王都の商人——善意か、それとも毒か
三人。いずれも上質な旅装。先頭の男は四十代半ばで、柔和な笑顔を浮かべている。後ろの二人は護衛を兼ねた従者だろう。腰に短剣を帯びているのが見えた。
「ヴァルトシュタイン領主様でいらっしゃいますか。王都のルドルフと申します。辺境の産品が素晴らしいと聞きまして、是非お取引をと参りました」
丁寧な物腰。完璧な社交の笑顔。前世の営業マンと同じだ。笑顔が綺麗すぎる人間ほど、腹の中に計算がある。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。まずはお茶でもいかがですの」
応接間に通した。ヘルガが茶と菓子を運ぶ。私の隣にはヨハン。壁際の椅子にギュンターが座っている。腕を組み、葉巻は消したまま。この男が葉巻を吸わない時は、本気で相手を観察している時だ。
ヘルガが菓子の皿を置きながら、さりげなくルドルフの靴を見た。上等な革靴。王都仕立て。泥一つない。この男は馬車の中で靴を履き替えてきたのだ。辺境の泥道を歩いた形跡がない足元。第一印象を完璧に整える人間だ。
ルドルフが切り出した。
「ヘルムガルド鋼の噂は王都にも届いておりまして。品質の高さ、そして……何より、この辺境でそのような産品が生まれたことに驚いております」
「光栄ですわ」
「つきましては、弊社で買い付けをさせていただきたいのですが。もちろん、王都の市場価格に見合った、いえ——それ以上の価格をご提示させていただきます」
王都の市場価格以上。甘い提案だ。
前世の経験が警報を鳴らしている。取引先が「市場価格以上」を提示する理由は二つしかない。本当に品物に惚れ込んだか、あるいは——依存させてから搾り取るつもりか。
「具体的にはいくらを想定されていますの?」
ルドルフが数字を出した。ヴォルフスハイム領主クラウスとの取引価格の一・五倍。破格だ。この価格なら、利益率は今の倍になる。
しかし——裏がある。
「大変魅力的な価格ですわ。ただ、いくつか伺ってもよろしいかしら」
「何なりと」
「まず、継続取引の条件は?」
「最低契約期間は一年。月産全量を弊社に納入していただければ、価格は保証いたします」
全量納入。独占契約だ。これを飲めば、ヴォルフスハイムやブレンタールへの販路が断たれる。一社依存の危険な構造に陥る。
「品質基準の設定は?」
「弊社の基準に準拠していただきます。詳細は契約書に」
品質基準を相手に委ねれば、いつでも「基準未達」を口実に値下げを要求できる。前世の下請け企業が、この手口で潰されるのを何度も見た。
「薬草についてもお話を伺えますか」
「ええ、薬草も。ヘルムガルドの薬草は辺境の寒冷気候が育てた希少品だと聞いております。こちらも、市場価格の一・三倍でいかがでしょう」
鋼と薬草の両方。領地の二大産品を丸ごと押さえにきている。
ルドルフの笑顔は崩れない。完璧な営業スマイル。しかしその目は——値踏みの目だ。この辺境の小娘がどこまで商売を理解しているか、試している。
「ルドルフ殿。大変ありがたいお申し出ですわ。しかし、お取引の判断には少しお時間をいただきたいのです」
「もちろん。急ぎはいたしません。——ただ、この好条件は他にお出しするつもりはございませんので」
限定感を出して焦らせる。古典的な営業テクニック。前世では新入社員研修の教材に載っているレベルの手口だ。
「一週間後にお返事しますわ。その間、領地をご覧になっていかれますか? 鍛冶場も薬草園もご案内できますわよ」
「ぜひ拝見したいですね」
見せてやろう。ただし——見せたいものだけを。聖光草の区画には近づけさせない。
ヨハンに案内役を命じた。鍛冶場と薬草園の表の部分だけを見せ、帳簿や生産計画には一切触れさせないルートを組んだ。情報管理は基本中の基本だ。
ルドルフたちが宿舎に下がった後、応接間で三人が残った。
「ギュンター殿」
「聞くな。わかっている」
ギュンターが立ち上がった。太い体躯を椅子から引き剥がし、窓際に歩む。外を見ながら言った。
「あの男——ルドルフ。名前は偽物だ。本名はルドルフ・ヴェーバー。十五年前に王都の仲買ギルドで中堅だった男で、今はノーヴァル商会の傍系で買い付けの元締めをやっている」
「ノーヴァル商会」
「王都最大の商会の一つだ。商務大臣ノーヴァル家の嫡男カーティスが実務を仕切っている。あの商会が辺境に目をつけたということは——あんたの成功が、王都の利権を脅かし始めたということだ」
ギュンターの声に、重みがあった。これは商人の分析ではない。経験者の警告だ。
「ギュンター殿は、ノーヴァル商会をご存知でしたの」
「三十年前に潰されかけた。王都で商売をしていた頃、奴らの傘下に入ることを断ったら、取引先を全部奪われた。仕入先にも圧力をかけられて、半年で干上がった。店を畳んで、女房と二人で辺境に逃げてきた」
ギュンターの声は淡々としていた。三十年前の傷を語るのに、感情を混ぜない。それだけ深い傷だということだ。
「女房はこの地で病を得て、十年前に死んだ。墓はヘルムガルドの丘の上にある。だから俺はここを動かない」
初めて聞いた。ギュンターの妻の話。この男が辺境に根を下ろした理由は、商売の都合だけではなかったのだ。
ギュンターの過去。この男が辺境に流れてきた理由。三十年前の敗北の相手が、今また目の前に現れたということだ。
「今回も、同じ手口ですの」
「同じだ。最初は好条件で近づき、独占契約で縛り、依存させてから値を叩く。十年かけて利権を吸い上げたら、最後は撤退して廃墟にする。ヘルムガルドが十五年間搾取されていたのも——元をたどればこの構造だ」
部屋の空気が重くなった。暖炉の火が爆ぜる音だけが響いている。
「断りますわ」
「当然だ。だが、断り方が大事だ」
ギュンターが振り返った。目が鋭い。商人が戦を前にした時の目だ。
「正面から断れば、敵意を買う。かといって曖昧にすれば、時間をかけて攻めてくる。最善は——相手に『この取引は割に合わない』と思わせることだ」
「つまり?」
「あんたの取引条件を、ノーヴァルにとって旨味がない形で提示しろ。独占契約は拒否し、価格は王都市場の適正価格に合わせ、品質基準はこちらが設定する。相手にとって面白くない条件を丁寧に並べれば、自分から引く」
なるほど。正面衝突を避けて、相手に撤退を選ばせる。前世の交渉術で言う「ノーと言わずにノーを伝える」テクニック。
「ギュンター殿、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」
「なぜそこまで、私に協力してくださるの」
ギュンターが葉巻に火をつけた。紫煙がゆっくりと天井に昇る。
「三十年前に負けた相手に、もう一度挑む機会が来た。それだけだ」
嘘だ。それだけじゃない。薬草園の開園式で領民の笑顔を見ていた時の、あの緩んだ口元。ギュンターがこの領地に見ているものは、復讐だけではない。
でも——この男は、本音を直接語るタイプではない。行動で示す人間だ。マルクスと同じだ。不器用な男たちが、この辺境には多い。
「わかりましたわ。では——一緒に、断り方を考えましょう」
ギュンターの口元が微かに歪んだ。三十年ぶりの戦場に立つ老兵の顔だった。
◇
一週間後。
ルドルフとの二度目の会談。
私は彼の提示した全ての条件に対し、丁重に——しかし徹底的に不利な対案を出した。独占契約の拒否。品質基準のヘルムガルド側設定。価格は王都適正価格。最低購入量の義務なし。
ルドルフの笑顔が、初めて曇った。眉間に微かな皺。計算が狂った男の顔だ。
「……ヴァルトシュタイン様、それでは弊社にとって——」
「ご不満であれば、お取引は見送らせていただきますわ。ヘルムガルドの産品は、条件を選ばなくても売れる品質です。それは、ルドルフ殿もご覧になった通りですわね」
沈黙が落ちた。
ルドルフの目が一瞬だけ冷たくなった。営業の笑顔の裏にある、本当の顔。しかしすぐに笑みを取り戻す。
「……かしこまりました。本社に持ち帰って検討いたします」
「お気をつけてお帰りくださいませ」
王都の商人たちが去った後、ギュンターが低い声で言った。
「あんた、本当に商売を知っている。二十年前の俺より上手いかもしれん」
「前世の——書物で学びましたの」
「また書物か。よほど分厚い書物だな」
ギュンターが笑った。初めて聞く笑い声。低くて、太くて、腹の底から出る笑い。辺境の空に、その笑いが溶けていった。
しかし——ルドルフの去り際の目を、私は忘れなかった。あの冷たさは、撤退ではなく偵察終了の目だ。ノーヴァル商会は引いたのではない。次の手を打つために、情報を持ち帰っただけだ。
戦いは始まったばかりだ。
夕暮れの空を見上げた。北の山並みが赤く染まっている。鍛冶場の煙突から煙が昇り、薬草園の方角から子供たちの笑い声が風に乗って届く。
この場所を守る。前世では何も守れなかった。自分の体すら守れなかった。でも今は——守りたいものがあり、守るための力がある。まだ足りないけれど、少しずつ増えている。
ヘルガが夕食の準備をしている音が、厨房から聞こえてきた。今日のメニューは何だろう。根菜のスープか、それとも黒パンと干し肉か。どちらでもいい。温かければそれでいい。




