流通路封鎖——カーティスの第一手
白い大理石のテーブルに、銀の食器が並んでいる。壁にかかった油絵は王国の名画家が手がけたもので、天井のシャンデリアには魔石が埋め込まれ、柔らかな光を放っている。この店の一食分の金額で、ヘルムガルドの領民十家族が一月を暮らせるだろう。
カーティス・ノーヴァルは赤ワインのグラスを傾けながら、父の向かいに座っていた。
二十五歳。整った顔立ちに、父譲りの鷹のような目。栗色の髪を後ろに撫でつけ、仕立ての良い深緑の上着を着こなしている。指先に嵌めた金の指輪は商務大臣家の紋章入り。言葉遣いは丁寧だが、その端々に生まれながらの支配者の傲慢さが滲んでいた。
「順調ですよ、父上」
カーティスがグラスを置いた。唇の端が上がっている。
「仲買三社の取引停止は完了しました。辺境の薬草と鋼鉄の流通は、今月末までに王都市場から消えます」
商務大臣ハインリヒ・ノーヴァルは息子の報告を黙って聞いていた。五十代後半の痩身の男。灰色の髪を短く刈り込み、深い皺が顔に刻まれている。冷静な目。感情を表に出さない官僚の顔だ。
「三社だけでは足りん。街道の通関も締めろ」
「既に手配済みです。『辺境産品特別検査』の名目で、関所の検査日数を三日以上に延長させます。事実上の流通封鎖です」
ハインリヒが眉を上げた。
「お前にしては動きが早い」
「……辺境の小娘の商売ごっこに付き合っている暇はありませんから」
カーティスの声に苛立ちが混じった。グラスの脚を回す指に力がこもっている。自分でも気づいていないだろうが、「小娘」という言葉を吐く時の声が微かに上ずっている。辺境の成功への焦りが、若さの中に透けていた。
カーティスはノーヴァル家の一人息子だ。幼い頃から商務大臣の跡を継ぐべく教育され、王都の社交界では「若き才覚」と持てはやされてきた。しかし本人は知っている。自分の「才覚」の大半は父の権力による庇護であることを。だからこそ、何の後ろ盾もなく辺境を立て直した女の存在が、喉に刺さった小骨のように気に障る。
ヘルムガルド産品が王都市場を席巻し始めたのは三ヶ月前からだ。ヘルムガルド鋼の品質は王都の鍛冶屋を脅かし、辺境の薬草は既存の薬商の市場を食い始めていた。それだけなら無視できた。しかし「直接取引モデル」は違う。仲買を省き、生産者と消費者を直結する仕組みは、ノーヴァル商会が百年かけて築いた中間搾取の構造そのものを否定する。
「あの女が提唱している『直接取引』を放置すれば、他の辺境領も追随する。そうなれば——」
「我が商会の利権が崩壊する。わかっている」
ハインリヒが冷たく遮った。
「だからこそ、芽のうちに摘む。しかしカーティス——上奏文と流通封鎖だけで終わるとは思うな。あの公爵令嬢は、お前が思っているよりしたたかだ」
「勘当された令嬢ですよ? 後ろ盾もなく、辺境の片田舎で——」
「王太子が三度も視察に行く片田舎がどこにある」
カーティスの手がグラスの上で止まった。父の言葉が核心を突いている。
「王太子の関与は——想定外でした」
「想定外ではない。お前の調査不足だ」
ハインリヒがナプキンで口元を拭った。
「流通封鎖は続けろ。同時に、関税法を動かす。議会の根回しは私がやる。辺境産品に三倍の特別関税をかければ、直接取引モデルは価格競争力を失う」
「関税法を変えるには——」
「通商委員会の委員長はノーヴァル家の遠縁だ。問題ない」
カーティスは父の手際に改めて舌を巻いた。商務大臣は政治と商売を一体として扱う。流通封鎖という商業攻撃と、関税法という政治攻撃を同時に仕掛ける。二正面から辺境を締め上げる。
ワインを飲み干した。赤い液体が喉を滑り落ちる。
「ところで父上。あの令嬢——面白い噂がありましてね」
「何だ」
「辺境で複式簿記とかいう異国の会計術を使っているそうです。王都の商人も見たことがない手法で帳簿を管理している。どこで覚えたのか——誰も知らない」
ハインリヒの目が一瞬だけ鋭くなった。
「……その情報は確かか」
「間者の報告です。帳簿の中身までは見れていませんが、取引先の商人たちが口を揃えて言っています。あの帳簿は凄い、と」
「帳簿が凄いだけでは脅威にならん。それより流通を止めろ。帳簿がいくら美しくても、売る物と買う相手がなければ紙屑だ」
カーティスは頷いたが、胸の奥にかすかな不安が残った。勘当された公爵令嬢が、なぜこれほどの手腕を持っているのか。父は無視したが、カーティスの若い感性はそこに引っかかっていた。
◇
ヘルムガルド。取引停止の報告から一週間が経っていた。
倉庫にヘルムガルド鋼の在庫が積み上がっている。マルクスの工房は製造を続けているが、出荷先がない。完成した刃物が木箱に詰められたまま、倉庫の奥に列をなしている。マルクスは何も言わないが、工房に入る足取りが重くなっているのを弟子のラウルが心配していた。
薬草園の乾燥室にも、行き場を失った薬草の束が増え始めていた。
「街道の通関に三日もかかるなんて……」
オルガが薬草の束を見つめて溜息をついた。乾燥薬草は鮮度が命だ。三日も足止めされれば品質が落ちる。品質が落ちれば信用が落ちる。信用が落ちれば取引先が離れる。悪循環の入口が、目の前に口を開けている。
緊急の対策会議を招集した。執務室に集まったのは、ギュンター、マルクス、オルガ、ヨハン、そしてレオンハルトとルキウス。エミルは聖光草の研究の手を止めて、窓辺に立っている。リリアーヌはオルガの隣で、不安そうな顔をしていた。
私は地図を広げた。王都から見て、ヘルムガルドは北西の辺境にある。王都への主要街道は二本。どちらも通関検査を受ける。ギュンターの近隣三領地ネットワークを使えば、王都を経由せず東方の都市に販路を作れるかもしれないが——。
「嬢ちゃん、東への山道がある」
ギュンターが地図の上に指を置いた。ヘルムガルドから東に延びる細い点線。三十年前の古い交易路だ。
「この道は使えますか?」
「昔は使えた。今は——魔獣の出没域にかかっている。通常の荷馬車では危険だ」
ルキウスが地図を覗き込んだ。琥珀の目が山道のルートを追っている。
「ここを護衛すればいい。俺が——」
「なりません」
即座に遮った。
「あなたは近衛騎士団長です。辺境の荷馬車を護衛するために来ているのではありませんわ」
「任務の範囲内だ。辺境の治安維持は——」
「屁理屈を言わないでください」
ルキウスが口を噤んだ。琥珀の目がわずかに揺れた。この男は剣で守れる脅威には迷わず立ち向かうが、商業という戦場では己の無力さに苛立っている。拳が軽く握られているのが見えた。言いたいことがまだある顔だが、この場では引いた。
代わりにレオンハルトが口を開いた。
「セラフィーナ。余に何かできることはないか」
「殿下にも、ありません」
きっぱりと言った。レオンハルトの目が少し痛そうに細くなったが、反論はしなかった。あの夜の告白以来、この男は私の判断を尊重するようになった。しかしその従順さの裏に、歯がゆさが溜まっていくのが見える。
「……ただし」
少し考えて、付け加えた。
「王都の議会の動きを教えていただけると助かります。フリッツ殿経由で構いませんわ。ノーヴァルが次に何を仕掛けてくるか、事前に知れれば対策が打てます」
レオンハルトの表情が変わった。やるべきことが見えた目だ。
「任せろ。フリッツに連絡する」
エミルが窓辺から振り返った。銀縁の眼鏡が執務室の灯りを反射している。
「セラフィーナ様。一つ提案があります」
「何でしょう」
「ノーヴァルの攻撃は商業と政治の二正面ですが、もう一つ——情報という戦線があります。間者クルトを泳がせている以上、こちらから偽情報を流すことも可能です。例えば、ヘルムガルドが資金難で倒産寸前だという情報を流せば、カーティスは攻勢の手を緩めるかもしれません」
「それは——」
考え込んだ。前世のビジネス用語で言えば「ディスインフォメーション」。情報戦は両刃の剣だ。しかし今は使える手札が限られている。
「検討しましょう。ただし慎重に。偽情報を流すなら、真実と虚偽の割合を計算する必要がありますわ」
エミルが微笑んだ。あの穏やかな仮面の裏に、策士の顔がある。この男は学者であると同時に、宮廷の政治を生き延びてきた知恵者でもあるのだ。
会議が終わった後、ヨハンが息を切らせて駆け込んできた。
「セラフィーナ様——」
顔色が悪い。
「どうしたの」
「辺境の薬草を買い付けていた王都の薬商——エーレンベルク薬房とメルツ薬店の二社から、突然、契約破棄の通知が届きました」
五社目。仲買三社に薬商二社。ヘルムガルドの王都向け取引の六割が、十日で消えた。
窓の外が暗くなっていた。いつの間にか日が落ちている。鍛冶場の明かりだけが、闇の中でぽつりと灯っていた。マルクスはまだ鉄を打っている。売る先がなくても、鋼は打ち続ける。あの太い腕が槌を振るう限り、ヘルムガルドの炉の火は消えない。
ノーヴァルの包囲網が、一段ときつくなっていた。しかし、退くつもりはない。




