プロローグ
初めての投稿になります。
黄粋と申します。
この作品には原作とは異なる展開が多々あります。
そしてオリジナルキャラも何人か出す予定ですのでその辺り、寛容な目で見ていただければと思います。
更新頻度はそれほど早くはありませんが今後ともよろしくお願いします。
「まったく長く生きたもんだ」
もはや息をするにも補助が必要な身体で俺は呟く。
俺は真っ白な部屋の真っ白なベットに横になっていた。
ベットの周りには人が集まっている。
様々な年代の老若男女。
いずれもが俺の縁者、友人たちだ。
今年で九十歳を迎え、今まさに息絶えるところの俺を看取る為にこいつらは集まってくれた。
浮かべている表情は様々ではあるが、皆が一様に俺が死ぬ事を悲しんでいる事がわかる。
ありがたい事だ、と悲しんでるやつらには申し訳ないがそう思った。
そんな彼らに看取られながら逝ける事を喜びながら、俺は自身の人生を振り返り始めた。
ごくごく一般的な家庭に生まれた。
恵まれた幼少期を過ごし、当たり前のようにその幸せを教授していた。
二十歳になる頃、家に届いた召集令状。
父は涙を噛み殺しながら敬礼して俺を送り出し、母は人目もはばからず泣きながら俺を抱きしめて生きて帰ってきてと懇願した。
この時代の国民にとって戦争への召集は誇るべき事だったが、両親は『国への忠義』ではなく『息子の生還』を取った。
友人たちが誇らしげに送り出されていく様子を知っていた俺はそんな両親に戸惑ったけれど、戸惑いと同じくらい内心で喜んでもいた。
戦争は熾烈を極めた。
飛び交う銃弾、爆発する地雷、降り注ぐ爆弾。
お国のためにと共に訓練を受けた仲間が死んでいく様を見た。
銃弾に撃ち抜かれ、爆弾に身体を吹き飛ばされ、時には戦場で生き延びても手当てが間に合わずに死ぬ者もいた。
人を狂わせる戦いの気に酔わされ、マトモではなくなってしまった者もいた。
俺も右腕を失った。
犠牲者の数など数える気にもならない程。
敵も味方も、老若男女の区別もなく毎日毎日死んでいった。
だが運が良かったのか悪かったのか。
俺はそんな戦争を生き抜いた。
国が望み、自身が夢見た形ではなかったが平和が訪れ、その中を生きていく事になった。
戦争が終わった時点で俺は軍を辞める事になった。
利き腕を無くした事でお役御免にされたのだろう。
辞めさせられた事に文句は無かった。
足手まといになるだろう事がわかっていたからだ。
父は戦争で死んでいた。
神風特攻による誇り高い死だったと伝えにきたのは父の同僚で、彼も左足を無くしていた。
母は戦後に流行った病で死んだ。
息を引き取るその瞬間まで俺を一人残す事を最後まで気にしていた。
いつの間にか俺は独りになっていた。
あまりにも凄惨な戦場での経験が災いして、戦後初めの五年ほどは普通の生活に馴染むことが出来なかった。
物音がすれば没収されたはずの武器を掴もうと手が腰に回り、ふと見える人影がかつての敵兵に見えた。
もう無いはずの右腕が痛みを発する事など日常茶飯事だった。
眠れば浮かぶのはかつての戦場。
そこで死んでいった仲間たちの幻影が俺を責め立てる悪夢。
「なぜおまえは生きている」
「なぜ俺たちは死んだんだ」
抑揚のない声が俺を縛り付け、追いつめていく。
だがそれでも俺は生き続けた。
死んだ仲間と殺した者の命を背負い、最期の最期まで生きる決意があったから。
生き続ける事が俺を育ててくれた両親に報いる事になると信じていたから。
そんな生活を二年ほど続けた頃。
心身共にボロボロになった俺と共にいてくれたのは当時、看護師の真似事をしていた女性だった。
俺よりも三つ年上の、失礼ながら母親のような暖かい雰囲気を持った女性。
そんな人が発狂寸前だった俺を拾い、甲斐甲斐しく世話してくれた。
生きる事に執着し続けてきた俺が彼女を心の拠り所にするのに時間はかからなかった。
俺は新しくなった社会に適合出来る程度に心身共に回復した頃、彼女に告白した。
正直なところ、世話になりっぱなしで彼女になにも返せていなかった俺に彼女の隣に立つ資格などないと思っていた。
断られたら潔く諦め、二度と彼女の前に現れまいと覚悟していた。
だが彼女は俺を受け入れてくれた。
嬉しかったが同時に不安にもなった。
当時の俺は本当になにも出来ないヤツだったから。
だから思わず聞いてしまった。
「なぜ俺と一緒になってくれるんだ?」
彼女の答えは呆れるほどにシンプルだった。
「最初に出会ったその時、その瞬間に貴方が好きになったからよ」
どうも彼女が俺を拾った理由は一目惚れしたからだったらしい。
ボロボロでありながら、その目に宿った生き続ける意志にどうしようもない程に惹かれたのだと。
恥ずかしくもあったがそれ以上に嬉しかった。
そして俺は彼女と一緒になり、その生涯を共に生きる事を誓った。
幸せな日々。
かけがえのない人を守れるようにと肉体は勿論、精神を鍛える為に格闘技を始めてみた。
相手を倒すのではなく『過去の自分に克つ』という標題の元、心身を鍛える。
戦争の爪跡がまだ色濃く残っていた頃だった為、精力的に身体を動かす姿が人を惹きつけていく。
やがて人が集まり、いつの間にか青空道場のようになっていたのには驚いたものだ。
法制度が正常に動き始め、何をするにしても手続きが必要になり始めた頃、発案者にあたる自分が隻腕である事を理由に道場の解散を提案した。
元々、我流でありその『心得』を除いてあらゆる部門のごちゃまぜであった格闘技を流派として正式に広める気は無かった為だ。
しかし弟子たちが続行を主張した為、正式な道場主として一番弟子の立場にいた教え子を置き、俺は今で言う名誉顧問のような立場になる事で道場を存続させる事にした。
皆が『俺の教えを乞う為ならば』と奮起してくれた気持ちを無碍には出来なかった。
今でも道場の標題は変わっていない。
あくまでも『過去の己に克つ』為の精神を養う場のままだ。
教え子の何人かが大成し、空手や柔道の全国大会に優勝した。
俺も妻も道場の仲間たちも友人たちも、まるで自分の事のように喜び教え子たちを讃えた。
子供が産まれ成長していき、同時に俺と妻が年を取っていくのを楽しんだ。
時には喧嘩もしたけれど、それも思い出として笑い合えるようになる事を喜んだ。
息子が大人になり愛する人を紹介された時、時の流れを嬉しく思った。
孫の小さな手を握りながら、妻と息子たちと笑いあうその瞬間に幸せを噛みしめた。
そして先に逝った妻が満足げに浮かべた笑みを俺は絶対に……たとえ死んでも忘れないと心に誓った。
「親父」
走馬燈から戻った俺の耳に息子の声が聞こえた。
今にもこぼれ落ちそうな涙を堪えたその顔は、俺を戦争に送り出した時の父親に似ていた。
ああ、父さん。
貴方の孫はしっかりその血を継いでるみたいだよ。
声を出す事も出来なくなった身体を無理矢理動かし、頭を垂れていた息子を左手で撫でてやる。
「幸せに生きろ。俺たちのように」
そう言ったつもりだったが伝わったかどうかはわからない。
もう目元も霞んできた。
どうやら時間切れのようだ。
「陽菜」
唯一無二の愛しい人の名を呟く。
俺と一緒に生きてくれてありがとう。
目を閉じる。
二度と目を覚まさない眠りに身を委ねる為に。
意識が遠のいていく。
眠る時と変わらない、ゆっくりと落ちていく意識。
あらゆる物を置き去りにしていく奇妙な感覚に身を任せようと力を抜いた。
俺の脳裏に愛しい人の笑顔が浮かんだ気がした。
目を覚ました瞬間、俺が最初に認識したのは『無いはずの右腕』の感覚だった。
「ふぎゃぁ!?(なんだ!?)」
驚きで思わず出た声が馬鹿みたいに甲高く、俺は二重に驚く。
「あらあら? どうしたの、操」
「ふぎゃ・・・・・・(か、母さん?)」
さらに俺が知っている頃よりも幾分か若い母親の姿に俺は呆然とする羽目になった。
「ふふ、寂しかったの?」
ひょいと抱き上げられる。
よしよしと頭を優しく撫でられ、なんとも言えないむずがゆい感覚に身をよじろうとするが体格がまったく違う為、意味がなかった。
「こらこら、暴れないの。落としてしまったら危ないでしょう?」
生前と変わらない笑み。
立て続けに起こる訳の分からない出来事に混乱する俺を、優しく撫で続ける手。
現実逃避を許さないその暖かさ。
夢ではありえない。
だが現実と認めるには、あまりにも突飛すぎる事態。
「(俺は……赤ん坊になったのか?)」
自分に起きている事態に思考が辿り着いた瞬間、ぐらりと意識が揺らぐ。
「うぅ……(ね、眠い……)」
「ふふ、お休みなさい。駆狼」
どこまでも暖かな声。
その声が俺の名前を呼んだ事にひどく安心して、俺の体から力が一気に抜けていった。
どうやら俺は本当に赤ん坊になってしまったらしい。
次に目を覚ました時、俺の傍には若い母と俺を戦争に送り出した頃よりも若い父がいた。
嬉しそうに声をかける二人のとろけそうな顔は息子や孫を抱いていた頃の俺とそっくりで、ものすごい気恥ずかしさに襲われた。
他にも母乳を飲まされたり、下の世話をされたりと恥ずかしい出来事は続いていく。
九十歳まで自分の事は自分でやっていた老人にとっては拷問に近かった。
さすがに死ぬ間際は排尿、排便は自分で処理出来なかったので看護師がやってくれたが。
体がすこぶる元気な状態で世話をされるのはかなり厳しい。
羞恥心で死んでしまいそうだ。
泥水を啜ってでも生きる事に執着したあの頃とは別の意味で辛い。
とはいえ羞恥心で死んでやれるほど命を軽んじるつもりもない。
俺はとにかく耐えて、今の自分に必要な情報を集める事に集中した。
その甲斐あって色々とわかった事がある。
まずここは俺が生きていた時代よりもずいぶんと昔だと言う事。
俺が両親の腕に抱かれながら観察した範囲での話ではあるが、家はすべて木造か藁を束ねて作られていた。
最初は弥生時代にでも迷い込んだかと思ったが、それにしては両親や村人の服はその頃の日本よりも遙かに上等な代物のように見える。
そして言葉は通じるのだが、妙な違和感がある。
その最たるモノが両親やその友人知人が俺を呼ぶ名が一貫していない事だ。
俺は『操』あるいは『駆狼』と呼ばれている。
基本的に操と呼ばれるのだが、両親だけがたまに俺の事を駆狼と呼ぶ。
それも両親以外は誰もいない家の中でだけだ。
どうも駆狼という名は真名という物らしく、親しい間柄でしか呼ばれない渾名のような物らしい。
父は『沖』、母は『香』と普段は呼ばれており、傍目にも仲が良いと見える人間には『泰空』、『楼』と呼ばれていた。
二つの呼び名を持つ風習。
日本語が流通している場所にそんな風習はなかったはずだ。
少なくとも俺の記憶にはない。
しかも駆狼と言うのは俺の生前(と言っていいのかどうかわからないが)の名『玖郎』とは字が違っていた。
呼ぶ時の響きは一緒だったから、字が違う事に気づいたのはごく最近だ。
そして重要な事はもう一つ。
生活の中で未だ文字を見かけていない事。
それはつまり『今』が、生活する上で必ずしも文字を必要としない時代である事を示している。
真名の字がわかったのは子煩悩な父がわざわざ墨でしたためて、俺の寝台に飾って見せたからだ。
一体なにがどうなっているのか、一ヶ月は経っただろう今も俺は消化しきれていない。
そして赤ん坊の頭ではあまり長く考え事をしていると眠くなってしまい、ここまで思考するのにも難儀している状態だ。
不透明な状況、不可解な現象。
しかし。
そんな足下すらもおぼつかない不安定な状況にあってただ一つ理解できている事がある。
「ほら、操。俺の名前を言ってごらん。姓は凌、名は沖、字は公厘。凌沖だぞ、りょ・う・ちゅ・う」
「あ〜だぁ〜〜〜(無茶を言うな、父さん。こちとらまだ発音すらおぼつかないんだぞ)」
「もう……貴方。まずはお父さん、お母さんからでしょう」
自分の名を一字ずつ区切って強調する父。
声に出来ないとわかっていながらも文句を言う俺。
苦笑いしながら俺たちの様子を眺める母。
ただ一つ理解できている事。
それは赤ん坊の俺を愛おしげに見つめている生前の両親と、またこうして親子でいるのだという事。
それと今、気づいたが……どうやらこの場所では姓と名は一文字で他に字という物まであるらしい。
さらに父親のフルネームが凌沖という事は俺のフルネームは『凌操』と言う事になる。
薄々、思ってはいたがここは日本ではないのかもしれない。
姓名の付け方が日本ではなく中国風。
なぜ日本語で喋っているのかを問い詰めたいが、あいにくと今の俺は話すことが出来ない。
もういっそこの異常な事態について考察するのをやめて流れに身を任せてしまうのも手かもしれない。
ん? 凌操?
楽しんでいただけたでしょうか?
作中に出たようにこの作品の主人公は孫策、孫権に仕えた勇将『凌操』になります。
彼が今後、どのような一生を送るのかを楽しみにしていただければと思います。
戦時及び戦後の描写は作者の想像です。
こんな事もありえたかもしれない程度に流していただければ幸いです。
両親の名前は作者の創作です。
後に凌操の字も出てくるのですが彼は史実では字は不明のままなのでこれも作者の創作になります事を前もって宣言させていただきます。
それではこれからよろしくお願いします。