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愛玩犬

 ペットはいつしか知性を求められた。限りなく人に近い犬、そんざいになるようにと。

 僕もその一人、頭からは犬の耳お尻からはふかふかの尻尾それは人じゃない事を示す愛玩動物の証。


 僕らは愛される為に生まれた――。

「愛玩犬」



 小さくて狭いケースの中僕等は商品として店に並んでいる。周りの犬や猫は愛嬌たっぷり尻尾を揺らして自分をアピールしてはお客さんの目を引こうとしている。

 なんでみんなそんなに必死なのかと聞いてみた事がある。僕だっていつまでもこんな場所に居たいわけじゃないけど疑問で仕方なかったのだ。

 子犬のうちに早く飼い主を見つけないとお店では扱えなくなり「闇市」に売り飛ばされ酷い事を沢山されるらしいと、隣りの猫さんが尻尾を優雅に揺らしてそう教えてくれた。親切な猫さんは僕によく話しかけてくれる。

「なあなあ、お前はどんな飼い主に飼われたい」

「え?……えっと」

 僕は口ごもる、考えた事が無いわけではないがすぐには答えられなかった。

「なんだァ、決めてないのかよ!俺は優しくて綺麗な女の人が良いなあ」

 そう言っていた隣りの猫はある日老夫婦に飼われていった。隣がぽかんと空いてなんだか寂しくなる。

 外はどんな世界が広がってるのだろう。前に猫さんは楽しいことがいっぱいと言っていたけど想像があまり出来ない。 そんなある日僕のケースの前で短い黒髪でスーツ姿の男の人が目を丸くしていた。

その後慌てたように店員さんを呼んでいる。その姿をぼんやり見つめていたら僕は店員のお姉さんに抱き上げられケースから出された。

「良かったね、飼い主決まったよ」

 店員のお姉さんが笑いながら言ってくれる。でもまだ僕には実感が湧かない。スーツ姿の男の人は興奮気味に何か書いているみたいだ。前に隣りの猫が言っていた言葉を思い出す。飼う時、まず名前を決めないと僕等を飼えないらしい。


 永遠に変えることが出来ない僕の名前を今、あの男の人が考えているんだ。外に出られるという事が現実味を帯びそう思うと少し僕の胸が高鳴って、自然と尻尾が揺れた。

 書き物を終えた男の人、ご主人様がそっと僕を抱き上げる。

「お前の名前はシロだ」

「シロ?」

「ああ、今日から宜しくな」

「はい!ご主人様」

 僕は抱き上げられ未だ飼い主を見つけられず羨ましそうに僕を見送る仲間達に小さく別れを告げ、手を振るように自慢の栗色の尻尾を揺らして新しいお家へと連れて行かれた。

 前に何度かお店の外に出たことがある。あの日も空は青かったけれど、今はもっと青くてどこまでも続く空や頬を撫でるそよ風に気持ち良くなる。

 僕が少しうとうとしている間にご主人様の家に着いたようだ。

 そしてそこですぐに僕は何故ご主人様が僕を選んだか知ることになる。

「さあ、着いたここがお前の新しい家だよ」

「わあ……おっきいお家!ご主人様一人で住んでるの?」

「……ああ、そうだよでも今日からは二人だね」

 ここが新しい僕の家これから僕はこのご主人様とここで暮らしていくんだ。そう思うと興奮してまた尻尾が揺れる。

 広いリビングに入ればすぐに棚の上にある写真が目についた。

 ご主人様と知らない女の人そして小さな男の子が幸せそうに笑っている写真。

 男の子の淡い栗色の髪にまん丸な目、男の子にしては白い肌。

 ああ、この男の子の顔。

 ――――僕に似てる気がする?

「ご主人様、この人達は?」「別れた前の妻と最愛の息子だよ、俺は息子を本当に愛していた……愛が強すぎたんだ」

「強すぎた?」

「ああ……愛しすぎて息子に手を出してしまったんだそれを妻に見られていてね、離婚にまで話しがもつれてしまったんだ」

 そう言うご主人様は震えているようだった。僕には少し難しすぎてわからないけどご主人様は悲しんでいる、とだけは胸が痛いくらい伝わる。頭に生えた犬耳がへなりと垂れた。そしてご主人様は僕に近寄るとぎゅっと強く抱き締める。

「吃驚したよ、ペットショップでキミを見た時にこんなにそっくりな子が居るなんて」

 ああ、そう言う事なんだ。

 僕の心は急速に冷めていく、言葉では言い表せないような黒いもやもやが心に広がっていく。

 必要だったのは僕じゃなくて写真の男の子。

「愛してるよ……シロ」

「……ご主人様」

 不安がる僕に何度も「大丈夫」と囁きかけるご主人様、何度も頭を撫でられても不安は拭えない。ご主人様の大きな手が体を這い、服を脱がされ、自分でも知らない自分をご主人様の手であばかれていった。




「あっ……んっ、ご主人様ァ、……そこやだ」

「ダメだよ、ちゃんと慣らさないと」

 ご主人様は壊れ物を扱うように大切に僕に触れ僕が怖くないように何度も優しくキスをしてくれた。それから何度も僕を「祐一」と呼んだ。


 僕の名前は、シロだよねご主人様。

 本当は痛くて悲しくて叫びたかった。でも僕は全ての感情を抑えつけてご主人様にされるがまま体を委ねた。大切な人を失って今はご主人様悲しんでいるだけだ僕に出来ることは少ないけどこれがご主人様の為になるなら。いつか僕を"僕"として必要としてくれるなら。今は堪えるしなないと自分に言い聞かせ深い闇に落ちていった。

 翌日、ご主人様に首輪を買い与えられた。赤い首輪に小さなプレート、そのプレートには"シロ"と書いてあった。

「ありがとうご主人様、…似合う?」

「凄く似合ってるよ」

 頭をクシャクシャ撫でられる、大きくて温かいご主人様の手、僕はすぐに大好きになった。

 ご主人様は犬を飼うのは初めてだからねと言ってお店で首輪の他に「初めての犬の飼い方」「初心者のための犬の躾」等という本を大量に購入していった。

 僕はそれが嬉しかった、あの男の子の代わりじゃなくてご主人様は僕を必要としているそう思えたからだ。


 僕は昨日の事なんて忘れたフリをしてご主人様に甘えた。瞬間突き飛ばされる。何が起きたか分からずご主人様を見上げると冷めた目が僕を見下ろしていた。

「祐一はそんな風に俺に触れない」

 ぼそりと呟いたご主人様の低い声が、僕の体を突き刺す。血の代わりに涙が溢れそうになるのを僕は必死に堪えた。

 お店の帰り道、僕は何も喋れなくなっていた。温かな手に触れられてもその温かさを感じることすら出来ないくらい恐怖が体を支配していく。

 そっと首輪に触れる、確かにプレートには"シロ"と名前が書かれているけど。これをどんな気持ちでご主人様は決めたのだろうか。

 せめて尻尾が白いなら納得できたかもしれない安易な名前。この名前に込められた意味なんて無いのかもしれない。

胸の辺りが潰されそうなくらいに痛む、体じゃなくて体の中からジワジワ痛みが湧き上がる、お店に居たときは感じたことのない痛みに僕は戸惑った。


 それでもご主人様は優しかった。笑いかけてくれるし沢山撫でてもくれる。夜には美味しいご飯と祐一という少年の話しそれから……。


 僕が祐一に近ければ近いほどご主人様は優しくしてくれるから僕も努めて祐一に近い僕を演じた。そんな毎日にも慣れ始めた頃、ご主人様が夜遅く帰ってくるようになった。仕事が忙しいと話していたご主人様は、毎日知らない匂いをべったりまとわりつかせ明け方帰ってくるようになっていった。

 いつもなら一緒のベッドで眠るのに。今日は一人きり。

 一人だとベッドは広くて寂しくて目をギュッと瞑ってもなかなか眠れなかった。

 そうしている間に朝が訪れている、そんな日々が続いたある日の夜ご主人様は女の人を連れて帰ってきた。

「お帰りなさいご主人様」

「ああ、ただいまシロ」

「お邪魔します、ふふ……可愛いワンちゃん」

「ご主人様、この人は?」

「仕事の同僚だよ」

 写真の女の人によく似た女の人が僕の頭を撫でた。ご主人様に半分追い出されるようにリビングを追い出され僕は今日も一人で眠る。


 いつかちゃんと僕を見て僕の名を呼んでくれる。何度も自分に言い聞かせていたけど、僕はそれが間違いなんじゃないかと思い始めた。 ご主人様はいつまでももう戻ってこない過ちにより失った"祐一"を忘れられずに居る、それどころか面影に縋り続けている。

 このままじゃいつまでもご主人様は前に進めない。昼間のリビング、棚に飾られた写真を見ながら僕は決意したように頷いた。


 その日から僕は"祐一"に近い僕を辞めた。

「またこんなイタズラをして、祐一はそんな事しなかったのにどうしてお前は」

 冷たい目で見つめるご主人様を前に僕は震えていたと思う、けれど決めたのだ言わなくちゃならない事がある。僕はありったけの勇気を振り絞り初めてご主人様に口答えをした。

「僕は……僕は祐一じゃない!」

「…………」

「ご主人様、僕はシロです……祐一じゃない……祐一にはなれない」

 ご主人様は一瞬黙った後。うるさいと言って僕の頬を叩いた。それから乱暴にベッドに投げられ声が枯れ気を失うまで何度も抱かれた。

「反省して……いるのか……っ!」

「ひっ……ぁ、僕は……祐一じゃない……っ!」

「まだ言うのかお前は」

「あぁ……っ!ぁっ……ご主人様ぁ」

 その時は一度も僕を祐一と呼ばなかった。明けないんじゃないかと思った夜が明け、ゆっくり目を覚ますと僕はご主人様に抱きしめられていた。ご主人様は目を覚ました僕を見つめ「ごめん……シロ」と呟いた。はっきりとは分からないけれどご主人様も後悔し迷ってているのかもしれない。僕はご主人様に抱き付き目を瞑る。

「僕は本当にここに居てもいいのかな……」

 小さな呟きはご主人様には届かなかった。

 それでもご主人様はあの女の人をたまに家に連れて来る。その女の人と過ごした夜の後ご主人様はどこかいつもイライラしている。分かっているんだと僕は思った。分かっていてまだ捨てられないのだ、幸せだった過去を。



 ご主人様が居ない昼間、僕はご主人様がいつも座るソファーに丸まっていた。ご主人様と過ごして気付いた事がある。いつもはピシッとスーツを着ているご主人様だけど実は片付けが苦手だという事を。昼間僕は少しでも片付けを手伝おうと色んな部屋に入っては散乱した物を片付けている。

 その中すっかり片付けられた"祐一"の部屋でボールを見付ける。幼い字で"ゆういち"と書かれたボールを見つめ、また胸の辺りがざわざわする。

「あ……」

 僕は気付いた。この感情はきっと、きっと……嫉妬だ。祐一に嫉妬しているんだ。


 日曜日、ご主人様は休みでいつものスーツ姿とは違いラフな私服姿。僕は"祐一"と平仮名で書かれたボールを持ってご主人様に話し掛ける。

「ねえ、ご主人様」

「どうしたんだい?」

「僕、お外でボール遊びがしたい」

 ご主人様は目を見開きキョトンとしていた。このボールは祐一の、そしてボール遊びは祐一が一番好きだった遊び。僕がまた祐一のように振る舞ったのがご主人様は嬉しかったんだ。それからご主人様は強く僕を抱き締めてくれた。

 その姿に僕は涙が滲んできて気付かれないようにちょっぴり泣いた。


「祐一はボール遊びが大好きで、特にサッカーが好きで休みの日はいつも公園で…………」


 公園に着くまでの間ご主人様は楽しそうに思い出話に花を咲かせていた。

 ご主人様に連れてこられた公園にはご主人様と祐一の思い出が沢山詰まっている。何度も聞かされた祐一のお気に入りの公園。


 天気は晴天。楽しそうなご主人様。ご主人様が投げたボールはふわりと宙に舞い上がり転がっていく。ボールは速度を上げて公園から出て行ってしまった。僕はそれを追い掛ける。

「シロ、危ないぞ!」

 注意するご主人様の声は確かに聞こえたのに、僕は無視してボールを追う。何でか追わずには居られなかったんだ。

 離れていく僕をどうか追いかけてきて欲しい。"僕"を見て欲しい。"僕"を撫でて欲しい。僕の想いはいつしか空回っていた。


 僕は赤に変わった信号機の向こう側に走っていく。クラクションの音が耳に突き刺さる。瞬間激しい衝撃に僕はまるでボールのように宙へ舞い上がった。

不思議と痛みを感じない、いや痛すぎて痛みと感じる隙すらないのかもしれない。頭の中は何故かとても冷静でご主人様の事ばかりが浮かんでくる。

 ご主人様に必要なのは"祐一" その"祐一"に似た僕が目の前で居なくなったら、ご主人様はどう思うのか。

 "祐一"をまた失ったと絶望するのか。

 それとも……。


 ――それを僕が知ることは永遠にない。



 舞い上がった体はぐしゃりと音を立て冷たいアスファルトに叩きつけられた。

 遠くで声が聞こえる。 ――ああ、それは。

 それは僕の名前を呼ぶご主人様の声だった。










***


 視界が悪い。片方の目は光をもう写さないみたいだ。見えたのは白い天井、独特の匂いが鼻につく。

 あれ……なんで、僕は生きているのだろう。

 覚醒する思考回路。自分が死にきれず悪戯に生かされた事を徐々に理解していく。

 死にたいわけではない。狭い柵の中商品として売られ続けたあの生活をやっと抜け出したのだ。行ってみたい場所や見たい物はたくさんある、そしてそれを一緒に見たい相手も居る、外に出たらやってみたい事がたくさんあった。

 だが自由を得たと同時に、今まで感じたことのない寂しさや悲しさを感じるようになっていた。

 胸をちくちく刺すこの痛みから逃げる方法が、僕にはどうしても思い付かなかったのに、それなのに僕は逃げようとした。だからこの結末は自業自得なんだろう。

 それでも僕は"僕"としてご主人様に飼われたかった。誰かの代わりなんかじゃなくて。

 首輪に触れたくて手を動かそうとしてみるが動かない。これを外して"シロ"と言う名を捨て自由になる事も考えた。

でもご主人様と自分を繋ぐ唯一の名を捨て犬という名称に戻ることは僕にとっては死んでいるのと変わらない。

「……ご主人様」

 小さく呟いてみる、実際声になっているのか分からない。もう自分は以前の顔とは違う。ご主人様に求められる理由はもう無くなった。だからもう迎えに来てはくれないだろうし、あの温かく大きな手で撫でられる事ももう一生無い。

 泣きたくても涙すら出なかった。それでも僕は涙を流さずに泣いていた。

 ガチャッ――――。  ドアの開く音に僕は目を覚ます、どうやらいつの間にか眠っていたみたいだ。足音が近付いてくる、看護士さんが来たのかななんてぼんやり考えていたけどすぐに違うと分かった。

 この靴音、そして匂い。すぐに脳裏に浮かぶ一人の人物。

 尻尾が揺れる、揺れているかは分からない。それでも揺れている。

「なん……で……?」

「なんでって、飼い主として来るのは当然だろ?」

 微笑みかけてくれるご主人様、それが嬉しくてたまらない。他の誰の物でもない僕のご主人様の笑顔。

「シロ…、お前があの日事故にあって居なくなるかも知れないって思った時、俺はやっと大切なのは失った過去じゃなくて、シロと過ごす未来なんだって、気付いたんだ」

「………っ……」

「今まですまなかった…、もっと早く気付ければこんな事には…」

 そう言ってご主人様が僕の頭を撫でる。

「これからも俺の傍に居てくれるか?」

 優しいご主人様の笑みに僕の答えは言葉にならなかった、どんな言葉も上手く口に出来ず僕は頷くだけが精一杯だった。


***


「シロ、何してるんだ行くぞ」

「ちょっと待ってください、麦藁帽子が見つからなくて」

 あれから月日がゆっくりと流れた、僕はリハビリを重ねやっと歩き回れるくらいに回復した。しかし視力と麻痺して動かない顔はそのまま。それでもご主人様は僕の手を握ってくれた。

 今も僕はご主人様の愛玩動物として傍にいる。

 やっと見つけた今日の為に二人で選んだ麦藁帽子を深く被り、僕はご主人様の元へ走る。ふと棚の上にある写真たてを見た。

 そこには笑い合う僕とご主人様の写真が飾られている。この前海に行ったときの写真だ。

 今日も沢山の写真を撮るだろう。二人の未来を彩るように。

「わ、シロ……どうしたんだ」

「なんでもなーい」

 僕はギュッとご主人様に抱き付いた。



 僕等は愛される為に生まれた貴方の愛玩犬――




END

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