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2-4

 さすがに婚約者に吐瀉物をぶち撒けるなどという愚は犯さなかったものの、鋼志はかなり盛大に吐いた。


「いや、やっぱ車で字は読んじゃだめですね」


 とは、どこか清々しい表情で言い放った彼の弁だ。


「あれは車酔いなどというものではなかったろう……」

「いえ、車にはややトラウマ的なものがありまして。普段からあまり乗らないようにしているんですよ」

「ですから、コーシの家からわたくしの家に向かうときも車は使いませんでしたでしょう?」


 だからといって自分だけが式に乗って良い理由にはなるまい、とアスタロッテは思ったが、口にも顔にも出さなかった。実は納得していなかったのだった。


 そんなやり取りから早数時間。

 やはりアスタロッテは釈然としていなかった。

 遅めの、それから鋼志の腹の調子を鑑みて、軽めの昼食をとったあと、遠出をしたということで買い物を済ませるのは合理的な判断だろう。荷物持ちを男性である鋼志が買って出るのも許容範囲だ。

 車を回さずに電車で帰ったのはやむを得なかったかもしれないが、結界を張ればよかったのではないかと思う。金髪碧眼の巫女服は悪目立ちがすぎた。昼食のときもそうだったが。


 もっとも、ここまではアスタロッテにとって、どうでもいいことだ。問題はこれから。

 鋼志の自宅に帰ったあと、途中だった納屋の片付けを鋼志は再開。アスタロッテの召喚が偶発的なものであったことを強調したかったようだが、あいにく彼女は疑ったままだ。

 ただ、そのこととは無関係に、ちせりは縁側で見ているだけ、というあたりでアスタロッテは覚えのある奇妙さに捕らわれる。

 納屋どころか、家全体、ちせりの部屋をも掃除を始めた段階でそれは確信に変わる。

 挙句、アスタロッテを歓迎する料理まで作られてはもう諦めるよりなかった。

 納得がいかずとも、だ。


「お前は下男かなにかか?」


 食後のお茶を飲みつつ、そう契約主に問う。そんな質問を投げかけるのは初めてのことだ。

 とはいえ、鋼志の作るものは旨かった。アスタロッテはめったに摂食しないので、余計にそう思うのかもしれないが。あるいは、せっかくこの国に来たのだからと用意された日本食が口に合ったのかもしれない。

 食後の今でこそ、例の寝そべるような姿勢だが、食事中はきちんと正座でいたくらいだ。


「そんなわけないでしょう」


 答えたのはちせりだ。鋼志は黙々と洗い物をしている。


「では女尊男卑の傾向でもあるのか? 召喚士――というのが不適当なら家主でもいいが、雑事を自らやるといっても限度があるぞ」

「女尊男卑――まあ、確かに言われてみればそうかもしれませんわね。高白の家も、岩動の家も女系家族ですから」

「そうなのか? その割に家長は男のようだが」

「お祖父様のことでしたら違うと申し上げておきますわ。高白はお祖母様の実家ですもの。お祖父様は入婿ですし、お祖母様が面倒くさがってお祖父様に押し付けているだけです」

「ヴァンパイアにしてはというべきか、ヴァンパイアだからというべきか、奔放にやっているのだな、彼は。しかも重婚だろう?」

「どういう紆余曲折があったのかは存じませんけれど、そうですわね」


 ため息を一つ。


「愛する人はただ一人と定めた〈始祖〉様を見習ってほしいものですわ」


 〈始祖〉とは初めて魔王位から降りたヴァンパイアの真祖の通称だ。通常、個別の真祖を指すときは、在位時の通称か真祖となってからの通称で呼称される。魔王の真名を知る者はあまりに少ない――普通は当人しか知らない――し、王名はそのまま族名でもあるからだ。

 〈始祖〉は当然、真祖になってからの通称だ。在位時になんと呼ばれていたかはあまりに古く、情報が残っていない。


めかけのおらん魔王や真祖などそうそう聞かんがな」

「魔王はともかく、ヴァンパイアの真祖たるもの永遠の相思相愛を誓うべきなのですわ」

「ということはお前の血筋はそうなのか?」

「……残念ながら。大お祖母様も甘い方ですから。もっとも、自分が本妻だということは常々仰っていますわね。他は妾だと」


 つまり、女性の真祖ということだ。


「……お家騒動に巻き込まれたりしないのか?」

「なにを期待していらっしゃるか、わかりやすすぎますわね。おそらくないでしょう。大お祖母様に対抗できる悪魔はごく少数ですし、妾の方々は大お祖母様の部下でもいらっしゃいますから。大お祖母様も含め、皆それぞれに弁えていらっしゃいます」

「やれやれ……誰も彼も無欲なことで」

「悪魔の欲望なんて一つしかありませんわよ」

「己の欲する所を成すべし、ですか?」


 片付けの終わった鋼志が会話に入り込む。自然とちせりの隣にすわり、ちせりも自然と鋼志に近寄る。阿吽の呼吸だ。


「それは人間に対する方便だ」

「そうなんですか?」


 視線だけを横に向けてちせりに問う。喋りながらも自然と茶を淹れている様が、普段の鋼志を存分に物語っていて少し哀しい。

 当人たちは認めないだろうがこれは下男だ。奴隷とまでは言わずとも小間使いなのは間違いない。相席が許されているからそう見えないだけで。


「悪魔の本分は契約ですもの。締結や履行のために人間の欲に付け込むのは常套手段ですわ」

「ということは悪魔の欲望って契約そのものってこと?」

「そうなりますわね」

「本質的……かどうかはわからないけど、割とヒトにも通じるものがあるね」


 慎重に言葉を選んで鋼志が言う。それがたとえ話であったとしても、自らと悪魔を同列に、あるいは類似のものとして語れる者は少ない。それができる人間だと初めの契約交渉の段階で気づいていたが、実際に目のあたりにすると感慨深いものがある。

 だがそれは資質というよりも――


「コミュニケーションが成り立つのですから、全く別の存在ということはないでしょう。混血であるわたくしだからそう思うのかもしれませんけれど」


 ――彼女の影響だろう。


「それはその通りだが、いいのか? 人間が悪魔を認めてしまって」


 だから少し意地悪な質問をした。ちせりのせいだと言わせたくて。


「日本は信仰の自由が確約されていますからね。そもそも、悪魔が悪魔と言われる所以は悪性の行為であっても契約がなされる点であって、悪魔の悪意に対してではありませんから。もちろん、悪魔に悪意がないとは思いませんけど、その点はヒトと同じですし」


 だが、返ってきたのは意外なほど教科書的な回答。


「……そこはわたくしのことを引き合いに出すべきではなくて?」

「ちーちゃんは人間でしょう?」


 見る間にちせりの不機嫌な顔が朱に染まる。


「そ、それは、間違いではありませんけれど……でも、見る者が見ればわかることですし」

「関係ないよ。ヒトの血だって混じってるんだから。それにぼくの婚約者なんだから」


 つぅ、と鼻血が垂れる。

 間髪入れずに吸い付いた。

 これではどちらがヴァンパイアなのかわからない。

 もっとも、吸血鬼として有名なヴァンパイアの多くは真血と吸血契約を交わしたデミヴァンパイア――つまり、元人間だが。


「そういえば二人は吸血契約を交わしていないのだな」

「まあ、そうですね。必要ないですし」


 ちせりを膝に寝かせながら答える。膝枕だ。


「契約を要不要で判断するあたり、チセリはやはり人間なのだろうよ。吸血契約にデメリットが多いのは知っているがな」


 有名なものに、渇きを癒すために他者の血を吸わなければならないことや、安定するまで陽光が弱点となること、真血以上に水に弱くなることなどがある。

 召喚契約を含め、悪魔と取引する契約を悪魔契約と呼称するが、その中でもとりわけ簡単で欠点の多い悪魔契約として知られる。


「そうですかね? 高白の方々はみんなそんな感じですけど。それに、判断したのはぼくのほうですし」

「……まあ、真血ならそれもありえるか」


 強くなるために契約を交わし、契約を重ねることで力をつけ、つけた先にあるのが魔王位だ。それを自ら棄てた者の末裔ならば、力をつける理由は別にあり、方法もまた、契約に限らないのだ。

 とはいえ、吸血契約を交わしていない、あるいは交わしたことがないヴァンパイアは、たとえ真血であってもめずらしい。吸血契約の欠点の多くは人間側に付随するものであり、ヴァンパイア側にはほとんどない。わざわざ式を作るよりも、吸血契約のほうが早くて楽だ。


「デミヴァンパイアをヒトに偽装するのは面倒ですからね。日常生活はともかく、退魔師相手には考えなきゃいけないことが多すぎですから」


 また、アスタロッテの思考を読むように鋼志が言う。この程度なら不自然ではないが。


「それに吸血契約の最大のメリットは即効性であって、契約者の不死性は二の次ですよ。ついでに言えば、吸血契約で得られる程度の物理的、魔法的強さは持ち合わせています」

「真祖やそれに近い者の吸血契約は特殊だと聞くが?」


 これはちせりに対する問いだ。


「それを差し引いても、ですわ。たとえば、あなたの召喚が偶然であったとして、その偶然をモノにできる召喚士がどれほどいると思っていまして?」


 歴代のアスタロッテの契約者たちでさえ可能だと思えるのは先代くらいのものだ。彼女の実力であれば〈弐銘節〉であっても召喚できただろう。当時のアスタロッテは〈参銘節〉――つまり、彼女と契約した功績でアスタロッテは〈弐銘節〉へと変わったわけだが、彼女が〈参銘節〉の悪魔と契約したのは消費する魔力を抑えるためだ。今の自分であっても普通に契約できるという確信がアスタロッテにはある。

 いや、一瞬かつ一部であったとはいえ、彼女は〈単銘節〉――すなわち魔王の召喚にも成功している。

 〈弐銘節〉――魔王候補の召喚とどちらが優れているかの判断は、おそらく悪魔同士ですら意見の分かれるところだ。


 が、〈参銘節〉とも契約状態にあったことを考慮すれば、召喚の技術については、先代のほうが優れていたことになるだろう。一方で、鋼志は、短い時間とはいえ、戦闘を見せているにも係わらず、実力を悟らせていない。

 召喚士としての強さは先代に軍配が上がるだろうが、魔術師としてはどちらとも言えない。

 しかも先代契約者は生粋の召喚士ではないので、余計に甲乙つけ難い状況にしている。


 もっとも、同程度の実力者であれば、アスタロッテの願いを叶えるほどの実力がないということになるのだが。

 いや、そう考えること自体、すでにどこかで彼に頼ろうとしている部分があるということであり、人間としては破格の評価だ。

 傲慢と取られかねない鋼志の発言も、彼に対するちせりの信頼もうなずけた。


「やっぱり同じ釜の飯というのは効果的ですね」


 このわけのわからない言い回しがなければ完璧に近いのだが。


「まるでわたくしとアーシュが仲良くなったかのような言い方ですわね」


 同意を表す代わりに尻尾をしゃらりと鳴らす。


「あとは裸の付き合いで完璧じゃないかとぼくは思うんだけど」

「人の話を聞きなさいな」


 ぎゅ、と脇腹をつねる。


「イタッ! 痛いよ!」

「大体なんですの、裸の付き合いって」

「岩動家特製檜風呂」

「……檜風呂?」


 アスタロッテが反応した。


「ほう、あれは檜風呂だったのか」


 昼の間に家の間取りは全て見て回っている。


「ご存知でしたか」

「知識はな」


 入ったことはない。


「でしたら初体験ですね。いいですよ、檜風呂」

「ちょっとちょっと! わたくしを差し置いて話を進めるんじゃありませんわ!」


 起き上がり、会話に割り込む。


「いいじゃないの、美女同士の裸の付き合い。画になるしね!」

「ならお前も加われば良いではないか」

「そうしたいのはやまやまですけど、夜練があるのでそろそろ行かないといけないのです」

「あら、もうそんな時間ですの」


 時刻は八時を少し回ったあたり。


「たぶん、帰るのは遅くなるので先に寝ていてください。客室を使えるようにしてあるので、そちらをどうぞ。洋室で良かったですよね?」


 立ち上がり、玄関へ向かう。二人もついて行く。


「そうだな。別に寝る必要もないが、地べたは好かん。というか、私も行くが?」

「それは無理です」


 即答される。


「高白の認証が必要になるんですよ」

「そもそも、あなたが行けるのであれば、わたくしが真っ先についていきますわよ」

「それもそうか。いや、コーシは秘密主義のようだからな。扱う術も別だし、訓練などは個別のような気がしたのだが、そうでもないのか」

「なにをしているのかは知っていますわ。どのくらいできるようになったのかは見る機会がありませんから、今日のようなことがたまにありますけれど」


 また、少し目元を赤らめる。不機嫌そうに。


「ま、そういうわけですので、留守番をお願いします。実力を見せるにはちょうどいいんですけどね」

「まあ、訓練は所詮、訓練だからな。構わんさ。今日のことでおおよそは掴めてもいる」


 これは半分本当で半分嘘だ。

 おそらく鋼志はできることとできないことが極端に偏っている。体術やそれに準じる魔術は高い水準でこなせるが、逆にそうでない魔術はほとんどできない。


 わからないのは、なぜそんな状態に陥っているのか、だ。

 これがわからないと『計った』ことにならない。だが、訓練を見ればわかる、という類の問題でもない。訓練はその不均衡を是正するために行われるものだからだ。


「それじゃ、いってきます」

「はい、いってらっしゃい」


 ちせりと軽いキスを交わし、鋼志は出て行った。

 気配が完全に遠のいたのを確認したあと、くるりと振り向き、いつもの調子で言う。


「あまり気乗りいたしませんけれど、互いに話があるのも、汗を流してしまいたいのも事実。ここは悪魔らしく合理的に行動することにいたしましょう」


 アスタロッテにも異存はなかった。


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