七話目 客:お帰り願います
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揉め事処理屋の皆様へ
毎日暑い日が続きますが、皆様は元気にお過ごしでしょうか。私は芸を磨く今日この頃です。
さて、今年もこの季節がやってまいりました。そこで今回は皆様にお力添えをお願いしたく、手紙を送らせていただいた所存です。
どうか、色好いお返事を頂けることをお願い申し上げます。
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という手紙を三人で読み上げ、持っていた清が即座に破り捨てた。それを誰も止めないのは、他二人も同様の気持ちだったからだ。
「ふざけんなよ!夏場はこっちだって忙しいんだって!貴重な稼ぎ時で、毎日毎日死ぬ程働いてんのにお前の面倒まで見切れるか!」
「今年もこの季節って、各地回って夏以外のお祭りに全参加してるよね」
「ですよね。彼が持ち込む揉め事なんて、自力で解決出来る事柄ばかりですし……」
清、諮梛、曖寿の順番に揃いも揃って文句を垂れる光景は、中々見られない珍しいものだ。
「この無駄に丁寧な書き方が尚更ムカつくよな!」
清の発言に二人共頷き、ピヨ子は首を傾げた。
毎年と言っても、送られてくる手紙は一年に夏の一度だけではない。秋と春にも同様の手紙が送られてくる。そして必ず返事は返さないのが通例だ。
破り捨てた手紙をごみ箱に投げ入れて、さも面倒そうに家を出る三人。寝不足が連日続いて、疲れが溜まりに溜まっているからである。
妖怪の多くは祭りを好む。何処かで誰かしらが企画を催し、毎日の様に祭りは行われていた。祭りというものは、多くの者達が集まる場所だ。故に騒動が起こるのは当たり前。喧嘩が勃発するのも当たり前。そう、だから稼ぎ時なのだ。
「今日は神社のお祭りですよね?」
曖寿の確認に首肯だけして溜め息を付く。
「祭りの屋台も飽きてきた」
最初は気持ちも高ぶり興奮して、祭りを楽しんでいたのだが、既に十日以上も続けば飽きもする。
重い足取りで歩く三人の顔は暗い。
「よってらっしゃい、見てらっしゃい!稀代の大道芸師、惟兎が今年もやって来たよ!」
客を呼ぶ声と名前には聞き覚えがあった。驚きのあまり、三人は同時に顔を向ける。予想を裏切ってくれなかった現実に、苦々しく表情筋を引きつらせて逃げる様に駆け出した。事実逃げていた。
「神出鬼没にも程がある!」
幸いにも今回の祭りは規模が大きく、それに比例して開催の範囲も広い。離れてしまえば見付かることは無いだろう。
「ハァ、ハァ……………しかし困りましたね。迂闊に動き回れない」
「ハァ、ハァ、ハァ………だっ大丈夫だろ。彼奴は今芸を見せてんだから、今日は一先ず安心だぜ」
息も切れ切れに話す二人は鬼気迫っていて、事情を知らぬ者が見たら怖がられそうだ。
「取り敢えず喧嘩があったら仲裁して、依頼があったら話を聞いて引き受ける。で、良いよな?」
「うん。喧嘩の仲裁役は清と曖寿で、他は三人ね。清は美人がいても声を掛けないこと」
「わーてるよ」
煩わしそうに手を振って、諮梛の忠告を半分聞き流す。清は先の仕事―――――華島邸での下働き―――――で当主を初め、その側近に懐刀の美雪等、男女問わず美形を見すぎたお陰で、一般的な美人が美人に見えなくなってしまったのである。
仕事内容を確認した上で、三人はバラバラに分かれて客を探すことにした。
「………………。ヒトチガイデス」
棒読みの片言口調で言う清は、それは見事に表情を無くした無表情だ。
訳は至極簡単。大道芸をしているべき奴が、何故なのか目の前にいて笑っているから。大道芸だけでなく、奇術でも身に付けたのだろうか、と疑いたくなる程に解せない。
二人と分かれた清は、喧嘩の仲裁を一つこなし、周りの出店している何人かから、少ないが感謝としてお金をありがたく頂戴した。それから少しぶらぶらと歩いて、喧嘩を止めて欲しいとの依頼が来たから、本日二件目の喧嘩騒動を収めた。
そこまで順調に仕事をこなしてたのに、何でこの男が出てくる訳?
「手紙読んでくれた?」
「マジで人違いなんで、他を当たってください。貴方とは初対面です」
到底通じる筈もない嘘を付いてみる。馬鹿げていると解っていても、気持ち的に嘘を付いた。
「何でそんな、死んだ魚みたいな目をしてる訳?俺に会えて嬉しかったんだね」
「断じて違うから」
半目で否定しているにも拘わらず、どうしてこうも明るく振る舞っていられるのか理解出来ない。違うな。理解したくもない。
「さっき諮梛君にも会ったんだけどさ、脱兎の如く逃げていくから見失っちゃった」
何だろう。避けられていることを知っていながら、この自覚の無さは。何処までも自己中心的な男だ。
「またしょうもない、賭け事でもしたんだろ?絶対に手は貸さないからな」
「残念でしたー。今回は違います」
「へー。その喋り方止めろ。殴りたくなる」
残念なのはこっちじゃなくて、そっちだ。勿体ぶって聞かれるのを狙ったみたいだが、生憎興味は一欠片もない。
「取り敢えず、俺の芸でも観てってよ」
「遠慮します。忙しいんで」
これ以上面倒な事になる前にと、背を向けてさっさと歩き出す。人混みの中に紛れてしまえば、惟兎いえど簡単には追って来れないだろう。
「…………何だよこの手は」
肩をがっしり掴むタコだらけの手は、一向に放す素振りがない。
「待ってよ。一緒に観ようよ」
「は?」
何を。一緒にと言う位だから、惟兎の芸を観ろという訳ではなさそうだ。
そのまま肩を引っ張られて、来ていた浴衣がはだけそうになったので、仕方無いから大人しく付いていく。衆目の前で裸にだけはなりたくない。
中心を大きく開けた形で、円状になっているのを押し分けて、最前列まで出て行き顔を覗かせる。
「すげぇー」
思わず漏れ出た感嘆の呟き。
派手な衣装を身に纏った女性は、軽やかに踊る。真っ赤に唸る火の間を三つの玉を手にしながら、彼女は笑顔で舞い続ける姿に魅せられた。
炎の赤にも負けない、紅蓮を身に纏う彼女は妖怪より、妖精の方がしっくり来る。腕を少し振っただけでも、長い袖はフワリと浮く様に動く。それはまるで、妖精の軽く透き通る羽だ。
軽やかに踊っていたと思えば、いつの間にか力強い動きに変わっており、かと思えば優雅なものにと、どんどん変化していた。表情もそれに連動して、優美なものから妖艶に。そして可憐な少女の様に。
「……………あの位………………………俺だって出来るし」
悔しげに紡がれた言葉は、清の耳には届かない。清の目は、芸を披露する彼女に釘付けで、惟兎の事など気にしてもいなかった。
やがて彼女は動きを止めて、膝を折って深く頭を下げる。どうやら終わりらしい。拍手喝采を浴びながら、手を振って大きな布を前に広げた。
清も他の客と一緒になって、銅貨を投げる。
素晴らしかった。ただその一言に限る。それ以上、どんなに言葉を並べても、到底表現出来ない。
「ねぇ、もう行こ」
「まだ拍手の途中」
「良いじゃん、行こうよ。別に大したことなかった」
惟兎の芸は観に来ないくせに、他の大道芸人に拍手を贈られ、悔しかったのだ。要は、彼女に嫉妬したのである。
感情に流されてしまった惟兎は、言ってはいけないことを口にしてしまったのだ。
「大したことないですって?」
「え?」
惟兎の言葉を聞いて、ピクリと反応した大道芸人の女性は、眉を吊り上げていて、怒っているのは明白だった。
聴かれているとは露程にも思っていなかった惟兎は、半ば驚いて振り返る。
「あら貴方…………。確か各地を飛び回ってる、って噂の惟兎さんじゃなくて?」
「はい。そうです」
噂になる程には有名なのかと、清より背の高い惟兎の顔を仰ぎ見た。
「この『西の天女』と名高い私に、喧嘩を売るとは良い度胸ね。買ってあげるわ」
『西の天女』。清は勿論、諮梛と曖寿も噂は良く耳にしていた。長い衣を纏って踊る姿は、天女の様に美しいと。実際に目にした清は、それに納得している。
「お待ちなさい。その騒動、哉浦家の当主たる私が買い取ります」
突然の第三者の乱入に、周りからもざわめきが起こる。清はといえば、口をあんぐりと大きく開けて、アホ面を晒していた。
「勝負は一週間後の、哉浦家の屋敷で行います。審査の程は、鬼族の七家の当主、七人で如何でしょうか?」
良く通る声は、どんどん計画を進めていく。
「私はその話に乗ったわ」
「俺も異論は無い」
「では一週間後を楽しみにしています。詳細は此方から、後日連絡を差し上げますね」
何故だか見事に話がまとまった。
「ところで処理屋さん。美雪ちゃんを知らない?」
「…………知りません」
残念だと笑った哉浦家当主は、予想に反して少女だった。と言っても、見た目が少女というだけで実年齢を知らないから、一概に少女と判断してはいけない。
和夜が当主の華島家や、美雪の婚約相手だった関ヶ峰家の当主と、同じ鬼の一族を統括する七家の一つが哉浦家である。
哉浦家の当主はあまり表には出てこないから、どんな鬼が当主なのかも知られていない。まぁ、今知ったんだけど。
そんな相手が『揉め事処理屋』の存在を知っているとは、思いもよらなかった。
「私、哉浦鈴と申します」
「えっと……。『揉め事処理屋』の清です。以後よろしくお願いします」
浴衣の小花に負けない位、可愛らしく微笑んで握手を求められ、若干照れながら細く白い手を握り返す。
その時、正体不明の違和感を持ったが、すぐに霧散したから気にしない。惟兎は自己紹介も済ませて、何やら二人で話し込み始めた。
「清じゃないか。そんなところで、どうした?」
肩を後ろからポンッと叩かれ振り返る。よく知る憧れの人の姿がそこにあって、会えるとは思っていなかった清は、嬉しさに顔を満面の笑みに変える。
「美雪姐さん!」
「げっ!」
歓喜を込めた声で名前を呼んだ。だが、呼ばれた本人は聞いたことが無い程の、嫌そうな声を出して顔を苦々しく歪める。
………………………何故?
ちょっとばかし背の高い、美雪の顔を見上げる。目線を辿った先は、さっき知り合ったばかりの鈴を捉えていて、原因が自分じゃなかった事に安堵すると同時に、理解出来ない疑問が浮かぶ。第一印象としては、全然嫌な感じがしなかったのに。
「美雪ちゃん!!」
鈴は惟兎と話が終わったようで、美雪を見留めるや否や、勢いよく飛び付いた。それには清も惟兎も驚きを隠せず、失礼とは思いながら呆然と見つめてしまう。
「こら!放せ!」
イライラとした美雪の声にも負けること無く、引っ付いたまま一向に放れない鈴。美雪のドスの効いた声にもめげず、嬉しそうに笑っている様は、ある意味勇者に見えなくもない。
「最近美雪ちゃんに会えなくて、凄く寂しかったんだから」
「安心しろ。私は全く寂しくない」
「そんな事言わないでよ。悲しくなる」
嫌がられているのに、鈴はお構い無しにくっついたまま。美雪に頭を押されていても関係無く、語尾全てにハートマークが付きそうな口調で喋る。
こんなにイラついた美雪を見るのは初めてだ。おまけに言うなら、女性への扱いがここまで乱暴なのも初めて見る。
「美雪姐さんの友達?」
よく分からない二人の関係性に、一番当たり障りの無い疑問文を投げ掛けてみた。
「断じて違う」
「んー。友達以上、恋人未満?」
美雪からの即座の回答を聞いているにも拘わらず、あっさりと友達だと主張して、これまたあっさりと自分が女性同性愛者と暴露した。
二人の百八十度違う会見を聞いて、清の頭はいよいよ混乱を極める。最終的には美雪の方を信じて、友達ではないと決定させた。
その後は美雪が鈴をどうにか剥がそうとしたが、これがどうにも剥がれない。仕方ないと、最終的には鈴を半ば引き摺るようにして四人で歩く。折角の綺麗な浴衣が汚れてしまいそうで、気になってチラチラと見てしまう。
途中何度も奇怪なものの様に見られたが、気にしちゃ駄目だと前を向く。だって本当に奇怪だから反論できない。
「曖寿、久し振りだな」
美雪が軽く手を上げて曖寿に笑いかける。ペコリと挨拶をした曖寿は、頭を上げた途端に目が点になっていた。
「え?………え?」
「こいつの事は気にするな。ただのデカイ荷物だから」
気にするなと言われた方が無理だと思うが、そこは流石の適応力で。ニッコリと笑って了承の意を示して早速鈴を視界から外した。
「美雪姐さんも来てたんですね。…………それから惟兎も」
げんなりとした顔をしているが、それは清も同じだ。寧ろ曖寿よりも長い時間一緒にいたのだから、心のダメージは清の方が数段上である。こうなったら諮梛にも精神にダメージを負ってもらわないと不平等だ。
ヒュードーン!
大気に響く聞き馴染んだ音が耳に入る。
「………もう、お開きの時間みたいですね」
祭りの最後に打ち上げられる花火。夜空に咲くのは金色をした大輪の華だ。夏なのに綺麗に澄んだ空は、煌々と星が輝き花火と合わさったそれはとても芸術的だと思う。
何度となく見てきたけど、それでも飽きない幻想的な光景に目を奪われて、帰るときには気分もすっかり良くなっていた。
「―――――なのに!」
我が家の大事な壁に思わず拳を叩き付ける。
「何で付いてきてる!」
「何でいるわけ!?」
見事な程に被った言葉。幸か不幸か調度家の前に居合わせた諮梛は、通常なら中々見られない形相で睨んでいる。
「ん?」
「すっとぼけてんじゃねぇーよ!何が、ん?だ。綺麗な花火を見て折角気分良かったのに、お前のせいで全部台無し!約一名変なのと出くわしたけど、それすら忘れて良い思い出になったのに何でイラン奴が、ちゃっかり憩の場である我が家に上がり込んでんの!?一瞬にして寛ぎと癒しの場所が失われたんですけど!責任とれ!」
機関銃の如く捲し立てた。いつも笑顔の曖寿でさえもが、今ばかりは眉間に縦皺を作っている。
「つう訳で!」
ビシッと音がしそうな勢いで、人差し指で引き戸を差す。
「さっさと帰れ!!」
「早く帰って!!」
「帰って下さい!!」
上から清、諮梛、曖寿の順で一斉に言い放った。勿論招かれざる客である、不法侵入者の惟兎を睨み付けて。
だが、それを気にしないのが、この男の厄介たる所以だ。
「何ー?被っちゃってて良く分からなかったんだけど、帰ってほしくないってこと?」
甘かった。この男は、自分の都合の良いことしか聞き取れない耳をお持ちだった。しかも便利なことに、都合の悪かったものは自動で良いように変換するという、高性能な技能を備えているのだ。
「ねぇ俺、一応お客さんだよ?」
「違う!」
「じゃあ依頼は断るから」
「お帰り願います」
惟兎の冗談にしたいが冗談じゃない発言に、三人で有無を言わさず猛攻撃を仕掛ける。
「哉浦家での宴で、水芸をやりたいと思ってるんだけど、それがまだ完成してなくてさ。だから稽古に付き合ってくれない?」
「は?そんなの嫌に決まって――――うぐっ!」
嫌に決まってんだろ。そう続けたかったのに、曖寿が清の口を手で押さえたせいで、発言にまでは至らなかった。もぐようにして曖寿の手を剥ぎ取り、何をすると抗議をの声を上げる。
「この依頼、承けない訳にはいきません。お呼ばれした宴でポカやられたら、恥をかくのは僕達もです。招待された理由には多分ですけど、『揉め事処理屋』と顔見知りだったのも大きいと思います。成功してもらわないと、今後の信用と売り上げに関わってくるんですから」
つまり、嫌々でも仕方無くやれと。背に腹は変えられないということか。惟兎も抜け目の無い奴だ。
「え?そうなの?やっぱり三人は凄いね」
………………。
抜け目無い、とか思った数秒前の自分を殴ってやりたい。
何も分かっていないままに、依頼してきた能天気さと、何処までも変わらない自己中心的な価値観に腹が立つ。……計画性のあるものだったとしても腹が立つな。
こうして始まってしまった不本意な七日間。芸の稽古は曖寿が担当し、清は生活面での面倒を見、諮梛は本番当日に合わせて装飾品の準備をしていった。
宴当日。宴会は夕方から夜中に掛けて行われるが、準備の為に『揉め事処理屋』一行+惟兎は、まだ日差しの強い昼間から哉浦家に脚を運んでいた。
「凄い!」
着くや否や真っ先に口を開いたのは清で、あまりにも大掛かりな会場に歓声を上げざる負えない。
予め教えられていた屋敷に着き、立派な門を潜ればそこはまるで都の様だった。物と妖怪達が大半を締めた庭は、庭なんて言って良いのかと思う程に広過ぎる。
華島家の屋敷も庭も、哉浦家同様大きいものだったがあちらはきっちりと整備されており、枯れ枝山水等の造型美が目立っていたが、対して哉浦家の場合は、庭という概念ごと取り払ってしまったかの様に自由だ。
広大な池には二艘の小舟が浮かべてある。その周りには多くの屋台。奥にとてつもなくデカイ舞台が設置され、既に大勢の楽士が練習していて本当に個人が開く祭りなのかと疑いたい。
「緊張してないの?」
あまりに静かな惟兎を不審に思って、訝しげに諮梛が尋ねる。それに笑って「全然」と応える惟兎。
果たしてこれはどちらなのだろう。大物だからか。それともただ単に鈍感過ぎるだけなのか。三人全員一致で後者だと思う。
「いたいた!惟兎さんはこちらにいらして下さい」
出演者の受付を済ませようと、それらしき所を探しているのだがこの広さだ。中々見付けるに至らない。そんな時、救いの声を掛けてくれた人物がいた。
「鈴さん。こんにちは。僕達まで呼んでくれてありがとうございます」
「いえいえ。美雪ちゃんと和君も是非って言ってたから」
「かずくん?」
「華島家当主の華島和夜君のことです。可笑しいですか?」
社会では礼儀が大切。相手に先を越される前に挨拶を済ます。すると思ってもみなかった二人の登場に驚かされるも、『和君』という愛称に直ぐに反応した。
綺麗な微笑みを浮かべ、一見優しそうに見えるも中身は全くの別である、あの腹に一物も二物も、いや三十物位ありそうな華島家当主が、まさか『和君』だなんて呼ばれていようとは。これは相当良いことを聞いたかもしれない。
「全然可笑しくないです。仲が良ろしいんですか?」
「はい。和君とは昔からの付き合いで、これでも旧知の仲です」
そう言ってニコッと笑う鈴は可愛いらしく可憐だ。当主同士、きっと仲が良いのだろう。
「ねぇ、その『和君』って呼ぶの止めてくれる?不愉快極まりないから」
言葉通りの不愉快そうな声音と共に姿を現したのは、『和君』こと華島和夜である。端整な顔をしているだけに、歪められた顔は辺りの空気まで凍らせた。
「げっ」
この場には些か不似合いな短い呻き声が聴こえ、和夜の後ろへと視線を向ける。案の定、いたのは美雪だったがその表情は苦々しい。
「美雪ちゃん!来てくれてありがとう!」
猛烈な勢いで抱き付く鈴に、美雪はされるがままになっていた。何故なら両手には大量の荷物を抱えているからだ。抵抗しようにも出来ないのだろう。
「和夜!テメェいい加減にしろ!自分で買ったものぐらい持てよ!」
ああ、成る程。和夜の荷物持ちにされているのか。弱味でも握られているんだろうな、と思うと同情する。その証拠に和夜が振り返って微笑んだだけで、急に美雪が静かになってしまった。
「こんにちは。ちゃんと顔を合わせるのは、これが初めてでしたね」
穏やかな雰囲気を醸し出す男は、少し幼い顔立ちだが、とても中性的で美しく整っている。たしか和夜の側近という立場だった筈。屋敷で何度も見掛けたが、いつも忙しそうに早足だったから話すのも今回が初めてだ。
「こんにちは。以前は大変お世話になりました。きちんとご挨拶出来なくてすみませんでした」
何度も言うようだけど、挨拶は社会人の基本。曖寿が代表して挨拶をし、諮梛と二人で頭を下げる。
「お前らも何か買ってきたらどうだ?食べながら芸を観るのが、ここでは醍醐味ってもんだし、貴族の宴の癖して大衆向けだから気に入ると思うぞ?」
美雪の薦めで両手の荷物に納得した。
「じゃあ美雪姐さんと一緒に観れたりする!?」
「あはは残念。美雪は荷物持ち係として、僕と優と一緒に華島家の者として参列することになってるから、君達には貸し出し不可です」
嬉しさのあまり勢い付いて言った清に対して、和夜が無情にもバッサリと断りを入れる。
「ふざけんな!私は荷物持ちでもなければ、物でもない!」
和夜の物言いに腹を立てた美雪が言い返すが、本人は何処吹く風で意味はない。彼女の言っていることは正論の筈なのに、無力な反抗にしか見えないから不憫過ぎると思う。
「じゃあね。僕等は審査員席に行くから」
「今度はゆっくりお話ししましょうね」
「じゃあな。目一杯楽しめよ」
上から和夜、優、美雪の順で別れの挨拶を済ませた。鈴も用事があると言うので此処で別れ、今は食料調達を三人でしている所だ。
興味のそそられる物を求めて、心の赴くままに脚を動かしたり止めたりする。
大衆向けと言った通り、屋台に並ぶ食べ物は高級な物は殆ど無く、どれも良く目にする物ばかりだ。売り手の方も気取った様子はなく景気の良い客寄せをしている。慣れ親しんだ庶民の雰囲気だから気負うこともなくて居心地が良い。
ブラブラと探索をして、再び舞台前へと戻ってくると既にそこは大勢の妖怪達が場所取りをしていた。
「凄い数だな」
「『西の天女』の名は伊達じゃないんだよ」
ここにいる大半は『西の天女』の出演を聞き付けてやって来たのだろう。そう思うと、不本意ながら惟兎を応援したくなった。
「あっ、どうやら始まるみたいですよ?」
ゴーン、ゴーンと銅鑼の鐘が鳴って、開演を報せる音が響く。
まずは吟遊詩人が出て来て一つの物語を語る。年寄りから子供まで、誰でも知っている蛇神様の英雄譚を披露し拍手喝采を浴びた。ドラマチックに壮大に語られるそれは、聞いている者を物語の中に引き込んだ。
続いては、一つ目の落語で大いに笑った。滑稽な話は身近で共感できる。
次から次へと芸が披露され、夜は更けていった。松明があちらこちらに点くようになると、観客の方の興奮と熱気は最高潮まで達する。
「さあいよいよお待ちかね!今回の大トリの出番だよ!先攻は『西の天女』からだ!」
紫色の口が三つもある妖怪がアナウンスをする。口が三つもある分、声量は中々のもので会場全体にまで行き渡った。
「ありゃりゃ。これは惟兎さんは不利ですね」
曖寿の言葉に無言で頷く。『西の天女』に対して惟兎は知名度が低いし、舞で盛り上がった後の水芸では、幾らか見劣りするのも否めない。
高く鋭い笛の音で、浮かび上がる様に登場する。前回とは反対に、真っ白な衣装を身に纏った彼女は小さいステップを軽やかに踏む。
「え?」
白い羽の様な裾の周りに、澄んだ水がクルクルと回っている。彼女がスッと手を翳すと、弾けるように水が飛んでいく。
「これって…………」
曖寿が漏らした呟きは、誰の耳にも捉えられることはない。
笛の音の次に三味線と和太鼓の演奏も入り、踊りは力強く妖艶なものに変わる。それに合わせて水柱が何本も上がり、舞台を縦横無尽に躍り狂う。
水柱は巨大な龍の形に姿を変えた。この場は壮大な世界に変わり、聖なる神殿へと様変わりする。
その様は天女が水を操り踊っているようで、綺麗、美しい、見事、素晴らしい。称賛の言葉は幾つも思い浮かぶが、どれも口にしてしまえばこの夢の場が穢れて壊れてしまいそうな、そんな感覚に陥った。
目を奪われてからどの位が経っただろう。いつの間にか演奏の音が止んでいて、代わりに拍手と歓声が鳴り響く。笑顔で手を振る彼女は、一度後ろに戻ると一人の人物を連れてきた。
「は?」
「へ?」
諮梛と清は思わず間抜けな声を上げたが、驚き唖然とした者はこの場に数多くいるだろう。いや、殆どが唖然とした筈だ。
「皆さん!聞いてください!私の舞台の演出をしてくれている者が、本日急遽来れなくなってしまったのですが、此処にいる大道芸師の惟兎さんがカバーしてくれました!」
一緒に出てきたのは対戦相手である惟兎だった。
「本日披露する予定であった水芸を、彼は私の舞に見事合わせて披露してくれました。この素晴らしい腕前と、堂々とした強い精神に私は感謝と敬意を込めて、誠に勝手ながら宣言いたします!」
更に驚くことに、敵視されていた惟兎は彼女に褒め称えられている。これは一体どういうことなのだ。
「この勝負、私の負けです!完敗です!どうか、素晴らしい水芸を見せてくれた惟兎さんに、盛大な拍手を!」
じゃあ、あの細かく美しい水の数々や、豪快な水柱に、迫力満点の水の龍は全て惟兎の水芸であったというのか。あんな、あんな凄いものを惟兎が…………。
清も諮梛も口をあんぐりさせ、場に呑まれて拍手を贈る。周りは大興奮で、腕がもげんばかりに拍手するものだから、正直引いた。
「予定を変更致します!この後の惟兎さんの芸は無くなります!ですがその分宴は半刻(1時間)延長致します」
鈴が壇上に出て来て、声を張り上げる。
それから少しして漸く落ち着き、皆出店の方へと行ってしまったあと、鈴と惟兎と『西の天女』が壇上から下りて駆け寄ってきた。
「……ごめん惟兎。お前のこと見くびってた。知らなかったけど凄い奴だったんだな」
「ごめん。今日の凄かった」
誰が口を開くよりも前に、清と諮梛が揃って謝罪を告げる。
「ううん。別に良いよ。でも俺としては、また身に来て欲しいかな。見に来てくれる?」
「行く」
嬉しそうに笑った惟兎に清が即答するものだから、尚一層破顔して笑った。
「ねぇ惟兎。私と一緒に各地を廻らない?」
興奮覚めやらない様子で尋ねられ、一歩後退する。目を泳がせる姿を見れば、断りたいのだろうというのは一目瞭然だ。
「すみません。女性と旅はちょっと…………」
「は?まさか気付いてなかったの?私、男なんだけど」
彼女は有り得ないと首を振るが、有り得ないと首を振りたいのはこちらだ。
「踊り子は女の方が人気になるに決まってるじゃない。だから女装して踊ってんのよ。男でなきゃ、あんなに高く跳んだり出来ないでしょ」
おい、誰だ。『西の天女』なんて呼び名を付けたのは。
「おっ、いたいた!二人共素晴らしい舞台だったぜ!」
腕が軽くなった美雪が来て、感想を述べる。
「美雪姐さん!『西の天女』って男だったんスよ!?信じられませんよね!?」
清が美雪に同意を求める。うーんと唸った後手をポンッと叩いて納得顔になった。
「それで鈴と仲良かったのか」
「ん?」
なんか言い方に違和感があるぞ。その言い方だと―――――
「まるで鈴さんが男、って言ってるみたいに聞こえるんですけど………」
「知らなかったのか?こいつ男だぞ」
…………………………。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?
思わず叫んだ三人に、本人と美雪はキョトンとした顔でいるから嘘じゃないんだろう。だが、受け入れられるか否かは別問題だ。
「通りで」
好きでもない男に付き纏われれば、そりゃウザったい。しかも、どっからどう見ても、可憐な可愛らしい少女にしか見えない女装が似合いすぎる男、加えて異常なハイテンションなのだから、当然嬉しくはないだろう。想像しただけでもゲンナリする。
「美雪ちゃん冷たい」
そう言って美雪の腕に自分の腕を絡ませる。疲れているのか、引き剥がそうとはせずされるがままになっていたが、顔は嫌そうに酷く歪んでいた。
「子供はもうそろそろ帰る時間だ。睡眠採らないと背、伸びないぞ?」
美雪の悪気の無い気遣いに、三人して撃沈しながらトボトボと帰路に着く。
「子供……」
「遠回しにチビって言われた…………」
「美雪姐さんより背は低いですけど………」
ブツブツと不満を口にしながら牛乳を摂取し、その日は早く寝た。
後日、惟兎から手紙が届いて封を切る。内容は感謝の言葉と、『西の天女』こと本名を羽馬と一緒に各地を巡って、芸を披露する旅に出るとの旨が綴られていた。なんでも、哉浦邸での宴の後意気投合したらしい。
「そういえば、惟兎の水芸の仕組みってどうなってんだ?」
あんな大掛かりな芸を、いきなりやるのには無理がある。水芸とは仕掛けが色々と要るものだし、直前の代役をどうやってこなしたのだろう。
「ああ、あれですか。惟兎さんの水芸には種も仕掛けも無いんです」
「は?」
「惟兎さんは極薄くですけど、人魚の血を引いていたみたいで、水場さえあればあの様に自由自在に水を操れます」
「マジか」
衝撃的な真実に驚きを隠せない。あいつ、意外にも超凄い奴だったんだな。
「あれ?」
諮梛が封筒を逆さまにしてしまったせいで、転がり出てきた三枚の木札。
「……観に行こうな」
木札は次の惟兎と羽馬の公演の指定券だった。