人口流入——「ヘルムガルドで働きたい」
最初は近隣の村から。鉱山で日雇い仕事があると聞いた農夫が二人、薬草園で働きたいという女性が三人。次にヴォルフスハイム領から、腕の立つ大工が一家で移住してきた。「あの鋼を作っている土地で働きたい」と言う。ヘルムガルド鋼の評判が、職人の間に広がっている。
そしてさらに——王都方面から、食い詰めた商人見習いが二名。元鉱夫が四名。行商人が一名。
二ヶ月前は二千人だった人口が、二千三百人を超えた。三百人の増加。数字にすれば一割五分の成長。前世のスタートアップなら投資家が喜ぶ数字だ。
しかし——喜んでばかりはいられない。
「ヨハン、新住民の受け入れ手続きは?」
「領主館に台帳を作りました。名前、出身地、職歴、家族構成。全員分を記録しています」
「面接は?」
ヨハンが首を傾げた。
「めんせつ?」
「一人ずつ話を聞くことですわ。どんな人間で、何ができて、何を求めてここに来たのか」
前世の人事部の業務だ。履歴書の確認、面接、適性判断。人を雇う時に最も重要なプロセス。それをこの世界でやる。
「全員に?」
「全員にです。人を見る目がなければ、組織は壊れますわ」
面接は二日間にわたった。
領主館の応接間で一人ずつ話を聞く。ヨハンが横で記録を取る。
大工のフランツは五十代の職人気質で、腕は確かだが融通が利かないタイプだった。家族四人を養うために安定した仕事が必要。即採用。井戸と住居の修繕を任せる。
王都からの商人見習いクルトは二十代の若者で、目が鋭い。話し方が妙に丁寧で、質問への回答が整理されすぎている。前世の面接で何百人も見てきた経験が告げている——この男は、何かを隠している。
「クルト殿、王都ではどちらの商会に?」
「小さな仲買商です。店が潰れまして、新天地を求めてきました」
「店の名前は?」
「エーレンベルク商会と申します」
後で確認しよう。ギュンターなら知っているかもしれない。
元鉱夫たちは素朴で、話すことは単純だった。「前の鉱山が閉まった」「家族を食わせたい」「ここなら仕事があると聞いた」。彼らの手は硬く、目は正直だった。全員採用。鉱山チームに配属する。
行商人のグレーテルは四十代の女性で、明るい笑顔と機転の利く話術が印象的だった。近隣の村を回って日用品を売り歩いている。ヘルムガルドに拠点を移したいという。
「なぜここに?」
「王都寄りの街道は大商会が仕切っていて、小さな行商人は割り込めないんです。辺境ならまだ隙間がある。それに——ここの薬草の評判を聞きまして」
目が正直だ。この人は嘘をついていない。前世で面接していた時に身につけた直感が、そう告げている。採用。薬草の行商ルートを任せよう。オルガと組めば、薬草園の販路が一つ増える。
二日目の夕方。最後の面接を終えて、応接間の椅子に沈み込んだ。疲れた。前世でも面接官をやったことがあるが、一日に十人以上は精神力を使う。
「ヨハン」
「はい」
「クルトという男。ギュンター殿にエーレンベルク商会について聞いてくださいませ」
「わかりました」
◇
翌日、ギュンターからの回答が来た。
「エーレンベルク商会は三年前に潰れている。だが——その元締めはノーヴァル商会の傍系と取引があった」
やはり。
「あの男、間者ですの?」
「断言はできん。だが——ノーヴァルがルドルフの視察で情報を集めた後、偶然同じタイミングで元関係者が辺境に来た。偶然にしては出来すぎている」
ヘルガも同意見だった。
「あのクルトという男、妙に周囲をよく見ています。鍛冶場の前を通る時に、中を覗き込んでいるのを二度見ました。見学ではなく——数を数えている目でしたよ」
ヘルガの観察力は相変わらず鋭い。この人は人の動きを見ることにかけてはプロだ。
「排除しますか?」
ヨハンの提案に、私は首を振った。
「いいえ。泳がせます」
三人の目が私に集まった。
「追い出せば、次はもっと巧妙な間者が来る。それより——こちらが見せたい情報だけをクルトに流す。偽情報を混ぜて、ノーヴァルの判断を狂わせます」
「情報戦か」
ギュンターが顎をさする。
「前世の——書物では、これを何と呼ぶ?」
「カウンターインテリジェンスですわ。防諜活動です」
「……あんたの書物は、戦争の教科書も含まれているのか」
「経営と戦争は似ていますもの。どちらも情報が勝敗を決めます」
ギュンターが苦笑した。ヘルガは無表情。ヨハンだけが「また書物か」という顔をしている。
クルトには鉱山の日雇い仕事を割り当てた。生産現場に近い位置。しかし帳簿や取引先情報には触れさせない。見えるのは表面的な生産量だけ。そして——わざと「品質問題が発生している」という偽情報を日雇い仲間に流した。
前世の経理部時代、社内の情報漏洩対策で似たようなことをやった。部署ごとに微妙に異なる数字を渡して、どのルートから漏れたか追跡する手法。このテクニックは異世界でも使える。
ヘルガが付け加えた。
「あのクルトが夜に出歩いているのも見ています。北の森の方角に。手紙を隠しているのか、誰かと合流しているのか」
「見張りは?」
「あたしの目で十分ですよ。この領地で、あたしの目から逃れられる人間はいませんからね」
ヘルガの自信は、虚勢ではなかった。この侍女長は何十年もの間、領地の人の出入りを見守ってきた。誰がどこに住み、何をしているか。全て把握している。前世で言うなら、人事部と警備部と総務部を一人で兼ねているようなものだ。
◇
面接とは別に、嬉しい出来事もあった。
マルクスの鍛冶場に、正式な弟子入り希望者が現れたのだ。
名前はラウル。二十歳。ヴォルフスハイム領の鍛冶見習いだったが、「ヘルムガルド鋼を打てる親方の下で学びたい」と単身で来た。マルクスはしばらく無言で少年の手を見つめ、握力を確かめ、一言だけ言った。
「明日から来い。朝は日の出前だ」
それだけ。面接とも言えない面接。しかしマルクスなりの選考基準があるのだろう。手の形、握力、目つき。職人は職人を見抜く。
「マルクス殿、弟子を取ることに——」
「うるさい。品質管理がどうだの数字がどうだの言うくせに、人の育て方まで口を出すな」
「失礼しましたわ」
口元だけ笑った。マルクスが弟子を取った。あの「一人でやる」が口癖だった男が。品質管理チャートの次は、技術の継承。この鍛冶場は、一人の職人の工房から、ものづくりの拠点に変わりつつある。
ラウルは翌朝から鍛冶場に通い始めた。日の出前から日没まで。マルクスの指導は厳しく、最初の一週間は炉の掃除と炭の運搬だけだった。しかしラウルの目は輝いていた。叱られるたびに「はい、親方」と返事をし、同じ失敗を二度としない。筋がいい。
ある日、鍛冶場を覗くと、マルクスがラウルに品質管理チャートの読み方を教えていた。あの、「数字なんぞ」と言っていたマルクスが。
「親方、このグラフの意味は——」
「黙って見ろ。温度が上がると硬くなる。下がると粘りが出る。この線の交差するところが最適な焼き入れ温度だ。——あの女がうるさいから覚えておけ」
あの女は私のことだ。しかし教え方は的確だった。マルクスは数字を理解するだけでなく、弟子に伝える方法まで自分で考え始めている。
「あの若者、いい目をしていますわね」
「ふん。まだ何もできん。十年後に判断する」
十年。マルクスの時間軸は長い。しかしそれは、十年先のヘルムガルドを見据えているということでもある。
◇
人口が増えればインフラが追いつかない。住居が足りない。井戸の水が足りない。食料の備蓄が心もとない。
フランツの大工チームに急ぎの仕事を出した。簡易住居の建設。廃材と鉱山の余剰木材を使った、質素だが頑丈な小屋。一棟四日で建てる突貫工事だ。
「領主様、この設計図はどこで——」
「書物ですわ」
フランツは設計図を一通り見て、太い指で梁の構造を指差した。
「この梁の組み方、見たことがない。だが——理にかなっている。雪の重みに耐える設計だな」
「ええ。辺境の冬を想定して、屋根の角度を急にしてあります」
「任せな。三日で建ててみせる」
フランツは深く追及しなかった。大工は設計図が合理的なら、出自を問わない。マルクスと同じタイプだ。職人は仕事で語る。
簡易住居が一棟、二棟と建っていく。新住民が入居する。子供が走り回る。洗濯物が干される。生活の音が増えていく。
二千三百人。まだ小さい。でも——半年前の、あの寂れた集落とは別の場所になりつつある。
夜、領主館の屋根の上から領地を見渡した。ヨハンに付き添われて。
鍛冶場の煙。薬草園の灯り。新住居の窓から漏れる明かり。点と点が、少しずつ面になっていく。
「ヨハン」
「はい」
「子供の頃に宝探しごっこをした鉱山が、本当に宝の山になりましたわね」
「……はい。でも、宝は鉄鉱石じゃなくて——」
ヨハンが言いかけて、口をつぐんだ。耳が赤い。
「何ですの?」
「いえ、何でもありません」
何でもなくないだろう。でも——追及しないのが、今の私の流儀だ。
北の空に、星が瞬いている。穏やかな夜だ。しかしこの穏やかさの向こうに、ノーヴァルの影が動いている。クルトの報告が王都に届く頃、次の手が打たれるだろう。
備えなければならない。しかし今夜は——星を見る。ヘルガとの約束。休む時は休む。




