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真・恋姫無双 乱世を駆ける男  作者: 黄粋
孫呉任官編
18/43

第十四話

少し振りになります。

ご心配をおかけしました。

地震による身内の被害により更新が滞っていましたが、今日から普段通りに動けると思います。

この場を借りて地震や津波の被害に遭われた方々の無事と亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

甘寧達、錦帆賊と協力関係を結んだ日。

俺たちは早速、彼らから長江近隣の治安状況を教えてもらい、さらに村長から聞いた情報と共にまとめ上げた。

その報告書(紙は貴重な為、竹簡だが)の数、前世で言うところのA4用紙にして実に五十枚以上である。


彼らが持っている情報は有用ではあるが、長江近隣全てという膨大な範囲についての物である為、情報量がとてつもなく多く定期報告用にと用意していた竹簡の三分の二を使い切る事になった。

報告時に読みやすく且つ解りやすいように地域毎にまとめていた為、朝から翌日の明け方までずっと臨時会議室(甘寧が貸してくれた大きめの船室の事だ)に籠もりきりになる羽目になっている。

当然、使える人間をすべて使った人海戦術を駆使して、だ。

そうまでしなければ終わらないほどに報告すべき事柄が多かったのだ。


彼らから話を聞いていた時など、まったく知らなかった情報、知っていなければならない情報の余りの多さに俺や宋謙殿が目眩を覚えた程である。


長江近隣でどれほどの民が生活をしているか、どれほどの江賊が活動し、被害が出ていたか。

他の大守が長江近隣でどのような行動を起こしているかなど、挙げれば切りがない。


一応、建業でも隣接する領地などには定期的に偵察を送り込んでいるらしいのだが、そういった人材が少ない俺たちの軍では情報量は限られた物になってしまうのが現状である。


しかし今回、知る事が出来た情報は今までの情報不足を補って余りある物だ。

さすがに情報の鮮度は落ちるだろうが、『この時にはこんな事になっていた』、『こんな事をしていた』と言う情報があると言うのは今後の動向を推察する判断材料としてとても有用であり貴重な物になる。

この情報が聞けただけでも錦帆族と繋がりを持った事には大きな価値があったと言えるだろう。



俺はまとめ上げた情報を建業に報告すべく預かった五頭の馬の内、特に足の速い馬三頭を使用して伝令を出した。

ここからならば休憩を含めて一日走らせれば建業に着くだろう。


勿論、錦帆賊と結んだ協力関係についても報告書に詳細に書いてある。

この関係をどう整理し、これからの政治に活かしていくかを考えるのは俺ではなく蘭雪様や美命、陽菜たちの仕事だ。

とはいえ彼らの討伐と言う話にだけはならないだろうが。


竹簡は三頭に対して均等に分配したが、それでもかなりの量がある。

さらに報告する項目一つ一つについては大雑把ではあるが口頭で俺の所感と補足説明をするように伝えている。

伝令として出した彼ら三人は平均以上の兵士であると同時に文官予備軍と評価出来る程の頭の回転を持っているから報告に不備があるという心配はしていない。

だが説明などの時間を加味すると報告を終えて戻るまで早く見積もっても三、四日はかかるだろう。

最悪を見積もるとおよそ一週間前後と言った所か。


俺たちは彼らが戻るまでの間、基本方針としてはここに居続ける事になる。

しかしその間、ただ時が過ぎるのを待つと言うのは論外だ。

俺たちは自分たちに出来る事に全力で取り組まなければならない。

あまりにも時間がかかるようなら数人をここに置いて遠征を再開する予定でいるが。


そして今出来る事は、錦帆賊との友好関係をより親密な物にする事。

その第一歩はお互いがお互いを理解する為に積極的に交流を持つ事だろう。

たった四日足らずでどこまでの事が出来るかはわからないが、『わからないからやらない』と言う事にしてはならない。



人生とは一寸先の闇を恐れながらも、探りながら進んでいく事で成り立つ物だ。

それを放棄する事など生きる事をやめる事に等しい。

時に立ち止まり、後ろを振り返る事はあっても最後には踏み出し、また歩き出す。

何かに躓いて転んだならば立ち上がる努力をしよう。

立ち上がれない程の窮地に立たされたならば周りを見渡し、共に歩む者たちを頼ればいい。

苦労して歩み、苦労して進む。


それが人生と言う物と考えている俺としては『わからないからやらない、出来ない』と言うのはただの言い訳に過ぎない。


勇気と覚悟を持って未知に足を踏み入れる。

その積み重ねを経験と呼び、経験を積み重ね自らの血肉とした者だけが成長し、最後には大成するのだ。



閑話休題。

ほぼ完徹で睡眠を求める頭を長江の浅瀬で水を被ることで叩き起こしていた所に、後ろから声がかかった。


「おはようさん。昨日、……ああいや今日までやってたんだったか。まぁとにかく遅くまでご苦労さんだったな、凌操」

「ああ。おはよう、甘寧」


挨拶もそこそこにもう一度、水を被る。

村で貸してもらった水桶を脇に置き、用意しておいた布で水を拭き取っていく。

最初は殿付けで呼んでいたのだが、むずがゆいからやめろと拒否されたのでお互いに呼び捨てになっている。


「昨日まで赤の他人だった奴によくそこまで無防備でいられるな、お前」

「『昨日までは』だろう? 今の俺たちはきっちり話し合った上での協力関係にある。それも双方の全員が同意した上で、な」

「そりゃそうだが……仮にも大守の軍隊、しかも責任者がそんなんでいいのか?」


呆れを隠す事なく甘寧は質問を重ねてくる。

軽い調子ではあるがその言葉には俺と言う人間を見定める意図が込められていた。


当然の事だろう。

粗野っぽい風貌と言動ではあるが彼は紛れもなく一つの集団の長だ。

そう易々とこちらの事を信じる訳にはいかない。

彼の決断一つで彼の部下たちの運命が決まるのだから。


「はぁ……読めねぇ男だ」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「褒めてねぇ。ったく、や〜れやれ。朝からしみったれた話しちまった」

「話を振ってきたのはお前だろうに」


俺は服を着込み、布を絞って拭き取った水を絞り出し、後ろにいた彼の方を振り返る。


「さてそろそろ朝飯だ。甘寧はどうする?」

「ああ? なんだ、お前の所で食わせてくれるのか?」

「軍の保存食と昨日森で取った猪の余りしかないが、それで良ければな」

「へぇ、猪か。朝から豪勢だな」

「余りだからな。お前が今考えているような豪華な物じゃないぞ」


他愛のない雑談をしながら俺たちは遠征軍の野営地へ向かって歩き出した。



食事は錦帆賊の面々も交えて賑やかな物になった。

昨日、治安状況について昼夜ぶっつづけで会議を行っていたせいか、俺たちに対する警戒心はそれなりに解消されたらしい。

うちの連中と競い合うように飯をがっつき、たまにおかずの取り合いをするくらいには打ち解けたようだ。


俺は甘寧と共に食事を取っている。

談笑しながらの食事中に娘だと言う六、七歳くらいの少女を紹介された。


「俺の娘だ。姓は甘、名は卓。字はこいつが十歳になったら付ける事になってるからまだ無い。俺の生まれ故郷の風習でな」


胡座を掻いて座っている甘寧の幅広の背中に隠れながら、おっかなびっくり俺を見つめてくる少女。


「そうか、甘卓嬢。姓は凌、名は操、字は刀厘と言う。よろしく頼む」


彼女と目を合わせたまま頭を下げる。

きっちり二秒数えて頭を上げると甘親子は目を瞬かせながら俺を見つめていた。


「どう見ても一回り以上、年下の卓にそこまで礼儀正しくするか? 普通」

「礼儀に年齢は関係ない。初対面なのだから尚更、丁寧に対応するべきだろう」


例外がある事は認めるがな、雪蓮嬢とか。


「逆に恐縮するっつーの」

「そうか?」


などと話していると甘卓嬢が甘寧の背中から離れ、俺に近づいてきた。


「あ、あの甘卓、です。よろしくおねがいします」


たどたどしく震えながらではあったが、しっかりと言葉を紡ぐ少女。

なるほど、どうやら親に似ず真面目な良い子に育っているらしい。

どことなく孫権嬢と似ている印象を受けた。


「今、すっげぇ失礼な事考えなかったか? 凌操……」

「気のせいだろう。甘卓嬢、よろしくな」


もう一度、短く頭を下げると彼女が自身の小さな手を恐る恐る差し出してきた。

意図を確認する為に甘卓嬢を見つめると、俺の右手と顔を交互に見つめてくる。


親である甘寧に意見を求めるべく視線をやると、にやにや笑いながら俺たちを見ている。

口だけを動かして「握手してやってくれ」と言われたので俺は、彼女の小さな手を軽く握った。


彼女の手の震えが止まる。

緊張に強ばっていた表情が年相応に綻んでいくのがわかる。


「……♪」


この時の彼女の表情は、彼女が生まれてからこれまでで最も嬉しそうな笑顔だったとその日の晩、酒を呑みながら絡んできた甘寧から聞かされた。

その事が原因で俺は宴会の度にこの親バカに絡まれる事になるのだが、それは余談だろう。



朝食を終えた俺はこの時代の船について錦帆賊に指導をお願いした。

甘寧たちが快く引き受けてくれたので、今は幾つかの班に分かれて説明を受けている。

俺と賀斉、そして部下数人の班には甘寧自ら説明役を買ってでてくれた。


建業には現在、水軍は存在しない。

正確には水軍としての形を保てるほどに水上戦に秀でた武将、兵士が存在しないのだ。


前建業大守と蘭雪様との争いの際、水軍が軒並み前大守に付いた事が原因である。

気分が高まると荒事大歓迎になり敵と見なした者に手加減する事が出来ない難儀な蘭雪様の性質が災いして、誰かが止める間もなく物の見事に皆殺しにしてしまったらしい。


これは大守交代に置ける蘭雪様たちが犯した数少ない失敗の中で最も大きな物と言われている。

しかしいつまでも水軍不在では対処出来ない事柄が出てこないとも限らない。


甘寧たちの話を聞いた今となっては、後回しに出来る問題ではない事は俺たち全員が感じている事だ。

さらに俺は遠い未来に大規模な水上戦がある事を知っている。

だから尚更、水軍の復活は急務であると感じていた。


「船ってのは河って言う名前のでけぇ生き物の中を突き進むもんだ。船がどんだけ大層な代物でも河の気分を理解してない奴が操船したら上手く動かねぇ」

「生き物に気分、か」


この時代の船は俺が生きていた時代の物のように動力を積んでいるわけではなく、全て人力だ。

その速度は風や河川の流れによって左右され、流れに逆らって進むにはかなりの人員と力量を求められる。


「雨が降りゃ河の水は増える、日照りが続けば水は減る、風が吹けば河も荒れる」

「なるほど。そういう状況の変化をまとめて『河の気分』と言っているんだな」

「そうよ。俺たちは別に河を従えてるわけじゃねぇ。その時その時の河の気分に合わせて船を上手く動かしてるだけなのさ」


感覚的な物言いで俺には理解しにくいが、錦帆賊の操船技術は確かな物だ。

それはこの十年もの間、ずっと長江と共に在った経験で培われた物なのだろう。


経験に裏打ちされたその自信に揺るぎはない。

しかし彼らは自分たちの技術を過信する事もない。


「河の気分を読み切れねぇで今まで何人も命を落としてる。十年経った今でもな。だから俺たちは船を出す時はいつも真剣勝負だ。命かかった勝負事で油断する馬鹿はいねぇだろ」


彼らとて最初からこれだけの技術を持っていた訳ではない。

失敗を繰り返し、何度となく被害を出し、その結果としてここまで神懸かりじみた物を持つに至ったのだ。


「無理矢理、流れに逆らうってんなら死にものぐるいで漕ぐしかねぇ。けどよ、その度に自然の力って奴の偉大さを嫌って程、味わってんだ。手懐けようなんて考える事も出来ねぇ程の力の差って奴をな」


露橈ろとうと呼ばれる種類の船の中を案内しながら甘寧は自然と向き合い続けてきた事を誇らしげに語る。


「俺らが持ってる船は三種類。今、乗ってる中型船の露橈と斥候せっこう、あと小型船の先登せんとうが二艘で全部だな。俺らはお尋ね者だ。常に周りを警戒出来るようにどの船にも高めの物見台を設けてあるから船の大きさ以外にはそこまで大きな違いはねぇよ」

「随分、立派な船だな? 言い方が悪くて済まないが、国と敵対する賊が簡単に手に入れられる物とも思えないが」

「ああ、先登二艘については俺たちのお手製だよ。斥候と露橈は襲撃してきた連中から奪い取った」


なんでもない風に言っているが奪い取るのも造り上げるのも口で言う程、簡単な事ではないだろう。


「船を造るのは大変だったぜ。俺も含めて全員が慣れない大工仕事に四苦八苦した。長江の上流から来た流れの技師が手を貸してくれなかったら船は完成しなかっただろうよ。奪う方のが幾らか楽だったな。お前等の前で言うのもなんだが前の建業大守の水軍は軍としちゃ名ばかりでな。水上戦云々の前に夜襲に対する警戒がなってなかった。どうもやり合う前から勝った気になってたみてぇでよ、お陰で簡単に奪えたって訳だ。まぁこんな立派な露橈を持ってりゃ油断するのもわからねぇでもねぇが」


現建業軍である俺たちに気を遣って可能な限り、言葉に選ぶ甘寧だが俺としては同じ軍を名乗っている身としてどうにも情けない気持ちになる。

同時にかつての軍がどれほど腑抜けていたのかを知り、怒りや苛立ちで顔が険しくなるのが自分でもわかった。


「それはまた、なんとも情けない。そんな体たらくでは名ばかりと言われても仕方がないな」

「……お前、自分の任官前の事とはいえ同じ軍に容赦ないな」

「同じ軍だからこそ容赦しないんだ。質の良い軍であろうとするなら過去の汚点から目を逸らす事などあってはならない。悪い点は指摘して直していかなければいずれ足下を掬われる事にもなりかねないんだからな」


悪い事から目を背けたがるのは人の性質さがだ。

誰にだってそんな部分はあり、それは俺とて例外ではない。

だが自覚する事で向き合う事も出来る。

そして人を守り、人の上に立つ者になった俺は真っ先に向き合わなければならない。

仮にもこの世に生きる者の中で二番目に年長者(精神年齢的に)なのだ。

そんな俺が真っ先に汚点と向き合えなくてどうする?


「大した気構えだな。感心するぜ」


本気で感心した風に感嘆する甘寧。

賀斉などは目を輝かせながら「さすが隊長……」などと言っている。


「言っておくが俺が今、言った言葉は隊の方針でもある。お前たちにも自分の至らない点には嫌と言うほど向き合ってもらうぞ」


ちょっとした脅しも兼ねて意地の悪い笑みを部下たちに向けながら言ってやる。

俺の部隊にいる以上、半端な真似は許さないと目で語ると賀斉以外は皆、顔を引きつらせた。


「が、頑張ります……」


賀斉はおどおどしながらそれでも両手を胸の前で握り込み、むんとやる気をアピールした。

女性の賀斉の様子に奮い立った部下たちも次々と声を上げる。

若干、顔が青いのはまぁ大目に見てやるべきだろうな。


「あっはっはっは! 好かれてるなぁ、凌操。良い部下じゃねぇか。付いていくって気持ちがこれでもかってくらい伝わってくるぜ!!」

「気概があるのは認める。だがまだまだこれからだ。強い気持ちをもって努力を続ければ今よりも強くなる。俺も、こいつらも」


高らかに笑う甘寧に、まだまだと告げる。

すると彼は唐突に笑みを引っ込めて真剣な眼差しを向けてきた。


「お前等と敵対しなくて改めて良かったって思うぜ。俺の気持ちとしてもそうだが、『この辺を守る義賊』としてもお前等を敵に回すのは良くねぇって事が話していてよくわかった」


やはりこの男、粗暴な外見とは裏腹に頭が回る。

そうでなければ名ばかりとはいえ大守の軍勢を寡兵で撃退出来るわけがないだろうが。


「仮にやり合っても五体満足で済ませられるとは思えねぇ。俺たちが勝ててもボロボロになってるだろうよ。そして今、そうなるわけにはいかねぇ。お前等や建業の双虎も多分そう考えてんだろうが……違うか?」

「……今まで賊から村を守ってきた錦帆賊あるいは巷で噂の新生建業軍が大打撃を受けて満身創痍。そんな事になれば今までおとなしくしていた賊がこぞって動き出す事になる。江賊も山賊も問わずにな」

「お前等と俺らが正面からやり合うならかなりの激戦になる。黙っていてもいずれどこなりと知られちまうだろう。そうなりゃ全部とは言わねぇがかなりの村が襲われて被害が出る」


右手を握り込み、顔の前にかざしながら言葉を続ける。


「そいつは絶対に避けないとならねぇ。そんな事になっちまったら俺たちが今までやってきた事の意味がなくなる。俺らは身を守る術のねぇ弱い民を守りたくて義賊を名乗ってんだからな」


長の力の入った演説に頷く錦帆賊の面々。

そんな彼らを見つめながら俺は胸中で錦帆賊と協力関係を結べた事を改めて喜んだ。


この男が率いる者たちならば民の害になる事はないと理解したから。

『民を守る』と言う共通の目的を持っている限り、彼らが俺たちと敵対する事はないと理解したから。


これだけの考察を披露する彼の意識の根幹にあるのは『民を守る』と言う意志。

言葉の端々に見え隠れする意志はとても苛烈で猛々しく、その意志に殉じる覚悟がある事を雄弁に語っていた。


「先の言葉、こちらも同じ言葉で返させてもらう」

「なに?」

「錦帆賊と敵対しなくて良かった。理由も同じだ」

「……そうかい」


満足げに笑う甘寧に釣られて俺も笑った。

少しはお互いに対する警戒心を和らげる事が出来ただろうと言う小さな達成感を覚えながら。



SIDE 美命


凌操こと駆狼が遠征に出て三日が経った。

特に問題がなければそろそろ長江に到着する頃のはずだが。

果たしてあいつは上手くやれるだろうか?


つい二ヶ月前、蘭雪に見初められて(意味が違う気がするが間違っているわけでもないだろう)仕官したあの男の能力が高い事は知っている。

たった二ヶ月で預けた部隊を遠征に耐えられる程に鍛え上げたその手腕は恐るべきと表現しても良い物だ。


こういう事は言うべきではないが一緒に仕官した四人とは比較にならない。

一人だけ言葉通りの意味で格が違っていた。

はっきり言って元村民と言うのが信じられないくらいだ。


私たちは親からある程度の教育を受け、自分でも学べる環境にあった。

下地が出来た状態でさらに自分たちで努力し、多少の運に恵まれた結果、こうして領地を持つまでに至ったのだ。


だがあいつは違う。

元々が平凡な村の出自でその両親にも軍事やまつりごとに関わっていたという情報はない。

蘭雪が言うには父親は只者ではなかったそうだが、武ならば在野にいても鍛えられるからそれはいい。


しかし智とはただの村人がたやすく身に付けられる物ではない。

私たちのような恵まれた環境がなければ容易に限界が見えてくる物だ。

基本となる知識がなければ知恵は生まれないのだから。


しかし祭や累、慎や激に聞いてみれば駆狼には幼少の頃から知識があったように思える。

ではその知識はどこで身に付けたのか?

まさかなにもない所から湧き出てくる物でもあるまい。


だから私はあいつを『普通ではない』と、そう思わざるを得なかった。

不気味と称しても差し支えないだろう。


本来ならあいつの存在は今の私たちの手に余る物だ。

それを遠征軍を任せる程に、あいつならばやってくれるだろうと考えられるまでに信頼してしまったのは蘭雪とその子である雪蓮、蓮華、私の子である冥琳、駆狼と深い仲である陽菜、そしてなによりあいつ自身の人柄のお陰だろう。



蘭雪は自分の勘を信じて疑わない奴だ。

故にその直感に基づいた判断で引き入れたあいつを疑う事はない。

大守と言う立場を無視して気軽に接する姿を何度も見つけては頭痛を感じた物だ。

実の所、あの蘭雪の警戒を解くのは難しい。

傍目にはそうは見えないが手負いの状態で周りを警戒する獣並みに警戒心が強い。

そんなあいつがそれほど長い付き合いでもないのに警戒を解くと言うのはとても珍しい事だ。

恐らく一目惚れしたあいつの夫以来になるだろうな。



雪蓮もまた自分の勘を信じる正に蘭雪の娘と言える子だ。

そんな子が熊に襲われていた所を助けられた事もあり、駆狼にはもの凄く懐いている。

それはもう流行り病にかかって亡くなった蘭雪の夫が見たらさぞ悔しがっていただろうと思える程の懐きっぷりだ。

あの子にじゃれ付かれてどう扱っていいのか困っている駆狼はなかなかに見物だった。

本能的、直感的に敵味方を判断するあの子が命を救われたとはいえ、あそこまで懐く辺りは奴自身の人柄によるところが大きいだろう。



蓮華は母や姉があんな性格な為か、七歳だと言うのに警戒心が非常に強い子だ。

そして他人の意見に流されない芯の強さを持っている。

慎重と言うか引っ込み思案な性格とその強い警戒心が災いして、最初は仕官してきた五人全員となかなか話す事も出来なかったのだが。

なぜか真っ先に駆狼と打ち解けた。

具体的に何があったかは聞いていないが、いつの間にか『おじさま』と呼んで慕うようになっていたのには驚いた物だ。

後は駆狼を介して他の四人とも話す機会を得て、今ではすっかり警戒心など消えている。

一度、懐に入れてしまえばどこまでも信頼する辺りはやはり蘭雪の子だと思う。

特に激とは仲が良く、一緒に勉強している姿をよく見かける。

前に激が蓮華に文字の汚さを指摘されて落ち込んでいたがなかなかに面白い絵面だったな。



陽菜は元々、あいつとは深い仲らしく警戒心なんて物は微塵もなかった。

むしろあの蘭雪の前で仲の良さを見せつけると言う駆狼にとって災難にしかならない行動を起こす始末。

それも駆狼が蘭雪の餌食にならないと信頼しての行動なのだからその仲の良さは推して知るべしと言った所か。

二十年近く一緒にいた幼なじみで男っ気など蘭雪や私以上になかったはずの陽菜にあれほど想い合う男がいたのには本当に驚いた。

完全に相思相愛の様子で邪魔するのもはばかられる。

あれほど好意を露わにする陽菜を見ていると警戒している自分が馬鹿らしくなってくる程だ。



最後に冥琳。

私が駆狼を信頼し始めたのはあの子のお陰と言えるだろう。

冥琳は蓮華とは別の意味で駆狼を警戒していた。

私の教育がいけなかったのだが、あの子は軍師としての私の考え方を理解しながら子供の感性を持つという酷い歪みを持ってしまっている。

そんな娘は私から学んだ軍師としての考え方に基づき、不気味な駆狼を警戒していた。

しかし同時に雪蓮と一緒に熊から助けてもらった事を感謝する想いもあり、警戒心との思考の板ばさみになり、どうしたらよいのかわからずに苦しんでいたのだ。

そんな無理をしている娘に私は何もしてやれなかった。

あいつの気持ちを聞いてやる事くらいは出来ただろうに。

私はあの子にどうしたらよいかと聞かれた時に軍師として答えればよいのか、親として答えればよいのかわからなかった。

だから冥琳が苦しんでいる事を知りながら、何もしなかった。

情けない限りだ。

敵対する者を陥れる策は思いつくと言うのに娘の揺れる気持ちを諭してやる事も出来ないのだから。


そんなあの子から駆狼は全幅の信頼を受けるようになった。

冥琳は私の前では滅多に見せなくなった子供としての表情と共に語ってくれた。


『周瑜嬢が至らない所は周異殿や蘭雪様、陽菜たちが怒って止めてくれる。お前はまだ幼いんだ。世話をかけながら、失敗を繰り返しながら成長していけばいい。失敗を恐れるな。お前の周りにはお前を案じてくれる人たちがいるのだから』


冥琳が語った駆狼の言葉。

それは私の言えなかった言葉、子供に伝えなければいけない言葉。


『大人が子供の手の届かない所を助けるのは当然の事だ。だから相談する事を迷惑だなどと考えなくていい。迷惑をかけた分は成長しながら少しずつ返していけばいいんだ』


それをあいつは私の代わりに伝えてくれていた。

警戒されている身であると言うのに、あいつは冥琳の心を一番に案じていたのだ。


「冥琳、お前はまだ凌操を警戒するか?」


嬉しそうにあいつの言葉を語った娘に穏やかな心持ちのまま聞く。

冥琳は少し考えるような仕草をすると、はっきりとこう答えた。


「しんじたい、と思っています」


迷いのない瞳に見つめられ、私は笑いながら娘の頭を撫でてやった。


親として駆狼に負けたと思った瞬間だった。

子供もいない上に祭と陽菜の間で揺れ動いている駆狼に負けたのは地味に屈辱的だったがそこには目を瞑る事にする。


なにはともあれ私が駆狼を信頼するようになった最も大きなきっかけはこれだろう。


「……物思いに耽り過ぎたか」


深い思考から現実に帰ってきた時にはすでに日が傾いていた。


「失敗したな。まだこんなに残っている……」


今日中ではないが早めに終わらせるに越した事はないのだが。


「はぁ……仕方ない。今日はもういいか」


冥琳と一緒に食事にでも行くとしよう。

家族として出来る事は多くないが、『だからやらない』と言う事にしてはいけないだろう。

まぁこれは駆狼の受け売りだが。


冥琳が駆狼を信じると告げた翌日、私もまた奴と対談し最後には真名を預け合った。

他愛のない世間話、互いの幼少の頃の暮らし、私たちが立ち上がった頃の話と色々な話をした。

冥琳たちの教育方針については特に白熱したな。

母親である前にまず軍師としてあろうとする私とまず家族足らんとする駆狼では考え方がまったく異なった為だ。

最終的には蘭雪と陽菜、祭や慎たちにに止められるまで議論は続いた。

私たちは議論に夢中でまったく気づいていなかったが城中に響き渡るような大声で語り合っていたらしい。


お互い示す方針が完全に平行線だった上に妥協するつもりも無かったので壮絶な言い争いになったわけだが、色々と考えさせられる事が多かったのも事実だ。


時に柔軟に新しい考えを入れるのも軍師足る者の務め、だなどと言うのは言い訳にしかならないが。


娘の世話をするのは母親として当然であり、そこに軍師である事を考慮する余地などない。

言われてみれば実に当たり前の事だが、私は無意識に軍師である事を言い訳にして母としての責任から逃げていた。

多忙なのは事実だ。

だが時間を捻出出来ないわけではない。

深冬や慎たちも頑張ってくれているから今は私一人が頑張るような状況でもない。

ならば家族の事を第一に考えても構わないだろう。


「随分と毒されたな、私も」


不気味と称した男は、こうして私たちから信頼されるようになった。

やんわりと諫めるだけかと思えば、一歩も引かずに意見をぶつけてくる事もある。

ただ流される訳ではない揺らがない芯を持つ男。


また深みに沈もうとした私の思考を引き上げるようにコンコンと戸を二回叩く音が聞こえる。

妙に低い所で戸を叩いている様子から私の脳裏によぎるのは三人ほどの人物。

どれも警戒する必要のない者ばかりだ。

だから気持ちをゆるめて入室を許可した。


「入れ」

「はい。母上」


予想通り、現れたのは娘だった。

少し挙動不審なのは私が仕事中だと考えているからだろう。


「あの、そろそろ食事の時間なので……」

「ふむ。そうだな」


私は皆まで言わせずに席を立ち、入り口で私を期待と不安の入り交じった瞳で見つめる冥琳の手を優しく握る。


「今日の仕事は終わった。一緒に食事に行こう、冥琳」

「あ……はい!」


最近になって増えた娘の笑顔に釣られて頬が緩むのを自覚しながら私たちは連れだって食堂までの道を歩いていった。


翌日、信頼する男から期待以上の成果が報告されてくる事を知らずに。


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