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青空ヒコーキ

 窮屈な列車に揺られ同じ道を通り、俺はいつもと同じ教室に入る。そしてそこには見慣れた顔があって、俺は同じ席に腰をおろす。

 つまらない。

 欠伸とも溜め息ともつかないそれを吐き出し授業が始まった。

「この前のテストの答案用紙返すぞ」

 のっぺりとした口調の現代文教師が順番に答案を返していく。

「次、如月達哉(きさらぎたつや

 俺の名前が呼ばれ席を立つ。

 ふと窓から見た空は青くて、その青空の下どこかの学年のどこかのクラスの生徒達が外を走っているのが見えた。

「三十点とか……」

 思わずため息が出る。

 返却が終わった後いつものように授業が始まった。俺は返ってきたばかりの答案用紙をせっせと折りたたみ紙ヒコーキを作る。我ながらなかなかな出来栄えなそれを青空に向かって飛ばしてみた。

「おい、如月……それ拾っておけよ。いい点数でもないんだし」

 周りがどっと笑い声をあげる。どうやら教師にばっちり見られていたようだ。

 俺は渋々休み時間に自分が飛ばした答案用紙紙ヒコーキを探しに行く。

「確かこの辺だよな」

 窓の下には木がありその辺りに落ちたはずと探してみる。だが紙ヒコーキは見つからない。代わりに、木の枝に紙が括り付けてあった。

 誰かがご丁寧に枝につけたのかと思いそれを取ってみる。

 だがその紙は俺の答案用紙ではなく、

『頭悪いなお前』

 と書かれた白い紙だった。

「よ、余計なお世話だ!」

 腹がたちその紙をくしゃりと握りしめポケットに入れる。何故くしゃくしゃにした紙を捨てずにポケットに入れたのかは自分でも分からなかった。

 それから俺は月曜日の二限目に同じ場所にむかって紙ヒコーキを飛ばすようになっていた。

 俺がたわいもない言葉を紙ヒコーキに乗せて飛ばすと、木に返事の紙が括り付けてある。

『外暑い』

 体育だから仕方ないだろ。

『夢で猫に噛みつかれた』

 猫に噛みつかれるってあるのか?

『校庭の隅に珍しい色の花が咲いてる、良かったら見てみたら?』

 案外可愛いかも。

 何気ない一文に思わず口元が緩む自分が居る。

 相手が誰か全く検討もつかないが、このやり取りは俺のモノクロでつまらない日常に色をつけてくれる。どういう訳かそんな風に感じていた。






 俺が分かった事、それは分からないという事が分かったという事。

 俺達の会話なんて、「授業がだるい」とか「腹減った」だとか本当にくだらない会話のやり取りで、何故か互いに互いについては触れないように言葉を選んでいた。


 俺は今にも降り出しそうな灰色の分厚い雲を見上げる。ふと傘を持ってくることを忘れたという事を今更思い出して紙に書いてみた。

 そしていつものようにそれを飛ばす。

 俺の作り方が下手なのが幸いし風に流されても紙ヒコーキは決まって木に引っかかって落っこちる。

 あれをわざわざ拾って返事を書くのだから余程暇なんだろう。

 それとも何かワケがあるのか。

 そしてやはり雨は俺の期待を裏切り降り出した。




「こりゃ濡れて帰るしかねぇか」

 下駄箱に設置された傘立てを恨めしげに見ては溜め息が勝手に洩れる。

 誰かの傘を勝手にとも思ったがそれは流石にやめた。

 決心して雨が降る外へ足を踏みだそうとした俺を、凛とした声が引き止める。

「これ」

「え?」

 振り返ると俺のささやかな抵抗から染めすぎて痛みきった人工的な茶色い髪とは違い、ふわりと淡い色の髪を切りそろえたいかにも女子が好きそうな顔立ちの奴が立ってた。

「使えよ」

 無理矢理押し付けられた傘。

「おいっ」

 引き止める間もなく、ソイツは鞄から折り畳み傘を取り出して雨を切り裂くように走っていった。

 俺は暫くソイツの背中を見送って、俺の尻でクシャクシャになった紙を取り出し、白い紙に並んだ文字を読み返していた。

『傘、二本あるから』

 雨が土に染み込むみたいに、その言葉は俺の中の奥の方に染み込んできた。




 俺が分かった事それは文通相手が男で、柔らかそうな髪をしてて、名前が仁宮春ニミヤ シュンって事。

 俺より一個上の三年で、ご丁寧に傘に名前なんて書いてる奴。

 俺は現在傘を持ったまま、ソイツの教室の前に居る。これであの雨の日から六日目。その成果もあり分かったことそれはいつも本を読んでいて、誰かと親しげに話す様子が無いって事と無表情以外の表情を六日目のうちで一度も見なかったということ。

 俺は溜め息をつき傘を握り締める。今更どんな顔で渡せばいいのだろうか頭をかき混ぜても答えは出ない。だが借りっぱなしは良くないし、知らぬフリして文通続けるのもなにか違う。それではモノクロな日常と変わらなくなってしまうのだ。

 そもそも気にせず返せばいいのかも知れないが、どうしてか俺にはそれが出来ない。

 こっそりと盗み見た仁宮はぼんやりと手元にある本を見ている。その瞳は真っ直ぐで透き通ってて俺は今まで味わった事のない感覚を感じた。

「あ」

 見過ぎていたのか目が合ってしまった。

 仁宮は驚いた顔をしてそれから立ち上がったかと思うと教室を出て行ってしまう。

「おいっ、ちょっと待てよ」 足早に仁宮は階段を上がる。

 二つの足音は誰もいない屋上で止まった。振り返った仁宮がやっとその唇を開く。

「女子じゃなくて悪かったな」

「そんなの気にしてない、それより傘ありがと助かったわ」

 傘を返すと、仁宮は少し戸惑うように受け取った。

「ごめん」

「謝る意味が分からねーって、てかさ今時文通ってのもレトロで良かったけど……やっぱこうして向き合って話すのもいいな」

 友達はいる。馬鹿騒ぎして昨日のテレビがどうだとか授業がこうだとかありふれた良くある話題を並べて会話する奴等ならクラスにゴロゴロ居る。一言呟けば反応してくれる奴等が現実にも画面の向こうにも居る。それなのに、俺はどこか虚しさを感じていた。

 だからこそ仁宮の真っ直ぐな眼差しに捉えられると不思議な気分になるのかも知れない。

「もう、手紙は止める」

「なんで?」

 仁宮は視線を足下にやったまま唇を閉ざした。

「よく、わからない」

 ぽつりと呟いた仁宮の言葉は、危うく風に流されていきそうだった。

 苦しそうな表情をしていて、どういう訳か俺は男のアイツを「抱きしめたい」と思った。

 あれから紙ヒコーキを飛ばしても返事はない。ただ、取りに行くと紙ヒコーキは無くなっていた。



 多分モノクロ思考な俺は、この出来事を日常のちょっとしたイベント感覚で終了させ、やがて進級しよくある進路を選択して、その他大勢の一員として生きていくんだろう。だけれども俺は今多分ノート一冊分の紙ヒコーキの束を抱えてここに居る。

 自分の気持ちは誰だってモノクロなんかじゃないし白と黒なんて簡単に割り切れない。

 白い紙ヒコーキはバラバラと仁宮の上に降り注いだ。

「え?」

 仁宮は戸惑ったような状況を理解してない困惑の表情で俺を見る。

 それから紙ヒコーキを手にして開いていた。

「俺はアンタともっと話しがしたい、本気で迷惑だったら止めるけど」

「……俺は」

 また口を閉ざした。それからゆっくりと、

「初めての紙ヒコーキを見て、君のことは知ってた。会いにも来たから」

「そうだったのかよ」

「仲間に囲まれて笑ってるのに、たまにふとどっか遠くを見る君が、なんとなく気になったんだ。最初は初めて出来た友達に気持ちが浮き足立ってるだけなんだと思ってたけど」

 仁宮は紙ヒコーキを一枚一枚丁寧に広げる。

「気になって、もっと知りたくなって……でもこの気持ちの延長線上にあるのは友情じゃない気がしたら訳分からなくなって……だって男だしそもそも俺、友達ろくに居ないし友情かどうかも分からないのに」

 俺が分かった事が増えた。それは仁宮はかなり面倒な性格だ。

 でも、同時に可愛いとすら思う。

「それならこれから分かれば良いんじゃないか?」

 紙ヒコーキを全て広げた仁宮は顔を上げて、

「うん」

 小さく頷いた。

 それからたくさんの紙ヒコーキに返事をするように、

「宜しく」

 と言って、笑った。

「先ずはアドレス交換からな」

「なんか緊張するな、てか俺先輩だぞ一応」

「まあまあ、気にすんなって。じゃあ今日は仁宮と俺の記念日って事で」

 仁宮は照れくさそうに小さく頷いた。

 この芽吹いた気持ちは友情の延長線なのか愛情なのかは今はまだ曖昧で、それでも確かなのはモノクロな俺の日常が仁宮によって確かな色をつけ始めたという事。



「最近如月付き合い悪くね」

 ある日の教室、クラスメートとの談話中に誰かがそう呟いた。

「なんか一個上の先輩とばっか遊んでんじゃん」

 昼休み中教室は賑わっているが、他のどの声にも負けないくらいの煩さの中に俺は居る。脳内では早く仁宮に会いたいって思ってんのに。

「そんなことねーよ、つか俺忙しいから行くわ」

「もしかして二人ってデキてんだろ」

 わざとらしく一際大きな声が教室に響いた。

 視線が集まるのを感じる。

 違う、俺と仁宮はそんなんじゃない。否定しなければ噂が立つ。そしたら仁宮に迷惑がかかる。

 それなのに、その言葉が口から出て来ない。

「ぶはっ! まじかよキモイな」

 訂正しないとという思いとなんとでも言えよという思いが混ざって訳分からなくなる。

 面白がった奴が黒板に落書きを始める。

「皆さーん、如月君は男好きのホモでーす」

 誰かが騒いだ。

 頭の中が騒がしい。

「どしたの? コワーイ顔してさ」

 誰かが肩に触れてきた。

 それからの事は曖昧でよく覚えていない。

 だが気付けば教師に取り押さえられていて、目の前には床に倒れてる奴が居て、周りの奴等は俺を恐ろしい物でも見るような目で俺を見ていた。

 それからは慌ただしくてよく覚えてないが、俺はどうやら騒いでた奴等を殴って殴り合いになったらしい。それで俺は一週間の停学処分となった。

 停学期間を終えて戻ってきた俺は教室で孤立した。当然と言えば当然だ。


「……仁宮、悪いなかなか会いに来れなくて停学とか有り得ないよな、ちょっと悪ふざけが過ぎただけなのに」

 教室まで行き仁宮に声をかけるが仁宮は目を合わせようとしない。学年は違っていても、俺が問題を起こしたという噂が広がってるのだろうか。

暫くして軽く目を伏せた仁宮がゆっくり口を開いた。

「もう関わらないでくれ」

 そう言うと足早に教室を出て行ってしまう。完全な拒絶に俺はただ立ち尽くすしかなかった。

 迷惑をかけるくらいなら、仕方ないのだろうか。

 それから完全に仁宮との関わりが絶えた。それでも俺は決まった時間に紙ヒコーキを飛ばす。だが、その紙ヒコーキはもう仁宮に届かなかった。

 少しずつ暖かくなる気候のなか、俺は窓から空を見上げる。

「もうすぐ春が来る」


 月日は経ち俺は三年になり、あの時の出来事は今となればただの笑い話になった。クラスに友人も何人か出来、以前のような変わらない毎日を送っていた。

 変わらない日常、仁宮の居ない日常。

 卒業してしまった仁宮の行方を俺は知らない。どうしているのかも、何も分からないのだ。

 もう会う事はないのだろう。



 そうして俺の高校生活は幕を閉じた。

 俺は卒業後、就職活動に専念し、何度も面接に落ちたものの就職先を見つけた。着慣れないスーツに身を包み、俺は仕事場に向かう。

 オフィス街にある何の変哲もないビルが仕事先。

 ごくごく普通の平凡な生活が口を開けてオレを待ってると思うと足取りが重い。

 自分のデスクに着きパソコン操作を開始する。午前中の業務をこなしやっと昼休みを迎えた。凝り固まった体を軽く撚り、外へと出る。

 コンビニ弁当を膝に乗せ公園のベンチに腰掛けた。

 ふとポケットから新入社員の歓迎会のお知らせと書かれた紙が出てきた。確か朝に先輩から貰ったままにしていたのだ。

 オレはそれを折り畳み、紙ヒコーキを作った。見上げた青空に放とうとした瞬間、

「まだ紙ヒコーキ折ってるんだな」

 ふと春風に乗って聞こえた声に俺の心臓が加速する。

「に、……仁宮」

「如月って名前見てまさかと思ったけど本当に如月だったんだ」

 淡いミルクティー色の髪に、優しげな目の俺の知る仁宮がそこに居た。

 仁宮は俺の隣に腰掛けると手にしている珈琲に口をつける。

「俺を追ってきたのかと思ったけど、違ったみたいだね」

 悪戯っぽく笑って言う言葉に、俺の頭の中は混乱する。

「何も教えてくんないで卒業したくせに分かるわけないだろ」

 拗ねたような俺の声音に、仁宮が苦笑いする。

「なんで、俺を避けてたんだよ。停学された問題児だからか?」

「……俺と居たら、如月が駄目になると思ったんだ。友達も失い、停学処分を受けて……如月が駄目になるって」

「そんなこと!」

 思わず声を荒げてしまい、俺は誤魔化すように咳払いをした。

「俺はずっと仁宮を想ってた。仁宮に避けられて辛かったよ」

「……忘れてくれれば良かったのに」

 目を伏せた仁宮がぽつりと呟いた。

 俺は隠してきた想いが零れて行くのを止められない気がした。

「俺は、仁宮が好きだよ今でも。もう俺はあの時みたいなガキじゃない」

 少し驚いた表情をして此方を見た仁宮はすぐ俯いてしまう。

「俺と付き合っても如月に未来はないよ、社会的にも認められない俺達に未来なんてない。いつか後悔する、だから俺の事なんてもう忘れて、如月」

 傾けた空になった缶珈琲を片手に、仁宮は振り返らずに公園を後にした。




「えー、この度は新入社員の皆さんおめでとう御座います!」

 社長の長ったらしい挨拶で新入社員の歓迎会が行われた。

 会社から近い居酒屋の個室を貸し切ったようだ。

 楽しげなお喋りと共に次々運ばれてくるお酒が場を盛り上げる。 俺はただ、空になったジョッキに囲まれた仁宮が気掛かりで仕方なかった。

 アイツあんな飲むんだな。なんて見てたら、仁宮の様子が明らかにおかしくなり始めた。


「ちょっと先輩しっかりして下さいよ」

「おえ……、吐く」

「ちょ、人の背中で吐くなよ!」

 結局べろんべろんに酔いつぶれた仁宮を俺は高校の先輩で恩がある人だからと周りに言い、なんとか連れ帰る権利を手に入れ今に至る。

「なんであんな無茶な飲み方したんだよ仁宮先輩」

「うう……如月、如月」

「はいはい、俺の部屋狭いけど文句言わないで下さいよ?」

 アパートの一室が今の俺の帰る場所。部屋の明かりをつけ床に散らかったものを踏みつけてベッドに仁宮を降ろした。

「ねえ、なんでそんな飲んだの? 俺の名前呼びまくってたけどさ、やっぱり俺のせいでしょ」

「ちがうっ、そんな事ない」

 呂律も怪しい仁宮の頬に触れる、手のひらにじんわり暖かさが伝わる。

「なあ、仁宮。好きだよ……この気持ちだけはわかってくれよ」

「お前こそ、俺の気持ち察しろよ。……俺と居たって幸せになんかなれないんだからお前はさっさとありふれた幸せ見つけて……誰かと幸せな家庭築けよ」

 見つめてきた仁宮の瞳が潤んでいる。精一杯の強がりに胸にじわりと何かが広がるのを感じた。

「やだ、俺は仁宮とじゃなきゃ幸せになれない」

 仁宮が目を伏せた。分かり易い癖だと思う。

「俺はお前をどうとも思っていないし、幸せになんか出来ない」

「出来るよ、つか仁宮にしか出来ない。もうさ、嘘つくの止めなよ」

「嘘なんかじゃ……」

 語尾が弱まり、そのまま仁宮は口を閉じた。

「好きだよ、如月。でも、不安なんだよ俺のせいでお前が駄目になったらって思うと」

「ならないよ、それにならせないだろ?」

 仁宮はもう何も言い返さなかった。ただ静かに涙をこぼすと最早言葉は不必要となった。

 軽く唇を重ねると、仁宮は俺に腕を伸ばし俺を求める。俺を受け入れたのだ。

 俺はそれに応えるように、仁宮に触れた。






「起きろ達哉」

 日曜の朝八時、まだ半分夢の中だった俺はエプロン姿の仁宮に起こされた。

「う、まだもう少し」

「休みだからってダラダラしてちゃ駄目だろ? さ、起きて起きて」

 俺は無理矢理に起こされた。渋々ベッドから出て仁宮を抱き締める。

「おはよ」

「ん、おはよう」

 軽く口付けをすれば仁宮は嬉しそうに笑った。

 隣に仁宮が居る。ただそれだけなのに、俺のありふれた日常は確かな色を付けた。

 不安な事が消えたわけではない、ただそれを二人で塗りつぶしていける漠然とした自信が俺にはある。

 今はただそれが嬉しい。

 俺はもう一度仁宮を強く抱き締めた。

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