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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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その知識、どこで?——宮廷魔術師の仮説

 三人の顔を、蝋燭のか細い光が照らしている。レオンハルト、エミル、そして私。執務室の空気が、一瞬で変わった。温かな夜から、真冬の法廷のような張り詰めた冷気へ。


「レオンハルト殿下もいらっしゃいましたか。ちょうどいい。これは——お二人にお聞きいただいた方がいいかもしれません」


 エミルの声は穏やかだった。しかし穏やかさの奥に、鋼のような決意が透けている。この男が仮面を外す瞬間を、私は初めて見ている。


「エミル、一体何の話だ」


 レオンハルトの鋭い視線が光った。「転生」という言葉の意味がわかっていない。しかしセラフィーナの顔色が変わったことには気づいている。


 エミルが革の鞄から一冊の古い書物を取り出した。表紙は茶色く変色し、角が擦り切れ、背表紙の文字はかすれている。千年の歳月が、この本の重みに刻まれていた。古代魔術文献。宮廷魔術師ギルドの書庫の奥で、埃をかぶっていたはずの書物。それをわざわざ辺境まで持ってきた——この半月の滞在は、最初からこの瞬間のためだったのかもしれない。


「宮廷魔術師ギルドの書庫に、千年前の文献があります。『魂の遷移と魔力脈の共鳴』——古代の魔術師たちが記録した、異界からの魂の定着現象について書かれたものです」


 古文書を開いた。挿絵が見えた。大地を貫く光の線——魔力脈の図。その上に、光の球が浮かんでいる。球の中に、人の形をした影。


「異界の魂が、魔力脈の活性域で定着する。魂は元の人格の知識と記憶を保持したまま、この世界の肉体に宿る——古代語の直訳ではありますが、概要はこのような内容です」


 レオンハルトが一歩前に出た。


「エミル、それは——何を言いたい」


「レオンハルト殿下。率直に申します。セラフィーナ様は、この世界の知識体系に存在しない概念を複数お持ちです。僕は半月かけて確認しました」


 エミルが指を折った。一つずつ、丁寧に。検察官が証拠を並べるように。しかしその声に敵意はない。真実を求める者の静かな情熱だけがあった。


「一、複式簿記。二、原価計算。三、減価償却。四、損益分岐点分析。五、品種改良の体系的知識。六、冶金学的な温度管理。七——そして六年前の学園時代と現在の人格の乖離」


 七項目。あの「行動パターンの矛盾リスト」の全てだ。ノートに書き溜めていた観察記録が、今夜、この場で開示された。


「独学で全てを習得した——というのは、可能性としてはゼロではありません。しかし七つの矛盾が同時に説明できる仮説は、一つだけです」


 エミルの目が、銀縁の眼鏡越しに私を見つめた。


「セラフィーナ様。あなたの魂は——この世界のものではない。違いますか」


 沈黙が部屋を満たした。蝋燭の芯が小さく爆ぜた。その音が、静寂の中で銃声のように響いた。


 否定するべきだ。笑って「何をおっしゃるの」と流すべきだ。しかし喉が動かない。エミルの目が——嘘を許さない目が、私を縛りつけている。


 レオンハルトが私を見た。その瞳に困惑と——信じたくないという拒絶が浮かんでいる。しかし同時に、半年間の疑問が氷解していく表情も見える。なぜ辺境でこれほどの手腕を発揮できたのか。なぜ複式簿記を知っていたのか。なぜ——あの卒業式で、全てを捨てられたのか。


「セラフィーナ……」


「それが真実だとして」


 レオンハルトが声を上げた。エミルに向き直る。碧い目が炎のように燃えている。


「それが真実だとして——何が変わる」


 エミルが一瞬、目を見開いた。予想外の反応だったのだろう。学者として「真実の解明」が最優先だったエミルに、レオンハルトは「真実よりも大事なもの」を突きつけた。


「彼女は半年でこの辺境を生き返らせた。領民を救い、経済を建て直し、魔獣の脅威に備えた。その功績は——魂がどこから来たかで変わるものではないだろう」


 レオンハルトの声が震えていた。しかし言葉は力強かった。真実がどうあれ、彼女を守る——その意志が、不器用な言葉の端々から溢れている。


 エミルは静かに頷いた。


「もちろんです。僕は糾弾しに来たのではありません。しかし——」


 穏やかな声が、一段低くなった。


「一つだけ、伺いたいことがあります」


 エミルの目が、私を射た。穏やかな仮面が完全に外れた目。学者でも策士でもない、一人の人間として——真実を求める目。


「セラフィーナ様。あなたが知っている『物語』の中で——僕たちはどうなるのですか」


 残酷な問い。


 最も核心を突く、残酷な問い。エミルはこの半月で、全てを計算していたのだ。私が「物語」を知っている人間であることを見抜き、その上で——自分たちの運命を問う。


 「物語」を知っている人間が、その物語の登場人物に「あなたはどうなるの」と訊かれている。ゲームの結末を知っている転生者に、ゲームのキャラクターが自分の運命を問うている。これ以上残酷な質問が、この世界に存在するだろうか。


 胸の奥で、何かが壊れた。半年間かけて築いた堰が——切れた。


 涙が、落ちた。


 帳簿の上に、小さな水滴が広がった。インクが微かに滲む。


「……このままだと」


 声が震えている。止められない。半年間、一人で抱えてきた秘密が——言葉になって溢れ出す。


「このままだと、私は処刑されます」


 レオンハルトの目が見開かれた。


「あなたたち全員の手で」


 蝋燭の炎が大きく揺れた。レオンハルトの顔から完全に血の気が引いた。その目が凍りついている。「全員の手で」——その言葉の意味を、王太子の頭が処理しきれていない。


 エミルだけが、動じていなかった。いや——拳が微かに震えていた。穏やかな仮面の下で、この男も衝撃を受けている。しかし学者としての冷静さが、かろうじて体を支えている。


「処刑——?」


 レオンハルトが掠れた声を絞り出した。


「余が——余が、お前を——」


「ゲームの中では、そうなります。攻略対象と呼ばれる人たち——レオンハルト殿下も、ルキウス殿も、エミル殿も——全員がヒロインの側に立ち、悪役令嬢を糾弾する。そして処刑される。それが——シナリオです」


 言ってしまった。全てを。半年間、一人で背負ってきた秘密を。誰にも言えず、ヨハンにさえ明かせず、帳簿の数字の陰に隠し続けてきた真実を。


 涙が止まらなかった。前世では泣けなかった。過労で倒れる直前まで、一滴も涙を流さなかった。「泣いている暇があったら仕事をしろ」と自分に言い聞かせていた。しかし今——堰を切った感情が、半年分の孤独と恐怖を押し流していく。


 レオンハルトが一歩、近づいた。何かを言おうとして——言葉が見つからず、ただ私の前に立っている。その存在が、温かかった。


 執務室に沈黙が満ちた。蝋燭の炎が一本、燃え尽きかけて小さく揺れている。闇が部屋の隅から忍び寄ってくる。


 エミルが窓辺に歩み寄った。北の空を見上げた。


「面白い」


 呟いた。しかしその声に、いつもの軽さはなかった。重く、確かな声だった。


「つまり僕たちは今——その『物語』を書き換えている最中だということですね」


 振り返ったエミルの目に、決意が宿っていた。学者の好奇心ではない。仲間の命を守るという、人間としての覚悟。


「書き換えましょう。その処刑エンドとやらを」


 レオンハルトが口を開いた。声はまだ震えていたが、その瞳に光が戻っていた。


「余も——余も書き換える。余の手で、お前を処刑するなど——そんな物語は、余が許さない」


 不器用で、真っ直ぐな宣言。王太子としての威厳ではなく、一人の人間としての約束。


 エミルが小さく笑った。今度の笑みには——温かさがあった。


「全員で」


 北の空に、微かな光が走った。薄い雲の向こうで、不穏な燐光が脈動している。魔獣の群れが移動する時に発する魔力の残光だ。封鎖区画の向こうから、新たな脅威が近づいている。


 物語は終わっていない。処刑エンドは回避できていない。ノーヴァル商会の政治攻撃。魔獣の脅威。そして今、秘密が露呈した。


 しかし——もう、一人ではなかった。


 レオンハルトが隣に立っている。エミルが窓辺で微笑んでいる。この部屋の外には、ルキウスとリリアーヌとヨハンとヘルガとギュンターがいる。全員が、それぞれの理由で、この辺境に集まった。


 ゲームの筋書きにはなかった展開。悪役令嬢が攻略対象に秘密を明かし、攻略対象が悪役令嬢を守ると誓う。壊れたシナリオの中で、新しい物語が——今、動き始めた。

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