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本日2話目です。3話目もあります。
窓の外には苔色の髑髏の山。
自分で築いたそれを視界の隅に収めながら契約悪魔の話を聞く。
「おそらく魔法使いの存在を、少なくとも悪魔に知らしめたのはその〈絶世〉様だ」
きっかけは一冊の本だった。世界中の本を集めた大図書館に手を入れて居城としたために、ここには外の髑髏と同じかそれ以上に本がある。
だから彼女たちは暇さえあれば本を読んでいた。魔王として世界と敵対しても、毎日戦っているわけではない。それほどの戦力が相手にないし、なにより彼女自身がそうならないように気を使っていた。
今日もそんな、戦いのない一日だった。
二人でいつものように読書に勤しんでいたのだが、彼女の読んだ本の内容が難しく、相棒の悪魔に聞いたところ、たまたまその本の著者が有名な悪魔だったのだ。
同時に相棒が尊敬する数少ない悪魔でもあったらしい。
かつてヴァンパイアの魔王を務め、今は野に降って真祖となっている稀代の悪魔。
それが〈絶世〉。通称通り、見目麗しい女性の悪魔だ。
彼女は最強に位置する悪魔であると同時に最強の魔法使いでもある。なぜならば彼女はその異能で、そばにあるものから強制的に魔力を奪いとってしまうからだ。
「その力が凄まじくてな、生まれたときから常に発動し続けていて、一時は魔界が崩壊しかかったそうだ」
悪魔の住む世界を俗称して魔界と言う。悪魔だけが住んでいるわけではないが、悪魔的な生物の多い世界で、ときに地獄と比喩されるような、非常に過酷な世界でもある。
当然、そこには数多の魔王がいる。その魔王たちが争ってさえ、魔界が崩壊することなどなかったのだから、その〈絶世〉という魔王の凄まじさは想像を絶する。
「今でこそ制御して抑えていらっしゃるが、それでも〈参銘節〉以下の弱い悪魔たちは近づくことすらできない。魔王や〈弐銘節〉ですら迂闊に触れないという、文字通り不可侵の存在だった。それに、魔王は数多くいるが、他の悪魔の一族の史書にまで記載されているヴァンパイアの魔王は〈始祖〉と〈絶世〉様のみ。理解できないかもしれないが、これはありえないと言っても差し支えない。だから魔王位を降りられたときは本当に驚いた。相手が同じ魔法使いとはいえ人間だったから余計に、な」
いつも冷静な相棒が興奮気味に、そしていつもよりずっと饒舌に語る。
「この本は彼女がまだ魔王だった頃に著されたものだな。彼女の魔法使いとしての異能が『魔力吸収』であるせいか、彼女が魔王の頃の著作は大半が魔力偏在について書かれている。これはその入門書のような本だ。ちなみに真祖となってからも定期的に出版されていて、そちらは魔法使いについて書かれていることが多い。魔法使いの夫婦であることを公言しているのは彼女らだけだから、期待に応えていらっしゃるのだろう」
ほとんど一息でそれだけ言うと少し照れた様子で付け加えた。
「昔、お会いする機会があったのだが、そのときの私では近づけなくてな。画像越しの面会だったのが悔しくて、いつか彼女と向き合えるような悪魔になるというのが私の目標だ。お前のお陰でかなりその目標に近づけそうだから特別に教えてやる」
尻尾がしゃらんと鳴った。
この悪魔は本当に正直だ。嘘に見せかけることは多いが嘘をついたことは一度もない。
「笑うな。お前は契約悪魔に対する畏怖が足りなさすぎるぞ」
しかし、相棒ほどの美女がこんなにも少女らしく振る舞いなんてそうそう見られるものではない。それが悪魔ともなればなおさらだ。
ひとしきり笑うと礼を言った。
相棒がいるから彼女は魔王でいられる。それに対する礼だ。相棒には言わなかったが、きっと伝わってしまっただろう。同調しすぎるのも問題だ。
「魔王たる以外なにもかも自分でしてしまうのだからな。契約しがいのない主だよ、お前は」
契約主である彼女は、あらゆる魔術が使える。だが、その代償とでも言うかのように下半身が全く動かない。
だから体術が使えず、戦闘では魔術しか使わないのだが、その偏重がかえって魔王らしく見せているというのも皮肉な話だ。
ひょっとしたら自分は本当に悪魔なのかもしれないと錯覚しそうになる。
それを否定してくれるのが目の前でふわふわと浮く悪魔だ。
相棒と同じく、飛行魔術が使えるので移動に不自由はしていないが、普段は車椅子を使っている。雰囲気を出すために黒い管で覆ったこの城では少々扱いにくいが、かつて仕えた国から贈られた大切な品だ。
それを放り出して部屋から飛び出す。
泣き声がした。小さな子どものそれ。入れるわけがないのに。
いや、いるのならばしょうがない。だが危険すぎる。ここは仮にも魔王の居城。致死性の罠などごまんとあるのだ。
子どもはすぐに見つかった。部屋に声が聞こえたくらいなのだから近くにいるのはわかっていたが、良かった。
抱きしめ撫でさする。泣き止まない。
彼女はあらゆる魔術を使えるが子どものあやし方は知らない。彼女とて先日成人したばかりのまだまだ子どもなのだから。
とはいえ、やはり万能の天才。彼女はその子どもの違和感にすぐ気づいた。
気配を探る。相棒がこちらに来る様子はない。
一言、子どもに謝る。身勝手な願いをわがままな理屈で託すことを。
どうか――生涯唯一の友を、アーシュを助けてほしい。
その約束と引き換えに、フリージアは子どもを元の世界へ送り返した。