第百二十話 雷龍
「さてっと……。俺の力を、ほんの少しだけ見せてやるか」
アグウィスは気怠そうに、空気の渦を纏っている右腕を振り上げる。
それを見て、男が警戒体制を取る。
「俺の攻撃力と、お前の防御力、どっちが上なんだろうなぁ!!」
男の腹部に目掛けて放たれた、アグウィスの拳。
その拳を、男は右手で止めようとする。
――しかし、力の差は歴然だった。
アグウィスの拳は決して止まることなく、男の右手ごと、腹部を破壊した。外部にとどまらず、内部、即ち骨や内蔵をも粉砕していたのだった。
男が血を吐きながら、地に落ちていく。
「くッ……。申し訳ありません、トルス様……」
そう言い残し、男は体を地に預けた。
「……まだ死んでねえみてえだな。俺は殺しが大嫌いだからよ、戦意を失ってもらえるなら、それがいいんだよな……」
誰にも聞こえないほど小さな声で、アグウィスは呟いていた。
アグウィスは最強の悪魔と言われているが、殺しを好まない、平和主義者でもあるのだ。
それにしても、とアグウィスは思う。
「トルス……どこかで聞いたことある名前だな……。誰だったか……」
空中停止しているアグウィスは、暫く記憶の中を探っていた。
その時だった。
「俺を呼んだか?」
突如、背後から聞こえた声。
アグウィスは振り返り、トルスと思われる声の主を睨みつけた。
金髪に黒のサングラス、白を基調とした上着をマントのように纏い、口に太い葉巻を咥えている男――。
そして、アグウィスは何かを思い出したような表情をする。
「誰も呼んでねえよ。お前か……トルスってのは……」
「……そうだ」
肯定する金髪の男。
「思い出したぜ……。科学側第二位の雷龍、トルス・D……」
その時初めて、アグウィスはほんの少しだけ警戒をした。
眼前の男に対して――。
「こんなとこで何してやがる、トルス?」
「それはこっちのセリフだろうが。アグウィス、てめえ、まさかブラックの敵討ちなんかをしてんじゃねえだろうな?」
それを聞き、アグウィスが苦笑する。
「敵討ち? するわけがねえだろうが。まして、あの将軍のために動く悪魔がいるとでも思ってんのか?」
「いや。ただ確認しただけだ」
次の瞬間、トルスの体から発せられた黄金の雷。それが彼の体を覆う。
「ただ確認しただけ、か……。それにしちゃあ、この俺と闘う気満々って感じだな」
アグウィスから放たれる、力と殺気の奔流。
「悪魔のてめえは、俺達人間の敵だ。殺そうとしねえわけがねえだろうが」
葉巻を咥えている口の端を吊り上げて、トルスがアグウィスに問いかける。
「これから死刑を執行する。何か言い残す事はあるか、アグウィス?」
「そうだな……。トルス、俺と組まねえか?」
「……何?」
予想外の言葉に虚を衝かれて、トルスの表情から笑みが消えた。
「この世界の平和を護るために、この俺と組まねえかって言ってんだよ」
「……信用できねえな。てめえは悪魔だ。敵である人間の俺に向かって、組まないか、だと? ふざけんじゃねえぞ。まさかとは思うが、てめえがここにいる理由ってのは、俺達人間と組むためか?」
「ああ。お前も知ってるんだろ? ソールがアンゲルスを裏切った事を」
「……つまり、天使側の戦力は激減、悪魔側の戦力は上昇。それが理由で、戦争が激しくなる、か……。確かに、悪魔側にとっては願ってもいないチャンス……。なるほどな。そういう事なら、てめえが動き出したのもわからなくもない。だがな……」
トルスは声を低くして、吐き捨てるように言い放つ。
「俺はてめえと組む気なんかねえ。この戦争がどうなろうが、知ったこっちゃねえ。俺はただ、てめえら悪魔を狩る、それだけだ!」
凄まじい電力を誇る雷を、周囲に撒き散らすトルス。それが地面や建物の壁など、あらゆる物を黒焦げにし、粉々に破壊していく。
「やっぱりこうなっちまうか……。仕方ねえ……」
アグウィスも力を開放する。
漆黒のオーラが全身から溢れ出し、それが大気を揺らめかせていた。
まるで、炎の熱によって揺らめいているかのような――。
「……流石だな。てめえがその気なら、この俺も手加減なしでいこうか」
その時、トルスの体に異変が起きた。
全身の皮膚が黄金の鱗に変わり、背中からは黄金の翼が生えてきたのだ。
『雷龍』
それが科学側第二位、特殊型の能力者、トルス・Dの正体――。
「龍と化したこの俺の実力を、見せてやろう」