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夢恋リアル

 初恋の相手は男だった。

 今までずっと隣りに居て笑い合ってた同性の友達を俺はある時からそういう目で見ていた。

 そいつの隣りは居心地が良くそんな日々が続けばと心から思っていた。 だが最初は友情を愛情と勘違いしているだこだと自分でも思っていた。いや思い込もうとしていたのだ。

 夕日が差し込む放課後の教室。ただそばに居られれば良いと思ってたのに俺は募る想いを胸に抱えきれなくなりついに隠していた想いを吐き出した。


 いつもと変わらず俺とアイツは喋ったり漫画を回し読みして最後までだらだらと教室に居た。いつもと変わらない筈なのに俺は落ち着かない。いつの間にか二人っきりになり俺は――。


「好きだ」

「は?」

「お前が好きだ」

「なんの冗談だよ」

 冗談だと思ったのかアイツは笑って首を傾げたが、俺の目を見てアイツの顔から笑顔が消えていく。

「そういうの……俺には理解できねえよ」

 想いを吐き出した俺に返ってきたのは冷たい声音の言葉。汚いものを見るような目で見られて俺は後悔した。遠ざかる友人の姿と足音に俺はただ立ち尽くしていた。

 翌日から俺達の関係はぎくしゃくとしたものになり、堪えきれなかったのか友人は転校してしまった。

 ただただ後悔が募り、その記憶は未だに俺にとってトラウマになっている。

 だからか人を好きになる事に躊躇いを覚えるようになった。

「洋治、おーい牧瀬洋治まきせ ようじ君~」

「へ? なに」

「何じゃねーよ初恋の話聞かせろって」

 はっと気付くと何も知らない奴等のへらへらと笑う顔がそこにあった。クラスメートとのお喋りの話題がなぜか初恋の話になり俺は思い出したのだ、あの事を。

 勿論中学生時代のほろ苦い思い出を話せるわけもなく俺は当たり障りのない事を適当に答えた。


 今はたくさんの友人に囲まれ、笑い合ったりふざけ合ったりと楽しい毎日を過ごしている。

 そんな毎日を壊したくはない。

「ん?」

 ふと一瞬にして教室内の空気が変わった。

 視線を騒がしい朝の教室の入り口へとやると、一人の生徒が立っていた。

 綺麗な黒髪をかきあげる仕草は同じ高校生と思えない気品を感じ、どこか他人を寄せ付けない雰囲気を纏っている。紺色の同じデザインのブレザータイプの制服もそいつが着てるとお洒落な服にすら見えた。俺は似合わない似合わない散々言われてきたのに。

「アイツ誰?」

「はあ? 同じクラスなのに知らねえの? 瀬良奈緒斗せら なおとだよ。色んな意味で有名。まあ休みがちでたまにしか来ないから知らないだろうけど」

「ふーん」

 女子生徒達の熱い視線と男子の妬ましさを帯びた眼差しを浴びながらも気にする様子もなく瀬良は席に着く。

「アイツは俺等の敵だよ、女子に告られても見向きもしねーらしい。今まで何人の女を泣かせたか」

 他の奴等がぼやくように言い、オレはもう一度瀬良を盗み見てみた。

 確かに他人に興味を示さなさそうな感情が分かり難そうな顔をしている。なんとなく性格も分かる気がした。


 友達になれそうにないタイプだ。

 それから他の奴等とまたくだらない話をして一日が始まった。

 俺は最近の席替えで窓際の一番後ろの席になったので教室全体を見る事が出来る。寝ても教師にバレにくいので生徒達の人気の席だ。自分のくじ運の良さを誇らしくなる。

 ふと後ろから盗み見た瀬良は普通に授業を受けていた。だが三次限目くらいになって瀬良の姿が見えなくなった。

 帰ったのだろうか。なんて思いながら窓から流れる雲を見る。自由な奴だと思った。

「牧瀬! 帰ろうぜ」

「おう」

「新作のゲーム買ったんだけど、やるだろ?」

 放課後になり楽しげなクラスメートに囲まれ俺は高校生らしい日常を過ごしてると感じながら寄り道を繰り返し家に帰った。

 風呂を済ませ時計の針が十二時をさした頃、俺は多少の眠気を抱えてベッドに潜り込む。

 暫く眠れなかったが目を瞑っているとやがて眠りの世界に落ちていった。

 断片的な夢を繰り返し、夢と現実が曖昧な世界で俺は夕暮れ時の教室に一人立っている。

 静かなその世界に扉の開くレールの少し軋んだ音が響いて、俺はそちらを見ていた。

 柔らかな夕日の赤を纏って一人の男子生徒が入ってくる。誰だろうか、ぼんやりして分からない。

 そいつは迷うことなく俺の傍まで来て――。


 俺の唇にそいつの唇が重なり合った。

 柔らかく暖かい感触に不安や躊躇いが生まれる。求める事への恐怖。だがそんなものを溶かしてしまうくらいキスは濃厚で優しかった。俺はもっとして欲しいとぼんやり思っていた。

 相手は誰なのだろう。相手を認識する前に夢は曖昧になり俺は夢から現実へと引きずり戻されていた。

 目を覚ませば見慣れた天井が見える。

 教室ではなく紛れもなく見慣れた自分の部屋だ。俺は起き上がり、落ち着こうと大きく息を吐いた。

 心臓がまだ煩いくらい高鳴っている。あの夢は一体何なのだろうか。

 俺は無意識のうちに唇に触れていた。唇が触れ合った感触がまだあるようなそんな気がしていた。

 その日は一日あの夢の事ばかり考えていて、何度も頭の中であの映像が繰り返される。

 俺は机に突っ伏した。あの映像を思い出す度に恥ずかしさも繰り返されてしまい顔が赤くなるのを感じた。

 だがあれが初めてのキスなのだから仕方ない。 自分を落ち着かせようとしてはまた、一人悶々として突っ伏した顔をあげられなかった。



 あっと言う間に迎えた放課後、俺は帰りの支度を済ませ足早に教室を出ようとしたが、

「おっと逃げるなよ牧瀬、お前は今日掃除当番だ。前回サボった分しっかりやれよ」

 担任の教師に引き留められてしまった。そんな俺を見て周りの奴等がニヤニヤしている。アイツ等もサボっていたのに何故俺だけ捕まるのだろう。

「えー……」

「えーじゃない、あんまりやらないようだったら生徒指導の瀬良先生からたっぷり指導してもらうぞ」

 その名前にこっそりサボろうと思ってた俺の肩が露骨なくらい跳ねてしまう。生徒指導の瀬良は体格が良く常に顰めっ面の近寄りがたい教師だ。怒ると恐ろしく生徒はみんな恐れている。その上、昔はこの辺りを統べるヤンキーだったとかいう噂もありますます関わりたくはない相手だ。

「ちゃんとやりますって」

 俺はそそくさと掃除用具から箒を取り出した。薄情者なクラスメート達は俺を置いて一人また一人と帰って行く。恨めしげに教室を後にする奴等の背中を睨み付けるも、自分が虚しくなるだけなので掃除を再開させた。

 体育館裏のゴミ捨て場までゴミ捨てに行き教室に戻ると既に生徒は誰も居らず、無人となった教室を優しい夕日が包みこんでいた。

 俺はその教室に入り、置きっぱなしにしていた箒を手にし、そこで不意に思い出してしまった。

「夢と同じ……」

 かたんと音がして、ドアを見ると夕日を背負った瀬良が立っていた。

 優しい茜色は瀬良の独特な色気ともいえる雰囲気をより引き立てさせる。

「……っ」

 瀬良が教室に入ってくる。そして迷うことなく俺に近寄ってきた。

 これはあの夢と同じだ。心臓が激しく音をたて始め俺は思わず目を瞑った。

「ねえ」

「え?」

「そこ俺の席」

「は?」

 俺はぽかんとしてしまう。瀬良がもう一度ちょっとめんどくさそうに机を指差して「退いて」と言った。

 どうやら俺は瀬良の席の前で突っ立ってたようだ。あの夢の再現では無かったと俺は何故か落胆し同時に恥ずかしさに顔が熱くなる。

 瀬良はそんな俺に構うこともなく机からノートを取り出すと、一度も表情を変えないままさっさと帰って行った。

 俺はなんだかどっと疲れていた。

「早く帰ろ……」

 何故瀬良に期待してしまったのか、自分でも分からず何度目になるか分からない溜め息をついて教室を後にした。




 次の日、俺はやや遅刻気味に登校した。

 あんなことがあったからか夢に瀬良が出てきた。それが内容こそ忘れたが案外良い夢で二度寝してしまったのだ。

 息を切らせて門を潜ると生徒指導の瀬良武則先生が誰かと話しているのが見え思わず歩調がゆっくりになる。

 話しをしているのはクラスメートの瀬良だ。

 なんだか親しげで、瀬良先生の顔もいつもより優しい気がする。

「あの二人って一体……」

 そんな事を考えていたらチャイムが鳴り響いてしまい、先程の穏やかな顔から一点、瀬良先生は鬼のような顔をして吼えた。

 俺は飛び上がるように教室へと走った。

 だが俺の努力虚しく結局遅刻になってしまった。瀬良は先に来ていたようで涼しい顔して座っている。なんだか無性に腹立たしさすら感じた。

 担任の教師に説教され俺の一日が始まった。

 一時限目の数学が終わると次の体育のため着替えを始める。瀬良が着替えてる姿が目につき珍しいと思うのと何故か目が逸らせない不思議な感覚にとらわれる。

 なぜこんなに瀬良の事ばかり考えるのだろうか。考える度に体が熱くなり慌てて教室を飛び出した。

 誰かが体育館でバスケだと言っているのが聞こえ、俺は体育館へと急いだ。

「よーし、じゃあ二人ペアになってパス練習だ」

 教師の言葉に各自ペア相手を作り始める。俺もと思い周りを見るがみんな相手が既に居るようだ。瀬良以外は。

「よ、宜しく」

「…………」

 昨日の事もあり俺はなんだか気まずい。瀬良は相変わらず無表情で話しもしないため俺達の周りだけ空気が重い気がする。

「あのさ、瀬良は好きなテレビとかある?」

「別にない」

 会話が終わった。

 それからも挫けずに何度か話題を投げかけるもすぐに会話が終わってしまう。その上、瀬良の表情はぴくりとも動かず、ずっと無表情だ。

 思えばあいつは笑ったりするのだろうか。

 結局その時間もその後も瀬良の笑った顔を見ることはなかった。


 その日の夜、携帯の充電も切れた頃に俺はベッドに潜り込んだ。

 部屋を暗くして目を強く瞑ればそのうち眠くなりいつの間にか眠っていた。

 その日は夢を見ている自覚があった。客観的に俺は教室で俺と誰かが話しているのを見ている。

 誰かではないあれは瀬良だった。瀬良と俺が話している。

 俺は驚いた。何故なら瀬良が楽しそうに笑っているからだ。

 その笑顔が俺に向けられている。それだけで胸の鼓動が早くなる。

「――っ!」

 翌朝目覚めると、瀬良の笑った顔はぼんやりとしか思い出せなかった。だが、瀬良の笑った顔を見て俺は幸せな気持ちになっていく、

胸に暖かなものが広がっていくのを俺は確かに感じていた。 どうすれば瀬良は笑うのだろうか。

「まずは切っ掛けだな、仲良くなれば瀬良だって」

 きっと笑う筈だ。そして瀬良の笑った顔を見たらきっと俺はまた過ちを繰り返してしまうかも知れない。それでも見てみたいという自分の欲求に勝てなかった。

「瀬良、お前休んでた間のノートとかってどうなんだ? 大丈夫なのか?」

「なんでそんなこと気にするの?」

「え、えーっと。まあ純粋にちょっと気になったってだけで」

 一々可愛くないこと言う奴だとしみじみ思う。だから周りから反感を買うんだと納得した。夢とは違い無表情な瀬良を見ていると胸が苦しくなってくる。

「……困ってる」

「へ?」

「正直困ってる」

「そうかそうか! なら俺の貸してやるよ」

 瀬良の一言で居心地の悪い空間は破壊され、俺は今日持ってるノート全てを纏めて持ってきた。

 瀬良は受け取るとペラペラと見ている。

「案外字綺麗なんだな」

「案外ってなんだよ失礼な」

「悪い悪い、でも助かったありがとう」

 そう言った瀬良の表情は優しくて、俺は思わず息を呑んだ。



 それから俺と瀬良はよく会話を交わすようになり一緒に居る時間が増えていった。

 話しをしていくうちにアイツが案外面白い奴で話しやすいという事を知った。瀬良の隣りが心地いいという事も。

 しかし新たなことを知る度に俺の中で芽生える感情を、抑えつけるのがこの頃辛くなりつつあった。「バスケのペア練習をするぞ、好きな奴と組め」

 体育の授業はまたバスケだ。でも今回は余ったからではなく自然と瀬良と組んでいた。

 オレは以前から気になっていた事を聞いてみる事にした。

「なあ、なんで瀬良は不登校気味なんだ?」

「あー……、特に深い意味はないけど、俺勝手なイメージとか作られてさイメージと違うって言われたり思われたりして拒絶されんのが嫌なんだ、俺の事何も知らないくせにさ」

 瀬良が抱える心の傷を少し知れた気がした。

 それと同時に瀬良がクラスの奴等と距離を取る理由も何となく分かった。

「でもさ、誰だってそうじゃないか? 勝手にイメージしてイメージと違うってがっかりして。でもイメージと違うから好きになる場合もあるわけだし」

「………………」

「あ、あはは。俺なに言ってんだろ意味わかんないよな」

 気恥ずかしくなって笑うと瀬良が俺の頭に手を乗せる。

「なんか今のでちょっと気持ちがラクになった」

 笛の音が響き今度はシュート練習が始まる。

 俺が放つボールはことごとくゴールに嫌われていた。

「くそ~、また入んなかった。シュートってどうすりゃ入るんだよ」

 バスケ部じゃないんだし無理だろと他の奴等とボヤいていると、

「そんな考えるモンなの?」

 瀬良がシュートを放つ、ボールはまるで吸い込まれるようにゴールに入った。

 一瞬体育館が静まり返るも、すぐさま歓声があがった。みんな瀬良に集まり始める。

「瀬良すげーな! 俺等とチーム組もうぜ」

 瀬良がいるチームは圧勝した。俺のチームはぼろ負けした。授業が終わり片付けしていると瀬良がクラスメートと話をしている。

「なあ、昼休みに他のクラスの奴とバスケするんだけど、瀬良も来てくれよ」

「別に構わないよ」

「え、意外だな……。断られるかと思った」

「誘っときながらそれはないでしょ」

「悪い悪い、なんかイメージと違うな。案外絡みやすいんだなお前」

 瀬良が少しだけ笑っていた。

 俺はそれを見て嬉しいと思ったが、それ以外の感情も湧き出てくる。

 そんな感情を抑えるのにオレは必死だった。 胸が痛くなる。この痛みの意味を知っている俺は、過ちの記憶を思い出して怯えていた。瀬良が居なくなるのは嫌だと思った。居なくなるくらいなら嫌われるくらいなら俺は感情に蓋をしようと決める。



「牧瀬、帰ろう」

「おう」

 夕暮れ時、帰り道を急ぐ人の中を俺達は並んで歩いている。

 すると、前から大きな犬を連れた女の人が歩いてきた。随分大きな犬だが、長い舌を垂らしながらのそのそ歩いている姿はなんとも間抜けだ。

「ぷっ、見ろよ瀬良」

「…………」

「瀬良?」

 いつも無表情で、落ち着きはらってる瀬良が俺の後ろに隠れ犬が過ぎ去るのをじっと待っていた。隠れてるつもりだろうけど、実際は俺より瀬良の方が背が高いため隠れきれてない。

 寧ろはみ出ていて目立つ。

「お前犬苦手なの?」

「べ、別に」

「声震えてるぞ」

 怖いというのがバレバレなのに必死に隠そうとする姿が妙に可笑しくて笑うと、瀬良に頬を左右に引っ張られた。

「笑うなっ」

「いひゃいって」

 見間違いではないし、夕日のせいでもなく瀬良の顔はほんのり赤くて、それがとても可愛く見えてしまうなんて、俺はどうかしてるんだろうか。

「じゃあお詫びにハンバーガー奢るよ、寄っていこう」

「え、ああ」

「どうした?」

 妙に驚いた表情をする瀬良に俺は首を傾げる。

「いや、誰かと帰りに寄り道とか初めてだから」

「お前友達居なさそうだもんな」

「居るし、お前がそうだろ?」

 瀬良の真っ直ぐな言葉に今度は俺の顔に熱が溜まるのを感じて、隠すように先を急いだ。

 店に着くとアイツは迷うことなく今コマーシャルで宣伝されてる新作のハンバーガーを頼んだ。確かチリペッパーなんとかチキンという辛そうなやつ。

 俺はチーズが入ったハンバーガーにした。それをかじりながら帰り道を歩く。

「辛い」

「は? そりゃあそうだろ」

 辛い事を散々売り文句にしている商品が辛くないわけないだろと内心突っ込む。

「新商品だから頼んだけど、俺辛いの食えない」

「辛いの食えないのに頼むなよ! じゃあ俺のチーズ入ってるやつと交換するか?」

「いいの?」

「いいよ、つか食えないなら仕方ないだろ、俺は辛いの食えるから」

「じゃあピクルスは抜いてね」

 案外子供みたいな事言うんだなと、新たな発見に俺の心が擽られる。


 瀬良が頼んだハンバーガーはそんなに辛くはなかった。



「おー綺麗に咲いてるな、チロ」

 休日近くの公園に愛犬のチロを連れて出掛けた。

 桜の木々は淡いピンク色の花をつけていて花見にぴったりだ。

 俺は公園のベンチに腰掛けた。俺と同じ様に花見をしに来ている人達も何人か居て賑わっている。

 一息つき桜の木々を見上げればひらひら舞う花びらが綺麗で幻想的に見える。

 視線を前に移せばふと舞う花びらの向こう側に見知った人物の姿が見えた気がした。

 まさか会いたいからって幻でも見ているのだろうか。

 いつもは大人しいチロが吠えてリードを引っ張る。

「わ、ちょっとどうしたんだよ」

 チロに引っ張られるように俺は走り出した。

「うわ、なんだ」

 チロがその人物の足下にじゃれつく。

「あー…、偶然だな瀬良」

「ああ、お前も花見か?」

「まあ、そんなとこ。つかお前犬大丈夫なの?」

 ちょっと照れくさくて瀬良の事を真っ直ぐ見られない。ふと足元にじゃれつくチロを見れば昨日の犬に怯える相手を思い出した。

「こいつちっこいから大丈夫」

 チロは柴犬で昨日の犬よりは遥かに小さい。瀬良はチロを抱き上げた。

チロもじゃれつくように瀬良の顔をベロベロ舐めてすっかり懐いている。

「牧瀬もここで花見するんだな」

「うん、でも凄い偶然だな瀬良もここに来るなんて」

 瀬良はぼんやりと桜を見上げた。

「今日来て良かった」

 小さく呟き瀬良が笑みを浮かべる。

「ま、また来年も来ようぜ」

 思わず口から出てしまった言葉に俺は気恥ずかしくなって俯いてしまう。

「ああ、今度はお弁当持ってこような」

 瀬良の大きな手が頭に触れ俺の頭を撫でた。それだけで鼓動が高鳴る。

 今から来年が楽しみだなんてどうかしてるのだろうか。




 一人になりぼんやり天井を見詰める。余計なものを頭から追い出して冷静になると思い浮かぶのは瀬良の姿。

 これはきっとただの友情からくる感情じゃないと心が理解する。

 俺は膝を抱えた。 今のままでも十分幸せだし毎日楽しい。瀬良と一緒に居られるならどんな形でも良い。そう頭では思うのに思う度に胸が痛む。

 特別でありたい。

 もっと他の奴が知らない瀬良を見て、独占したい。

 だが、欲を抱く度諌めるように中学校時代の記憶が呼び起こされる。


「それでも……」

 自分の欲深さに嫌気がさし、ベッドに潜り込んだ。

 その日見た夢は、俺が瀬良に想いを伝える夢だった。だが瀬良が返事を口にする前に夢から覚めてしまった。

「続きは実際にしてみろって事かよ」

 寝起きのぼんやりした思考のまま呟き、出来る訳ないと俺は体を丸める。どうしたいのか、俺の心は迷っていた。



 暫くぼんやりとしていると不意に携帯が音をたて震え、俺ははっとして手に取り確認し、慌てて部屋を飛び出した。

「お待たせ! 特に約束とかしてなかったから遅くなった」

「いや、別に平気」

 マフラーをぐるぐる巻きにし、顔を埋めている瀬良は妙に愛らしいとすら思える。

「たまたま近くを通ったから」

「近くって」

 瀬良の言葉が引っ掛かった。俺と瀬良の通学路は途中から同じになるが、瀬良の方が学校から近い。つまり瀬良はわざわざ俺の家にくるため戻ったという事になる。そう考えると頭にあったもやもやが一気に晴れ渡る感じがした。

「コンビニに行った帰りがけだから」

 誤魔化せなかったと分かった瀬良が少しぶっきらぼうにそういってコンビニの袋を見せてくるが、学校の近くにもコンビニがあることを俺も、もちろん瀬良も知っている。体は寒かったが内側からほかほかする不思議な気分だ。

「なんだい瀬良君、俺に会いたくて来ちゃったのか~」

 甘い雰囲気に俺が堪えきれなくなり茶化すように言って瀬良の背中を叩いた。

「うん、会いたかった」

「え」

 瀬良はそれ以上はなにも口にせず、歩いていってしまった。

「お、おい。待てよ置いてくなよ」



 いつかここが、俺だけのものになればいいと密かな想いを噛み締めて俺は瀬良の隣りを歩いた。



 外は今日も雨。嫌な湿気がじっとり肌に絡み付く。

 一昨日全国的に梅雨入りが発表された。

 この嫌な時期がまた来たかと思うと俺はうんざりする。

 折角の休み時間もなんだか憂鬱だ。

「はあ……」

「牧瀬、溜め息は幸運が逃げるぞ」

「じゃあお前が捕まえて纏めて俺に寄越せ」

「梅雨は確かに嫌だよな。でも梅雨があけたら夏休みじゃん」

 その言葉に単純な俺の思考回路は一気に晴れ渡った。

「そうだよな! 夏休み~、何しようかな。瀬良はなんか予定あるのか?」

「別にない」

「うわ、寂しいな」

 茶化すように言えば瀬良は暫く考えて、何か思い付いたように、

「じゃあ牧瀬と遊びに行こうかな」

 目を見詰められ言われた言葉に俺の心臓は破裂しそうだ。

 この破壊力は一体なんなんだ。

「遊びにってどこに」

「どこでもいい、牧瀬が居れば」

 女子だったらあっという間に恋に落ちてるだろう。いや女子じゃなくてもこれは落ちる。

 俺は冷静さを取り戻すため小さく咳払いして。

「じゃあ祭りとか行くか、夏休みまでまだ時間あるし色々決めようぜ」

「ああ、牧瀬が居れば楽しいからな」

 瀬良の何気ない言葉に俺は踊らされてしまう。本当に恐ろしい奴だと改めて自覚した。

 窓の向こう側未だに降り続く雨を恨めしく思う。早く夏休みが来ればいいのに。



 六月も下旬段々と蒸し暑さが増してきた頃、珍しくその日は晴れていた。

「牧瀬、昼行こう」

「本当に瀬良は好きだな」

 昼になり瀬良に連れて行かれたのは屋上。

 屋上は普段立ち入り禁止なため他に人は居ない。瀬良は入りたかったからという理由で随分前にドアを壊したらしく堂々と入っていた。



 風が悪戯に髪を揺らすのが心地いい。空を見上げれば何処までも青空が広がりなんだか自由になったような気持ちになる。

 両腕を広げて深呼吸すれば清々しい。

 瀬良が屋上が好きというのも納得出来る。

 俺達以外に屋上に人はなく、俺達はそこで弁当を広げた。

 俺は毎朝自分で作った弁当。瀬良のはコンビニのおにぎりだ。

 これも悲しい思い出だが初恋の相手がハンバーグが好きと知った俺は、何を思ったかその日からハンバーグ作りに勤しんだものの一度も食べてもらう事無く終わった。でも俺はその後も料理を続け気がつけば全般得意になるまで打ち込んでしまったのだ。

 俺が長い溜め息をつくと瀬良が首を傾げた。

「どうした?」

「いや……青春のほろ苦さを噛み締めただけさ」

 瀬良はさらに首を傾げ、それから俺の弁当を見詰める。

 皮肉なことに今日のメニューは俺の一番の得意料理であるハンバーグだ。

「それ、美味そうだな」

「え」

 心臓が高鳴った。

「ひ、一つ食べる?」

 瀬良が凄く嬉しそうに頷く。

 まさか俺の手料理を誰かに食べてもらう日が来るとは。

 嬉しそうにハンバーグを瀬良は口を開けて待っていた。

「…………」

 どうやら自分で食べるつもりはないみたいだ。俺は微かに震える手でそっと口に入れてやった。

「どう?」

「うん、凄い美味い。これ手作り?」

「そうだけど」

「牧瀬、料理の天才」

 俺は思わず泣きそうになるくらい嬉しくなった。

「じゃあ、俺もお礼に」

「いやいいって、つかコンビニのおにぎりなんて買えば食えるわけだし」

「いいから」

 瀬良の食べかけおにぎりが、俺の口にねじ込まれた。

 溢れそうになった涙が物理的に溢れた。

 青春の味はしょっぱいんだと俺は一人確信していた。


 その日の帰り瀬良と帰ることになっていたが、用事があると言って瀬良は足早に教室を後にした。

「なんか一人で帰るなんて久しぶりだな」

 呟いてみて虚しくなった。そんな気持ちを振り払うように俺も教室を出る。

 ふと前から化粧をばっちり施し、目のやり場に困るくらいワイシャツの胸元を大胆に開けた女子二人が通り過ぎた。

 鼻にどぎつい香水の匂いがまとわりつく。確かあの二人は同級生だが問題児として有名な二人だ。

「絶対アミなら落とせるよ~」

「うん、楽勝でしょ~。つか夏休み前に彼氏ゲットしなきゃ夏休みつまんないし」 これから誰かに告白でもするのだろうか。

「でも瀬良ってなかなか落ちないんでしょ?」

「だからこそ落としがいがあんのよ」

 俺は体が凍りついたようにその場から動けなくなった。

 瀬良のことだきっと告白を断るに違いない。そう呪文のように何度も言い聞かせ俺は学校を後にした。背中に嫌な寒気を感じながら。

 帰り道一人歩きながら瀬良が幸せになってくれるなら例えその隣りに俺が居なくても構わない、そう思おうとする度に胸が軋むように痛み息苦しくなった。

 その日の夜、夢は見なかった。

 せめて夢の中でぐらいは、瀬良の特別にしてくれよ。誰にこのもやもやをぶつけていいか分からず朝を迎える。体が妙に重たく熱が出たときのようなだるさを感じた。

 学校に着くと妙に教室が騒がしい。

「まさか瀬良君があんな女と付き合うなんて」

 誰かの言葉に俺は呼吸すら忘れる。瀬良があの女子の告白を受け入れた。

 何故という言葉が頭を埋め尽くしぐるぐる回る。そもそも俺は瀬良の恋人でもなんでもないのだから、こんな事を思うなんておかしな話だ。頭では理解している筈なのに、呼吸が苦しくなる。

 目の前がぼやけて、体がふわりと傾いた。

「大丈夫か?」

「瀬良……」

「保健室行こう」

 俺は首を振った。今は瀬良と一緒に居たくない。

 だけど瀬良は強引に俺を背負い歩き出した。

「あ、歩けるって」

「いいから」

 保健室には誰も居らず、仕方なく瀬良は俺を空いてるベッドに降ろした。

「いや、だから別に大丈夫だって」

「寝れば治る」

「話を聞け」

「俺は九度の熱が出ても寝てればすぐ治る」

「いやそれは病院行けよ」

 ふわりと瀬良が笑った。こんな優しい顔を他の奴に見せるのだろうか。

「じゃあ、俺行くから。ちゃんと保険室の先生には伝えとく」

「あ、瀬良」

 思わず腕を掴んでしまった。


「お前、顔赤いぞ。熱でもあるんじゃないか?」

「そうかもな」

 顔が赤いのはそのせいだけではないのだがそういうことにしておく。

 瀬良は俺の頭を優しく撫でた。

「瀬良……、行くなよどこにも……俺の傍に居ろよ」

 俺は何を口走ってるんだろう。よく分からなくなりながらも、まるで返事の代わりにとでもいうように瀬良が俺の頬に口付けをした。

 俺はそのまま眠りに落ちる。

 ここは夢なのだろうか。曖昧に歪む教室で、瀬良が俺に背を向けている。

「瀬良」

 呼びかけても返事がない。

「瀬良!」

 それどころか、まるで俺の声など届いてないかのように歩き出して行ってしまった。

 俺は慌てて追いかける。

「待ってくれ、待って」

 息が苦しい、なのに何故追いかけてるのだろう。追いかけて、何になるのだろう。

 疑問ばかり生まれて、胸が潰されそうだ。

 だけど本当は分かっていた。腹の底から俺は叫びたかったんだ。

「瀬良が好きだ!」

 瀬良が振り向いた、気がした。




 あれから一週間が経つ。瀬良とはあれから一度もちゃんと会話をしていない。

 あの日の事は全部夢だったのかも知れないと思うほど、本当に何もない日々が続いていた。

 溜め息をつき、鞄に荷物を纏める。放課後の教室には人は疎らにしか残っていない。

 噂ではまだあの女子と付き合ってるとか、あの女子が瀬良をフったとか瀬良がフっただとか様々な噂が飛び交ってる。俺も何回かあの女子と瀬良が一緒に居る姿を見たりもしていた。

 それでも信じられない。この期に及んでまだ信じたくないなんて女々しいにも程がある。

 荷物を抱え返ろうとすると、

「牧瀬、この本を先生の机に置いておいてくれないか」と担任の教師に頼まれ、仕方なく職員室に寄ってから帰ることにした。

 ふと階段近くで誰かの声を聞いた気がして立ち止まる。そっと近寄ると、生徒指導の瀬良先生と瀬良が会話していた。

「全く、また危ないことしてんだなお前」

「仕方ないよ、勝手に巻き込んでくんだから」

 やれやれといったように瀬良先生が瀬良の頭を撫でた。その姿はまるで親子そのものだ。

 俺は逃げるようにその場を後にした。

 本当に親子なのか、もしかしたら特別な関係、いやそれは無いだろうが、頭の中は混乱していた。普通に階段を降りて下駄箱に行けば良かったのだが、あの二人の横を通りたくなかったため、三階まで上がり回り道をして下駄箱に行くことにした。

 三階は三年生の教室が並んでいる。

「瀬良とかマジ有り得ない」

 また瀬良の噂話か、俺は溜め息をついた。だがその声に聞き覚えがあった。

「一回シメる?」

 教室には女子と男子の声、こっそり覗くと瀬良に告白したあの女子が居た。

「一週間付き合っても靡きもしないなんて」

「一週間もあれば余裕で落とせるってアミ言ってたじゃん~」

「それは、とにかくアイツに復讐しなきゃ気が済まないんだけど。……だからお願い、ね?」

 その女子の猫なで声に体格の良い男子二人が笑って頷いていた。

「大体アイツ何考えてるか全然分かんないし、笑わないし、その顔は仮面かよって感じよね」

「確かに~、よく分かんないよねー」

 俺は思わずドアを開けていた。

「瀬良の事、何もわかってない癖に告白して……フられたら腹いせに復讐しようだなんて、ずいぶんな言いようだな」

「は? アンタなに」

 突き刺さるような冷たい視線。女子なのに凄い迫力だ。俺は思わず教室に飛び込んだ事を後悔した。

「瀬良の顔が仮面だって? お前が何も知らないだけでアイツはちゃんと笑うよ。ああ見えて大型犬にビビったりするし、おおざっぱだし、辛いの苦手で子供みたいなとこあるしちゃんと見れば良さが分かるんだよ」

 教室が静まり返った。

「瀬良に何かするつもりなら、俺が許さない」

「許さないってだったらどうすんの? てかあんたは瀬良のことどんだけ知ってんの?」

 突き刺すような視線、男子生徒がじりじりと寄ってきて、俺は後ずさる。

「知ってるよ、誰よりも俺を理解してる」

 ふと後ろから聞こえた声に俺は思わず振り返る。

「瀬良……」

「ありがとう、洋治」

 そう言うと瀬良が一歩前に出た。「一週間付き合ったら、もう関わらないという約束だったのに破るんだね」

 静かな瀬良の声に女子生徒が小さく唸る。

「アンタが私のプライドを踏みにじったのよ! 悪いのはアンタよ」

 周りで面白そうに見ていた男子達が近寄って来る。

 がたいの良い男子生徒達だが瀬良は動揺していない。毅然として瀬良はこう言い放った。

「生徒指導の瀬良武則は俺の父親だ。あんまりこんな手は使いたくないが、これ以上俺達に関わるなら君達をこの学校……いや、この街から消し去る事も可能だよ」

 誰かが息を呑む。俺も驚かされたが親子だとすれば今まで見て来た親密な態度も納得出来る。男子生徒達は顔を見合わせふと、瀬良の後ろにひっそりと控えてる瀬良先生を見て青ざめた。

 男達が使い物にならないとわかると先程まで強気だった女子生徒は相変わらずの耳に突き刺さる声で、

「最低」

 一言吐き捨てるとぞろぞろと教室を後にしていった。

「洋治、大丈夫だった?」

「あ、ああ……。つか瀬良先生と親子だったんだな」

「ああアレは嘘だよ、困った時はそう言えって瀬良先生に言われてたから」

 ケロッとした顔で言ってのける瀬良に、全身の力が抜けていくのを感じた。

「ホント、お前って凄いな」

「凄いのは洋治だ。……有り難う、嬉しかった」

 生徒指導の瀬良先生ももう居ない。完全に二人きりとなった教室を優しい夕日が染める。

 まるであの日の夢で見たような光景だ。

「瀬良、俺瀬良の事」

 言葉を止めさせるようにふにっと唇に人差し指が触れた。

「俺、今まで長く付き合った事がないんだ。付き合ったらイメージと違うって言われて大体フられる」

 だからなんだと言うんだろう。そんなのもうとっくに知っているのに。

「だから洋治もきっと後悔するかもしれない」

 俺の気持ちに気付いていたのだろう瀬良の言葉に俺は我慢できず、瀬良の指を退ける。

「お前が見た目と違って、犬にビビるとか辛いもの苦手とか大雑把だとか全部ひっくるめて俺はお前が好きなんだ。後悔なんかしねぇよ。俺の想いを見くびるなよな!」

 想いの全部を口にしてしまった。俺は恥ずかしくなって目を逸らしたくなったが、今逸らすわけにはいかない。

 ちゃんと伝わるまで逸らせない。

 瀬良は少し驚いた顔をして、それから優しく笑った。

 それから瀬良の暖かな掌が頬を撫で、俺達は夕日が染める淡い茜色の教室で唇を重ねた。夢で見たのとは違い、瀬良とのキスは甘くて触れ合った唇が熱くて、何より言いようのない幸福感に俺は包まれていた。



 あんな幸せな時間から一週間。夏休み目前で周りが浮つき始めた頃。

 俺と瀬良は変わらず仲良くやっている。そう、変わらずにだ。

 俺はあれから緊張と興奮で手汗びっしょりになりながらネットで同性同士の恋愛について調べてみたりした。

 だがあれから俺達はキスもしてなければ手も繋いでない。

 互いの家に行き来するようにはなったがやることはゲームとかそんなもん。

「はあー……」

 果たして今の俺達は付き合って居ると言えるのだろうか。見慣れた机に突っ伏す。

 同級生達のがやがやした声が聞こえた。

 そういや瀬良の奴はまた抜け出して屋上か何かに行ったのだろうか。

 俺の溜め息はますます深まるばかりだった。


 昼休み、恒例となった屋上でのお弁当タイム。

「流石、洋治の弁当は完璧だな」

 以前瀬良が俺の弁当を褒めてくれたので、あれから俺は瀬良の分のお弁当も作って来ている。

 自分の作った物を美味しそうに食べる瀬良が愛しい。

 そっと距離を縮めてみる。瀬良がしてこないなら俺からアプローチすればいいだけの話だ。

「洋治?」

 瀬良との距離が縮まる。

「お前海苔がついてるぞ」

 俺は慌てて離れた。

「ちょ、どこだよ」

「嘘」

「な!? 騙したな」

「はははっ、洋治顔真っ赤」

 瀬良が笑ってる。それだけでこんなに穏やかな気持ちになれる。

 俺はやっぱり幸せ者なのかも。

「帰ろうか」

 瀬良に誘われ並んで歩く。今日も楽しかったなんて思っていたがこれで終わらせちゃ今までと変わらない。

「な、なあこの後瀬良の家行ってもいい?」

「ん、いいよ。相変わらず親も居ないし明日休みだし……泊まってく?」

「うん! いくいく」

 つい勢い良く言ってしまった。まるで待ち望んでいたみたいで恥ずかしくなる。

 意識してしまうと今まで何気なく行っていた筈なのに急に恥ずかしくなってきてしまった。


 太陽は傾き、やわらかな茜色が俺達を包んでる。遠くで鳴くカラスの声も周りの音もいつもよりよそよそしく感じて、俺は隣りに立つ瀬良を見れなかった。


「お邪魔します」

 瀬良の家に着き誰も居ないと知っているが一応声をかける。勿論返事はない。


 二階の瀬良の部屋へまっすぐ向かった。二人で階段を登ると階段がギシギシと軋む。

 瀬良の部屋はシンプルだ、机とタンスとテレビにベッド。後は漫画や雑誌が入った棚があるぐらいで他の男子高校生と変わらない部屋だ。寧ろ他のやつや俺の部屋より片付いていて、几帳面に見える。

 部屋に着き瀬良は何気なくベッドに腰掛けた。 俺は何故か瀬良から離れて縮こまってしまう。

 落ち着かない。

 第二の我が家だなんて言った一昨日の自分を呪いたいくらいだ。

「洋治?」

 俺が自分自身と格闘していると、瀬良が不思議そうに首を傾げた。

「え、いやなんでもない」

 思わず声が裏返って恥ずかしい。俺は気を紛らわせるように話題を探す。

「そういや、この前貸してもらったあの漫画面白かったよ」

「本当? あれ主人公がなかなか切れ者なんだよな」

「新刊机にあるから良かったら見ててよ、なんか飲み物持ってくるから」

 そう言って瀬良は部屋を出てしまった。

 シンとした部屋が妙に落ち着かない。俺は机に近寄り漫画を探した。

「ん?」

 机に転がるこの部屋に不釣り合いな色合いのビン。それは多分香水だ。

 手に取り少し匂いを確かめる。瀬良も香水をつけてるみたいだが。それは瀬良の匂いとは違った甘ったるい匂いで、胸が苦しくなりざわめいた。

 急にこの部屋全てが俺によそよそしくなったような居心地の悪さを感じる。

 よろけるようにベッドに腰掛けると、黒いライダージャケットが無造作に置かれてる事に気付いた。瀬良のかと思ったがそれは瀬良のにしては細すぎる。

 俺はこれ以上なにも見たくなくて部屋を飛び出した。




 自宅へ向かう道を走りながら、瀬良なんだから女の友人の一人や二人居てもおかしくないんじゃないかと思った。

 だが瀬良が今まで女子と仲良くしてるのを見たことがない。

 俺が知らないだけかもしれないとか、頭の中ぐるぐるしていた。

 と、同時に瀬良を信じてやれない自分が情け無くて、泣きそうになってしまうのが悔しくて、悔しいくらい好きなんだと自覚した。

 家につき、階段を駆け上がり部屋に飛び込む。 ベッドに寝ころび目を閉じた。

 いつの間にか眠ってしまったようだ悲しそうに笑う瀬良を見た気がした。

「ん……」

 窓の外はすっかり暗い。携帯を見るとあれから四時間ほど経っていた。

 それと瀬良からの着信が入っていた。

「……はあ、謝るしかないな」

 部屋に戻ったら居なかったなんて流石に驚くだろう。俺はなんて謝ろうか言葉が決まらないまま電話をかけていた。

 勝手だと思いながらも、声が聞きたくてたまらなかったのだ。

 呼び出し音が暫く鳴るも瀬良は出ない。諦めかけた時、繋がった。

「誰~?」

「……っ」

 電話に出たのは女の声だった。

「もしも~し、あれぇ?」

 俺の思考は停止し、体が震える。耳にその女の声が残り俺はやっとの思いで携帯を切った。



 それから俺は瀬良を意図的に避けるようになっていた。最初は言い訳をつけて一緒に帰れないとか、忙しいとか言っていたがそのうち何も言葉すら交わさなくなっていた。

 会って聞きたくなかった、「やっぱり男なんか愛せない。あれは間違いだった」なんて言葉は。

 このまま会わずに夏休みに入ればきっと、俺達は終わりだ。そんな気がしていた。

 だが離れているにも関わらず以前よりも俺は瀬良の事を考えていた。

 頭の中ではただ瀬良に会いたいとそればかり、だがその思いとは裏腹に瀬良はまた不登校気味になっていた。

 俺が原因だろうか。

 授業が終わり授業で使った辞書を返しに歩いていると、怖いと有名な瀬良先生が廊下の真ん中で仁王立ちしていた。

 俺はくるりと向きを変えようとしたが、

「待て、牧瀬」

「は、はいっ!」

 地を這うような低い声で名を呼ばれ思わず俺は飛び上がり素っ頓狂な声を出してしまった。

「瀬良について話がある」

 と言って、俺は瀬良先生について来いと言われるがまま生徒指導室まで行った。

 あの怖いと噂の生徒指導の瀬良先生に連れられてる為か、周りからお気の毒というような目で見られる。そんな視線をたっぷり浴びながら生徒指導室に入った。

「あ、あの……瀬良、瀬良君がどうかしたんですか?」

「アイツ、このままだと出席日数が足りなくなる。そしたら進級出来るかどうか……。多分アイツはそうなったら辞めるつもりだろうよ」

「え……」

「ちょっと前までは生き生きした目をしてたのに、また以前みたいな悲しい目をしていた。牧瀬、何か知らないか?」

 心から心配するような瀬良先生の言葉が俺の胸に突き刺さる。

 勝手に自分だけが辛いと思い込んでいた事に気付かされた。

 何も見ていなかったんだ、瀬良の事。

 そう思ったら会いたいという気持ちが抑えられなくなり、俺は生徒指導室を駆け出た。

 一瞬見た瀬良先生の顔は優しくて、ただ怖いだけの人じゃないと思った。

 多分一匹狼になってしまっていた瀬良の事をずっと気にかけていたのだろう。本当は誰よりも生徒思いの先生なんだ。

 呼吸が苦しくなるくらいの全速力で瀬良の家に行く。チャイムを鳴らしても出てくる気配はない。

 家族はいつも大体居ないという言葉を思い出し、勢い任せにドアを開ける。

 開いてしまった。

 開けておきながらあれだが、不用心極まりない。なんて思いつつ階段を上がり、瀬良の部屋の前に立つ。

 軽く深呼吸をして、開けてみた。

「洋治……」

 驚いたような瀬良の表情。続いて後ろから、

「あら、奈緒斗のお友達?」

 あの時の電話で聞いた声の主だ。スラッとした綺麗な女性。

「え、なにこの修羅場」

 俺は思わず呟いてしまった。引き返したい気持ちでいっぱいだ。

 だが後ろに立たれてるため逃げ場がない。

「修羅場なんかじゃない」

 瀬良が静かに呟いた。

 それと同時に俺の腕を引いて抱き寄せてきた。暖かな瀬良の腕の中でなんだか安心する。

「それは俺の姉貴、この前電話に出たのも姉貴なんだ。悪い、すぐに言えなくて」

「瀬良のお姉さんなんだ……、てか恥ずかしいから離れろって」

「瀬良じゃなくて名前で呼んで」

 その言葉に胸が高鳴る。

 緊張しながらも俺は

「……奈緒斗」

 初めて名前で呼んでみた。

「ちょっとちょっと! なに見せつけてんのよ」

 ハッとして俺は瀬良、改め奈緒斗から離れた。

「そもそも姉貴が急に泊まりに来たのが原因なんだから」

「悪かったわね! 普段は隣町に住んでるんだけど今ちょっと野暮用でここに泊まってたのよ」

 よく見るとお姉さんと奈緒斗の顔はどことなく似ている。

 俺はその言葉に納得した。

「姉貴、今から洋治と話があるから悪いけど」

「分かってるわよ」

 お姉さんは軽く手を降って出て行った。

 部屋は完全に二人っきりになる。

「なんか追い出したみたいだな……」

 申し訳なくなって呟くと、奈緒斗が笑って大丈夫だと俺の頭を撫でた。

「後でちゃんと埋め合わせしとくから……それより」

 奈緒斗の唇が額に軽く触れた。

「ずっと避けられてて辛かったよ」

 本当に辛かったのが分かる寂しそうな奈緒斗の声。

 俺はぎゅっと抱き締めて謝ることしか出来なかった。

「奈緒斗……好きだよ」

 愛しくなって零れた言葉。返事をするように奈緒斗が俺の唇に唇を重ねる。

 触れ合う唇の僅かな隙間から舌が潜り込む。

 互いの舌を絡ませ唾液を分け合う。

 とろんとした優しい熱に思考が甘く溶かされ、二人指を絡ませじゃれ合うように柔らかなベッドに縺れ込む。

 素肌と素肌が触れ合い、感じる熱に言いようのない幸福感を感じた。

 やがて熱は確かな形になって示される。

 奈緒斗の優しく大きな手が俺の熱を包み込み刺激を与えれば、それは奈緒斗に応えるように反応を示す。

 愛おしむような奈緒斗の目に思わず恥ずかしくなってしまった。

 もう俺は全てをさらけ出してしまったのだと実感した。

 奈緒斗の指がまだ誰も知らない、まだ誰にも触れさせていない場所に触れ、そこを暴いていく。

「んっ、……ァ……」

 思わず声が洩れた。

 まるで自分の声じゃないような、そんな錯覚に陥る。

 奈緒斗が新しい俺も知らないような俺を暴き、さらけ出させているような、そんな感じだった。

 もっと暴かれたい。俺の奥の奥まで全て。

 奈緒斗の熱い想いが俺のナカに入ってくる。

 俺は奈緒斗にしがみついた。

「大丈夫か?」

 奈緒斗が心配そうに声をかける。

「んっ……平気」

 俺は奈緒斗の背に腕を回した。

 もう絶対離れたりしない。この手を離したりしない。

 そう強く誓った。




「はあ……、一気に大人の階段駆け上がった気分」

 ベッドに二人、横になりながら俺は奈緒斗に体を寄せる。

「ちゃんと責任は取る」

「ばーか、なにカッコつけてんだよ」

 当然だろって言う代わりに軽く唇を触れ合わせる。

 二人で見つめ合って、またキスをした。

「なあ、夏休みどうしようか」

 切り出したのは奈緒斗からだった。

 今までも、夏休みと聞くと妙に興奮して楽しい気持ちになっていたが、今までとは少し違うと感じた。

 隣りに奈緒斗が居るそれだけでこんなに変わるのだろうかと正直驚かされる。

「やりたいこといっぱいあるよ」

「俺も!」

 俺達は二人で笑い合った。

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