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4-5

「アーシュは初見で気づきましたよ? それとも強すぎて感覚が鈍いとか、そういうアレですか? まさかですよね? 感覚が鋭いから出力が制限されることはあっても、出力の強さは感覚にほとんど影響しません。影響するとすれば認識のほうです。そうでなくては力の制御ができませんから」


 落ち着き払った鋼志の声は廃墟と化した部屋に冷たく響く。誰もが沈黙していた。

 〈ハーネス〉すら。


「ちーちゃんの使う隠匿術は感知阻害と信号制御の複合魔術です。ヴァンパイア固有の魔力信号を抑えるのと同時に人間のそれへと切り換えて発信、さらにその信号には受信側の感覚を人間の魔力信号へ敏感に反応するよう書き替える術式が含まれています。もちろん、その隠匿術が働いていることを悟らせない機構もね。だから高位の退魔師であっても彼女がヴァンパイアであることを見破るのは難しいんです。弱められた感覚で、かすかに残るヴァンパイアの信号を拾わなくてはいけませんから」


 実際、ダニエル・クライトンはちせりと交戦したにも係わらず看破できていない。


「ですから、あなたが看破できなかったことはさして問題じゃない。アーシュが騙されていれば、ですが」

「わからないふりをした、とは考えないのだな」

「メリットがありません。相手の油断を誘わなくてはいけないほどあなたは弱くないはずですし、アーシュがそうしたように、見破ってみせたほうが威圧感は増します。それともぼくの強さは看破できましたか――」


 一瞬の溜め。


「――魔法使い殿」


 アスタロッテも、そして〈ハーネス〉も、同時に驚く。


「認識干渉と感覚干渉の複合とは恐れ入りますけど、性能的にはちーちゃんの隠匿術の上位互換ってとこですね。まあ、信号制御みたいな微細な制御を必要としないのはさすが異能というところですか」

「お前――」


 まさかという視線でアスタロッテは鋼志を見やる。いや、どこかでそれは期待していた。特にここへ来る前に〈ハーネス〉が魔法使いである可能性を示唆したときには、ほとんど確信していた。

 それでも信じられなかった。信じたくなかった。

 彼女にとって魔法使いとはたった一人のことを言う。それ以外の魔法使いなど全て――たとえその力が異能によるものだったとしても――紛い物でしかない。

 なぜなら、彼ら彼女らは、その異能を使ってさえアスタロッテに劣るのだから。

 だから認められなかった。認めたくなかった――その事実を。


「――魔法使いか」

「違います。超能力者です。エスパーです」


 なぜかはっきり否定された。


「いや、だからトートロジーだろ、それは」


 また、空気を弛緩させる絶妙な間。


「全然違います。現段階での研究では、一般に魔法使いは魔術に代替されるような異能を一つだけ持つことが大半です。彼もまた然り。もちろん彼の場合は、知覚干渉と認識干渉を複合した形態の異能なので正確には二つですし、魔術で代替できるとは言っても、かなり高度な――それこそ魔王をも欺く技術が必要ですけれど。だからこそあなただって彼が魔法使いであることを考慮しなかったんじゃないですか。ましてや――」


 それから彼はにやりと底意地の悪い笑みを浮かべた。動けないはずなのに。


「――ぼくのように系統の違う複数種の異能を併せ持つ魔法使いは前例がありませんから。ここはやはり新たな区分、すなわち『超能力者』を設けるべきなんです!」

「つまり現状では魔法使いじゃないか。とてもめずらしいだけで」

「そんな! 特別な自分でいたい男心を抉るような、そんなツッコミは断じて不要――」

「やかましいッ!」


 〈ハーネス〉が声を荒げる。彼とはかなり長い付き合いだが、そんなところをアスタロッテは初めて見た。


「黙って聞いておれば勝手なことを! 覚悟は良いのだろうなッ! 人間の小僧!」

「勝手? あなたの心の中を確認してから喋ったつもりですが」

「非接触の精神感応サイコメトリーか。なるほど、先読みが鋭いわけだ」


 重い体を引きずり、二人の間にアスタロッテが立つ。


「過去見もそれか?」

「ええ。あの星でまともに制御して発動できるのはそれくらいなんですよ」

「なんの真似だ、アスタロト」


 二人の会話を無視して、意図もわかっているくせに問う。それはつまり、悪魔の常套手段であるところの――脅しだ。


「契約者をむざむざ殺させるなど三流の悪魔のすることだ。私をあまり見くびるな」

「そうか。しかし限定制御のままでどうにかなると思っているのか?」

「解かせれば良いだろう。ここにいるのは召喚者なのだから」

「無理ですよ」

「はあ!?」


 自分の召喚者を振り向く。尻尾が、しゃらっと勢い良く鳴った。


「ちーちゃんが言ったでしょう。ぼくは通常の召喚を扱えないと。その限定制御はぼくが施したものじゃありません」

「馬鹿な! だったら誰が――」

「フリージア・リーフォルス・アハトッド。あなたの先代契約者ですよ」

「――――――」


 言葉に詰まる。


「彼女は死後、自分の世界には自分の魂と力を残しました。一方で、あなたにはぼくとの縁を残しました」


 答えながら、ふらりと歩く。一歩、二歩と進むたび、その足取りは確かなものになる。

 アスタロッテと並んだときにはもう、きちんといつもの調子だった。


「ぼくのサイコメトリーはどんな物体にも働きます。それが自分自身であってもね」


 彼女を追い越し、今度は彼が前に立った。


「だから彼女がぼくの体に残した情報を読んで、あなたのことは少しだけ知っていました。少なくとも普通の召喚士を頼るような悪魔でないことは。それから、彼女は将来、ぼくが召喚術を苦手にするだろうこともわかっていた。だから降臨には正規の手続きを踏みながら、召喚は通常の手段ではないという、あなたの気を惹けるような方法が取れるように、いくつか術式を残しておいてくれたんですよ」


 その一つが限定制御の術式というわけか。

 どうやら先代は部分的とはいえ、召喚術式と契約術式を分離できるほどの魔術師だったらしい。意味合いが違うとはいえ、魔王と他称されたほどの腕だ。できても不思議ではない。


「そもそも、おかしいと思いませんでしたか?」


 なにを、とは聞かない。


「長さの単位は日本とアメリカでは普段使われるものが違います。それと同様……とは言いにくいですが、時間だって相対的な感覚です。地球と火星ですら『一日』の時間は違いますからね。ましてやあなたの住まう魔界とでは天地の差以上に違うというのに、初めから時間感覚だけは同調していた。だからこそ同調したとも考えられますが」


 そうではなかった。そこに意図があると気づけなかった。あると思わなかった。


「ああ、お陰でお前と先代がつながっているなど考えもしなかった」

「でしょ? でも実際には、ぼくと彼女は会っているんです。地球で言えば今から十四年前のことですよ、あれは」


 先代が子どもにそんなことをできた瞬間は一度しかない。そして、その場にアスタロッテはいなかった。


「は。あのときの子どもがお前だったのか」


 いればまた違ったのだろうか。無意味な妄想が頭をよぎった。


「ええ。お陰で初めは彼女かと思いましたよ。似すぎです」

「あんな子どもと一緒にするな」

「さらにガキですから、ぼくは」


 首だけこちらに向けて答えると、前を向き直して、〈ハーネス〉と相対した。


「案外、ぼくの真言は強力でしょう?」

「く……」


 長々と会話を交わしていたというのに攻撃の気配がなかったのはすでに鋼志が先手を打っていたからだ。


「なるほどな。真言はあくまで言葉に感情を乗せる魔術。乗せる言葉と感情は一致しているほうが効果は高いが、一致させる必要はない」


 つまり、アスタロッテとの会話の一言一句がそのまま攻撃だったというわけだ。


「ええ。ちょっとした催眠誘導にも使えて便利なんですよ」

「お前ほどのレベルで使えればな。そんな魔術師など悪魔でもそうおらんだろう。私もまんまと嵌ってしまったというわけだ」

「昨日の隠身のことですか?」

「今しがたのものもだ。昨日は結界に、さっきはちせりに注意を引きつけて、隠身を行う」


 程度にもよるが、注意が一点に引きつけられると他に対する注意は散漫になる。今朝、アスタロッテに気を取られた鋼志の同級生が転びそうになったように。


「特に昨日は、行動開始前の会話から真言を使っていたはずだ。その上で隠身を行えば、お前の体内魔力の制御力からすれば確かに消えたように感じるだろう。加えて真言の内容が暗示だったなら一瞬とはいえ記憶からも消せる。ただ――」

「彼が気づかなかったのは単なる実力不足ですよ。たぶん〈参銘節〉と〈肆銘節〉の間くらいの実力しかないですね。ぼくごときの真言――それも裏向きで動きを止められているのが良い証拠です」


 裏向き、とは真言における慣用句で、口に出す言葉と真言で放つ感情が一致しない用法のことを言う。

 こんな知識が今頃になって出てくるあたり、最初の契約交渉のときから真言は使われていたと見るべきだろう。自分の正体を隠すために。


「信じられんな……」


 それは鋼志に向けて言った驚きだたったが――


「だってさ。信用ないね、きみ。いや、信じられてるのかな?」


 ――〈ハーネス〉へのものと理解された。否、わざと、そう仕向けた。


 彼を挑発するために。


「はああああああっっ!!!!!」


 裂帛の気合とともに不可視の拘束を解く。確かに〈ハーネス〉から感じる魔力とその行動には乖離がある。

 彼ほどの魔力があるのならば体内の魔力を放つだけで破れるはずだ。


「しかし、これだけの真言が扱えるならやはり昨日もそうすれば良かったのではないか?」

「制御できないんですよ。昨日、ちーちゃんに真言を直に使ったとき、あなたや周りの人たちにも影響が出たでしょう? あんな感じで、どうしても効果がこぼれるんです。どうもぼくの魔術は全てにおいて過剰らしくて、相手が悪魔だとかでないと危なっかしくて。殺していいならぼくも前線に立ちますけど、そうじゃないときは思いっきり加減してミスリードの補助に使うのがせいぜいで――」

「フハハハハハハ! なるほど! アスタロトを召喚しただけのことはある! いや、召喚したのではなかったのかな? いずれにせよ大したものだ!」


 哄笑。これもかつての彼には見られなかった。


「だが、さすがに慢心が過ぎたな。たとえ〈弐銘節〉と契約ができようとも自身がそれと互角などと努々思わぬことだ!」

「まあ、限定制御のないアーシュとやりあったら善戦はできても勝てないだろうね。それでもきみ程度には負けない自信はあるよ」

「言うではないか、人間風情が!」


 右手を突き出し、光弾を放つ。アスタロトの一族は攻撃に光線を好むが、ベルゼハブは光弾を好む。特に〈ハーネス〉は連続で光弾を放つのを得意とする。

 その連射性は秒間数百から数千。悪魔としても標準を上回るそれは、人間に対応できるようなものではない。

 普通ならば。


「人間好き……じゃなかったの?」


 軽口を叩きながら両手で光弾の雨を払う。後ろのアスタロッテやちせりを庇っているために回避ができないのだ。


「真似事はよくしていたが」

「ふうん。ますます実は弱かった疑惑が深まりますね」

「……なるほどな」


 少しくらい目立つほうが、面倒が少ない、か。


「アーシュ、下がるよ!」


 唐突に叫ぶと、鋼志はアスタロッテを抱えて――その瞬間に彼女は十七枚の翼を再度限定して小さな二枚羽に戻し――ちせりのいるところまで一気に飛び退く。着地と同時にちせりも左手に抱えてさらに後ろへ。

 破られた扉から廊下へ出て、さらに壁を蹴破って、城の外へ。


「うお! 思ったより魔力薄い! 跳べん!」

「任せ――」


 ろ、という声は、迫る極大の光弾に飲み込まれた。


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