五話目 客:灰色少年 下
目の前には椿さん。
現在地。――――――揉め事処理屋の室内。
理由を順をおって説明する。
中央官吏役場の第四棟で話を聞こうと思っていたのだが、突然に椿さんが泣き出した。落ち着くようにと宥めたけれど、泣き止まずむしろどんどん涙の数は増えていき、嗚咽まで混じる始末だった。
「落ち着けました?」
泣き止んだ彼女に声を掛ける。未だに鼻はグズクズ言っているが、先程までの様に取り乱しはしていない。
彼女は、はいと答えて微笑んだ。それから頭を下げて謝罪された。本当に申し訳無さそうな顔をしていて、何だかこっちが悪いことをしてしまった気分になった。
「『椿』さん。これからお話を聞かせてくださいね」
「はい。勿論です」
疑問系ではなく、言い切る形で暗に拒否権が無いことを示した。そのせいなのかは知らないが、素直に頷いてくれる。
「では質問します。柱の陰から珠稀さんを、見つめてらっしゃった理由を説明してください」
「あの……そのですね…………。言わなきゃ、駄目ですか?」
「言わなくても良いですよ?ただ、僕の憶測で話を進めるので、確認と訂正をして頂けるなら。自分で最初っから話すのと、どちらが良いですか?」
頬を朱に染めて、口ごもる椿さんにニッコリと笑顔で言う。彼女には選ぶ自由と権利がある。好きな方を選んでくれればいい。
出来れば前者の方が助かる。だって、そっちの方が早く終わる筈だから。
「……自分で話します」
若干苦笑いをしていたのは、何でだろう。何処にそんな要素があったのか。
自分の望んだ方を、彼女が選んでくれたことに少しだけ満足し、話をするよう促した。
「その……珠稀さんをお慕いしているんです」
顔を両手で覆いながら、叫ぶように言う。自棄になってるんだろうなと、少しばかり思った。
「はい、そのようですね」
「そっそれでですね。その……私は見守っていたかったんです」
柔らかく相槌を打てば続きを話し出したのが、何が何だかさっぱり分からない。
「いや、あの椿さん。説明になってないんですけど。飛躍し過ぎてて、理解できないので好きになったきっかけとか、その辺の事から話して頂けません?」
椿さんの印象と現実のズレを修正し、思い描いた性格を大幅に書き換えた。見掛けに頼ってはいけない。
「先程から何度も何度もすみません」
話を聞くのは上手い方だと思っていたが、そうでもなかったらしい。どうやら彼女を僕は混乱させてしまっている。
「清さん」
「何だよ」
ただ名前を呼んだだけだが、清は一瞬にして理解したらしく、嫌そうな顔を満面に広げる。
「悪いとは思うんですけど……」
「悪いと思ってんなら、俺に声掛けんなよ」
清は礼儀に厳しいから、頭を低くして言ったのだが、尤もな返事を返され言葉に詰まる。が、ここで諦める訳にはいかない。
「そこを何とかお願いします」
じっと清の瞳を見つめて、一歩も引かない体勢をとった。清よりは気は長い方だと自負している。それとは別に、ああ。清の橙色の瞳はやっぱり綺麗だな。なんて思っていたが、彼にはバレていない自信がある。
「…………わかったよ。やりぁ良いんだろ!」
座っていた席を譲り、清は椅子の背を掴むと乱暴に引いてドカッと腰を落ち着けた。
「選手交代をした清です。じゃあ、早速直球で聞きますね。珠稀さんと出逢ったのはいつなの?」
「もう忘れてしまいました。二百年はいっていないと思います」
「二百年……。こりゃまた随分と………………」
驚きを隠せないのは清だけではなく、自分や諮梛も同様だった。開いた口が塞がらない。
「その間ずっとですか?一途なんですね」
首を縦に振るだけで意思表示をし、それに営業スマイルの愛想の良い笑顔で言葉を付け足す。気の効いた会話は清以外には望めないと、改めて思い知った。
「珠稀さんのどういうところが好きなの?」
「えーと………誰にでも平等に親切で優しいところ………かな」
「えっ、じゃあ助けてもらったとか、そういう感じの出来事とかあった?」
「あっ、はい。腕を怪我した時に助けてもらって」
ほわほわとした空気が漂う。これはあれだ。『年頃の娘がする茶会』。そう思い付いて諮梛に耳打ちしてみたら、彼は本当に可笑しそうにクスクスと笑った。その後に諮梛が、普段は口悪いから尚更面白いと言ったので、続けてクスクスと笑ってしまう。
笑っていたら、諮梛が自分の口に人差し指を立てたのでピタリと抑える。やけに真剣な表情をして、どうしたのだろう。怪訝な顔をして見せれば、諮梛は清を指差した。
「おっと」
握り込んだ左手の甲に、うっすらと青筋が浮かんでいた。これ以上五月蝿くすると後で怒られかねない。大人しくしていよう。
清の事を少し揶揄したが、実際には彼は優秀である。椿さんの表情は、緊張の色が溶けて楽しそうだ。お茶にも良く口をつけている様子で、仲の良い友人同士にも見える。
「じゃあさ、やっぱり恋人とかになりたいよね?」
「いいえ。私は別にそういうのは良いんです」
「あれ?そうなの?告白はしないの?」
「はい。する気はありませんね」
自然な口調と笑顔で、柔らかく否定する。思っていたのとは違った解答に、若干の気後れを感じた。
「歳の差も結構ありますしね。私なんかよりもっと相応しい方がいると思うのよ」
「えっ!椿さんってショ―――ぐえっ!」
余計な事を口走りそうになった清を、後ろにいた諮梛が両手で些か乱暴な方法で黙らせた。左手は口に添えているが、右腕は首に回され後ろに引くものだから、首が締まって苦しそうだ。
『ショタコン』なんて言葉は禁句である。特に女性にとっては、歳を気にする原因にもなりかねない。
清はバシバシと諮梛の腕を叩いている。諮梛は常に冷静な分、行動はいつも淡々としていて逆らってはいけない雰囲気がある。それを証拠に、全然関係の無いピヨ子が静かにプルプルと震えていた。
「清はもう一寸考えてから物を言いなよ。デリカシー無いよね」
「てめぇだけには言われたくねぇよ!」
「ああほら五月蝿い。お客さんがいる前でみっともないでしょ?」
「こんの野郎…………」
怒らせている自覚があっても、何で怒っているのか解らないのが諮梛だ。怒ったところで、不思議そうな顔をされて尚苛つくのは目に見えている。だからそうなる前に清を止めるのが、自分の仕事であり日常なのだ。
「まあまあ清さん。落ち着いて。まずは椿さんの話を最後まで聞きましょう?」
「…………」
なんとか大人しくなってくれたが、ムスッとしたまま何も答えてくれなかった。だがそれも束の間で、突然人懐っこそうな笑顔になると、再び椿さんへと身体を戻した。
「申し訳ありません椿さん。お話の続きをお願いします!」
椿さんはそれに少し面食らった様だが、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
「私が助けてもらったのは、吹雪が激しい日で視界が悪かったんです。それで枝に袖を引っ掛けてしまって。取ろうとして着物と腕を切ってしまったんです」
「災難でしたね。そこで珠稀さんに出会ったんだ?」
「はい。でもその時はまだ幼子でした。ですから私は、恋仲になりたいだなんて思ってないんです」
「じゃあ、どうして付き纏ったりなんかしたんだ?」
穏やかな笑顔とは対称して、唇を噛み締め自分の手を強く握った。何度か目を游がせ、やがて決心したのか清の顔を見つめ口を開いた。
「椿さん。今度は困ったことがあったら来てくださいね」
「はい。ありがとうございます」
「待ってるからな!」
「清。それじゃあ困ったことが起きて欲しいみたいだよ?」
「違う!違うからな!そんな意味じゃ無いから!」
諮梛の指摘に慌てて訂正する清。椿本人の方は特に気にした風もなく、クスクスと小さく笑っていた。
「解ってます。力になってくれるって事ですよね」
優し気に微笑み手を振って行ってしまった。
姿が見えなくなり、ようやく部屋に戻る三人。三人共脱力気味に机に突っ伏す。
「全く……。原因は襾世じゃん」
呆れて怒る気にもなれない。
椿さんが語った内容に、彼女自身の過失は無いと判断して先程帰した。寧ろ椿さんが気の毒である。
椿さんは今から数月前に珠稀さんと会ったらしい。最初こそ気にしていなかったようだが、暫くしてそれが二百年前に助けてもらった珠稀さんだと気付いたのだ。ただ半信半疑で確証は無い為、真偽を確かめるのに尾行した。
「珠稀さんだってお役人のエリートだもんな」
清の言う通り、珠稀さんはエリート。直ぐに尾行に気付いて、椿さんを撒いたのだろう。諦めなかった椿さんは、それを数度行う内にストーカーとなってしまったのだ。
そこで登場したのが襾世さん。彼が見繕ったと言う恋人役には、善くない噂があったらしい。それを椿さんは心配して、更に尾行を続けることとなった。
次の問題点は、恋人役を襾世さんがやったことにある。椿さんは、珠稀さんの恋人――――つまり襾世さんが女装した、偽りの恋人役――――を男だと教えるために、これまた尾行を続行する事になる。
「ったく!襾世さんに請求書出そ」
珠稀さんにも非は余り無い。依頼主は珠稀さんだが、原因はどう考えても襾世さんである。そして襾世さんの場合は自覚がありそうだ。
その後、無事に襾世さんに請求書を出し、きっちりとお金を払ってもらった。調査内容を説明すれば、珠稀さんが頭を下げてくれた。襾世さんは言うまでも無く、勿論謝るなんて事は無かったので、珠稀さんが襾世さんの分まで丁寧に謝罪してくれたのだ。彼はこの先も苦労しそうである。
微妙な終わり方になってしまった……。
灰色少年 上 は清目線
灰色少年 中 は諮梛目線
灰色少年 下 は曖寿目線
となっております。