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4-1

本日3話目です。

「む」


 短くつぶやき、夕飯の下ごしらえを放り出して鋼志が家を飛び出した。

 その様子に先代を重ねる。彼女も一度、あわてて部屋を飛び出したことがある。異界から迷いこんできた子どもが泣いていたのだ。

 あのときアスタロッテはあとを追わなかった。送還程度で先代が手こずるわけがなかったからだ。だが――


「なに!?」


 ――今度は行かなくてはならない。


 鋼志が呼んだからではない。自身が行かなくてはならないと判断した。

 ありえないことが起きたから。

 この世界へ召喚されてわずか一日半で幾度そんなことが起きたか。だが今回ばかりは鋼志と無関係だ。

 なぜなら――


「ベルゼハブ!」


 ――自分の婚約者が起こしたことだから。


 天駆で走る鋼志と並んで飛ぶ。目指すは街中に建つ、一際大きな建物。

 あそこからベルゼハブの気配がした。


「あれは?」

「昨日の貿易会社の入ってる駅ビルですね。大半は無関係な人たちでしょうから、そっと入りたいんですけど……」

「すでに認識干渉はしている。昨日のように壊せばいいだろう?」

「あれは自宅でなおかつちーちゃんが直してくれるからやったんですよ。人様のところで仕事でもないのにやりませんよ」

「チ――」


 舌打ちと同時に先行し、目的の部屋の窓ガラスを抜ける。と、同時に物理的に孔を開ける。

 そこを通って鋼志が飛び込む。すぐさま孔は元通りに塞がった。

 二人ともそれを振り返ることなく、部屋の奥の壁を注視する。


 会議室らしいその部屋は長机と椅子といくつかの電子機器があるだけの簡素な造りで、壁には本来なにもない。

 だが今はそこに、鮮血で書かれた悪魔の使う文字の声明文があった。その下にはその血の持ち主であったのだろう死体が五つ、干からびている。


「すまん、巻き込んだ」


 もし、この場に普通の――たとえば昨日のダニエル・クライトンのような――召喚士がいれば驚愕したことだろう。

 悪魔が謝罪するなどありえないことだ。それが〈弐銘節〉ともなればなおさらに。


 なぜなら悪魔、あるいは魔術師にとって謝罪とは――いや、己の行為の不当性を認めることは――相手に名前を知らせるのと同じくらい、あるいはそれ以上に危険なことだからだ。

 謝った相手が己の召喚者ともなればなおさらだ。それを盾にどんな要求をされるか、わからないのだから。


「なんて書いてあるんです?」


 それをわかっているのかいないのか、鋼志はアスタロッテの謝罪に答えず、また読めずとも理解しているだろうに、血文字の内容を訊いた。認識できなかっただけで涙を流したちせりと違い、動揺は欠片もない。

 この期に及んでもまだ鋼志の心中を量れない。が、それは置いておく。


「『高白ちせりは頂いた。契約者ともども我が別荘へ来られたし』」

「ふむ」


 腕を組み考える。いや、これは――


「もともとこの星に手下がいたみたいですね。ご存知でした?」


 ――過去見だ。特定の場所や物体の過去を覗き見る魔術。


 術式を一切組まずに見るには魔眼が必要になるが、鋼志はそんなものを持ってはいない。

 ならば一体どうやって……?


「いや」


 疑問を胸中に渦巻かせながらなんとか答える。


「じゃあ偶然かな? それとも見越してたのか……うーん、ベルゼハブと拗れたのはいつからです? 具体的には前の契約後なのか、その前からなのか」

「契約後……ちょうど私が〈弐銘節〉に上がった頃からだ」

「んーじゃあ偶然かな。まあ、この星は知る人ぞ知る穴場スポットだからある種の必然なんだろうけど」

「……お前」


 なにを知っている、と口まで出かかった。耐えたのはこの場の責任は自分にあるからだ。

 彼がなにを知っていようと、失態に違いない。


「この星の魔力密度は魔術が成立するギリギリにあるんです。ですから、魔王になることを諦めたくせに支配欲求の強い悪魔が侵略するにはちょうどいい場所なんですよ」

「ほう。そこまで薄いのか、この世界は」

「ええ。でも、ベルゼハブでそんなことを考える阿呆がいるとはちょっと考えにくくて。あ、すみません、詮索するつもりはなかったんですけど、その」


 あわてて弁解を始める。婚約者の存在を告げてはいても、それがベルゼハブであることは知らないはずだからだ。だが――


「シャルルかチセリが告げ口したのだろう?」


 ――出処には当たりがつく。


「気にするな。それで?」

「いえ、それだけです。アーシュだって自分の婚約者とはいえ、彼がなにを考えているのかわからないんでしょう?」

「……そうだな。せいぜい私とチセリの交換を狙っているくらいしかわからん」


 だが、なぜそんなアスタロッテの機嫌を損ねるようなことをするのか。肝心のそこがわからない。魔王を越える強さを持つからこそ慎重で謙虚で、容赦しないのが彼女の婚約者だ。

 しかし、現状で重要なことは彼の動機ではない。


「先に断っておくが、コーシ、余計なことはするなよ」

「余計なこととは?」

「自分でどうにかしようとするな。ベルゼハブは――私の婚約者は限定制御を解いた私よりもさらに数段強い。いや、当代ベルゼハブ〈風王〉が全盛のときからすでにヤツはベルゼハブで最も強い悪魔だった。人間がどうこうできるレベルではない」

「だとすると妙ですね」

「ああ。あの男は自分の力の強さと危うさをよく理解している。こんな強硬手段を取るわけがない。そもそも、ベルゼハブともあろう者が契約もなしに世界を越えるなど……!」


 その気になれば悪魔は各世界へ単独で行ける。そもそも召喚術式を提供したのは悪魔なのだから当たり前だ。

 だが悪魔は基本的にそれをしない。理由は沢山ある。


 もっともらしいものを上げれば、悪魔であっても空間を扱うことは危険であること、他の悪魔の契約の邪魔をしないように、あるいは自ら契約を売り込みに行かないように、など、世界の安全を謳うものから悪魔としての在り方を定めるようなものまで種々にある。だがどれも決定的な理由ではない。それら全てが渾然一体となって慣習の理由となっている。

 悪魔の歴史など万や億で足りるような年月ではないのだから。


 そしてそれゆえにその慣習は契約並みの拘束力を持つ。つまり、単独で世界を渡るということは自ら契約を破ることに等しい行為なのだ。

 そんなことができるのは契約を至上命題とした生き方を棄てた者――真祖だけだ。


「まあ、実際に渡ってきたのは彼の手下ですけど」

「同じことだ。お前がどこまで悪魔の事情に通じているか知らんが〈弐銘節〉や〈参銘節〉は〈肆銘節〉以下の連中とは一線を画す立場にある。ヤツの命令でここへ来たのならそれはヤツが来たことと変わりない」

「へえ。真っ当な悪魔は大変なんですね」

「真祖の家系が自由すぎるだけだ」

「そりゃ、ごもっとも」


 軽く肩を竦めてみせる。


「……こんなときだというのに落ち着いているな」


 余裕すら感じられる。


「こんなときだからじゃないですかね? まあ、敵の強弱をさておけばこの程度のことは日常的……は言いすぎですけど、よくありますし。人質である以上命の保証はあるでしょうし」

「五体無事だとは限らんぞ」

「まあ、程度問題ですよね。実際、ぼくら魔術師や悪魔の死は生の終焉であって、個人の終了を意味するわけじゃありませんし、そういう意味では殺されてるかもしれませんけど」


 だったら生き返らせますし、と契約者は続ける。


「蘇生を? お前が?」


 嘲笑を浮かべる。

 確かに鋼志の魔術師としての腕はある側面においては優秀だ。アスタロッテに匹敵さえするだろう。それは認める。が、それだけだ。


 死者蘇生の魔術は最も簡単なものを、芳醇に魔力がある世界で行なっても、成功することは少ない。悪魔であっても手こずる代物だ。難易度でいえば空間干渉を上回る。

 極めて正確かつ緻密な制御が要求される魔術だ。

 己の体内の魔力をその精度で運用することなら鋼志にも可能だろうが、外部に放出することすらまともにできないのでは、自己蘇生はともかく他者の蘇生は無理だ。

 だが――


「量子干渉はどちらかというと得意分野ですよ? まあ、ちーちゃんが相手ならそういうのすら無関係ですけど」


 ――得意げに鋼志は言った。あの、子どもっぽい笑顔で。


 『量子干渉』と。

 それはつまり、少なくとも彼は『死』を量子もしくはそれに準じるものの現象として捉えているということだ。


 むろん、間違ってはいない。言うほど容易い理解の仕方ではないというだけのことだ。悪魔ですらわかっている者は〈参銘節〉以上に限られてくる。そういう理解だ。


「なら、放っておくか?」

「それとこれとは話が別ですよ。可能かどうかはさておき他人の恋人をさらった落とし前はつけないと」


 心外な、と言わんばかりに、口を尖らせて言う。


「なんだ、意外と相思相愛なのだな。もっとチセリの一方的なものかと思っていたが」

「愛かどうかは自信ないですけどねえ。ちーちゃんはともかく、ぼくはジコチューですから」


 どう考えても自己中心的なのはちせりのほうだと思ったが、黙っておいた。こういうことは当人同士のほうがわかっているものだ。外野は所詮、二人の表層しか見ることができない。


「さて、その別荘へは行けるんですよね?」

「ああ。城では普通の魔術師は死ぬからな。お前を連れていけん」

「あ、そういう判断だったんですね」

「他になにがある?」

「いえ、ちーちゃんを普通の魔術師だと思っているのだとばかり」

「……そうか」


 可能性はある。アスタロッテは一目で看破したが、婚約者本人でないのなら見抜けなかったというのは充分にありえる。

 そもそも。


「ヴァンパイア殿が動いたりはしないだろうな……」


 真祖が動けば一族同士の大抗争――いや、大戦争になる。まして相手はベルゼハブの言わば御曹司だ。下手をすれば全悪魔を巻き込む。


「たぶん、大丈夫でしょう。彼女が動くのは世界崩壊レベルの事態だけですから」

「それはまた悠長な真祖だな……眷属がよほど優秀なのだな。まあ、チセリであれだけやるのだから当然か」

「というか、むしろ、ちーちゃんをヴァンパイアだとわかってたなら、目的は戦争ってことになりますけど。あなたを出しにしたんですから、ヴァンパイアどころかアスタロトも相手にするつもりじゃないですか?」

「それはないな。戦争目的ならもっと派手にやるだろう。大体、やり方が雑すぎる」

「でしょう? なら、ぼくが城へ行けないと判断したんじゃなくて、ちーちゃんが行けないと思ったんですよ。そもそもぼくは対外的には〈弐銘節〉を召喚したやり手の召喚士です」


 そうだ。この男は普通ではない。やはり自分の事情に契約者どころかその周囲の者まで巻き込んだことでアスタロッテは動揺しているようで、普段のような冴えがない。


「ということは、ベルゼハブはどういうわけか、あなたに早く帰ってきてもらいたがってる。契約者の婚約者を連れ去ってでも」

「いや、目的自体はわかっている。――婚姻だ」


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