2-1
「基本的に魔力は未知の力ですね、この星では」
鋼志とちせりが仕事を請けて一時間半。アスタロッテを含め三人は紫雀呂町から車で一時間ほどの人工島に降りていた。
――余談だが、ここまではちせりの式が運転する車で来た。さすがにちせりも現場まで走れとは言わないらしい。アスタロッテだけは車が狭いとの理由で飛んだが。
その人工島の沿岸部にある倉庫街の一角、件の貿易会社が所有する倉庫が、護衛場所として充てがわれたらしい。
多少の荒事があってもわかりにくいし、事後処理がしやすいからだろう。
その立地に加え、厳重に結界が張ってあれば、なお万全だ。
だが、それゆえに見る者から見れば目立っていた。結界の気配が色濃く残っているのだ。
確かに、結界自体を感知されないように張るのは至難の技だ。それを上手く処理できたとしても、周囲との魔力密度に差ができてしまう。
この密度差さえ残さないのが上手い結界というものだが、ここにある結界はどちらも中途半端になってしまっている。
それを怪訝に思ったところで先の鋼志の発言だ。
少し、気味が悪い。
表情にはもちろん出していないし、思考としてすら明確にしていたわけではない。にも係わらず、彼はそれを悟った。契約しているとはいえそれはできすぎだ。が、問うわけにもいかない。
器を計ると言ったのは自分なのだから。
それに、疑問に思ったことの回答として、彼の発言は少しずれている。
「それには気づいていたよ。車のすぐ上を飛ぶ私に気づいた者はほとんどいなかったし、同調で得た知識にもそうあったしな」
「ああ、そういえばそうですね」
アスタロッテを見上げて答える。契約者の頭上という位置取りを気にする様子はない。元より、彼はアスタロッテを恐れていないのだ。ならば威圧を感じているかどうかも怪しい。彼女もそのことについては気にしないことにした。
「その割に退魔師が組織を作るのだからな。ずいぶんと偏っている」
「数だけは多いんですよ。世界人口で五十から六十億、日本に限っても一億以上。魔力体をぼんやりとでも知覚できるヒトが千人から一万に一人としても小国程度の規模になりますから。それに、日本人は魔力素養が高いですから、平均よりも多いんですよ」
「魔法よりも物理のほうが発展しているのですわ。お祖父様が言うには、他の世界と比べても特に魔力密度が低いそうですから、当然と言えば当然ですけれど」
アスタロッテと鋼志の間に割り込んでちせりが言う。
「面倒ですから、そのまま魔力体でいてくださいな。実体化すると余分にコーシに負担がかかりますし、これからの仕事の手間も増えますし」
「ああ、そのあたりは適当にやるさ。それより、こちらのほうが問題ではないのか?」
目の前の建物をあごで示す。
「それについては、彼に訊いたほうが早いでしょうね」
ちせりが言うのに合わせるように一人の男がこちらへ駆け寄ってきた。
「ご無沙汰しております」
坊主頭に黒眼鏡をかけ、迷彩服をまとった大柄な体躯。肩から掛けているのは自動小銃か。
「こちらこそ。ああ、彼女のことは気になさらないでくださいな。別口の案件なのですけれど邪魔はいたしませんから」
「心得ています。さきほど頭領からも連絡がありましたので。どうぞ、こちらへ」
男に連れられて倉庫へ向かう。
「彼がアーミィズの隊長で、佐藤さん。正式名称を市ヶ原アーミィズって言って、この付近の退魔師チームだと最強ですね」
「お二人を除けば、ですが」
鋼志がアスタロッテに紹介し、佐藤がそれに付け加えた。
「うちは例外じゃないですかね。頭領の身内だと全力を出しにくいでしょう」
「そんなことはありませんが……そういうことにしておきましょう」
互いに苦笑。
「で、彼女はアスタロト。ぼくの契約悪魔です。契約があるので側にいるのですが、同じ理由で戦力になりません」
「了解です。よろしく」
他者の契約悪魔との接し方を弁えているようで、声をかけるだけでそれ以上はなにもしてこない。返事すら期待していないのは好感が持てる。もちろん、だからといって返事をするわけではないが。
ちせりは契約者の身内であるし、なにより同族だ。多少、友好的に接しても構わないと考えるが、そうでない者に気遣うつもりは全くない。
佐藤が扉を開ける。錆びた金属の擦れる音が甲高く鳴った。
「どうぞ」
ちせりと鋼志は佐藤に続いたが、アスタロッテは無視して壁を抜けた。魔力体だからできる芸当だ。
中はがらんと広く、中央に防御結界用の祭壇が設けてある以外に目立ったものはない。その祭壇中央にいる人物が護衛対象だろう。
なるほど、と心中でうなずく。
鋼志が最強と評するだけあってなかなかやるようだ。
「こうして仰々しくしているのは、いえ、できているのは声明があったからです」
「はい?」
ちせりが声を上げる。
「声明というのは犯行声明ですわよね」
「はい。ダニエル・クライトンにはいくつか流儀がありまして。その内の一つが暗殺対象に対して決行時間の予告をすることです」
「〈ニンジャ〉なんて通称ですから、もっと忍んでいるものとばかり思っていましたわ」
「自信と自衛のためでしょう」
「自信はわかりますけれど、自衛?」
「フリーランスでやる以上、騙りや裏切りを疑われるのは当然です。その防衛手段として第三者を巻き込んでいるわけです。もっとも単純ながら、効果的なアリバイ作りになります」
「なるほど。大した自信家ですわね」
「同じことをやれと言われてできる人間は限られるでしょうね」
「それで、その声明から過去見はなさいましたの?」
「いえ。さすがにファックスとメールでした。物理的に逆探知しましたが、上手く隠していますね。ただ、どちらも発信地は国内です」
「本人だと思いまして?」
「九割以上本人でしょう。入国までは確認しました」
「場所の指定はこちらが?」
「正確には依頼人が、ですが。探索しましたが怪しいところはありません。罠ということはないかと思われます」
「承知いたしました」
祭壇の正面で立ち止まると、ちせりは睨みつけるようにそれを見上げた。
視線の先には護衛対象が正座で佇んでいる。眠ったように目を閉じたままで。
「アーミィズの皆さんは結界維持と犯人の監視に集中してください。戦闘はわたくしたちで行ないます。銃撃戦が予想されますから屋外、ないしは別部屋にてお願いいたします」
「了解しました」
敬礼し、佐藤が去っていく。
「コーシはいつも通り隠れていてくださいな」
「ん、了解。結界、お願い」
これ見よがしにため息をつく。
「まだ結界は張れませんのね。召喚はできましたのに」
「できなくもないけど実戦に堪えるほどじゃないかな」
「これからは召喚ではなくて結界を中心に訓練してくださいまし」
「えー……」
「そのほうがコーシにとっても都合が良いでしょう?」
「それはそうだけど、同じこと召喚のときも言ったよね……。あ、隠れるのは祭壇の裏にしよう。念のため」
「はいはい」
答えながら三叉の銛を取り出す。
「え、もう描くの?」
「他になにか準備がありますの?」
「黙ってるの、しんどいかな、と」
「じきに予定時刻です。瞑想でもしていなさい」
「うぃー……」
呪いを唱えながら銛で鋼志の周りに円を描く。
単純極まる結界だが、アーミィズが設けた祭壇と同程度の魔力水準だ。知らぬ者からすれば認識だけでなく光学的にも消えているだろう。つまり、鏡やカメラなどで間接的に見ようとも目には映らない。
そのくせ音声遮断は一切していないという徹底ぶり。
少しだけ苦笑が浮かぶ。その気になれば完全隔離すら可能であろうにそれをしない。それは信頼であり、愛情だろう。
「そんなに離れていたくないか」
「ええ。一瞬たりとも」
即答。これは予想通り。意外だったのはその声音がことのほか真剣なことだ。
「婚約者ですから」
「また、それか。いい加減、強迫観念じみているな」
「よく言われますわ。ですけれど、そう主張せねば不安に駆られるくらいにはコーシは良い男でしてよ。あなたもいずれ己を召喚した者がどれほどか知って感謝すると良いですわ」
「その機会が訪れればな」
苦笑で返す。
「来ますわよ。あなたが契約を破棄しないのであれば」
「それはまたすごい自信だな」
「その自信の根拠はすぐに示されますわ」
言って踵を返す。ちせりは祭壇の前に陣取るようだ。
「もう時間か?」
『ですね。アーミィズとまともに連携について話さなかったけど、大丈夫なのかな』
本当に瞑想をしていたのか、目を開くと口だけを動かし鋼志が答える。慣れない言語だがアスタロッテも読唇くらいはできる。
「なんだ、車で済ませたのではないのか?」
一方でアスタロッテは魔術によって鋼志にだけ聞かせている。ちせりならば拾える程度の簡単な術だ。
『いえ。ダニエル・クライトンについての資料を読んでいました。そのせいでちょっと車酔いしてるんですよね、今』
冗談めかして言うが多分、本当だろう。間違いなく『ちょっと』だろうが。
「具体的にどんな相手なんだ?」
『アーミィズと同じく銃を媒介にした魔術と隠身を主として使うみたいですね。ただ、彼らのように、結界を張ったり祭壇を組んだりといった他の魔術が扱えるわけではないようです。その分、通常兵器の扱いは図抜けているようでして。ほとんどの依頼は実弾で眉間を一撃』
「つまり、隠れて近づいて普通に撃ち殺すわけか」
『おそらく。だから〈ニンジャ〉なんでしょうね』
なら――