三話目 客:灰色少年 上
おはよう。大欠伸をしながら、洗面台の前に立つ。
最近はピヨ子の鳴き声が五月蝿くて、早起きをしている。お蔭で毎日寝不足だ。だから全く感謝なんかしちゃいない。
鏡に映るのはボサボサの寝癖だらけの金髪と、眠たげな半開きの目の自分の顔。
「何であいつら寝てられんだよ」
不貞腐れた声が出た。あいつらとは、諮梛と曖寿のことで、二人は未だに夢の中である。
鏡の中の自分とちらめっこしながら、ボサボサの髪と格闘していたら、戸をドンドンと叩く音がした。
軽く舌打ちをして、無視した。寝てる事にしておこう。絶対に面倒事だ。
だいたい、こんな朝早くから来る非常識な奴なんかに、戸を開けてやる義理なんて無い。
「誰か出てくれませんと、この戸蹴破りますよ?早くして下さいね。今から十秒以内」
「何なんだよ!」
大事な大事な家を人質に捕られ、仕方なく店の玄関へと走る。
「さーん。にー。い―――――」
「待った!」
『一』と言い終える前になんとか、戸を引いて開けることに成功した。
「おはようございます。この前はお世話になりました」
礼儀正しい仕草で、お辞儀をする黒髪の少年。背には漆黒の美しい羽根を背負っている。
「…………あの、帰ってくれませんか」
「嫌ですよ。こんな朝早くから来たんです。お茶でも出してください。そうだった。これをどうぞ」
礼儀は確かに正しいが、強引過ぎる。手土産と、見るからに高級品と判る木箱を押し付けてきた。しかも、結構大きい。
「要らないんで、帰ってください」
此処で受け取ってしまっては、彼を店に入れることになる。それだけは御免だ。何せ、自分はまだ寝間着姿で、朝食も摂っていない。
「清さんは朝御飯まだですよね?実はぼくもなんですよ。良かった、奇遇ですね」
「……………」
嫌な予感がして、急いで戸口を閉めようとした。だが、あえなく失敗に終わる。少年が手を掛けて、閉めようとするのを無理矢理開けたからだ。
「何なんですか?!てか、さっさと帰れよ!お礼ってことにして、この木箱と中身貰ってやるから!」
「あ、清さん。遂に本性出ましたね。お礼ごときで、そんな高い物買いませんよ。やだなぁ~」
「じゃあ何?!新種の嫌がらせとか?!」
「そんな大声あげないで下さい。朝から近所迷惑じゃないですか」
誰のせいだ!と怒鳴りたいが、出来ない。一つは今し方言われた、近所迷惑というのと、もう一つは少しずつだが確実に戸を開けられているからだ。それを止めるどころか、少年の侵攻を許してしまっている。
このまま攻防を続けても、此方が損をするだけだ。引き戸は破壊され、何でも無いような顔をして入ってくるだろう。
「もういいよ!」
一つ舌打ちをして、手を放した。少年―――――いや、襾丗という――――――はニッコリと満足気に笑って、お邪魔しますと言って入ってきた。
邪魔だと解っているなら、さっさと帰ってもらいたい。
重たい脚を引きずり、台所に向かう。自分と襾丗の二つ分のお茶を淹れ、持っていった。ここぞとばかりに、襾丗の方のお茶は、湯飲みの縁のギリギリまで注いでおく。
「はい、これは珠稀の分ね」
「ん?」
並々と注がれた湯飲みの方は、襾丗ではなく隣の少年へと渡される。
………………誰だこいつ!!
「ふ、不法侵入者!!」
「彼はさっきから居ましたよ?死角に居ただけで」
涼しい顔でお茶を啜る襾丗を、説明を求めて凝視する。そんなことをしても、自分のペースを外す事無くのんびりとしている。
諦めて、襾丗の隣の少年へと視線を移した。
青みが掛かった灰色の髪はクリクリした癖毛、静かな印象を与える深い緑色の瞳。賢そうな顔立ちをしている。仕草にも、何だか品が感じられた。
「良家のお坊っちゃんが、何しに家へ?」
欠伸をしながら、不機嫌そうな顔で諮梛が出てきた。如何にも寝起きと行った風で、頭をガシガシ掻いている。
「おはよう。朝から一体何なの?」
客人だろうが何だろうが、機嫌の悪さを一切隠さないのが諮梛である。何がそんなに気に障ったのだろうか。
「朝ご飯食べてくなら、食費払ってよ。本当に図々しいですよね、襾丗さんって」
そうだった。諮梛と襾丗は仲が悪かった。というよりは、諮梛が襾丗を一方的に嫌っている。襾丗の方はそれを知っていながら、親しい友人のごとく接している。見てて、鬱陶しいと思うぐらいに…………………。
「流石諮梛。一発で珠稀を良家のぼんぼんだと気づきましたね。朝ご飯は一緒にさせてもらいます」
「諮梛って、呼び捨てしないでくれる?馴れ馴れし」
ニコニコと笑う襾丗。ここまで温度差の激しい会話は、滅多にお目にかかれるものじゃない。
「襾丗、私の事をぼんぼん等と言うな」
落ち着いているが、高い声だった。声変わりはまだのようだ。
「さてと。諮梛もいることだし、そろそろ本題に入ろうかな。はい、珠稀。お話しスタート」
襾丗が隣の珠稀に話を振る。珠稀はコホンと咳払いをして、姿勢を正した。流石は良家の出。綺麗だ。
「最近困っていることがあります。数月前から、女に付きまとわれているんです。近頃の人間の言葉にすると、ストーカーというやつですね。その女の正体も知っているのですが、説得にも応じなくて」
「そうそう。恋人役を見繕ったりしたけど、全然無駄だった。苦労したんだよ?家柄もそれなりに良いところで、器量の良い美人さんの、中身もできた子探すの」
カラカラと笑って、さも愉快気に話す。
「ぼくなんか、女装までして女言葉を頑張って練習したんだよ?友達思いだよね、ぼくって」
「襾丗さんの自画自賛はどうでも良いんで、さっさと話し進めてもらえます?」
間髪入れずに、諮梛が襾丗を一刀両断した。切り捨てたに等しいけど。
「その女は雪女なのだが、私との接点は無い。それどころか、雪女自体との接点も無いのだ。つまり、その女を説得して私に付きまとわないようにしてほしい」
凛とした表情と声で言われれば、引き受けて仕舞いそうになる。というか、欠金だから断れない。
「あ~あ。駄目じゃん珠稀。本当の事言わないと、信用無くすよ?説得じゃなくて、武力行使も大いに可って言わないと」
珠稀の肩に手を回し、襾丗が慇懃に言う。
「雪女っていうのは、元々数の少ない種族だけど重要視はされてないんだよね。貴重な割りに役に立たないし。そろそろ危ないんじゃないかな?」
「何が?」
「そんな解りきった答えを聞いてどうするの?」
ただ笑うばかりで、何も言いはしなかった。こういう所が嫌いだ。
「取り敢えず、今日はお引き取り下さい。曖寿とも相談しますので。依頼はお請けします。また明日来て下さい」
やけに丁寧な口調で言うので、諮梛は無理にでも今すぐに二人に帰ってもらうつもりだろう。
「はい、わかりました。朝食を頂いたら帰ります。清さんの手料理は美味しいと、名高いですからね」
「…………それ、何処情報ですか?」
「華島美雪殿からの情報ですね」
「何でそんな事言ってんだよ、美雪姐さん!!」
余計な事を。彼女にしたらきっと悪気はなかっんだろうけど、此方としては大変迷惑な話しでしかない。聞かれたことを、素直に答えただけだろうから。
「献立に一切の文句は受け付けませんから」
仕方がない。ここまで言うなら、作るしかない。断ることは無理だと判断した。というか、既に断る事が面倒臭い。
自分と諮梛、客人二人分。それから未だ起きてこない、曖寿の分を作る。鮭と卵焼き、納豆と味海苔。昨日作った煮物を皿に盛り付ける。
「机に早く列べやがれ」
迷惑な客人二人に、声を掛ける。少々乱暴な口調になったが、まぁ良いよな。作ってやってるんだから、列べるくらいの事はしてもらおう。
「頂きます」
行儀良く、四人で手を合わせて言ってから食べ始める。
「美味しいですね。美雪殿が言うだけのことはあります」
先程から何回か出てくる美雪という人物は、本名を華島美雪という。清と諮梛、曖寿の三人とは仲が良い。良家の出で、箱入り娘のお嬢様にも関わらず、口調や振る舞いは堂々としていて潔く、姉御はだなのである。
その辺の話はまた後で。
「そうそう。一応忠告しておきますね。そこに飾ってある狐の面、処分しておいた方が良いですよ?下っぱの役人にでも見つかったら、即刻逮捕ですから」
何時の間にやら食べ終えた襾丗が、高棚を指して目を細めながら言う。
流石は多忙なお役人。職業柄か、食べるのに時間を掛けない。
「…………何でわざわざ忠告なんかしたの?仕事に差し支えが出るんじゃない?」
「今日は仕事で来たわけではないので。ただの依頼人の付き添いですから」
そうニッコリと笑う。こういう所が、少し苦手だ。決して自分を出さないような感じがして。
「じゃあぼく達はおいとまするよ。御馳走様でした」
早々に立ち上がる、襾丗と珠稀。用事は本当に依頼だけだったようで、さっさと帰るらしい。それなら、朝食なんか摂っていかず帰れば良かったのに。
一応二人は客人ということもあって、玄関先まで見送りに出た。
「じゃあまた来るね。今度は肉じゃがが食べたいな」
「定食屋でも何でもないんですよ、うちの店は。襾丗さんは二度と来なでくれて良いですから。珠稀さんはまた明日」
「清さんは遠慮深いですね」
「遠慮してねぇよ。迷惑つってんだろうが」
「ほらほら、口調が素に戻ってますよ」
襾丗は上機嫌に――――但し、此方は不機嫌だが――――手を振り、珠稀は折り目正しく挨拶をして帰っていった。
二人が見えなくなった後、直ぐに居間に戻り朝食を再開する。
「あれ?これ…………」
机の隅に置かれた、銀貨と銅貨。
「…………襾丗が置いていったみたいだね」
それは紛れもなく、お金だった。多分、朝食代。
「微妙に足りてない」
諮梛が溜め息を付いて、三人共有の豚の貯金箱に入れる。
「さて、曖寿を起こしてくる」
一人になってしまった、部屋でふと狐の面を見つめる。
忠告してきた、あの時の襾丗の顔。何だか哀しそう顔をしていた気がした。