3-3
そういうの気にする人は読んでない気がしますけど話の流れがあれげなので今日は3話更新します。
「ふふん」
アーシュと同じく彼女もまた悪魔なのだと理解させる妖艶な声。
玄関の外でちせりは仁王のように胸をそらせて立つ。
陽光を受けて輝く金の髪は普段よりも念入りに整えてある。
普段はおざなりに済ませる化粧も今日は丁寧に施した。
海老茶色のブレザーも、紅のネクタイも、赤いチェックのプリーツスカートも、情熱的な彼女にはよく似合っているし、ガーターベルトで止められた黒のストッキングも彼女の脚線美を引き立てている。
手提げ、肩掛け、背負い、の三種類で使える革鞄を背負いで使っているのは、背筋を伸ばして胸を強調するためなのだが、鋼志よりも他の男の視線を集めてしまうのが悩みの種だ。
これら全て――胸の件は除く――を指摘、褒めた上で、
「香水とローファーは昨日買ったやつでしょ。よく似合ってる」
こういう細かなところに気づくあたり、鋼志はよく躾られている。
魔術師なのだから人物の微細な変化に気づく観察眼は必須だし、恋人を褒めるのはなににもまして当然のことだけど。
「うん、かわ――」
人差し指でその先を止める。
危ない危ない。
登校前から一張羅が台無しになるところだ。
「真言を使うのはやめてくださいまし」
魔術師にとっては声も足跡と同様に、むしろそれ以上に、自分の一部だ。だから内在魔力の制御に優れる鋼志の真言は異常に効く。特にちせりに向けて放たれるものは混じりっ気なしの本気だから、肉体や精神どころか魂にすら喰い込んでくる。
もっとも、真言でなくてもちせりは鋼志の言動に影響されているけれど。
恋に落ちるとはそういうことだ。
「ちぇ。かわいいよ」
「ぐ……」
普通の言葉でも首まで真っ赤になるのだから。
「は、早く参りましょう」
隠すようにそう言う。隠せていないことは互いにわかっている。
「はいはい」
それでもそうやって誤魔化されてくれるのが鋼志という男だ。
「行こうか」
鍵を閉め、ちせりに並ぶ。けれど、いつもならすぐにつながれる右手が今日はまだ空を握ったままだ。
訝しんで振り向くと半歩ほど後ろを歩いていた。
「どうしましたの?」
「あ~いや、うん」
「?」
「足長いなあと思ってね」
またか。
「気にしすぎですわ」
「気になるよ……」
ちせりの身長は一七五センチ。鋼志は一七六センチ。最近ようやくちせりの身長を追い抜いた鋼志は、今度は足の長さを気にしていた。
鋼志の股下は約八〇センチ。対してちせりは約八九センチ。身長の実に半分以上が足の長さという驚異の体型なのだ。
今日はガーターベルトを着けているので余計にその長さが強調されている。
「わたくしが良いと言っているのですからそれで良いのです。それとも他の女子に好かれる必要がありまして?」
「いや、ないけどね」
ため息一つとともに差し出される左手を取って並んで歩く。
今日は月曜日。高校生である二人は登校せねばならない。
「高白先輩、おはようございます」
「おはよう」
ちせりは三年生。
「コーシもおはよ」
「はよ」
鋼志は二年生。
同じ年の二月と六月生まれの二人は、この国では無情にも学年の壁に阻まれる。
自転車に乗ってその二人に並んだのは鋼志の同級生、保村隆興。
鋼志よりも頭一つ分小さい彼は、その小さな体と童顔で周囲から可愛がられているが、高校空手では全国有数の猛者で、一回り以上年上の恋人を持つ剛、もしくは業の者でもある。
縁無しの眼鏡をかけたそのかわいらしい顔が後ろを向く。
「……また、今日はすごい人を連れてるね」
後方やや上を遠慮がちに見、前に向き直ってから言う。
「んー? ああ、昨日からな。しばらくこんな感じだと思う」
保村は魔術師でこそないが魔力素養が高く、魔力体であってもはっきりと見られる。
目聡くというか、見えるならば当たり前というか、せっかく忘れていたアーシュの存在をちせりに思い出させた。
昨日と同じく、背後霊のようにぷかぷかと浮いている。鋼志は気にしていないみたいだけれど、ちせりには少々鬱陶しい。
「できれば早急に帰っていただきたいものですわ」
「え、エスパーの力でなんとかならないの?」
再び、振り返り、そのまま歩く。
「おっと」
そのせいで、前輪を側溝の枠に引っ掛けた。
「余所見は危ないですわよ」
「失敬失敬。いや、美人だなと思ってね」
「ノーコメント」
「ふぅん」
意味深な微笑。眼鏡の少年二人は数秒、腹の探り合いをし、保村が先に切り出した。
「で?」
「で? とは?」
「なんとかしてあげないの?」
「いや、ぼくが喚んだというか、なんというか」
「えー、エスパー浮気者ー」
「もっと言ってやってくださいな、この尻軽に」
『それはなんか違う』
男二人で声を揃える。
「あ、いなくなった」
「いるよ。気配消しただけで」
「視線が煩わしいのでしょう。うちの学校は見鬼が多いですから」
見鬼とは鬼のことではなく、魔力を見ることができる人間を指す。一般に魔力素養の高い人間は見鬼であることが多い。
「ふぅん。なんか悪魔っぽい人だったよね」
「いや、悪魔だよ」
「え、エスパー、幽霊屋さんじゃないの?」
「なんだよ、幽霊屋さんって」
「幽霊をなんかする人。もしくは幽霊となんかする人」
「それはいわゆる拝み屋さんだからどっちかというとちーちゃんのほう」
「あーそっか、高白先輩は巫女さんだもんね」
「実家は寺だから微妙にニュアンスが違うけどね!」
関係者であるちせりからすれば全然違う。けれど、わかってやっていることなので、それは気にしない。
「というかエスパーってなんだ?」
ぼそりとアーシュが割り込む。
「いわゆるESPを持つ人間のことですけれど……サイキックと同意ですわね。超能力者のことですわ」
「そんなことはわかっている。なぜコーシがそんなあだ名で呼ばれているのだ」
「普通の人間にすれば魔術師も超能力者も大差ないですわよ」
「……隠していないのか?」
アーシュの言うように、魔術師という存在が普遍的でない世界の場合、普通は秘匿する。
普遍的であっても隠す場合が多い。物理と違い、魔法は万人に対して平等に働くわけではないからだ。どうしても魔力の影響を無視できない場合がある。
そうなったとき、有利になるのは大抵、魔術師だ。そしてそれを知られれば、ほとんど必ず迫害される。
狡い、と。
「いえ? 隠していますわよ。だからエスパーなのですわ」
「トートロジーだろう、それは」
「魔力云々を説明しなくて良いのですからだいぶ違いますわ。それに、そんなことを真面目に信じる者はそうおりませんし、信じる場合はほとんど自分も見鬼ですもの」
「ふん……『魔法使い』扱いするわけか」
ちせりの答えに鼻で笑う。
「まあ、そうですわね」
魔術師は文字通り魔術を扱う者――とりわけ人間――を示す、魔力を操りなにかしらの現象を起こす技術者だ。
個人としては強大な力を持つ一方、剣を操る者を剣士と言い、医術を扱う者を医者と言うように、彼らはあくまで特殊技能者でしかない。
ところが、魔術を使わずに超越的な現象を起こせる者がごくまれに現れる。
それが魔法使いだ。
魔術を扱う特殊技能者である魔術師と違い、魔法使いは魔術を介することなく、直接的に魔法を使う特異能力者だ。正確には魔法――すなわち、魔力という存在を前提にした物理法則――に干渉するのだが、古くからこう言われている。
実際、彼らの異能は魔術とは違うので、その前提である魔力を必要としない。魔法の下に起きえる現象であればすぐさま起こすことができる。
そういう意味では魔法を使っているとも言える。
ただ、その異能の多くは魔術で再現できる上に、いちおう等価交換の原理らしきものが働いており、その力を使うには色々と独自の制限がある――らしい。
というのも、魔法使いは絶対数が少なく、また魔法使いである事実を公表することもほとんどないので、その異能の正体は悪魔さえよくわかっていない。
ほとんど伝説的な存在なのだ。
アーシュが笑ったのは、その伝説級の存在に自分の恋人を仕立てた乙女心を、その隠し方に感じ取ったからだろう。さすがに聡い。
が、魔術師でない者からすればどちらも同じ、異質な存在。
ならば双方にとって都合の良い解釈をしても問題あるまい、というのがちせりの考えだ。
ちなみにこの会話は悪魔同士、魔術で交わされているので保村はもちろん、鋼志にも聞こえていない。
「ことさら常人を装うより、少々変人で通したほうが、面倒が少なくて済むのですわ」
「ミミックのようなことを言うのだな」
ミミックとは擬態を好む悪魔に対する蔑称だ。具体的にはザギャンやハーケンティなど、契約者どころか同族の悪魔まで騙すような種族を指すが、真祖に率いられたヴァンパイアも大抵は人間に紛れているので、この蔑称の範疇に収まる。
「ケンカ売ってらっしゃいます?」
「そんな意図はなかったが。チセリは人間なのだろう?」
普段は感情の乏しい者が時おり見せる得意顔はどうしてこんなにもむかつくのだろう。
「ふん。人間に対してやけに馴れ馴れしいじゃありませんの」
それにも係わらず、冷やかしに対して素直に照れる自分が少し恨めしい。
相手は恋敵だというのに!
「そうだな。自分でもそう思う。久しぶりの召喚なので少々興奮しているのかもしれんな」
「次代魔王――〈弐銘節〉であれば召喚されないのが普通ですものね。名門、アスタロトともなればなおさらでしょうし。どれくらいぶりですの?」
「この世界の換算で数千年というところだな」
「……ババア」
「………………」
ほんの少しだけ殺気が漏れる。アーシュの腰の向こうから、しゃらりと音が聞こえる。
「あー……ガールズトークをお楽しみのところ申し訳ないんだけどね」
隣を歩く恋人が声をかけてきた。
「周りの人も増えてきたのであまり剣呑な雰囲気はちょっと……」
「もう終わりましたわ」
そんな雰囲気も会話も。
元よりアーシュと違ってちせりに馴れ合うつもりはない。
可及的速やかに帰ってほしいと思っているのは照れでもなんでもなく、本音だ。
〈弐銘節〉を現界させることは並大抵のことではない。それも、これほど魔力密度の低い世界に、だ。
それは、鍋に煮えたぎる熱湯の中にある一欠片の氷を融かさないよう冷やし続けるような、繊細な制御が必要になる。
氷を融かさないように、熱湯を冷まさないように。
それは崩れて当たり前の不均衡を崩さない制御。一瞬たりとも気を抜けない。抜けばたちまち、氷は溶けて、湯の温度は下がる。
すなわち――地球の崩壊だ。
そんな、触れれば切れてしまいそうな緊張を眠る間にも鋼志は強いられているのだ。
早く解放してあげたいと思うのは道理だろう。
「あ、忘れるトコだった。シャルルさんから伝言」
その彼が告げる。
「お祖父様から?」
「昨日の貿易会社の人が昨日の話を聞きたいって、ちーちゃんに」
「わたくしに? コーシは?」
「特になし。ダニエルさんと直接交戦したのはちーちゃんだし、スカウトも兼ねてるらしいから、ちゃんと行って断りなさいって」
ため息がこぼれる。
人間を相手にする場合、ちせりが前衛を務める関係上、この手の勧誘はよくある。
若く、容姿も整っている上に強いとなれば誰でも放っておかない。特に今年は高校最後の年ということもあって青田刈りの様相を呈している。
ちせりとしては鋼志がいればそれで充分なので、二人揃って採用してくれるのならばどこでも良いと思っている。
けれど、なかなかそういうところはない。九割以上が下心なので当たり前だ。
祖父もそれをわかっているのに、断り自体はちせりに入れさせる。通すべき筋は通す――と言うより、放任なのだ。ほとんど仲介人としての仕事しかない。
口八丁で口説かれたのならそれまで、ということなのだろう。無量大数に一つもありえないことだと早く理解してほしい。
「場所は?」
「駅まで迎えに来るって。帰りはぼくが迎えに行くよ」
「ええ、お願いしますわ」
と言っても徒歩か自転車だ。二人とも二輪免許を持っているけれど、まさかスカートで乗るわけにもいかないし、鋼志は取得期間が足りないので二人乗りができない。
車は鋼志が好きではないので基本的に乗らない。昨日は例外だ。
瞬動術を使わせなかったのは仕事だったから。人間が相手とはいえ、なにがあるかわからない。余計な体力を使ったことが命取りになることはままある。
それに下腹が竦むような、あの感覚がちせりは好きでない。
姫抱きにされるのは大いに結構なのだけど。
それはともかく、事情聴取となると放課後はあまり時間が取れないかもしれない。
放課後デートと洒落込むつもりだったが、間の悪い。
「せっかく気合を入れましたのに……」
「いつものごとく、朝からお熱いことで」
保村の独り言には誰も答えなかった。
放課後。
駅近くで三人は二手に分かれた。アーシュはこちらに来てほしかった――というか鋼志と二人きりにさせたくなかったのだけれど、さすがに無理だった。
だから鋼志には八つ当たりで大量に買い物を頼み、夕飯も思いっきり手間がかかるものをお願いした。
不埒なことをしていれば時間が足りなくなるように。
「高白様ですね?」
剣呑な笑みを浮かべていると、ぱっとしない背広の男が声をかけてきた。おそらく例の会社の人間だろう。
「あなたは?」
名を問われても答えないのは魔術師としての習慣だ。社会人としては最低もいいところなのだが、迂闊に答えて相手が魔術師だった場合、殺されても文句は言えない。
優秀な魔術師は名前と顔がわかれば、どこにいてもその人間を殺せる。ダニエル・クライトンのような暗殺者のほうが魔術師ではまれだ。もっとも、その名前の相手がさらに優秀な魔術師であれば殺されるのは自分のほうなので油断はできない。
アーシュが種族名とはいえ、ちせりにあっさりと答えたのは殺し返す自信があるからだ。
〈弐銘節〉を相手に呪い殺そうとする者が存在するかどうかはさておき。
「これは申し遅れました、横島貿易の宝田と申します」
アルミの名刺入れが夕日を反射する。社会人としてあまり常識的でないのはお互い様のようだ。会社勤めの人間と兼業学生を比べるのもどうかと思うが。
「ご丁寧に。申し訳ありませんけれど、わたくし、本日は名刺を持っておりませんの。なにぶん学校帰りのものですから」
鞄を持ち上げる。鋼志が隣に居ないときは手に提げている。男どもの視線が鬱陶しいことこの上ないからだ。色々と目立つ身体なので大差ないのも確かなのだけど。
この男も、そういう鬱陶しい連中の一人だ。
「………………」
「……あ。いえいえ、どうかお気になさらず」
いやらしい視線に気づいている、というちせりの視線にようやく気づいて答える。
「ささ、車を用意しておりますので、どうぞこちらに」
誤魔化すように案内されたのは路上駐車した社用車。当たり前のように扉を開ける気配りもない。
「………………」
他人事ながら少し心配になる。大丈夫なのだろうか、この会社は。
四度も幹部が命を狙われているし、あまり係わらないほうが良さそうだ。君子危うきに近寄らず。退魔師頭領の身内ということで狙われることも多いちせりは自然とそう考えた。
「十五分ほどで着きますので」
運転席からこちらを振り返り、告げる。視線のいやらしさはそのままに。
隠そうともしない、開き直ったようなそれにうんざりしてしまう。
金輪際、係わらないようにしよう。
ところで、ちせりはアーシュの推測通り、かなり強い。この星に生まれ育った者の中では最強に近いところにいる。
一方で、彼女は一族の中で最も弱い。真血である祖父や父、父方の伯母は言うまでもなく、直接ヴァンパイアの血を引いているわけではない母や祖母と比べてさえ劣る。
これは彼女が一族最年少であることもさることながら、この魔力の薄い世界に生まれたことにも起因する。血も才覚も家庭環境にも恵まれたが、生まれ故郷には――強くなるという一点においては――恵まれなかった。
ただ、ここで生まれ育ったからこそ鋼志に出会えたのだ。恨み言などあろうはずもない。
ともかくも、ちせりは周囲にいる者によって最強と最弱を行ったり来たりする。
そのせいか彼女は油断しがちだ。大抵の人間は彼女より弱く、そうでない場合は周囲の者が守ってくれる。
ある意味で純然たるお嬢様なのだ。
だからアーシュに自ら氏名を告げたり、ダニエル・クライトン相手に苦戦を強いられたりする。隣に、しかも風呂場で、アーシュがいることを忘れたこともあった。
鋼志の言葉で言うなら『おっちょこちょい』だ。
ついでに、この男の、にまにまとした視線が本当に鬱陶しくて、苛立っていた。
そういうわけで――
「いや、綺麗な夕焼けですね、高白様」
「そうですわね」
不機嫌に、投げやりに答える。答えてしまう。
あ、と思ったときにはすでに遅く、体から力が抜け、意識に靄がかかる。
――いとも簡単に、あっさりと、捕まった。