護衛は任務です——ツンデレ騎士団長、参上
騎馬隊は八騎。先頭の騎士が馬から降りた瞬間、甲冑の胸当てに刻まれた赤い剣の十字が朝日を受けて光った。
赤銅色の髪。琥珀の瞳。鍛え上げられた長身。甲冑を着ていてもわかる、全身がばね仕掛けのような筋肉質の体躯。
ルキウス・フェルグランド。近衛騎士団長。ゲームの攻略対象その二。
そして——私がもっとも「関わりたくない」タイプの男。
ツンデレ武闘派。ゲームでは一見冷酷だが実は優しい系のキャラで、ルート内でのイベントは「ヒロインが剣術訓練中に怪我→ルキウスが手当てして赤面→告白」という王道パターンだった。悪役令嬢はこのルートでヒロインに嫉妬して嫌がらせを行い、ルキウスに成敗される。
——関わったら死ぬ。物理的に。剣で斬られる。
「辺境の治安悪化報告を受け、近衛騎士団として護衛任務に志願した。ルキウス・フェルグランドだ」
低い声。無愛想。私を見る琥珀の目には表面上、何の感情もない。
「ちょっと待ってくださいませ」
令嬢口調を保ちながら、必死に抗議した。
「治安悪化の報告を出した覚えはありませんわ。ヘルムガルドの治安は良好です。窃盗事件すら半年間で二件しか——」
「北方の魔獣目撃情報がある」
「それは——」
「民間人の護衛は騎士団の責務だ。異論は受け付けない」
取り付く島もない。鉄壁。この男の「任務」は言い訳であって、本音は別のところにある。ゲームの知識がそう告げている。
しかし問題は、「本音が何か」を知ったところで対処法がないことだ。
レオンハルトが正門に姿を現した。ルキウスを見て、碧い目がわずかに鋭くなった。
「ルキウス。余は騎士団の派遣を要請していないが」
「殿下にお伺いを立てる件ではございません。これは騎士団長としての判断です」
微妙に険悪。二人の間に見えない火花が散っている。
レオンハルトは王太子。ルキウスは近衛騎士団長。指揮系統上はレオンハルトが上位だが、騎士団長には独立した判断権がある。組織論としては正しい。が、ここで権限争いをされても困る。
「お二人とも。正門前で部下の前で口論なさるのは——」
「口論ではない」と、二人が同時に言った。
息が合っている。仲が悪いのか良いのかわからない。
ヨハンが横で小さく「うわぁ」と漏らした。この正直者の感想が全てを物語っている。
ヘルガが玄関から顔を出して「また一人増えたね」と言い、にやりと笑った。あの笑みの意味を問い詰めたいが、今はそれどころではない。
◇
応接間に四人が向かい合った。レオンハルト、ルキウス、フリッツ、そして私。ヨハンが壁際に立って控えている。
ルキウスは甲冑のまま座っていた。椅子が軋む。この人、座っているだけで威圧感がある。
「改めて説明いたします。辺境における魔獣の目撃情報は、ここ数ヶ月で増加傾向にあります。北方の森林地帯から、通常の野生動物とは異なる獣の目撃が複数報告されていますわ」
「やはりな」
ルキウスが腕を組んだ。
「王都にも報告が上がっている。北東辺境の複数の領地で、家畜が襲われる事件が増えている。ヘルムガルドだけの問題じゃない」
知らなかった。ギュンターの情報網は商業方面に強いが、軍事情報は範囲外だ。これは盲点だった。
「セラフィーナ。この領地の防衛体制はどうなっている」
レオンハルトが問うた。視察者の目に戻っている。
「……正直に申しますと、手薄ですわ。常備の警備兵は十名。武装は旧式。領地の外周防壁は北側が修繕不完全です」
自分の領地の弱点を、二人の軍人の前でさらけ出すことになった。経営は順調だが、軍事面は後回しにしていた。予算の優先順位を間違えたかもしれない。
ルキウスが立ち上がった。椅子が大きく軋んだ。
「外周防壁を見る」
「今からですか?」
「今からだ」
即行動。この男、座って話すのが苦手なタイプだ。
◇
外周防壁の視察は、屈辱的だった。
ルキウスは防壁を一周しながら、脆弱性を次々と指摘した。
「ここ。石の接合部が風化している。大型の獣なら体当たりで崩せる」
「ここ。見張り台の位置が悪い。北からの接近を死角にしている」
「ここ。排水溝が広すぎる。小型の魔獣なら通り抜けられる」
一つ一つが的確で、反論の余地がなかった。経営者としての自負が砕かれていく音が、自分の中で聞こえた。収益を上げることばかり考えて、領民の安全という最も基本的な責務を後回しにしていた。
ヨハンが横で顔を曇らせていた。彼も辺境出身だ。防壁の脆弱さは知っていたはずだが、予算の優先順位を議論した時、私が「まずは黒字化」と判断したのに従った。責任は私にある。
北風が石壁の隙間から吹き込んできた。冷たい風が骨まで沁みる。ルキウスの指が、壁のひび割れをなぞった。
「これは——何年放置されている」
「前の代官の時代から……少なくとも五年は」
「五年? 五年間この状態で魔獣が来なかったのが奇跡だな」
声が厳しい。しかし——怒りの対象は私ではなく、五年間放置した歴代の管理者に向いている。
「俺は——いや、余計なことだが」
言いかけて、口を閉じた。ルキウスの耳の先が、かすかに赤い。北風のせいか、それとも——。
「何でもない。防壁の修繕計画を立てる。人手は騎士団から出す」
「……ありがたいですわ」
素直に礼を言った。軍事は私の専門外だ。助けが必要なことは認めなければならない。
レオンハルトも防壁視察に同行していた。ルキウスの指摘を黙って聞き、時折頷いていた。二人の間の険悪さは消えていないが、軍事に関しては意見が一致しているらしい。
「セラフィーナ」
レオンハルトが言った。
「余も可能な範囲で協力する。王太子として北方の安全保障に関心がある——」
「殿下が防壁修繕の泥仕事をなさるおつもりですか」
「なぜいけない」
「いけなくはありませんが、フリッツ様が卒倒しますわ」
遠くで待つフリッツが、既に不安そうな顔をしていた。
ルキウスが鼻で笑った。「まともな従者を持つべきだな」。レオンハルトが「フリッツはまともだ」と返す。また火花が散る。
二人のやり取りを見ながら、私はふと気づいた。
険悪に見えて——この二人、信頼しているのだ。互いに。言葉は噛み合わないが、根底にある「国を守りたい」という意志は同じ。ただ表現方法が違うだけ。
レオンハルトは政治と数字で。ルキウスは剣と行動で。
方法は違えど、同じ方向を向いている。
——ゲームでは対立キャラだったはずなのに。
◇
夜。
領主館の外壁を、ルキウスが一人で巡回していた。
窓から見えたその影は、甲冑を脱いで軽装になっていた。しかし腰の剣は手放さない。騎士の本能。
月明かりが石壁を銀色に染めている。静かな夜。虫の声と風の音だけが聞こえる。
ルキウスが立ち止まった。
北の方角を見つめている。森の方角。闇の向こう。
私もつられて同じ方向を見た。
闇の中に——光った。
複数の。小さな。獣の目。
月光を反射して、緑色に輝く瞳。一つ、二つ、三つ——五つ。木々の間を移動しながら、こちらを見ている。
ルキウスの右手が剣の柄にかかった。全身の筋肉が一瞬で臨戦態勢に入るのが、窓越しにもわかった。
しかし獣の目は、それ以上近づかなかった。一定の距離を保ったまま、森の奥に消えていった。
ルキウスが振り向いた。二階の窓にいる私と目が合った。
琥珀の瞳が月光の下で鋭く光っていた。しかしその中に——怒りではない何かがあった。
「……寝ろ」
低い声が、夜の空気を伝って聞こえた。
無愛想。ぶっきらぼう。しかしその一言は——「大丈夫だ、俺が見ている」という意味だった。
窓を閉めた。
魔獣は本当にいた。ルキウスの「治安悪化報告」は口実ではなく、事実に基づいていたのだ。
帳簿の数字も、鍛冶場の鋼も、この領地を守る力にはならない。獣の牙の前には、利益率も原価計算も無力だ。
——助けが必要だ。認めたくないが。
枕に顔を埋めた。
攻略対象が二人、同時に領地にいる。一人は帳簿を通じて私の知識に迫り、もう一人は剣を携えて魔獣から領地を守ろうとしている。
回避。全力で回避したはずだった。
なのに——追いかけてくる。しかも、善意で。
善意ほど断りにくいものはない。前世のサービス残業と同じだ。「お前のためだ」と言われると断れない。
……違う。レオンハルトもルキウスも、あのブラック企業の上司とは違う。
その認識が芽生えていることが、何より怖かった。




