し訳ありません父上。私は存じ上げません」


「嘘を申すな!」


間髪入れず否定され、拳を握る。


「本当です。姉上がいないのも、今知りました」


「城仕えの者達に聞いたが、誰も知らないのだ。大方貴様が外に出させたのだろう!?」


通りで決め付けられる訳だ。私なら誰にも見付かることなく、外に出すことが出来ると。


「違います!私はその様なことはしておりません!」


「まだ言うか!黙れ!」


今度は茶の入った急須が投げられ、それを諸に頭で受けてしまう。避けようと思えば避けられたが、そうしてしまうと更に機嫌は悪化しそうだった。的中したことで、幾分かすっきりした様で息を付く。


ポタポタと髪からお茶が滴って、畳を変色させていく。少しばかり冷めたお茶だからと言えど、人間の弱い皮膚を火傷させるには充分な熱さだった。顔が痛いが、それを訴えるわけにもいかない状況。


「まぁ良い。お前の話を信じよう。その代わり、今から亜衣を探して連れ帰りなさい」


「はい」


逆らうことなく了承して、湯飲みと急須を手に自室へと向かった。適当に頭と顔を袖で拭って、刀を差した。火傷の手当てをしている暇は無い。


いつ居なくなったのか、何処に向かったのかも解らないが、探すしかない。城の様子から部屋が荒らされているという訳でもなさそうだし、いるとすれば城下だろう。


無数の提灯に火が入り、街は昼間よりも一層綺麗だ。色々なところで、姉を見なかったか尋ねる。姉である亜衣姫は、関東で一番美しい姫として知られているから、物凄い美人と聞けばいい。


探し歩いて一刻が経った頃だろうか。唐突に、何の前触れもなく探し人は見つかった。


「姉上!」


フワリと髪が揺れて振り向く姿は、下町には場違い過ぎる優雅さだ。


「……刹那」


こんなところで会うとは思わなかった。憎き男が姉と目の前にいる。


その繋がれた刹那の手を叩き落として、走って逃げてしまいたい。それで泣いてしまう姉を抱き締めて、「何処にもいかないで。私だけの姉上でいて」と、幼い子供の様に我儘を押し付けてしまいたい。けれど――――


「姉上が居なくなったと知って探しました。出歩く時はせめて一言位は言ってください。心配します」


私は疎ましく思われたくないから、嫌われたくないから良い子を気取る。


「その様子では、私はお邪魔のようですね。父上には上手く言っておきますから、楽しんできて下さい」


姉の為にと殺したい程憎い男にも、良い顔をする自分が滑稽でならない。


「ありがとう」


私に贈られた礼の言葉だけで、頑張ろうと思える。あの父親に会うのでさえ辛いが、なんとか話を付けようと。


「……行こうか」


そろそろ良いだろうと、刹那が姉の手を引く。幸せそうに笑う亜衣姫の瞳には、既に暁彦は映っていなかった。暁彦に会ったことなど、ありはしなかったかの様に。


「…………は。ははは。そうだよな。折角の逢い引きに、私の事なんてどうだっていいよな」


笑ってみたものの、気分は一向に晴れない。好きな人と弟じゃあ、好きな人を優先させるのは当然だ。


「当たり前なんだから、泣くことないよ」


唇を強く噛みながら、自分に言い聞かせてなんとか涙を止める。悲しくて悔しくて、どうしようもない感情を怒りで納めて、その矛先を刹那へ向けた。


あの男さえいなければ、自分がこんな思いをすることは無かったし、父親にあれ程怒られることも無かった。


暁彦はおもむろに夜空を見上げると、フフッと楽しげに笑った。蝶を見つけて喜ぶ子供の様に、単純で純粋な笑顔は状況を鑑みると異常過ぎる。


ふらふらと覚束ない足取りで、城とは反対の方向へと歩いていく。


(まだ時間には早いけど、待ち伏せするのも悪くない……)


本音を言えば、城には帰りたくない。けれど帰らなければ、何をしていたのか問われることになる。姉を探していたと言えば、それは本当だが嘘になり、自分の首を絞めてしまう。帰りもせず、殴られもしない方法が一つだけあった。―――妖怪退治だ。


確かに父親の逆鱗に触れることは無いが、良い顔をしないのも事実だ。だが、暁彦は多くの大人や大名達から評判が良い。『江戸の平和を護っている』と。だから他所では『自慢の息子です』と嘯くのだ。暁彦が妖怪退治を止めてしまったら、他所に良い顔は出来ない。その点において、二人の利害は一致していた。


暁彦は歪んだ笑みを顔に浮かべ、目的の場所を目指す。それを、鋭い目付きで睨む者がいるとも知らずに……。





刹那と分かれて少しした頃、最近よく顔を会わせる事の多い人物を見掛けて声を掛けようとしたが辞めた。その代わりに後を付けることに決める。


「成る程ね。こっちが本物か」


笑っている暁彦を異様な状態と判断し、二割は情報を掴むために、残りは好奇心から気付かれない様に後を追う。


この前捕まえた妖怪だが、大して力が無かったからか信頼が無かったからか、主犯格の鬼の居場所を知らなかった上に、次の襲撃場所すら知らなかった。つまり、完全に振り出しに戻ってしまったという訳だ。


様子見をしていたが、途中からは圧倒されてしまっていて、止めるのを忘れてしまっていた。


走り抜刀した暁彦は少しの躊躇も無く一刀両断にし、次から次へと切り伏せて見せ。血が顔に飛び散ろうとも、厭うこと無く淡々と。

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