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1‐2

「破ァ!」


 高白たかしろちせりが放った流水の一撃は窓を破り、部屋の中をことごとく押し流した。できる限り全力で撃ち込んだがどこまで通じたか。少年がいなければ手加減などと小難しいことを考えずに済んだのに、と心中でぼやく。

 攻撃と同時に降り立った庭の土を踏みしめ、長物の武器を構えたまま、注意深く部屋に向かって一歩進む。

 計ったように背後でしゃらりと鈴の鳴るような音がした。


「ほう、瞬動術か」

「結界術は苦手なんですよ」


 振り向いたそこに、押し流したはずの悪魔と少年がいた。いや、少年が躱していたことは想定内だが、しかし悪魔もいるとは。

 銀の髪に大きな角。蝶の翼と艶のある尻尾。褐色の肌を扇情的な黒衣がかろうじて隠している。典型的な女性容姿。

 その悪魔を見慣れた野暮ったい縁眼鏡の少年が姫抱きにしている。

 それだけで概ね状況は理解できたが、到底、納得できるようなものではない。


 そこはわたしのものだ!


「降りなさい、悪魔」


 手にした長物――三叉の銛を突きつけて命令する。


「そうだな。放せ」

「はい」


 しかし悪魔は地に降りることなく、そのままふわふわと浮かび上がる。ちょうど、ちせりや少年の頭のすぐ上あたり。自分を見上げさせ、見上げる者を圧迫するような、絶妙な位置。悪魔らしいやり口だ。


「ふむ」


 値踏みするようにちせりを見下ろす。むしろ、見下すと言うべき視線。それがちせりに絡みつく。

 あごの高さで揃えられた縦巻きの金髪。日差しを受けて天使の輪が浮かんでいる。

 それと対をなす美しい碧眼が金の瞳を強く睨み返す。そこにあるのは不退転の意志。

 見つめる悪魔と同じく、くすみのない、白い肌。人間離れというより人形じみた白。

 だが人形のように小さくはない。背は、すらりと高く、少年と同じくらいある。

 その、西洋の血筋を連想させる外見とは裏腹に、身を包むのは紅白の鮮やかな巫女装束。

 手にした銛と相俟って勇ましいが、どこかちぐはぐな印象の拭えない少女。

 それが高白ちせりなのだ。


「ヴァンパイアか」

「な!」


 一目で正体を看破され、うろたえる。高位の魔術師ですら欺く隠匿術だというのに。


「しかしここまで濃い血統を見るのは久しぶりだ。真血か? 退魔師を装うのはなかなか苦痛であろうに健気なことよ」

「そこまでわかっていらっしゃるのであればご自分がどういう立場にいるのかもおわかりなのでしょう? 穏便に済ませられるのであればそれが一番ではありませんこと?」


 狼狽を一瞬で引っ込めて目の前の敵を睨み据える。自分の全力よりも数段格上の相手だろうが怯むわけにはいかない。少年はちせりの――


「すみません、ぼくの許嫁が」

「コーシ! 謝る必要などありませんわ! これは歴とした正当防衛です! どこの馬の骨とも知れない悪魔に、鼻の下を伸ばして誑かされそうになっている婚約者を助けるのは将来の夫婦としての義務ですわ!」

「お前の気遣いに気づかないような女か。思った通りの苦労人だな」

「できれば本人の前で言うのはやめてもらいたいんですけど……」

「なにを二人してイチャクライチャクラしておりますの!」


 ――ちせりの愛する婚約者であるのだから。


「良いですか、悪魔! コーシはわたくしと、高白ちせりと婚約しておりますの! どういうつもりか存じませんけれど、コーシは渡さなくってよ!」

「あー……コーシ?」

「ああ、そういえば名前の交換の途中でしたね。鋼志です。岩動いするぎ鋼志」

「なるほど。あれでいちおう気遣っているわけか。少し見くびりすぎたようだ」

「いや、自ら名前を暴露する程度にはおっちょこちょいなので……」

「お黙りなさい!」


 鋼志の家で莫大な魔力震を感知したのでおっとり刀で駆けつけたわけだが、まさか召喚に成功していたとは。初撃を躱されたのは、結果的に良かった気もするが、当たっていれば良かったのに、とも思う。

 どんな契約であれ鋼志と契約できたのは自分一人だけというのが嬉しかったのに。


「とりあえず中に……は無理か」


 鋼志の視線の先にはひしゃげた窓硝子。その向こうではまだちせりが喚び出した水が渦を巻いている。少なくともあの部屋はもう使い物にならないだろう。


「片付けはあとでするとして……ちーちゃん、水、戻して」

「ちーちゃん?」

「愛称ですよ」

「ああ」

「く……」


 照れを殺して水を引き上げる。あとに残ったのは、


「え……」


 凍りついた部屋だった。それも氷漬けにするような氷結ではない。そこにある物それ自体を凍らせる凍結だ。


「ふむ。とっさだったがまあまあ上手くいったようだな。感謝しろよ、お前ら。片付けの手間を省いてやったんだから」


 指を鳴らし、凍結を解放する。


「ありがとうございます。いいんですか? こんなサービス」

「構わんよ。お前も瞬動術を見せたわけだしな」

「同僚の方から甘いとか言われません?」

「たまにな」

「ちょっとちょっとちょっと!」


 二人の間に割り込む。


「さっきから盛り上がりすぎですわよ!」

「えー……」

「普通だろ……」

「とに! かく! ここからはわたくしが仕切らせていただきます!」


 愛用の銛をしまい、ひしゃげた窓を持ち上げ、直してはめる。ちせりはそれを一呼吸でやってみせたが、本来かなり難しい。悪魔が口笛を鳴らした。


「あなた、名は?」

「ま、名乗る義理はないがいいだろう。契約者の身内だしな。アスタロトだ」

「では、アスタロト。あなたはそちらに。コーシ、お茶を淹れてちょうだい」

「はい、ただいま」

「早速ですが、本題ですわ。あなた、本当に召喚されまして?」


 上座で座卓に合わせて浮くアスタロトを立ったまま見下ろすちせり。勝ち誇るような表情を浮かべているのは意趣返しだ。


「見てわからんのか。鋼志と契約状態にあるのがなによりの証左だと思うが」

「ですから疑っているのですわ。コーシは、少なくとも通常の召喚は扱えませんもの」

「はあ?」

「彼から聞いていませんの?」

「仮にそれが本当なら自ら暴露するような召喚士はおらんだろう。偶然の召喚を忌避する悪魔はそれなりに多い……いや、あいつなら言いかねんな」

「でしょう?」

「とはいえ少なくとも私の降臨は正規の手続を踏んでいる。理論的には代行召喚も可能なのだろうが、技術が追いつかんだろうしな。それとも心あたりがあるのか?」

「ありませんわ。あれば先にそちらを当たりますわよ」


 だろうな、とアスタロト。

 彼女の言うように、通常の召喚は召喚術式と契約術式が一体化しており、分離するのは困難を極める。できたとしてわざわざ契約術式を他人に譲渡する理由がない。分離する意味だって理論の証明以上にはないだろう。これほど強大な悪魔を召喚する必要がない。


「まあ、偶然成功したということでここは一つ」


 茶を持ってきた鋼志が胡乱な微笑で言う。


「ということはやはり通常の召喚ではないということか。さっきも私よりも私がどうしてここにいるのか知っていると言っていたしな」

「まあ、普通は呼ばれた側より呼んだ側のほうが事情に通じているってくらいのつもりで言ったんですけどね」

「で、実際は?」

「偶然ということにしておいてくださいよ。これでも練習は毎日してるんですから」

「偶然で喚べるほど私の序列は低くないのだがな。それに契約には関係ないから無視していたが、さっきの瞬動術といい、あまり召喚士らしくないな、お前は」

「だ! か! ら! わたくしを差し置いて盛り上がるのはおやめなさい!」


 三度二人に割り込むちせり。この二人、異常に気が合っている気がする。召喚者と契約悪魔なのだから当たり前と言えば当たり前だけど。

 癇に障る。

 人間の行うただの婚約とはいえ、最初に契約をしたのはちせりなのだ。誰より早く鋼志の才能を、いや、鋼志自身を認めたのは自分なのだという自負がある。

 召喚結果ありきで語る悪魔とは違うのだ。


「わたくしが仕切ると申しましたでしょう!」

「ていうかなんでそんな話を? ちーちゃんだって通常召喚は使えたほうがいいって言ってたし、応援してくれてたのに」

「そ、それとこれとは別問題ですわ! なにもいきなりこんな高位悪魔を召喚しなくても良いじゃありませんの! 最初は吸血蝙蝠くらいから始めるべきですわ!」


 はしたなくもアスタロトを指差しながら激昂する。


「ふむ。……嫉妬か」

「!!!!!!」

「あー……」


 二人の視線がちせりに集まる。どちらも生温かい。


「な、なんですの! その目は!」

「いや? さすが愛する者のために王位さえ投げ出した悪魔の末裔だけあって愛情が深いと感心しているのさ」


 くすくす笑う。この悪魔は格好こそ悪魔らしい淫靡なものだが、雰囲気といい、仕草といい、一々上品だ。


「まあ、その記憶があるからこその嫉妬だろうがな。安心しろ。悪魔が契約以外に価値を置くことなどそうない」

「ゼロでないから警戒しているのですわ! だいたい! コーシがまともな願いを言うはずがありませんもの! どうせ不埒な願いだったのでしょう?」

「否定はせんが……褒めているのか貶しているのかわからんな」

「それで! 願いはなんだったのです!?」

「願いを叶えさせろ、と」


 鋼志自ら語った。少し照れた様子で。


「おばか!」


 すわった彼の頭に拳を軽く振り下ろす。本気で殴るつもりはないが、怒りが本物だと伝わるくらいには強く。


「それじゃあしばらくこの悪魔が居すわるということじゃありませんのっ!」

「ほう、そこまで一瞬で洞察するか。存外旧い世代なのか?」

「わたくしはまだ十七ですわ!」

「それはそれは。小娘と詰るには惜しい逸材だな。大切にしろよ、鋼志」

「気安く呼ばないでくださいまし!」


 ちせりが発音を変えて、鋼志があだ名で、お互いを呼ぶのは、アスタロトは気遣いと称したが、魔術師としての習わしだ。お互いに真名は別にあるが、偽名というには自分に密着しすぎた名前を平生から使うのはそれなりに――場合によっては命の――危険がある。だから、緊急回避用にあだ名を用いる。

 真名、通名、通称。あるいは偽名。魔術師はこの四つの名前を適宜使い分ける。

 敵の呪文から身を守るために。


「ではなんと呼べばいい?」

「コーシでいいですよ。大体みんなそう呼びます。あなたの通称も考えましょうか」

「結構よ!」

「なんでちーちゃんが答えるの……」

「通称ねえ……」

「いやですか?」

「そうでしょうとも! 悪魔にとって名とは神聖なもの! 容易く改変するなど、たとえ通称であっても! 許されることではありませんのよ!」

「アーシュ。先代の契約者がつけた通称だが」

「ありますの!?」

「ではアーシュで」

「ん」

「……なぜそこで照れますの?」

「先代は女性でな」


 アスタロトは憮然と短くそう言った。照れを見抜かれたのが悔しいのだろう。


「なるほど」


 がしっ、と鋼志を抱き寄せる。


「悪魔が通称で呼び合うのは普通、恋人か夫婦ですものね!」


 事態の異常さに警戒しながら言う。よほどの高位悪魔でないとそんなものは作らないとはいえ、計ったようにアスタロトはかなりの高位悪魔だ。


「コーシはわたくしの夫です!」

「わかっとるよ……」


 疲れたように、あるいはあきれたように、げんなりと答える。


「私にだって婚約者くらいいるんだ。契約でもないのに取ったりせんよ」

「へえ。それは次代魔王としてのものなんですか?」


 その返答に鋼志が興味を示す。抱きしめられたまま身じろぎしないのは、ちせりの長年の教育の賜物だ。


「次代魔王!?」


 連鎖的にちせりが鋼志の言葉に反応する。


「コーシ! あ、あなた、なんてモノを喚び出していますの!」

「いや、ぼくに言われても……」

「魔王だから婚姻せねばならないということはない。人間のそれと意味合いは異なるが独身の魔王も多い」


 ちせりの驚きをよそにアスタロトは淡々と答える。


「はあ」

「いずれにせよ、お前たちの仲をどうこうするつもりは全くない。意味のない宣言だが」

「ま、コーシのいる場ですから、いちおう信じて差し上げますわ」


 欺瞞、偽証は悪魔の常道だ。一方で契約主に対して嘘をつくことはほとんどない。下手な嘘は契約を瓦解させるおそれがあるからだ。


「さて。では参りましょうか」

「どこへ?」


 鋼志が訊いた。


「お祖父様のところに決まっていますでしょう? アスタロト……アーシュの件とついでにこちらへ泊まる旨を伝えませんと」


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