第一話
凌操たち凌家の人間の『凌』の字ですが本当はさんずいの方の字になります。変換が上手く出来ないのでwikipediaに載っているこの『凌』を使わせてもらっています。
前もってご理解の程、よろしくお願いします。
凌操
中国は後漢末期に孫呉に仕えたとされる武将。
江東の虎『孫堅』の長男『孫策』、次男『孫権』を二代に渡って支え続けたとされる。
その武勇は誰もが認める物であり、常に先陣として戦場を駆け抜けた。
一説によれば孫呉の宿将の一人、韓当と同等の扱いを受けたと言われている。
孫堅の頃から仕えている韓当と孫策の頃から仕えた凌操。
年季が違う両者が同等とされていた事からも孫呉の人間が凌操をどれだけ信頼していたかが窺える。
しかし孫権と共に劉表配下の黄祖を攻めていた折、当時は黄祖の下にいた甘寧の矢を受けて戦死した。
この出来事で息子の凌統は甘寧を憎み、有名な二人の確執と和解へ繋がる事になる。
もっともその死因については諸説あり甘寧の放った矢ではなく甘寧軍が放った流れ矢にやられたという説もあると言う。
いや今、問題なのは死因ではない。
重要なのは俺がそんな歴史に名を残すような武将と同じ名前であるという事だ。
これが意味する事は一体何なのかを考えなければならない。
正直、嫌な予感しかしないが。
一つ、ここがかの三国志の時代である。
二つ、かの武将の名に肖って名付けている。
三つ、まったくの偶然。
個人的には二か三であってほしい所なのだが、確認できただけの時代背景と照らし合わせると笑い飛ばしたくなるような仮説一が最も有力に思えてしまう。
これが当たりだとするならば、俺は孫に曰く『転生トリップ』という奴を体験中らしい。
しかしここが後漢末期の中国大陸であるというのなら幾つもの疑問が浮かんでくる。
前にも考えたが、まず言語。
なぜ日本語が標準語になっているのかが謎だ。
中国語を日本語として俺の頭が無意識に変換しているという馬鹿らしい可能性も考えた。
だがその仮説に説得力を持たせるにはまず俺自身に中国語を日本語に変換できるだけの知識と経験が必要になる。
しかし俺は生きていた頃の中国語ならわかるが、すらすらとと言う程ではない。
こんな大昔の言葉を日本語のように俺の脳が変換してくれるわけがない。
ついでに言うなら会話する時の口の動きも日本語そのままだったのでこの仮説は立てた数瞬後には崩れている。
正直、いくら考えてもわからない気がする。
次に言葉は日本語なのに流通している文字は中国語だと言う事。
父が異様に達筆あるいはど下手であると言う事でなければ、あの文字は中国語で間違いない。
この時代に使われた物よりも字体が現代よりだった為、俺にも文字の意味は理解できた。
まあ読めたのは今のところ俺の真名と両親の名前くらいだが。
文字に触れる機会が少ない為、断言できないのが辛いが確認した部分だけでも文字が中国語である事は推測できる。
日本語と中国語の違いは半端ではない。
初めて中国の地を踏んだ時、現地の言葉を聞いてここは本当に地球なのかを疑ったくらいだ。
もっとも日本に初めて来た中国人も似たような感想を抱くのだろうが。
それほど言語の壁という物は厚い。
だと言うのに原住民である彼らは違和感など感じさせずにこの環境に順応している。
それはつまり昔からこういう環境であった事を示している。
中国語を勉強している日本人、あるいは日本語を勉強している中国人に喧嘩を売っているような環境だ。
時代考証など以前に意味がわからない。
さらに技術。
この時代ではありえない服飾品、娯楽の存在だ。
この頃、世界中のどこであっても紙と言う物は貴重だったと記憶している。
だと言うのにこんなのどかな村に製本された紙の本があるのははっきり言って異常だ。
しかもそれがファッション雑誌だと知った時は、頭を抱えたくなった。
赤ん坊の状態なので手が頭に届かなかったが。
ありえん、なんだ雑誌『阿蘇阿蘇』って。
しかも若い女性の間で大人気の雑誌らしく、売りにくる行商人は売り上げがっぽがっぽな状態だそうだ。
しかもその雑誌の中身も問題だ。
どれも中華風ではあったが明らかに俺の知っているこの時代の技術力を逸脱している。
なんだ、『流行は項羽にあり』ってキャッチフレーズは。
歴史家に喧嘩を売ってるのか?
しかも服の材質こそこの時代の物っぽいがやたらきらびやかで、現代の服装と比べても遜色がないように見える。
あんな女性向けの服を項羽が着ていたわけがないだろうと盛大に突っ込んだ。
勿論、言葉は出せなかったが。
今、挙げた物だけ見てもこの世界の異常性はよくわかる。
これほどの違いがあると歴史的な出来事にもズレが生じるかもしれない。
例えば漢王朝の腐敗、そしてかの有名な黄巾の乱や反董卓連合、その後に起こる群雄割拠の世。
もしそれらの出来事が早まる、あるいは出来事自体に何らかの相違があるととまずい事になるかもしれない。
こんな辺鄙な村、時代の波に晒されてしまえばひとたまりもないだろう。
特に黄巾の乱はまずい。
最初こそ高い志をもって動いていたが、それは乱の首謀者『張角』がいればこそのはず。
彼を含めた張三兄弟が亡くなってからの黄巾党に統率などなく、半ば暴徒と化していた。
この村がそんな連中の猛威に晒される事だけは防がなければならない。
仮に歴史的な出来事にズレがなくとも村全体の自衛手段の充実化は急務だろう。
とすれば俺がしなければならないことはまず健康面に気をつける事になる。
何事も身体が資本なのだから。
衛生面があまり期待できないこの世界でどの程度の事が実行できるかわからないがやらないよりは遥かにマシだ。
後は身体ができてきてからの体力作り。
外で遊ぶという名目でランニングだな。
子供なら外を走り回っていても問題はないだろうし。
同年の子供たちを先導して身体を使う遊びをしてもいい。
そういう身体作りに向いている遊びはかなりある。
畑仕事など大人たちの手伝いをして成長の妨げにならない程度に筋力も付けるとしよう。
一般的な成長が止まる十代後半からは生前やっていた格闘技の型をやる。
いや型だけなら十代前半からでも構わないか。
ウチの道場にも十歳になるかならないかぐらいの頃から通っている子供もいたのだし。
今の身体で動き慣れておく意味で必要な事だから早いに越した事はない。
いつどういう形で血生臭い事件が起こるかわからない時代だ。
何事も早く始めておくに越した事はない。
出来れば読み書きも習いたい所だが、読みはともかく書きについては当てがない。
両親も生活に必要最低限の教養しか持ち合わせていないようだし、これについては現状では保留するしかない。
まったく、妙に技術が発達しているのだから教養もそれに合わせてくれればいい物を。
愚痴っても仕方がないので思考を切り替えよう。
今、出来るのはこんな所だろう。
しかし年を取る事を楽しいと感じた事はあったが、年を取っていない事にここまで焦燥感が湧くとは思わなかった。
だがやるしかない。
俺がすべてをやる必要はないだろう。
正直、凌操という人物の歴史をなぞって動くべきかどうかを不確定要素が多すぎて迷っている現状ではこれ以上の計画は練れない。
そんな今の俺に出来ることはなにがあっても対応出来るだけの武力とこの世界の知識を得る事だ。
さすがに死ぬとわかっている道筋に沿って進むのは御免だからな。
せいぜい気張るとしよう。
どんな世界で生きていく事になろうが俺の決意は変わらない。
再び両親からもらった命を精一杯生きるだけだ。
というか赤ん坊の段階でこんなに気苦労を背負い込んで将来、若禿とか胃痛持ちとかにならんだろうな?
今から心配になってきたぞ。
などと暢気な事を考えていたのが悪かったのか、俺の知る歴史をあざ笑う出来事が訪れる事をこの時の俺は知る由もなかった。
黄蓋公覆。
孫堅の代から孫策、孫権と三代に仕えた老将。
宿将と言われる韓当、程普と共に孫呉に置ける軍の中核をなし晩年まで活躍したとされている。
赤壁の戦いに置ける彼の『苦肉の計』は曹操軍に大打撃を与え、天下分け目の戦いにおいてのその活躍は三国志を知る者ならば誰もが知るところだ。
俺自身、まったくブレる事なく孫家に忠義を尽くした彼には憧れにも似た感情を抱いていた。
だったのだが。
「ほら、祭ちゃん。この子がうちの操よ。仲良くしてね?」
「まかせよ、ろうどの! りょうそう、わしの名はこうがいこうふくじゃ。これからよろしくたのむぞ!」
舌っ足らずな言葉遣いで俺に笑顔で話しかけてくる『少女』。
銀髪をショートカットにしているこの子がなんとあの黄蓋らしい。
「ああ、えっと……りょうそうとうりんです。よろしくおねがいします」
ショックで挨拶をするのに間が出来てしまったがそれは許してほしい。
まさか黄蓋の『性別』が違うとは思わなかったのだから。
「あらあら? どうしたの、操。もしかして祭ちゃんに見惚れちゃったとか? 可愛いものね」
「な、なにを言うのじゃ。ろうどの! わしはかわいくなどありませんぞ!」
あの黄蓋が女の子で母さんにからかわれて顔を赤くしている。
訳がわからん、どういう事だ?
現実逃避の為にこんな状況になった経緯を考えてみる。
俺は赤ん坊の時の決意をそのままに問題なく成長を続け、今年で四歳になった。
ちなみに俺が最初に口に出した言葉は『おかあさん』で子煩悩の父さんを盛大に凹ませた。
いやいつも一緒にいるのは母さんだったから、順当だと思ったんだが。
思いの外、父さんが凹んだのですぐに『おとうさん』と言ってやるとさっきまで凹んでいたのがなんだったのかという程の笑顔で俺を抱きしめてきた。
まぁそれはさておき言葉を発する事が出来るようになった後も順調に成長を続けていき、一年と少し経つ頃にはいはいを卒業。
自分の足で歩けるようになった。
この一年と少しの間の時間はもどかしさと焦りとで、とてつもなく長く感じた。
なので記念すべき第一歩を踏み出した時は思わず目尻に涙が浮かぶほどに感動したものだ。
それからすぐに家の中を歩き回るようになり、すぐに村の中へと活動範囲を広げていった。
そしてさらに二年と半年が経過し、四歳になってしばらく経った頃。
もはや村中を一人で走り回るようになった俺は母さんに隣村の友人のところまで行こうと誘われた。
二つ返事で了承した俺と母さんが半日歩き通しで着いたその村で、母さんに駆け寄ってくる女の子の姿。
その子が黄蓋である事を知り、そして今は絶賛混乱中の状態だ。
というか勘弁してくれ。
ただでさえ諸々の違和感について疑問が尽きないと言うのにここに来て性別の相違なんて。
もう俺の知る歴史は役に立たないのかもしれない。
「どうした、りょうそう。あたまをおさえて? いたいのか?」
「ああ、うん。だいじょうぶ」
どうやらこうなった経緯を思い出していたら、無意識に頭を抱えてしまっていたらしい。
黄蓋嬢が俺を心配そうに見つめている。
うわぁ、これが黄蓋かよ。
いや歴史上の黄蓋も人間なのだから幼少期と言うのは当然、存在するはずなのだが。
男だと思っていたのでこの展開はさすがに想定外過ぎる。
またしても頭痛を感じて思わずこめかみを指で抑えてしまった。
「あ、ごめん。やっぱりちょっとあたまがいたいかも……」
取り繕うのをやめてしまえば後は楽だった。
黄蓋嬢が彼女の母親と談笑していた母さんに慌てて呼びかけ、駆けつけてくる大人二人に少し休みたいと伝える。
罪悪感を感じないわけでもないが、頭痛というのは本当なのだし今回だけ大目に見てほしい。
「あら、さすがに半日も歩き通しで疲れちゃったのかしら?」
「ほう、この年で自分の村からずっと歩いてきたのか? てっきりお前が抱いてきたのかと思ったのだがの」
「……村の外に出たのはこれが初めてだったからね。やっぱり少し無茶な事させていたのかもしれないわ。悪いのだけど少し寝かせてあげてもいいかしら?」
「ああ、うちの寝床を使えばいい」
とんとん拍子に話が進む。
さすが友人同士と言うべきか。
「すみません」
「礼儀正しい子じゃのう。うちの跳ねっ返りとは大違いじゃ」
「はは! わしのせいかくはははゆずりじゃぞ!」
「これ、具合の悪い人間の前で騒ぐな」
「うっ、わかりました」
会話を聞いているとすごく和む。
なんだ、この似たもの親子。
「ほら、操。豊の家に行くわよ」
「うん、母さん。こうがいちゃん、ごめんね」
「あ……う、うむ。きにするな」
「そうじゃぞ、操君。ゆっくり休むといい」
「はい」
心配そうな黄親子の視線を受けながら、俺は母さんに手を引かれて歩く。
言われてみれば半日も歩き通しだったせいで疲れたかもしれない。
少し足下がおぼつかない。
「ごめんね。貴方が平気そうな顔をしていたから気づいてあげられなかったわ」
ふわりと俺の身体が持ち上がり、母の腕の中に収まる。
「ううん、だいじょうぶ。でも少しねむい」
「ええ、寝てもいいわよ。お休み、操」
自分の子供言葉に身もだえる程の恥ずかしさを感じながら、俺は眠りについた。
この後、目を覚ました時に黄蓋同様にこの世界では女性になっている韓当の姿を見て俺の頭痛がひどくなる事になる。
誰か俺に平穏と頭痛薬をくれ。バ○ァリンで良いから。
とはいえそういう存在であると理解してしまえば慣れるのもまた早い物で。
黄蓋嬢、韓当嬢とは友人になり、さらに三人で遊んでいるところに程普、祖茂も加わった。
驚いた事に孫呉が誇る忠臣たちは全員、同じ村の出身らしい。
突っ込み所満載ではあったが、正直なところ歴史上の彼らの出身などどうでもよかった。
それよりも程普と祖茂が『男』であった事に、俺は言葉では言い表せないほどの安心感を抱いていて突っ込みどころではなかったのだ。
彼らとはすぐに意気投合した。
どうも黄蓋嬢、韓当嬢に頭が上がらず頼りになる男の友人を切望していたらしい。
まぁ確かにあの二人、異様に押しが強い上に男勝りな性格なので、良くも悪くもまともな性格でありさらに一つ年下の程普と祖茂では尻に敷かれるのも理解できた。
まぁそんなこんなで。俺は将来の武将たちと友人として付き合いを持つ事になった。
相変わらず俺の知る歴史に喧嘩を売っているとしか思えないが、もう知識を参考にするのは諦めるべきかもしれない。
黄蓋に続いて韓当まで性別が違う上に、全員が同じ村出身となると伝えられてきた歴史が間違っているというよりもこの世界と俺の知る歴史は別物であると考えた方が賢明だろう。
知識はあくまで知識として活用するとして。
今はこの貴重な幼少時代を友人たちと過ごそう。
もちろん予定通りに鍛錬を交えつつ、な。
いかがだったでしょうか?
やや年齢の重ね方が駆け足ですが幼少期ではあまり書くことがないので、これからも飛ばし飛ばしになると思います。
次のお話も楽しみにしていただければ幸いです。




