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スイート・ミルフィーユ

 涼人すずひとは自分のベッドの上、漫画片手にすやすや眠っている同性で恋人の優也ゆうやを見つめる。

 よく眠っているようだ。試しに幼い寝顔を曝している優也の頬を指先で突っつくが全く起きる気配がない。涼人は指先に伝わる柔らかな感触に小さく笑った。頬に触れていた指先で今度は優也のふわりとした茶色の髪を優しく撫でてみると犬を撫でているような錯覚になる。

 暫く寝顔を眺め、なかなか起きない優也の頬にそっと唇を寄せる。

 一瞬瞼が震えて、涼人は身構えるも優也は目を覚まさず幸せそうな顔をして寝続けていた。

 時々友情と愛情を勘違いしているのではないかと、これは間違いなんじゃないかと涼人は不安を抱く時がある。だが今確かに胸にある暖かなモノに、この気持ちが勘違いではないと確信した。

 こんな優しい時間がずっと続けばと涼人は目を瞑る。

「涼人ー?」

「……ん」

 涼人がゆったりと目を覚ますとそこには優也の笑顔があった。

「そんなとこで寝てたら風邪引くよ」

「ん……、優也。俺寝てたんだ」

 優也の指先が涼人の頭を優しく撫でる。まだ寝ぼけてるの?と言うように軽く唇が触れ合う。涼人は腕を伸ばし優也に抱き付いた。

「涼人は外にあんまり行かないから肌が真っ白だね」

「ん……」

「こりゃ完全に寝ぼけてる」

 涼人は好きだという感情が何層にも折り重なっていくと優也の悪戯な笑みを見ながらぼんやり考えていた。





「涼人も居眠りするんだね」

「そりゃあな」

 吐いた吐息が白く消える。柔らかな朝日の中同じ制服を着た二人が寒さからだけではなく肩を寄せ合い歩く。

 そっと指先が触れ合った。

「冷たいね涼人」

「誰かに見られたらどうするんだよ」

 大丈夫というように手を握り締める優也。それを振り払えないでいる自分を理解しているため涼人はそのまま好きにさせておく事にした。

「あ、優也ー!」

 涼人の知らない顔が優也を呼ぶ。同じ学生という事しか涼人には分からない。

 手が簡単に離れ優也は名を呼ぶ男子生徒の元へ走っていった。

「…………」

 手にはまだ優也の温もりが残っている。だがそれもすぐに消えていき、つんと冷たさが突き刺さった。


 涼人は席に座る。クラスの一番後ろの席だ。

 そこからは一番前の列に居る優也がよく見える。

 だから涼人は優也をよく知っていると自負していた。

 優しくて明るくて誰とでも仲良くなれる。甘え上手でどんな相手にも好かれる。自分にはない多くのものを持っている相手だ。

「……だから、不安にもなるんだよな」

 零れた溜め息と共に言葉が溢れた。

 授業の終わりを伝える音が響きノートと教科書を片付ける。

「優也君!」

 甘さを孕んだ女子の声が優也を呼ぶ。

「これクッキー焼いてきたから食べて」

 そう言って女子生徒は優也に可愛くラッピングされたクッキーを渡した。

「ありがと! オレ甘いの大好きなんだ」

 優也はそれを受け取ると嬉しそうに笑う。その笑顔を見て心なしかその女子生徒の顔が仄かに赤らんだ。

 涼人は胸がざわめくのを感じて戸惑う。

 なにかどろりとした感情が溢れてしまわないように強くそれを胸に押し込んだ。

 昼休みになると二人は屋上へと上がる。

 お弁当を食べながら優也は先程のクッキーを取り出した。

「なんか女子に貰ったんだけど涼人も食べる?」

「俺はいいよ甘いのそんなにすきじゃないし」

「そうだっけ?」

 紙パックのコーヒーを一口飲み込んで頷いた。苦味が口の中にじわりと広がっていく。



 放課後になり優也がまるで主人に呼ばれた犬のように涼人の元へ駆け寄る。

「帰ろ!」

「ごめん、今日用事があるから」

 断られると思って無かったのか優也はぽかんとして首を傾げた。一瞬言葉の意味を理解していないような顔をする。

「ごめん」

 もう一度確かに断ると、優也は戸惑ったように頷いた。

「じゃあ……先に帰るね、じゃあね涼人」

 そう言うと優也はとぼとぼと教室を出て行った。人も疎らになった教室で涼人は一人ぼんやりと考え込んでいる。

 やがて決意したように立ち上がり涼人もまた教室を後にした。




****



 いつもと変わらず吐く吐息が白く濁る朝、優也の隣りにはいつもと変わらず涼人が居るのに、二人の間に流れる空気はいつもと少し違う。

 どこかぎくしゃくとしたまま二人は学校へと向かった。

 教室についても優也はその理由が分からずどこかそわそわしている。

 そのまま午前の授業が終わり優也は普段のように涼人に声をかけた。

「涼人、お昼行こう」

「うん」

 あっさりと頷く涼人に優也は拍子抜けした。自分の考え過ぎなのではないかという思いが過ぎりほっと息を吐く。

 涼人の考えていることを読み取るのは難しい。表情がいつもあまり変わらないため周りは絡みづらいだとか無愛想だとか言って理由がない限り涼人に近寄ろうとしない。

 前はそれを勿体ないと思っていたが今はそれで良かったと思うようになった。

 何故なら涼人はよく見れば表情が微々たる変化だが変わるのだ。楽しい時は楽しいと、悲しい時は悲しいと見ていれば分かる。多分誰も知らないであろう変化。それを自分だけが知っているという事が優也にとっては嬉しくて仕方ないのだ。

 だから今朝の無表情の裏にも何か感情が隠れている筈なんだと優也は考えていた。だが優也には探る術がない。

 黙々と食事を済ませると忙しいと言って涼人は優也から逃げるように屋上を後にした。

 追い掛けようと思えば出来たが優也の足は動かない。結局知ってるつもりで何も理解していなかったのだ。

 優也は膝を抱えた。


 優也には目を瞑ればふと思い出す事があった。高校に入学した初日の日、誰もが友人作りのため周りに声をかけ、一人にならないようにと必死に仲間を作っていた。

 優也は持ち前の明るさですぐに周りと打ち解け、男女関係なくみんなと仲良くなった。だけど優也にはそれがどこかとても浅く脆いもののように感じていた。

 楽しいけどどこか疲れる。そんな毎日を過ごしていた時、いつも一人で本と睨めっこしている涼人が何故かとても気になった。

 誰かと一緒に居る姿を見たことがない。それに彼はいつも無表情だ。笑ったり悲しんだりするのだろうか。考え出したらきりがなく気付くと優也は涼人に声をかけていた。

「ねえ、その本面白いの?」

「……まあ」

「いつも読んでるよね」

「ああ」

 会話が続かず、優也は何かないかと視線をさまよわせる。

「俺なんか構わなくていい」

「え?」

 涼人は優也を拒むように席を立ち、教室を出て行ってしまう。それはあからさまな拒絶を示していた。近付くなというのが雰囲気から嫌という程に伝わる。

 優也は机の上に残された分厚い本の表紙を見た。だがそれは全く知らない作品だった。



「ねえ、涼人って呼んでいい? オレの事は優也って気軽に呼んでいいから」

「そういうの好きじゃない。俺は馴れ合いなんてしたくない」

 冷たい涼人の言葉が優也を貫く。

「大体、俺なんかに構わなくたっても君には他に友人が居るだろ」

「でもオレは涼人と友達になりたいんだよ」

「なんで?」

 まさか友達になりたいと言って理由を聞かれるとは思っていなかったのか優也は言葉につまる。

「あ……」

 だがぽつりと優也から言葉が洩れた。

「あの本読んだよ、涼人が読んでた本」

「え?」

「でも難しくて全然解んないや」

 そう言って優也は笑った。

「涼人の事知りたいんだ、それじゃあ駄目かな?」

「変なやつ」

「よく言われるよ」

 そう言ってまた優也は笑った。その時一瞬涼人が笑ったような気がした。

 いつでも明るい優也を初めは鬱陶しそうにしていた涼人だが最初の頃のように拒まむ事はなくなっていった。

 そして気付くと優也の隣りには必ず涼人が居るようになった。

 涼人は他の誰より優也をよく理解してくれた。それが嬉しく、涼人の隣りの心地良さに優也は自分が本当に求めていた事に気付いた。

 沢山の友達よりたった一人涼人が居れば良いと。


 優也は顔を上げた。



「涼人!」

 階段をかけ降り、涼人の背中を見付ければ駆け寄りその腕を掴み強引に引っ張る。

「優也! どこに行くんだよ」

 優也は振り向かない。

 二人がたどり着いたのは化学準備室と書かれた教室。

 薄暗い化学準備室には普段誰も近寄らない。他者に邪魔されずに話すには持って来いの場所だ。優也がやっと手を離した。

「オレが何か悪い事したならそう言って、ちゃんと直すから、だから」

「お、落ち着け優也」

 優也はまるで捨てられた子犬のように必死に涼人にすがりつく。

 そんな切羽詰まった優也の表情に涼人は驚いた表情を浮かべた。

「優也は何も悪くない。優也を悲しませることなんて何もないから、大丈夫だ」

「本当に?」

「本当だ、信じてくれ」

 優也は落ち着いたのか暫く黙ってから小さく頷いた。

「じゃあキスしていい」

「は?」

「そしたら信じれるよ」

 すっかりいつもの優也に戻って、へらりと笑っている。涼人はやれやれというような表情を浮かべるも優也を拒まない。

「それで気が済むならな」

 そっと指先が涼人の頬を撫でる。それからゆっくりと顔が近付き唇が重なり合った。

「ん……、んっ」

 一瞬離れてはまた重なり合い、熱を奪うように優也の舌が入り込む。

 絡み合った舌から甘い痺れが体を駆けて涼人は優也の制服を掴んだ。

 一度唇を離すと、どちらのものか分からない唾液が唇を濡らす。

「ごめん」

 何に対する謝罪なんだとぼんやり涼人が考えている頃には優也の手に涼人のネクタイが握られていた。

 シャツのボタンが外されていき涼人は首を振った。

「駄目だ優也、こんな場所で」

「……ちょっとだけ、だから」

 強請るような目は一昔前に流行った子犬のような愛くるしさだ。涼人が躊躇ってる間にシャツの前がはだけ、優也の熱い舌が体を這う。

 まるで食らわれるようだと涼人は思った。だがそれでも良いとすら思っている。

 不安も迷いもかき消すような甘い痺れに身を任せ、優也と涼人はまた一つ誰にも言えない秘密を共有した。



 それから数日経った日曜日、優也は涼人の家に招かれた。

 涼人の両親は仕事が忙しく家を留守にしがちで、今日も家に居るのは涼人だけだ。

 それを事前に聞かされていた優也は涼人の家に入る。

「涼人ー、来たよ」

 リビングから涼人が姿を現した。

「こっち来て」

「今日は部屋じゃないの?」

 涼人に呼ばれリビングに入ると、テーブルの上に様々な料理が並び真ん中にはお淑やかな生クリームを纏った大きなケーキが鎮座している。

 優也は目を輝かせた。

「これってまさかオレの誕生日祝い?」

 涼人が頷く。優也は嬉しくなって涼人に抱き付いた。

「まさか全部手作り?」

「そうだよ、今まで料理なんかしたことなかったから大変だった」

 優也は気付いたように顔をあげた。

「帰りの時間をずらしていたのって」

「最初はレシピの本を買うため、それから料理の練習のためだ」

 少し気恥ずかしそうに涼人が話す、優也はきっと絆創膏でいっぱいな筈と涼人の手を見る。しかし指先には何も無かった。

「あれ……? 手怪我とかしなかったの」

「なんでちょっと残念そうなんだ」

 ぺろっと優也が舌を出し無邪気に笑う。

「だって定番じゃん、指先切っちゃいながら作るっていうの」

「最初は指も何度か切ったが、慣れたらそんなことも無くなった。最初は気付かれないように指先を隠すのが大変だったよ」

 だから避けていたのかと優也は理解した。理解したら嬉しさが溢れて、涼人を強く抱き締めた。「クッキーもケーキも何でも作れる」

 ぽつりと涼人が言葉を洩らし、優也は顔をあげた。そこには真っ赤な頬の涼人。

「だから、他の人から貰って喜ばないでくれ。……俺だって嫉妬くらいする」

「涼人」

「あ、あまり見ないでくれ。恥ずかしいだろ」

 優也はそっと涼人の唇に唇を重ねた。

 言葉よりももっと直接伝わるようにと、何度も優しく触れあわせる。


「同じ気持ちだったんだねオレ達」

 涼人は優也に抱かれながら日々愛しさが積もり何層にも重なっていくと改めて感じさせられる。

 それを優也に話すと、「じゃあきっとこの先、胸焼けするほど甘いミルフィーユになるねオレ達」と言って笑った。


 汚れたシーツを見ながら涼人はふと不安を感じる。だがそんな雑味はきっとこれから先甘味を上回る事はないと強く確信した。寧ろその雑味は甘味を引き立たせるだろう。

 涼人はそっと寝息をたてる優也にキスをする。その顔には無表情の仮面を捨て愛されることの幸せを知った者の優しさを浮かべていた。






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