プロローグ
艶のある、短く切りそろえられた銀の髪。引き立てるように黒光りする角が円を描くように生えている。左右に一対二本。
鋭く射抜く、金色の瞳。短刀のような双眸はけれど、唯一、人間らしく。
背中の向こうで羽撃く、黒い翼。蝙蝠の翼のように皮膜でありながら形状は蝶に近く、大きさも身の丈に合わないほど小さい。
翼の脇で揺らめく、やはり黒い尻尾。先端は輪になっていて、そこにハート型の別の輪が引っかかり、しゃらりしゃらりと不思議な音を奏でる。
瑞々しい、赤味がかった褐色の肌。しわもくすみも一つとして見当たらない。あるいはその肌こそが角や翼や尻尾などよりもよほど人間離れしたものかもしれない。
そしてそれらと高次元で親和する、必要最小限まで削り取られた黒衣。肘先、膝下、胸と腰回りだけを隠すそれは淫靡であるが、下劣には感じない。
むしろ、唯一の色彩をもって放たれる眼光と足元で紫瑪瑙のように輝く魔法陣と相俟って、上流階級の淑女がまとうような気品と優雅さがあった。
「フフン」
脳髄にまで喰い込んでくるかのような、甘い響き。男に限らず女でさえも虜に変えて、堕落させることだろう。
彼女、アスタロッテ/アスタロトは傲然と己の召喚者たる少年を見下ろした。
梳かれていない髪。野暮ったい縁眼鏡。しわだらけの服。片膝をついて唖然と彼女を見上げるその様子は滑稽そのもの。一見して冴えない。
が、それは見せかけでしかない。上手く、本当に巧妙に隠しているが、錬磨の気配が確実に彼にはある。
なにより、アスタロッテを数千年ぶりに現世へと召喚した実績が、どんな事実よりも雄弁に彼の有能さを物語っていた。
さて。
古来より卑下という虚飾をまとう者は少なくないが、ここまで徹底している者もめずらしい。他に人間がいるならばともかく、ここには彼女と彼しかない。
ましてや彼は召喚士であり、言わば彼女の主だ。従者に対してまでへつらう必要はないし、普段自らを貶めている分、ここぞとばかりに尊大かつ横柄に振る舞うのが普通だ。
しかし、彼にそんな様子はない。どころか今一つ事態を把握しきれていないようだ。
とるものもとりあえず、ようやく立ち上がった彼をあらためてじっと見る。
彼女よりは低くとも充分に高い身長。もっとも、ほとんど寝そべるようにふわふわと宙を浮くアスタロッテからすれば、彼女よりも背が高かろうが、彼が立っていようがすわっていようが、見下ろすのに変わりはない。
重要なのはそれを活かせるくらいにはその痩躯が鍛えられているということだ。召喚士としては少しやりすぎという感は否めないが、許容範囲だろう。
あるいは、とアスタロッテは考え、そしてすぐさま否定した。
ありえない。偶然喚びだせるほど自分は安くない。それに、限定制御まで施されているのだから。
「フフン」
さっきと似た調子で笑う。だがそれは不敵に響く。
己の召喚者がどうであれ、召喚された以上、その者と契約を結び、執行する。
それが悪魔の本分だ。もちろん、多少あこぎな契約が結べるように交渉することもそこには含まれる。
そのための肢体であり、威圧であり、力である。
召喚術を行使できるだけの強者であり、召喚式を理解できるだけの賢者たる人間どもをなお惑わし、弄ぶ、悪魔的な力。ゆえに悪魔。
数千年ぶりにアスタロッテを召喚した才気と〈弐銘節〉を喚びだすほどの願い。
交渉相手としても契約者としても不足はない。
胸が躍る。その代価の甘露を想像し背中が粟立つ。
だがその一切をおくびにも出さずアスタロッテは口火を切った。
「さあ、少年よ。我が召喚者にして契約者よ。願いは何だ? 相応の代償を以て叶えようではないか」