私のお気に入り
主人公は網膜色素変性病という病気にかかっている設定です。私自身、この病気や視聴覚障害について学びながら執筆をしていますが、何か誤解を招く表現や誤った記載があった場合にはメッセージにてご連絡ください。
(1)私のお気に入り
冬の晴れ空は好きだ。
夏の日差しのようにギラギラしていなくて、なんとなくやさしい。
僕は生まれつき視力低く、子供の頃から眼鏡をかけなくては殆ど何も視えない。しかも網膜色素変性病という病気に侵されているらしく、それは将来何も見えなくなる可能性のある病気らしい。
でも、そんな僕でも季節ごとの光の違いはわかる。こんな日はピアノの鍵盤も心なしか軽く感じる。旧体育館の古いピアノが僕の指に合わせて笑うような音を出した。
いずれ音だけの世界になる僕の未来を案じた両親なりの考えだったのだろう、物心つく前から僕に与えられたおもちゃは積み木や絵本ではなく、プラスチックのラッパやおもちゃのピアノだった。おかげで僕は『桃太郎』のあらすじよりも『エリーゼのために』の運指を先に覚えた。
僕はワイシャツのポケットからプレイヤーを取りだし、イヤホンを耳につけ音量を最大にする。そしてあらかじめ入れておいたベースやドラムのリズムに合わせて鍵盤をたたく。こうすることで僕の脳内は、どんな人の視界より鮮やかになる。
ふ、と僕の視界のわずかな光が遮断された。イヤホンを外される。
「休み時間にピアノ弾くときは眼鏡かけろって言ったろ、そしてこまめに時計を見ること。」
覚えのある香りと一緒にあきれた声が降ってきた。
「授業、とっくに始まってる。」
「自分だって今来たくせに。タバコ臭いよ。」
目の前にかざされた手をはらいながら僕は不機嫌な声を出す。分厚く不格好な眼鏡をかけて見上げると、三浦 優士がにやりとしながら、ピアノに寄りかかっていた。
「で、今のは新曲?」
幼馴染でもある僕らは3年前からバンドを組んでいる。一つ年上の優士が高校に入った時に作ったものだ。優士がボーカルで、ギター、ベース、ドラム、そしてピアノ兼キーボードの僕。と言っても僕は滅多にステージには乗らず、こうして作曲をしている。
「もうすぐ完成。歌詞作るなら録音しておくよ。」
僕が作った曲に歌詞をつけるのは優士の役割だ。と、いうかそもそも僕がこのバンドに入ったのもコピーに飽き足らなかった彼が、僕に汚い字でこっ恥ずかいし詞が書かれたルーズリーフを僕に押し付け半ば無理やりに曲を作らせたのがきっかけなのだ。しかし今では僕も曲づくにハマってしまい、率先して新曲を考えている。もちろん全てが全て完成に至るはずもなく、僕達にとって持ち歌と呼べる代物はまだ数えるほどしかないのだが。
「ほれ、とっとと教室行くぞ。」
そう言って彼は急体育館を出ると、さも自然に三年の校舎とは全く反対に位置する一年の校舎に足を向ける。
「いいって、教室くらい、一人でいける。」
そういっても彼は振り向くことはない。
「お前になにかあったらみんなに怒られんのは俺なんだからな」
こんな事を呟きながら、彼は出会ってからずっと僕の世話を焼き続けている。幼稚園の時に出会い、小学校、中学校、そして高校はもちろん同じだし、その登下校だってほぼ毎日一緒だ。(まぁそもそも住んでいる家が隣同士だから、というのも言えるのだが。)
だから幼いころから、僕は優士の後ろをついてばかりいた。
思えば小学校の時半ば強制的に送り込まれたピアノ教室の通ってこられたのも、優士が一緒だったからだろう。
僕の母は音大の出身で、最初僕にピアノを教えてくれていたのも母だった。そしてその母が小学校に入ると同時に僕をピアノ教室に通わせ本格的にピアノを学ばせることを決めたのだ。
しかし極度の人見知りだった僕にとって、家から信号を三つも渡らなければならないそのピアノ教室は言わば異国の地であったし、そこにいる先生や妙になれなれしい事務のおばさんに「こんにちは」と挨拶をしなければならない事は、かなりの苦行だった。だからこそ、優士が一緒にピアノ教室に通ってくれると聞いたとき僕は小躍りしながら喜んだし、母の代わりに僕の手を引き信号を渡り、僕の代わりにひと際大きな声で挨拶をしてくれる優士を、心底頼もしいとも思った。
こんなこともあった。
僕らの通うピアノ教室では年に一度、全国に散らばる同じピアノ教室の生徒達が出場するコンクールが催されており、僕は運が悪くも(当時の僕はそう思った。)そのコンクールの「小学生 個人の部」で代表に選ばれてしまったのだ。
当日、両親になだめすかされながらなんとか会場にたどり着いたものの、ステージの袖でやはり僕は泣きだしてしまった。弾幕にしがみ付き梃子でも動こうとしない僕の唯一の交渉条件はこれだった。
「やさし、といっしょ、じゃな、きゃ、やだ!!」
結局、ソナタまでいった小学生がいるらしい、やらプロとしての契約も近いらしいなんて噂が毎年立つ様なそのコンクールで僕らが弾いたのはサウンド・オブ・ミュージックの「私のお気に入り」だった。(僕はともかく優士が暗譜で出来る連弾がそれしかなかったのだ。)ステージ袖で駄々をこね、出番を先送りさせてもらい、あまつ個人の部で連弾を弾いてみせた僕のこのエピソードは、今でもお正月やクリスマス、その他色々なところでいい笑いの種にされる。優士はいつもその話が持ち出されると嬉しそうな懐かしそうな顔をするが、幼かった僕にとっては断崖絶壁の想いだったのだから、まことに遺憾他ならない。
そしてそれから十年近くたった今でも、僕はこうして変わらず優士の後ろを歩いている。
「気つけろよ。」
優士が一段下から手を差し伸べる。体育館のある裏庭から校舎へ続く階段、コンクリートはところどころ欠けていて、段差も広い。そして視力の弱い僕は上りの階段より下りの階段が苦手だ。
「いい男子高生が同じ男子に手引かれて歩くなんて、いくらなんでもキショイ。」
僕はそう言いながら手すりに摑まってゆっくりと階段を下りた。
「あら、いつの間にか大人になって、ママ嬉しい。」
「キショイ」
今までもこうやって優士には数えきれないほど世話を焼いてもらっている。そしてきっとこれからも、優士は僕に手を差し伸べてくれて、僕はそれを甘んじて受けたり、時には皮肉で返したりしながら過ごすのだろう。どんな言葉でも表わせないほど、僕は優士に感謝をしているし、しかしその反面、自分のこの眼のせいで優士に変な気を使わせ煩わせているのではないかと、時々ふとと申し訳なくも思うのだった。




