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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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「——なぜ逃げる。余は話をしたいだけだ」

 ヨハンが窓際に立ち、目を細めて遠くを見ている。朝靄の中から浮かび上がるシルエット。馬車三台。護衛の騎馬が四騎。そして——先頭の馬車に掲げられた旗に、王家の紋章。


「来ましたわね」


 声は平静を装った。しかし心臓が早鐘を打っている。


 レオンハルト・アウレリウス。王太子。元婚約者。そして——ゲーム『聖光のエトワール』において、全ルートでセラフィーナの処刑を宣告する人間。


 前世の記憶が、あの卒業式の光景を蘇らせる。壇上で婚約破棄を宣言した時の、レオンハルトの表情を失った顔。あの日から半年。あの男が、ここに来た。


「セラフィーナ様、ご指示を」


「正式な歓迎をしましょう。王太子殿下の視察ですもの。粗相があってはなりませんわ」


 ヘルガに指示を出す。客室の準備。食事の手配。領主館の掃除。ヘルガは黙って頷いて動き始めた。この人は、こういう時に余計な言葉を使わない。


 馬車が領主館の門前に止まった。扉が開く。


 最初に降りたのはフリッツだった。小柄な側近が周囲を素早く確認し、護衛の配置を指示する。その後に——長身の男が馬車から降り立った。


 レオンハルト。


 半年ぶりに見るその姿は、学園時代と変わっていなかった。金色の髪。真っ直ぐな目。堅苦しい表情。しかし——どこか、以前とは違う空気を纏っている。疲れ、とは少し違う。何かを抱えている人間の重さだ。


「セラフィーナ」


 名前を呼ばれた。敬称なし。元婚約者としての距離感。しかし声は硬くない。


「レオンハルト殿下。遠路のお越し、ありがとうございますわ」


 完璧な令嬢の礼。学園時代に叩き込まれた社交術。もう使わないと思っていた技術が、体に染みついていた。


「堅苦しい挨拶は不要だ。——余は視察に来た。辺境開発の実態を、この目で確認する」


「お好きにご覧くださいませ。隠すものは何もありませんわ」


 嘘だ。聖光草は隠している。封鎖された坑道のことも。ギュンターの帳簿も。しかし——見せるべきものは見せる。帳簿は完璧に整っている。



  ◇



 視察は午前中から始まった。


 まず鍛冶場。マルクスはレオンハルトの来訪にも態度を変えなかった。王太子だろうが誰だろうが、鍛冶場に入れば鉄の音が全てだ。


「この鋼は——」


 レオンハルトがヘルムガルド鋼の刃物を手に取った。重さを確かめ、光に透かし、指で刃を撫でる。武官として訓練を受けた男の手つき。鋼の良し悪しがわかる目だ。


「素晴らしいな。王都の武器商が扱う品に、これほどの質のものは少ない」


「ありがとうございます。マルクス殿の腕と、品質管理の手法を組み合わせた成果ですわ」


「品質管理?」


「製品のばらつきを数値で管理する手法です。温度、時間、素材の純度を——」


「一つ一つ数字で追跡する、ということか」


 レオンハルトの理解が早い。この男は生真面目だが、愚かではない。


 マルクスがレオンハルトを見た。鍛冶師が客を品定めする目。太い腕を組み、一言。


「あんた、剣を握る人間だな。——斬るだけじゃなく、鋼の声を聞ける手をしている」


 マルクスに褒められたレオンハルトの表情が、一瞬だけ緩んだ。王太子として褒められることには慣れている。しかし職人に「手」を褒められたのは初めてだったのだろう。


 次に薬草園。オルガが案内し、薬草の効能と栽培方法を説明した。レオンハルトは一つ一つ丁寧に聞き、時折質問を挟んだ。質問の内容が的確で、オルガが「よく勉強されていますね」と感心した。


「辺境の薬草は王都にはない種類が多い。これだけの品種を一箇所で栽培できれば——」


「辺境が王都の薬草市場を補完できますわ。依存ではなく、対等な関係で」


 レオンハルトの目が私を見た。「対等な関係」という言葉に反応したようだった。


 午前の視察を終え、領主館で昼食を取った。ヘルガが用意したのは、いつも通りの根菜のスープと黒パンとチーズ。質素だが、温かい。


「これは——」


「辺境の日常の食事ですわ。王都のような豪華さはありませんが」


「いや。うまい」


 レオンハルトがスープを飲んだ。表情が微かに変わった。驚きではない。懐かしさに似た何か。


「余が幼い頃、乳母が作ってくれたスープに似ている。城の厨房ではなく、乳母の家で食べた味だ」


 意外な打ち明け話。王太子にも、庶民的な記憶があるのだ。


 昼食後、フリッツが「殿下、午後は帳簿の確認を」と促した。しかしレオンハルトは首を振った。


「帳簿は後でいい。先に領地を歩きたい」


「殿下——」


「フリッツ。余は数字より先に、人を見たい」


 フリッツが一瞬だけ驚いた顔をした。すぐに「かしこまりました」と引いた。



  ◇



 午後。レオンハルトとヨハンと三人で、領地を歩いた。


 井戸の掘削現場。新しい住居の建設現場。簡易学校。子供たちが「お姉ちゃん!」と走ってきて、レオンハルトの高貴な装いに目を丸くした。


 トビアスが私の手を引いて言った。


「お姉ちゃん、この人だれ?」


「遠くからお客様がいらしたのよ」


「おかあさんのスープ、飲む?」


 レオンハルトが膝を折り、トビアスと目線を合わせた。


「……ありがとう。いただこう」


 王太子が子供にスープを勧められて受け入れる光景。前世のゲームでは絶対に見られなかったシーンだ。ゲームのレオンハルトは冷徹で、民衆との接点がほとんどなかった。しかし目の前のこの男は——生きている。


 エルマの小屋にも立ち寄った。かつて病に伏していた母親は、今では薬草園の作業員として働いている。レオンハルトに「領主様のおかげで」と深々とお辞儀をした。


「余のおかげではない。セラフィーナが——この領地の者たちが、自ら成し遂げたことだ」


 レオンハルトの言葉は静かだったが、重みがあった。お世辞ではない。視察で見たものを、正直に評価している。


 夕暮れ。領地の丘の上に立った。


 眼下にヘルムガルドの全景が広がっている。鍛冶場の煙。薬草園の緑。新しい住居の屋根。鉱山の坑道の入口。そして——領民たちの灯り。半年前にはほとんど見えなかった灯りが、今は無数に瞬いている。


「……これを、半年で成したのか」


 レオンハルトが呟いた。ep028で報告書を読みながら呟いたのと同じ言葉。しかし今度は——実物を目の前にしている。


「半年ではありませんわ。マルクス殿が鍛冶を続けた何十年。オルガさんと亡きご主人が薬草を研究した何年もの月日。ギュンター殿が辺境で商売を続けた三十年。ヨハンがこの土地を愛し続けた時間。——私は、それを繋いだだけですわ」


 レオンハルトが振り返った。夕焼けの光が、その顔に赤い影を落としている。


「セラフィーナ」


「はい」


「なぜ婚約を破棄した」


 来た。この質問が。ゲームの中で何度も聞かれた問い。しかし今のこの状況は、ゲームのどのルートとも違う。


「本当の理由を聞きたい」


 レオンハルトの目がまっすぐにこちらを向いている。計算も義務もない。ただ——知りたいという、一人の人間の目だ。


 嘘をつくべきだ。適当な理由を並べて、距離を保つべきだ。処刑フラグを避けるなら、この男との距離を詰めてはいけない。


 でも——この目に、嘘はつけなかった。


「……私は、殿下を傷つけたくなかったんですわ」


 半分は嘘で、半分は本当だ。処刑を避けるために婚約を破棄した。でも同時に——あの生真面目な男が処刑を命じて苦しむ未来も、見たくなかった。


「傷つけたくないから、余を拒んだと?」


「矛盾しているのは、わかっています」


「——ああ。矛盾している」


 レオンハルトが微かに笑った。初めて見る笑顔だった。苦笑ではない。嘲りでもない。ただ——おかしくて、少し悲しい、そんな笑み。


「余も矛盾している。拒まれた相手の領地を、わざわざ見に来るなど」


 沈黙が落ちた。夕焼けが深くなっていく。遠くで鍛冶場の槌音が最後の一打を打ち終え、静寂が訪れた。


 ヨハンが丘の下で所在なさげに立っている。フリッツも離れた場所で控えている。二人とも、この会話に割り込まない賢明さを持っていた。


 レオンハルトが空を見上げた。


「余は——ノーヴァルの上奏文を、正しく処理する。この領地が不当に攻撃されることは、王太子として許さない」


「殿下——」


「これは義務として言っている。——個人的な感情は、関係ない」


 嘘だ。関係なくないだろう。しかし——この男は、不器用に正しくあろうとしている。それは前世の上司とは正反対の在り方だ。


「ありがとうございますわ。殿下」


「礼は不要だ。——また来る」


 その一言が、処刑フラグなのか、それとも全く別の何かなのか。


 今の私には、判断がつかなかった。



  ◇



 レオンハルトの馬車が翌朝発った後、ヘルガが一言だけ言った。


「あの方、ここが気に入ったようですね」


「困りますわ」


「そうですかね。あたしは——悪くないと思いますけど」


 ヘルガの目が笑っている。毒舌の裏に、何かを見透かすような光があった。


 返事はしなかった。代わりに帳簿を開いた。ギュンターから預かった三十年分の記録。ノーヴァル商会の手口の分析。次の戦いの準備。


 感情に浸る余裕はない。嵐はまだ通り過ぎていない。むしろ——これからが本番だ。

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