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真・恋姫無双 乱世を駆ける男  作者: 黄粋
孫呉任官編
14/43

第十話

俺にとって悪夢に近い任官初日から一ヶ月。

俺たちは建業での新しい暮らしにようやく馴染み始めている。


累は武官として隊を一つ預かり、調練を行いながら建業一帯の警戒任務に当たっている。

自警団をしていた頃は二十人程だった部下が一気に百人以上になった為、最初は勝手がわからずに悪戦苦闘していた。

人数が増えると言うことはそれだけ上司として累が見なければならない部分も増えると言う事だ。

村にいた頃と同じ要領でやると言うわけにはいかない。

だがそこは考え込む暇があれば行動する性格の累。

失敗を物ともせずに自分のやり方で突き進み、その姿に頼もしさを感じた部下たちとは少しずつではあるが打ち解けていき一ヶ月後の現在は完全にとけ込んでいる。


激は武官として累と祭の手が届かない所の補助をする傍ら、文字の読み書きをここの文官に教わっていた。

文官連中が戸惑った顔をしていたのが俺の頭に強く残っている。

勉強のべの字も嫌いそうなあいつから頭を下げて教えてくれと頼まれたのがよっぽど意外だったんだろう。

粗野っぽい言動で勘違いされがちだが、あいつは俺たちの中で一番勤勉で貪欲な性格だ。

武力も知力もまだまだこれからの激は諦めさえしなければ確実に伸びていくだろう。


慎は読み書きが出来る事とそのめっぽう広い視野を買われて朱治改め深冬と共に文官寄りの武官として仕事をしている。

国からすれば小さな集団である村から出て来てすぐに政治、軍事について考えろと言うのは無茶ぶりも良い所で、さすがの慎も手こずっているようだ。

しかしあいつの至らない部分は深冬が上手く補助している。

まだ一ヶ月しか経っていないが、二人が一緒にいる所をよく見かける。

ただの文官同士と言うには仲が良いように見えるが、ようやく慎にも春が来たのだろうか?


祭は累と同じく隊を一つ預かっている。

累が外回りが多いのに対して城の近隣や建業の内回りの警備についている。

こちらは累と違って初日に隊員たちと酒飲み大会なんぞを行い、たった一日で部下の心を掌握した。

この要領の良さはさすがは祭と言った所か。

あとは俺と陽菜の関係を知ってからどうにも俺を避けている節がある。

夢にまで出てきそうな鬼の形相で蘭雪様と一緒に追い回してきたのが嘘のように静かだ。

俺の想い人が突然、現れた事がその態度の要因になっているのはまず間違いないだろう。

それを寂しいと感じてしまっている事には我ながら呆れている。


俺は陽菜の事を愛している。

だが最近、自分が祭の事をどう思っているかがわからなくなってきていた。


それはともかく。

俺は任官してからずっと調練漬けの日々だ。


「隊長! 全員揃いました!!」

「よし。ではいつも通りにまずは走り込みだ。総員、駆け足!!」

「「「「「「「はっ!!!!」」」」」」


先頭を切って走り出す俺に続くように配下の兵士たちが続く。


俺は累や祭と同様、武官として配下を持ちその調練に励んでいた。

しかし俺が任命された役割は彼女たちの任務とは異なり遠征を主眼に置かれている。

普段、目の届かない遠い場所で賊が出没した場合の討伐、定期的な領内の村の巡回、他の大守が不穏な動きを見せた時に牽制する事が主な仕事、になる予定だ。


今、蘭雪様が持っている『呉』と呼ばれる土地は他の領地に比べてかなり広い。

建業に腰を据えているだけでは見えてこない部分を見る為に以前から遠征専門の部隊の立ち上げは考えられていたのだが、将が足りないという致命的で切実な要因で今までは企画倒れになっていた。

しかし俺たちが正式に任官した事で在る程度、人材に余裕が生まれた事を機に遠征部隊の立ち上げを改めて打診。


テストケースとして部下二百人が俺に任される事になった。

本来ならば信頼の厚い古参の武官、たとえば深冬などが遠征部隊を指揮する事になるのだろう。

新参者もいいところの俺が何故、こんな重要な仕事についたかには非常に私事な理由がある。


その理由とは蘭雪様である。

俺が陽菜と想い合っているのは任官初日に伝わっているが、武将としての実績がない俺に妹を譲る気はないらしく「とっととでかい手柄を立ててこい!」と今回のお役目を押しつけてきたのだ。

確かに手柄を立てるにはどう足掻いても最前線に出なければならない遠征部隊はうってつけなのかもしれないのだろうが。


正直、公私混同も甚だしいと思う。

周異が冷静に評価して俺ならばやってくれるだろうと後押したので一応、独断ではないらしいのだが。


まぁそんな経緯で俺は任官二日目にして遠征部隊の指揮官をする事になってしまったわけだ。


とはいえ遠征を行うにはまず部隊の準備が整わなければ話にならない。

しつこいようだが新人である俺が何の下準備もなく、作られて日の浅い部隊で遠征しても成果など挙げられるわけがない。

なにせ未知とまでは言わないまでも馴染みの薄い土地に場合によっては月単位、年単位で行軍しなければならないのだ。


部隊としての練度を高め、俺を含めた隊員同士が信頼関係を築かなければ良い結果など望むべくもない。

そして個人単位ではなく部隊で動く以上、食料や飲み水が十分に確保出来ていなければ論外だ。


必要な物資の手配は周異たちがやってくれる事になっている。

期間三ヶ月を目処に領地をぐるっと一周する想定だそうだ。

行軍の間に立ち寄る事になる村から大守への要望、治安の現状の聞き込みが第一の任務になると言う。

なんらかの騒動があった場合は部隊長である俺の裁量で出来うる限りの対応をする事になるのでその責任は非常に重い。


とはいえ物資の手配が完了するまでには当然のように時間がかかる。

なので俺はその間、可能な限り調練に励みながら軍事を共にする部下たちと友好を深める事に腐心していた。



俺を含めた部隊員全員が城下町を含めた建業と言う都市を丸々すっぽりと取り囲んでいる外壁に沿ってひた走る。

ただでさえ広い外周部は普通に走るだけで相当な体力を消費する。

しかし今、俺たちは一人の例外もなく重い鎧兜を着込んでいる状態だ。

体力の消費は普通に走るよりも遙かに激しい。


「走る時は膝を腰よりも上に上げるよう意識しろ。地面を蹴る時はつま先に力を込めろ!」

「「「「「「「はっ!!!」」」」」」


しかしこれくらいの訓練に着いてこれないようでは戦場では役に立たないと俺は考えている。

戦場では何日も何日も剣林弾雨(この時代に弾丸と言う物はないと思うが)の中を突き進まなければならない事も有りえる。

そんな終わりの見えない戦場で生き延びるにはまず体力が、そしてどんな状況でも諦めないだけの気力が必要不可欠だ。


彼らは大守の軍、それも実力で成り上がった者たちと言うこともあり、村の自警団の連中と比べて格段に練度が高い。


だが根本的な面で俺や祭、慎や深冬たちのような『名のある武将』に比べるとどうしても見劣りしてしまう。


俺はその格差を埋める事ができないかという点に着目した。

武将となるだけの力を持つ者とそうでない者。

この差を少しでも縮める事ができれば、部隊の総合的な戦力は格段に伸びる事になる。


真っ先に思いついたのが基本的な体力強化と、俺の流派にある肉体を効率よく動かす為の技術、そして前世の知識による肉体維持の医療技術の伝授。

何百年と先の技術の中には足運びなどの体の動かし方も当然のようにある。

それを彼らの体に教え込むだけでも個人の強さは格段に変わるだろうと考えたのだ。


「声を張り上げろ! 我らは建業を代表して領内全体の治安維持に務める事になるのだ。半端な気合いで事に当たる事などあってはならんぞ!!!」

「「「「「「応っ!!!」」」」」」


そして今現在はすぐに着手出来る体力強化を優先して調練を行っている。


着任当初、主君のお墨付きがあるとはいえぽっと出である所の俺たちが隊を預かり、政に関わる事をよく思っていない人間は多いのではないかと俺は考えていた。

特別扱いされる人間が出れば、例えそれが理に適っていようとも感情面で納得できない者は必ず出てくる物だ、と。


しかし蓋を開けてみればこの二週間の間に俺が懸念したような人間が出てくる事はなかった。


ここの連中は皆、蘭雪様や陽菜の影響をもろに受けている。

蘭雪様は実力主義だし、陽菜は前世でそういった考えとは無縁の生活だった為に差別などを嫌う。


故に実力があり、性格が軍に馴染めさえすれば新参者でも特に気にしないのだ。

武官文官だけでなく兵士たちにもその気風が浸透している為、恐ろしく庶民的で農村出の俺たちですら簡単にここに馴染む事が出来た。


前世でガチガチの軍隊を体験している身としては、蘭雪様の軍の在り方には尋常ではない違和感があるのだが。

とはいえここがそういう場所なのならば合わせるべきは俺の方だ。


締める所はきっちり締めて、最低限の節度くらいは身につけさせたいと思っているがそういう部分については周異や慎、古参の文官たちと相談するべきだろう。

いざ他の領主、大守、官軍などと関わる事になった時の為に最低限の節度と言うものは必要になるからな。



日が真上に昇る頃までただひたすらに走り込みを続ける。

この一ヶ月間延々と続けてきたお陰で最初は城壁の外回りを二周が限界だったが今では十週は持つようになっていた。


部下たち自身も自分たちの成長が実感出来ているようで、最初こそ単調な調練に不満を抱いていたが今は俺の調練方針に従ってくれている。


「朝の調練はこれで終了する! しっかり体を解した者から昼食を取れ! 一刻後に城内の調練場へ集合!!!」

「「「「「「はっ!!!」」」」」」


唱和するはきはきとした返答を聞いてから俺は彼らがストレッチをする様子を見守る。

柔軟運動のやり方は最初の鍛錬の時に俺が教えて実践して見せている。

彼らにとっては馴染みの薄い行為ではあったが、その効能が確かな事がわかると率先して行うようになった。


とはいえやり方を間違えると逆効果に成りかねない為、慣れるまでは俺が監督する必要があるのだ。

勿論、俺も後でしっかり柔軟を行う予定でいる。

他者に気を配りすぎた結果、自己を疎かにするのは論外なのだから。


「こら、賀斉がせい。腕をそんなに曲げると逆に筋を痛める。それと柔軟はゆっくりと丁寧にやれ」

「は、はい」

「お前は力は強いが加減が出来ていない。加減が出来ないと言う事は行動の一つ一つに余計な力が入ってしまうと言う事だ。必要な時に必要なだけの力を出せるように心がけろ」

「む、難しいけど頑張ります!」

「よし」


恐縮しきった様子で返事をする十四、五歳ほどの少女。


賀斉公苗がせいこうびょう

史実では派手好きと言われているが、目の前の彼女にはそんな様子は見られない。

逆に引っ込み思案なくらいだ。

年不相応に背が高く、スレンダーな体つきに反して馬鹿みたいに力が強いがそれを持て余して畑仕事も満足に出来なかったらしい。

そんな彼女の噂を聞いて周異が引き抜いて以降、兵役に付いていると言う話だ。

有り余っている力をどうにか自分で制御出来るようになれば日常生活は元より武将としても大成出来るだろう。

先が楽しみな子である。

とはいえ俺の知る史実では孫策の代の頃から呉に仕えていたはずなのだが。



「宋謙殿。貴方は体力、筋力共に申し分ありませんがどうにも筋肉が固まりやすいように見受けられます。腿や腕の筋肉を揉むだけでもずいぶんと柔軟になり、疲労を身体に溜めにくくします。日に一度、定期的にやってみてください」

「ふむ、わかりもうした。しかし隊長殿はまこと博識ですなぁ」

「ただ人が知らない事を知る機会に恵まれただけです」

「いやいやそれは謙遜と言うものです」


顔以外を分厚い鎧で包んだ強面の男性。


宋謙そうけん

字は無し。

賀斉同様、史実では孫策が挙兵した頃から仕えた武将。

その活躍は韓当や黄蓋に負けない程と言われたが彼自身が表舞台に出る事は少なかったと言う。

二メートルを越える長身に無骨な鎧を着込んだその姿は見る者すべてを威圧するかのようだ。

話してみれば意外に気さくな人柄だったが。

年は三十五歳で妻がいる。

休日は仲睦まじく二人でひなたぼっこをしているらしい。


「隊長、柔軟終わったら一緒に飯行きましょ、飯」

「お、そいつはいい。孫静様との馴れ初め、今度こそ聞かせてもらいますぜ」

「あ、それあたしも聞きたい!」

「飯はいいが馴れ初め話は却下だ。談笑するのはいいが柔軟をサボるなよ?」

「「「へ〜い」」」


がやがやと騒ぎ立てる部隊の面々。

さっきまで一糸乱れぬ動きで走り込みをしていた連中とこいつらが同一人物だとはにわかには信じられないだろう。


俺も、こいつらも人間だ。

常に気を張り、緊張した状態を維持する事など出来はしない。

緩められる時に緩めてこそ、有事の際に全力を出すことが出来るのだ。


だから今はこれでいい。

今、この時は彼らと俺の立場に差などない。

肩書きに沿った言動はあっても、こいつらはこいつらなりに俺と接し、そして俺は俺なりに彼らと接する。

そうして生まれる信頼が時に勝敗すらも左右するほど強い力になるのだ。

生き延びる為の『力』に。


二百人の部下たちは『武将』である俺にとっては手駒だ。

甚だ不本意だが隊を預かる者としてそのように割り切って考える事が必要になってくるだろう。

だが同時に彼らは俺と苦楽を共にする『戦友』でもある。


村での調練の時も考えていた事だが、俺はそんな彼らを可能な限り死なせないようにしたい。


だからこそ調練そのものを過密で厳しい物にしている。

村の自警団では余りの厳しさに逃げ出す者も多かったが、新しい部下たちには他隊へ異動を申し入れる人間はいなかった。

どうやら彼らは俺の意図を正しく理解し、納得してくれているようだ。

俺にとっては嬉しい誤算だ。


誤算と言えば部隊に配属された二百人以外の兵士や武官、文官たちからも俺は最初から一目置かれていた。

訳がわからないので聞いてみた所、例の任官初日の事件で蘭雪様から逃げ切った事が思った以上に評価されている事がわかった。


蘭雪様に仕える面々の間では蘭雪様の妹絡みでの暴走は有名らしく、大抵の人間は被害に遭うか現場を目撃した事があるのだそうだ。

戦場で率先して最前線に立つ豪傑である蘭雪様が、妹である陽菜の事で暴走するとそれはもう手が付けられなくなるのは周知の事実。

そしてそうなった彼女から逃げられた者は今までおらず。

俺は偉業を成し遂げた唯一の男として一目置かれる事になったのだそうだ。


俺としては釈然としない物を感じないでもないが。

そのお陰でこうして滞りのない部隊運営が出来ているのだからあのカミングアウトも無駄ではなかったのだろう。


「で、最近はどうなんですか? 孫静様とは?」

「……黙秘だ」

「二人だけの秘め事って訳ですか? 羨ましいですねぇ」


しょっちゅうそれをネタにからかわれるのが厄介だが、これは身から出た錆か。

俺は部下たちの執拗な追撃をいつも通りに捌きながら柔軟の監督を続けた。


心の片隅で陽菜と、そして祭の事を考えながら。



SIDE 祭


駆狼と陽菜様(真名は話してすぐに預けてくださった。姉妹揃って豪気な人物じゃな)が玉座の間で自分たちの関係を暴露した日。


駆狼自身の口から想い人の事を聞いた翌日にその本人が登場するという怒濤の展開に頭がついていかず、つい怒りと嫉妬心の赴くままに蘭雪様と一緒に駆狼を追い回してしまった。


心の底から安らいだ顔で、あやつは陽菜様を見つめていた。

陽菜様もまた心の底から楽しそうな顔で、駆狼を見つめていた。


『お似合い』と言う言葉があの場にいた全員の頭によぎったはずじゃ。

それくらいに二人が共にいる事を自然だと感じた。


負けたと思った。

ずるいと思った。

なぜ儂じゃないのかと思った。

自分でも理不尽だとわかる怒りが湧き出てくるのを止める事が出来なかった。


結局、追いかけ回している内に頭が冷えて途中で追いかけるのはやめたのじゃが。

儂の心は敗北感で一杯じゃった。

その気持ちをずっと引きずってこの一ヶ月、ずっと駆狼の事を避けてしまっている。

自分が情けなくて仕方がなかった。


どうにかこうにか仕事にこの気持ちを持ち込む事はなかったんじゃが、正直それもいつまで持つかわからん。

累たちには心配をかけてしまっているが、こればかりはどうしたらよいかさっぱりじゃ。


「あら? 祭」

「あ……陽菜、様」


夜、どうしても寝付けずに宛もなく城の中を歩いていた儂は偶然、陽菜様に出会った。

出来れば今は会いたくない方だった。


あやつの想い人であり、儂が仕えている方の親類。

初日に暴てしまった事もあって、どう接していいかわからなかった。


「……丁度よかった。貴女とはゆっくり話がしたかったの。今、いいかしら?」

「わ、儂と話、ですか?」

「ええ。慎たちともいずれ機会を見て話を聞きたいとは思っていたのだけど、その中でも貴女とは一番最初に話をしておきたかったのよ」

「わかり、ました」


儂と話。

最初は五村同盟の事を聞きたいのかと考えた。

じゃがそれなら駆狼に聞けばいい。

あやつが同盟の立役者なのだから。


特別、儂を指名して話がしたいと言われると心当たりは一つしかない。


駆狼個人の事じゃろう。

誰がどう見ても特別に親しい間柄の二人を見て儂が嫉妬に狂った様子をこの方はしっかり見ておるのだ。


自分の特別な人に言い寄る女なんぞいたらそれは気になるじゃろう。

もしかしたら儂に『駆狼に近づくな』と釘を刺すつもりなのかもしれんな。


届かぬ想いを諦めきれずに横恋慕していたのは儂の方じゃ。

なにを言われても仕方がない、か。


「ん、ここでいいかしらね」


鬱々と考え事をしていた儂はいつの間にか中庭に来ている事にようやく気が付いた。


「ほら、座って」

「は、はぁ……」


わざわざ儂の分の椅子を引いてから対面の椅子に座る。

そんな気を遣うような立場ではないと言うのに。

儂にはそんな心遣いを受ける資格なんぞないと言うのに。


「まどろっこしいのはあまり好きじゃないからいきなり本題に入るけれど」


儂は心中で身構える。

どんな罵声が来ようとも耐えられるように。

しかし彼女から出た言葉は予想していた物とは違っていた。


「貴女、駆狼の事好きでしょ?」


優しい声音、優しい顔、優しい笑みで彼女はそう問いかける。

その言葉が疑問ではなく確認である事は察するまでもなく理解出来た。


「ふふ、私が駆狼を奪おうとしてるとか考えてたんじゃないかな?」

「あ、いや……そんな事は」


そのものずばりの指摘を受けて口がうまく回らない。


「大丈夫。駆狼も貴女の事、好きみたいだから。片思いじゃないよ」

「……えっ?」


その言葉に今度こそ儂の思考は止まってしまう。

駆狼が儂の事を好き?


「……駆狼と私はね。少し普通とは違う経験をしているの。その経験のお陰で家族よりも長い付き合いがあって、深くお互いを理解している。私たちがお互いに想い合っているのは家族すら知らない繋がりが私たちにあるから」


それは儂に語りかけると言うよりも独白に近い物だった。

しかし陽菜様は儂から目を逸らさず、優しい顔のまま話を続けていく。


「私たちはその経験を『前』と言っている。私たちの関係は『前』からの続きなの。普通の人は持っていないから持っている人に縋る。言ってしまえば依存に近い物。それでも私が駆狼の事を好きなのは変わらないけど」


一度、言葉を切って困惑している儂を見つめる陽菜様。

優しさの中に寂しさが紛れた不思議な笑みを浮かべていた。


「私はずっと駆狼を想って生きてきた。辛い時も悲しい時も心の拠り所にしてきた。でも駆狼は違う。任官する前の日に偶然、一足先に再会して話をした時に気付いたのだけど『前』ではなく『今』と向き合って生きていた。生まれてからずっと『前』に縋って生きてきた私とは大違い」


羨ましそうな顔で陽菜様は私を見つめる。


「貴女は駆狼にとって『今』の象徴なの。『前』とか『今』とかの言葉の意味はわからないだろうから掻い摘んで言うけれど駆狼にとって貴女は特別、大切な人なのよ」

「儂が……駆狼の特別?」


呆然と呟く儂に陽菜様は真剣な眼差しで頷く。

その表情に嘘や冗談など見られない。


「駆狼は肝心な所で不器用で気が利かないから、『前』の私と『今』の貴女を比べてしまっている。人の想いなんて比べられる物じゃないのに。わざわざ自分が傷ついてまで出来もしないのに比較して、一人で答えなんて出せないのにむりやり答えを出して、それが正しいと思い込んで……貴女を遠ざけようとしてる」


最近の駆狼の態度を思い出す。

面と向かって儂に言った『拒絶』の言葉。

諦めないと公言し、心で定めても面と向かって否定されて儂は何度となく傷ついた。

涼しい顔で言葉を紡ぐ駆狼に恨み言を浴びせた事もあった。


だが今の陽菜様の言葉を聞いてこう思った。


もしかしたらあの時、駆狼は。

儂が傷つく以上にずっと自分を傷つけていたのではないかと。


「人の想いを測ろうとするなんて無理よ。たとえそれが自分の気持ちでもね。でも駆狼はむりやりそれをやっている。私を想ってくれるのは嬉しい。でもね、だからって駆狼にやせ我慢なんて強いたくないの」


一途に駆狼を思う陽菜様は月明かりの中、途方もなく美しく見えた。


「だから貴女にお願いしたい。駆狼を助けてあげて」

「で、すが儂は……」

「貴女でなければ『今』の駆狼に本当の意味で声が届かないの。『前』の私じゃ絶対に出来ない事なの。駆狼を想っている貴女じゃないと……身勝手なお願いをしているかもしれない。けどこのまま駆狼が我慢するのは見ていられないの!」


優しい顔をされていた陽菜様はもういない。

目からはすでに涙がこぼれ落ち、頬は濡れている。

自分と同年代のはずなのに、一回り幼くなってしまわれたようにすら思えた。

しかし陽菜様の言葉、大半は理解できなかったが一つだけわかった事がある。


「貴女は本当に駆狼を愛しておるんじゃなぁ」

「勿論よ。生涯を共に誓い合った仲だもの」


目を赤く腫らしながらきっぱりと言い切る。

思わず儂は笑みを浮かべていた。


「貴女はなんとも思わないですか? 儂が駆狼を好いている事に」

「むしろ嬉しいくらいよ。貴女のような人が駆狼を好きになってくれて」


ははは、まったく豪気なお方じゃな。

自分の良い人を取られるかもしれんと言うのに。


「奪い合うよりも共有する方が私としては嬉しいしね」

「……さらっとすごい事をおっしゃいますな、陽菜様」


気持ちよく笑っていたと言うのに頬がひきつってしまった。


「別に好き合ってるなら一夫多妻でも良いと思うんだけど。『前』もそう思ってたんだけど」

「あっはっはっは! まったく陽菜様は大胆な事をおっしゃる」

「そこまで大笑いするような事かなぁ? あ、でも誰でも一緒でいいわけじゃなくて駆狼をしっかり見れて止められる人じゃないと駄目よ」

「ああ、なるほど。それは確かにそうですな。有象無象が自分と同じ立場に立つなど気分が悪くなりますぞ」

「そうよねぇ」


ああ、まったく。

なんてお人だ、陽菜様は。

儂がさんざん悩んでおった事をぶち壊して、道まで示してくださるとは。

これは是が非でも願いを叶えて差し上げねばなるまいよ。


そして駆狼。

覚悟しておけ。

儂はもう躊躇わん。

儂と陽菜様はお前と共にいなければ幸せにはなれんのだからな。


隔週更新すら維持できないくらいに仕事が忙しいです。

ですが時間を作って書き続けるつもりですのでお時間ある時にでも見てやってください。


それではまた。

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