みかんの皮が落ちていた
みかんの皮が落ちていた。
夕暮れの帰り道。仲良しの友達。どこかで犬が吠えてる住宅街。
そんな何気ない光景の中に、みかんの皮が落ちていた。
「ねえ、あれ……不思議じゃない?」
かなちゃんが私に言った。
「え、何が?」
「だって、みかんの皮が落ちてるよ」
「え、うん。落ちてるね」
「絶対変だよ」
「そ、そう?」
かなちゃんは真剣な表情でみかんの皮を凝視する。
「だって、ここにみかんの皮が落ちてるってことはだよ。きっと誰かがみかんの皮を捨てたんだよ」
「え、うん」
そうなるね。ポイ捨てになるのかどうかは置いといて。
「と言うことは、誰かみかんを食べながら歩いてたってことじゃない?」
「うん」
「きっとそうだよ。だって、みかんを食べずにみかんの皮だけを持ち歩いてるなんてこと、あんまりないもん。例えばあたし、ポケットに何気なくゴミを入れちゃうことがよくあるの。でもみかんの皮はない。だって、あのぽろぽろしたのがポケットの内側にたくさん付いちゃいそうでいやだもん」
「うん、それは嫌だね」
「ねえ、ってことはやっぱり誰かがみかんを食べながら歩いてたんだよ。でも、待って! それが不思議なの。驚かないで聞いてほしいんだけど……」
「うん。驚かない様に頑張るよ」
「私、みかんを食べながら歩いてる人って見たことないの」
「驚かなかったよ。私頑張った」
「それだけじゃない……。あたし自身がみかんを食べながら外をふらついた事もないんだよ」
「大丈夫だよ、私もないよ。安心していいよ。一人じゃないよ」
「そうよね。普通しないよね。みかんの食べ歩きなんて。でもここにみかんの皮が落ちてるってことはだよ? その普通じゃないことをしてる人が身近にいるかもしれないってことじゃないの? つまりこのみかんの皮は普通じゃない人の存在を立証している……!」
「え。それはちょっと極論すぎないかなあ」
「考えて見れば、このみかんの皮も可哀想よね。ただ中身を守るために存在する悲しい存在だわ。超がつくほどの自己犠牲。ただひたすら果実を守り続ける為だけに生まれて、食べられる時には邪魔もの扱いされて消えていく……」
しみじみと自分の世界に入っていくかなちゃんを見ながら、私は新しい自分を見つけてしまった。
私、みかんの皮にそれほど興味無いかも――。
あれ、でもそれって言っちゃいけないことなのかな。やっぱりだめだよね。かなちゃん、きっと傷つくもんね。
私の心配をよそに、かなちゃんは身振り手振りで語る。
みかんの皮の生涯。みかんの皮の苦しみ。みかんの皮の悲哀を。
想像だけで。断定口調で。
「みかんの皮には生まれた時から守るものがいたの。
お日様の光を浴びるのも、葉っぱに邪魔されてできなかった。その薄暗い中で健気に中身を守るの。日蔭者としての幼少期。葉緑素が無いからって葉っぱ達に馬鹿にされもした。
『ねえ……葉緑素がないとお日様浴びちゃだめなの?』そんな訴えもガンスルー……。
そして、いざご家庭に到着するやいなや、めんどくさそうに向かれて、爪に入ったと文句を言われ、捨てられる! 待って! せめてお風呂に一緒に入れてあげて! きっとお肌にいいから! きっとお肌がつるつるになるからぁ! そして、ここからが本当に泣けるの、ゴミ箱に――」
「待って!」
「え、どうしたの」
「かなちゃん。言いにくいんだけど、そろそろみかんの皮の話やめようよ。ついて行こうとしたけど、私、もう振り切られてるよ。かなちゃんを遠くに感じるよ」
「え……! なんで!? なんで急にそんなこと言うの……?」
「あ、ごめん。ごめんね。そんな切なそうな顔しないでよ。でも切ないのは私も同じだよ。いや、むしろ切なさなら負けてないよ?」
空気が少し冷えてしまったのを感じた。
かなちゃんが先に口を開く。
「……あ、そう言えば、宿題出てたね、数学」
同時にかなちゃんの口からこぼれた、ふ、と短いため息。
かなちゃんはみかんの皮の話をやめてくれたけれど、私はなんだか悲しい気分になる。
「あれ、やらないとどうなるのかなあ」
「お、怒られちゃうんじゃないかなあ。あの先生きっと怒るよ。すっごい怒るよ」
「そうだね、あははは。怒られたくないもんね。やらないとね。あはははは。あははは!」
かなちゃんの強がった言葉が、なぜだろう……少し刺さる。
かなちゃんの強張った笑顔が、なぜだろう……喉に刺さった鮭の小骨のよう。
私、本当にこれでよかったのかな。かなちゃん、怒ってないかなあ。みかんの皮の話を一緒にすることができなくても、私達、まだ、友達だよね? 今まで通りに笑えるよね?
なんなんだろう、この不安。どうしよう、このままじゃなんだかいやだ。
私の焦燥が伝わってしまったんだろうか。かなちゃんの顔から表情が消える。
私は何か言わなくちゃって思って、口を開いた。でもそんな私の言葉は遅すぎた。涙で前がにじんだ瞬間、かなちゃんから鋭い言葉が飛んできた。
「あ、あの先生、みかん好きそうな顔してるよね」
み、みかんの話!?
きっともじもじしてる私に、謝るチャンスをくれたんだ。
かなちゃん、ありがとう! やっぱり私、かなちゃんとお友達で良かったよ!
「う、うん! あの、さっきはごめんね。私、さっきはあんなこと言っちゃったけど、やっぱりみかんの皮のお話したい! だって、かなちゃんが楽しそうにお話してるの見てるの私、大好きだから!」
「え、あたし今、数学の先生の話してるんだけど……」
「……ご、ごめんなさい」
――罠だった。
でも食いついてしまった事を後悔はしない。だってちゃんと謝れたもん。
その時、前からみかんを食べながら歩いてくるおじさんが目に入った。水平に差す夕日を背にして、みかんの皮を剥きながらやってくる。
「あ! ねえ、見てよ、かなちゃん! あの人だよ、きっと! さっき言ってた変な人だよ! みかん食べながら歩いてるもん!」
「だから、あたし今、数学の先生の話してるんだってば……」
「……ご、ごめんなさい!」
雲が夕日にかかると、逆光が消えて顔がはっきりと見えた。
「うわッ! すごいよ、かなちゃん、あのみかんの皮ポイ捨てしてる人、数学の先生だよ!」
「あのさあ……あたしは今数学の先生の話してるんだってば!」
「……」
「……」
かなちゃんの頬を汗が伝った。どこかでカラスが鳴いた。
「だから、あの変な人は数学の先生なんだよ!」
「……違う! 違うもん。宿題出してる方だもん。みかん関係ない方だもん」
「かなちゃん! 現実を見て。私達に数学の宿題出してる先生はあのみかん食べ歩いてる人だよ! あと悪いと思ったら謝ろうよ!」
「う……ごめんなさい。あたし、悔しかったの。せっかく感動を共有できると思ったのに。だから、だから意地悪な気持ちになっちゃって……!」
「うん、もういいよ。きっとお互いさまだよ。これからは私もみかんの皮に興味を持つようにするよ。みかんの皮はお肌にいいよ。ゆずに負けてないよ。知らないけど」
「うん、ごめんね」
近づいてきた先生に元気よく「さようなら」の挨拶をして、一緒に帰る。
友情を確認した私達の後ろには、みかんの皮が落ちていた。
~fin~