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2-5

「破廉恥な……」


 アーシュの、大きい、というよりも、デカイ、と評したくなる迫力のある胸を凝視、いや、睨めつける。どうも鋼志には乳のデカイ女が集まる傾向がある――気がする。

 実際には、岩動の女性が大きいからそう感じるだけで、ちせりにも巨乳と言える程度のものはついている。いや、一般女性からすればちせりすら規格外だ。

 ちせりにその自覚はあまりないが。


「他人の胸を凝視するのも大概だと思うがな」


 隣でアーシュが答える。大人の余裕、むしろ大きい人の余裕を浮かべて。


「ぐぐぐ……」


 こうして並ぶと――この家の浴室、浴槽は大きく、大人でも三、四人は同時に入ることができる――余計に違いが目立つ。

 彼女のものは大きいだけでなく、前にせり出している。円錐型というやつで、実寸より大きく見えるのだ。それと褐色の肌と相俟って、南米的な奔放さを感じさせる。

 一方で、ちせりのものは半球型で、理想的な美しさを持つと言われている。実際、数値的にも理想に近いものを持っている上に、肌の白さが幻想的な雰囲気を生んで、浮世離れした貞淑さを醸し出している。

 男であれば――いや、女であっても――甲乙つけ難いものがある。けれど、そのあたりの男性の心情にちせりは疎い。むしろ、鋼志の好みを熟知しているがゆえの弊害とも言えた。


 そう、見た目だけならアーシュは鋼志の好みにぴたりと当てはまるのだ。

 もちろん、それだけで鋼志が鞍替えをするとは思っていない。そもそもそんな男であれば婚約者にはしないし、なにより十年以上の付き合いは伊達ではない。

 だからといって、心底安心できるようなことでもない。

 なにか一つくらいは鋼志の好みでいようと、巻き毛にしているがそれだけでは足りまい。

 なにか打開策を、と考えるが――


「思いつきませんわね……」


 ――そもそも、それは十年以上に渡って毎日考えていることなのだ。


「それほど浮気者とも思えんがな」

「悪魔に対して警戒しすぎなんてことはありませんわ」

「まあ、確かに」

「それと、コーシを妙なことに巻き込むのはやめてくださいまし」

「妙なこと?」

「ベルゼハブ、の魔王――〈風王〉の崩御が近いとか」


 ほとんど表情を動かさなかったのはさすがだ。それを見抜いたちせりも同じく。


「それにともなって、ベルゼハブの友好一族であるアスタロトやアスモデュースにも動きがあると。昼の間にお祖父様に調べていただきました。次代魔王候補であるなら無関係ではないでしょう?」


 互いにまっすぐ目を見る。嘘や誤魔化しを見落とさぬように。


「……無関係ではないだろうが、関係あると断言できるものでもない。私の婚約は〈肆銘節〉の頃からのものだ。相手もまだ〈参銘節〉であったし、ベルゼハブもその頃は健勝だった」

「婚約者がベルゼハブであることは否定しませんのね」

「調べればわかることだからな。私自身が当代アスタロトの直系であることは言ってしまっているし」

「……お嫌いですの?」


 ほとんど直感的に訊いていた。婚約相手のことだ。


「まさか。お前ほどではないが好いているよ。好いているというより尊敬しているといったほうが近いか。魔王に比肩あるいは圧倒すらできる力を持ちながら驕ることもなく、高位悪魔のくせに人間の真似事を好む変わり者だ。先代、当代アスタロトと彼は間違いなく私に影響を与えている。良くも悪くもな」

「そう」


 そろって視線を落とす。


「巻き込むつもりはない」


 ささやくような声は反響し、大きく聞こえた。


「人間が悪魔を自分の事情に巻き込むのとはわけが違うのだ。そんなことはさせんよ」

「でしたら構いませんわ」

「こちらも確認しておきたいことがある」

「どうぞ」

「岩動の家の人間はここにはいないのだよな?」


 前言通り、疑問というよりは確認の言葉。


「……ええ。この家はコーシの所有物ですから、基本的には彼以外、この家に住まう者はおりません。わたくしがこうして泊まったり、近所に住まわれる叔母様方がときどきいらっしゃったりするくらいです」


 無言で先を促される。


「お義母様は海外で暮らしていらっしゃいます。帰ってくるのは年に数度。彼女は魔術師ではありませんので、海外にいらっしゃるのは純粋に仕事の関係です。それから――」


 少しだけ詰まる。厭な記憶を封じる時間だけ。


「――お義父様は亡くなっています」

「彼は魔術師だったのか?」


 ちせりが詰まったことからそう推測したのだろう。


「はい。ただ、家系で言えばお義母様のほうだったそうですわ。お義父様もお祖父様と同じように入婿だったそうですから」

「ふうん」

「わかっていらっしゃるでしょうが、これ以上のことはコーシに。わたくしではどこまで話して良いのかわかりませんから」

「いや、確かめたかったのは家族の所在だ」


 アーシュの返答に、なるほど、と笑みが浮かぶ。


「叔母様方は今、遠方へご旅行中です。でも、なぜわたくしに?」


 鋼志に聞くのが筋というものだろうに。


「聞けば答えてくれるだろうが……、先読み、いや読心されそうだ。読むのは好きだが、読まれるのは好かん」

「わがままな方」


 それだけ言うと沈黙が落ちた。


 檜の芳醇な香りが浴室を包む。温泉であれば最高だったけれど、生憎ただのろ過水だ。それでもこうして入っていると手軽に温泉気分を味わえて心が踊る。

 誕生日に檜風呂をねだるなんて、爺むさい男子高生だと思っていたのだけど、案外ちせりのことも考えてのことだったのかもしれない。


 だったら嬉しい。

 自分も年寄り臭い趣味をしているのは棚にあげてそんなことを思う。


 頬が緩む。

 四歳のときに出会ってもうすぐ十三年。

 泣いた記憶など数えるほどしかない――とは言えないけれど。

 笑った思い出のほうが多いのは間違いない。

 今日の昼のように泣いたあとは必ず笑っている。

 今みたいに。


「百面相だな」

「………………」


 漂う湯気のようにほわほわした温かいものが胸中からどこかへ消え失せた。

 そうだった。こいつがいるのだった!

 というかアーシュから見ると彼女の気遣いに対して笑ったように見えるのではないか。

 鋼志の優しさに笑んだというのに。

 そもそも、普通に隣にいることを忘れるとは、なんと迂闊なことか。

 なおかつ、相手の神経を逆撫でするよう的確に浮かべられた嘲笑のなんと腹の立つことか。


「ふん!」


 立ち上がる。勢いで水が少し溢れた。


「上がりますわ」


 広いと言っても個人宅の浴室、わずか数歩で扉に着く。開けるとき、思い出したように振り向いた。


「わたくしはコーシの部屋で眠ります。覗くのは構いませんが……出歯亀は品位を落としますわよ?」


 アーシュの反応を見る前に脱衣所へ出る。

 生意気を言う子どもを愛でるような苦笑を浮かべることはわかりきっていたから。


   *


 同刻、とある貿易会社の一室。

 完全に消灯されたそこに一人佇む男。この会社の末端社員の一人だ。

 うだつが上がらず、周囲からも邪魔者扱いされているが、妙に上司受けが良い。初歩的な失敗が多いくせに、勘所は絶対に外さない――つまり、同僚の手を煩わせるが、上司を動かすほどのことはしない――そんな奇妙な男だ。


 そのせいか、今日の昼に幹部の一人が出社していないことを上司から聞いていた。最近、妙に休むことの多い幹部だ。

 その理由を彼は知っていた。上司受けが良いからではない。それは虚像だ。


 彼が悪魔であることを隠すための。

 社会に紛れるときに大事なことは、ほんの少しだけ目立つことだ。できれば悪い方面で。妙なことになった場合、言い訳が立ちやすく、しかも納得させやすい。見下した相手の言い分をいちいち一考する人間などそうはいない。大抵は反射的に応対する。


 つまり、またか、と。

 その甲斐あってか、今まで数人の退魔師と出会ってきたが正体が露見したことはない。もともと彼は隠蔽や欺瞞に優れる。

 その上、周囲の優秀な退魔師の動向は細心の注意を払って探っているのだ。

 見つかる道理がない。


 とはいえ、そのために捜し物が見つかったのはただの偶然だ。いや、退魔師の総本山に近いところにいるのだ。可能性は高かった。が、これほど早く見つかったのは僥倖だ。


「キングルークより伝達……キングにつないでくれ緊急だ」


 地上にない、彼らの言語で言う。万が一、聞かれていたときのためだ。誤魔化しが利かなくなるが、内容を理解されるよりよほどいい。

 一方で、使う術式は最小にして可能な限り隠匿する。わざわざ会社に残っているのは、昼の一件のお陰で退魔師の出入りが多く、妙な術が発動していても不自然ではないからだ。


「……キングルーク――フェーデルア/ロッソ/ラインガラルド/ベルゼリュト/ベルゼハブでございます。ご報告を」


 記号名とともに五節に区切られた自分の名を告げる。

 名前の申告は、恭順と隷属を誓い、これからの発言に虚偽や秘匿のないことを宣誓する、悪魔同士では一般的なやりとりだ。この相手が人間となると少々趣が変わってくるが。


「――クィーンを見つけました。予想通り人間と契約を交わされております。内容はわかりませんでしたが……非限定系のようです」


 非限定系、つまり、具体的な物や作業――永遠の命や誰かの殺害など――ではなく、継続的な仕事――一定条件が揃うまでの護衛、あるいは恋人、家族の振りをするというようなもの――を依頼する契約を指してそう区分する。

 契約した悪魔を現界させるために莫大な魔力を消費し続けることになるが、その魔力を賄えるならば、柔軟性に富み、非常に応用力の高い契約だ。

 魔力が続く限り、条件を満たすまで、あるいは限定系の契約に切り替えるまで、契約した悪魔をほぼ自由に使えるからだ。もちろん、限定系の契約に切り替えるには多少、用心が必要だが――契約変更は悪魔にとって格付けの変更だからだ――大抵の悪魔はある程度の期間を経ていれば、その時点で非限定系の契約満了と見なす。つまり、再召喚を省略したと見なすのだ。


 ともあれ、非限定系の契約を結べる召喚士は高位の者に限られる。半端な期間、少なくともニ、三日で終了するということはないだろう。

 それは困るのだ。

 可能な限り早く、できればベルゼハブ――〈風王〉が後継を指定する前に還ってきてもらわねばならない。


「では、やはり予定通りに。はい、お任せください」


 通話を終了し、魔術の残滓を消す。漆黒だけがあとに残る。

 その闇に沈んだ部屋の中、悪魔の瞳だけが、爛々と輝いていた。

 獲物を前にした肉食獣のように。

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