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処刑エンドの悪役令嬢に転生したので攻略対象を全員回避して辺境で起業したら、なぜか王太子が追いかけてくるんですが  作者: ぽんぽこライフ


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王太子の剣——レオンハルト、王冠を賭ける

 大法廷の扉の前。石造りの廊下に朝日が差し込んでいる。フリッツが隣に立っている。主従二人だけの、最後の打ち合わせだ。


「フリッツ」


「はい、殿下」


「余が今日やることは——王太子として正しいのか」


 フリッツは一瞬だけ考え、答えた。


「正しいかどうかは歴史が判断します。しかし殿下。私が仕えているのは『正しい王太子』ではなく、レオンハルト殿下です」


 レオンハルトが笑った。短い笑いだった。しかし緊張が少し解けた。


「行くぞ」


「お供いたします」


 法廷の扉が開いた。


 五日目の法廷は異様な空気に包まれていた。


 傍聴席は満席を超えていた。廊下にまで人が溢れている。昨日のリリアーヌの聖光が王都中に噂として広がったのだ。「聖女が法廷で光った」「教会が聖女を消耗品にしていた」「異端の公爵令嬢は本当に異端なのか」。民衆の関心が、裁判に集中している。


 セラフィーナは被告席に立った。今日は帳簿を持っていない。右手は空だ。五日間ずっと握りしめていた帳簿がない。代わりに、何も持っていない手がある。武器なしで立つ。前世の佐藤凛が最も怖れたこと。数字という盾なしで、自分の言葉だけで。


 しかし怖くなかった。不思議と。昨夜リリアーヌを抱きしめた時に、怖さが消えた。守るべきものがある人間は、怖くても立てる。


 裁判長が槌を打った。


「昨日の被告人の申し出を受け、被告人による最終証言を許可する」


 セラフィーナが証言台に向かって歩いた。被告席から証言台までの距離は十歩。しかしその十歩が長かった。前世の佐藤凛が、上司の前でプレゼンテーションする時の緊張を思い出した。しかしあの時の聴衆は十人。今は百二十人。そして命がかかっている。


 証言台に立った。木製の台に手を置いた。手は震えていない。不思議だ。五日間で最も大きな賭けなのに、最も冷静だ。前世の経理部時代に学んだことがある。本当に追い詰められた時、人は冷静になる。パニックは中途半端な危機で起きる。命の瀬戸際では逆に、全てがクリアに見える。


 傍聴席を見渡した。百二十を超える目。教会関係者。貴族。一般傍聴人。そして中央通路の端に父。今日もどちらの側にも座っていない。


「大司教殿は昨日、私に問いました。『セラフィーナ・ヴァルトシュタインはこの世界の人間か』と」


 法廷が静まり返った。全員がこの答えを待っている。


「その問いに——お答えする前に、一つだけ聞いてください。私が何者であるかではなく、私が何をしたかを」


 セラフィーナの声は静かだった。令嬢の声でも、経理部主任の声でもない。ただセラフィーナという一人の人間の声だった。


「私は半年前、辺境ヘルムガルドに来ました。瀕死の領地でした。税収は底を突き、領民の生活は困窮し、城壁は崩れかけていた。私はそこで帳簿をつけました。無駄な支出を見つけ、削減し、投資しました。薬草園を作り、鍛冶場を再興し、交易路を開きました」


 一呼吸置いた。


「魔獣が千体以上押し寄せた時、領民と一緒に城壁を守りました。六人が死にました。四十三人が傷つきました。私も骨を折りました。しかし辺境は立っています。領民は生きています。鍛冶場の煙は上がっています。薬草園の新芽は育っています」


 声が震えた。初めてだ。この法廷で、初めて声が震えた。しかし止めなかった。


「私の知識がどこから来たかは、正直に申し上げます。わかりません。気がついたら知っていました。しかしその知識で何をしたかは、帳簿が全て証明しています。その知識を異端と呼ぶなら——辺境の税収を三倍にしたことも異端です。疾病率を四割下げたことも異端です。六人の死者の遺族に補償金を支払ったことも異端です。異端で結構です。その異端で、私は人の命を守りました」


 法廷が揺れた。傍聴席から拍手が起きかけた。裁判長が制止した。しかし空気は変わっていた。


 大司教が立ち上がった。


「被告人。質問に答えていない。あなたはこの世界の人間か」


 セラフィーナは大司教を見た。痩せた老人。七十年間教会に仕えてきた男。この男にとって教義は空気のようなものだろう。教義の外の存在は、酸素のない世界と同じだ。存在してはならないもの。


「大司教殿。あなたは——教義を守るために、聖女を何人殺しましたか」


 法廷が凍った。


「七名の聖女のうち六名が三十歳で死んだ。教会はそれを『神の召命』と呼んだ。しかし実態は、力を搾り取られて死んだ。あなたの教義が彼女たちを殺した」


 大司教の顔が紅潮した。


「私がこの世界の人間かどうか。その問いに答える前に、あなたに問います。教会は——この世界の人々を、守っていますか。聖女を、守っていますか。辺境の領民を、守っていますか。守っていないなら、教会こそが、この世界に害をなす異端ではありませんか」


 その時、レオンハルトが立ち上がった。


 弁護側の席から。王太子の正装で。法廷の空気が、一変した。王太子が立つ。それだけで法廷の力学が変わる。


「裁判長。王太子レオンハルト・フォン・ヴァイセンベルクとして、この裁判の中止を宣言する」


 法廷が爆発した。傍聴席が総立ちになった。裁判長が槌を打つがもう止まらない。


 レオンハルトの声が法廷を貫いた。


「その根拠を述べる」


 法廷が徐々に静まった。王太子の声の力だ。権威が空気を支配する。


「第一に。この裁判は教会法に基づいて請求されたが、王国法では教会に裁判権を認めていない。百五十年前のヴィーゼンベルク勅令において、当時の王太子が教会裁判の管轄権を明確に否定している。この先例は今も有効だ」


 フリッツが書類を裁判長に提出した。ヴィーゼンベルク勅令の全文。百五十年前の羊皮紙の写し。


「第二に。弁護側の証拠により、魔獣災害に教会の関与を示す証拠が提示された。人工魔力結晶。教会の封印装置管理資金。教会使節団の不審な行動。原告である教会が被告人が告発された事件の当事者である可能性がある以上、教会に原告の資格はない」


 大司教が異議を叫んだが、レオンハルトは止まらなかった。


「第三に」


 レオンハルトの声が変わった。王太子の公式な声から——一人の男の声に。


「セラフィーナ・ヴァルトシュタインが何者であろうと、彼女は余の王国の民だ。余の民を不当に裁くことは、何人にも許さない」


 何人にも。教会にも。王にも。自分自身にも。


「王太子の権威を以って——この裁判の中止を命じる」


 法廷が轟いた。傍聴席の声。教会関係者の抗議。貴族たちの動揺。一般傍聴人の歓声。全てが混ざり合って、石造りの壁に反響している。


 大司教が叫んだ。


「王太子殿下! 教会と王権の対立をお望みか! それは王国の安定を揺るがす行為だ!」


 レオンハルトが大司教を見据えた。目が鋼だった。セラフィーナはこの目を知っている。辺境の丘の上で風に吹かれていた時の目。「また来る」と言った時の目。不器用で、真っ直ぐで、一度決めたら揺るがない目。


「教会が人を道具にし、聖女を殺し、辺境に魔獣を送り込む。それが王国の安定か。余はそんな安定はいらない」


 レオンハルトの声が震えた。怒りではない。覚悟だ。王冠の重みを、自分の意志で選び取った男の声。義務でも政治でもなく、ただ一人の人間を守るために、全てを賭けた声。


 セラフィーナは泣きそうになった。しかし堪えた。今は泣く時ではない。


 その時、法廷の外から音が響いた。金属音。剣と盾がぶつかる音。足音が廊下に反響している。


 セラフィーナが窓を見た。法廷の外の広場に教会兵が集結していた。二十名以上。白い法衣の上に鎖帷子を着けた聖騎士たちだ。裁判の結果を見越して武力行使の準備をしていたのだ。


 しかし教会兵の前に、一人の男が立っていた。


 ルキウス。


 騎士団の軍装で、剣を抜き、教会兵の前に立っている。その背後に王家の騎士が十五名。ルキウスが法廷外の護衛として配置していた兵だ。


「教会の方々。この法廷は王国の管轄です。武装しての接近は認められない」


 ルキウスの声が窓越しに聞こえた。冷静な声だ。しかし剣を握る手は揺るがない。護衛する、と五文字で宣言した男がその宣言を守っている。


 法廷内の教会関係者が動揺した。外の武力が封じられた。大司教の切り札がまた一つ潰された。


 裁判長が決断を下した。


「本法廷は王太子殿下の中止宣言の法的根拠を精査するため、一時休廷とする。明日、最終判断を下す」


 一時休廷。即座の中止でも続行でもない。裁判長は中立を保っている。しかし流れは変わった。教会の攻撃は止まり、弁護側の反撃が教会を追い詰めている。


 休廷の間、宿舎の書斎で全員が集まった。レオンハルト。フリッツ。エミル。ヨハン。ルキウスは法廷外の警備を続けている。リリアーヌとナターリアが隣の部屋で休んでいる。


「明日、裁判長が最終判断を下す。中止か続行か」


 レオンハルトが腕を組んだ。


「裁判長は中立だ。ヴィーゼンベルク勅令の法的根拠を精査すると言った。百五十年前の先例が有効かどうか、微妙な判断だ」


「しかし法廷の空気は変わっています」


 エミルが言った。


「傍聴席の貴族たちが動いた。教会の闇が暴かれた以上、教会側につくことは政治的リスクになる。裁判長もそれを感じているはずです」


 セラフィーナは窓の外を見た。王都の夕暮れ。大聖堂の尖塔がオレンジ色に染まっている。


「一つだけ、気になることがあります」


「何だ」


「父上がまだ動いていません」


 法廷の中央通路に立ち続けた父。どちらの側にも座らず、何も発言せず。教会の証人リストに名前があったはずだ。しかし五日間、一度も証言台に立っていない。


「明日、父上が動きます。それが最後の鍵かもしれません」


 法廷を出る時、セラフィーナはもう一度だけ中央通路を見た。


 父はまだ立っていた。どちらの側にも座らず。しかしその目が、一瞬だけ娘を見た。


 その目に何があったのか。セラフィーナにはまだわからなかった。しかし明日、わかる。全てが、明日。

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