領地調査——現状把握はコンサルの基本
領主館に到着して三日目。私はヨハンを伴い、領地の実地調査に出た。コンサルタントの基本——現場を見ずにプランを立てるな。前世の上司もそれだけは正しいことを言っていた。
最初に向かったのは南の農地。冷たい風に揺れる麦穂は背が低く、実りは痩せている。
「大麦ですか?」
「ええ。一年中これと蕪の繰り返しです」
ヨハンが説明する。輪作の概念がないのか、同じ作物を連作している。土が疲弊するのは当然だ。
土を一掴み取り、指の間で擦った。乾いている。有機質が少ない。冷たく、灰色で、力がない。
前世の知識が示唆する。堆肥による土壌改良。輪作体系の導入。しかしそれは長期プランだ。今すぐ収益にならない。農業は改革の軸にはしない。補助事業として位置づける。
村落に入った。
木造の家が二十軒ほど。石造りの井戸が一つ。通りには老人と子供の姿が目立つ。若い男の姿が極端に少ない。
「出稼ぎですか」
「はい。二十代の男はほとんど王都か近隣の大きな領地に出ています。戻ってくる者は——少ないです」
ヨハンの声に、個人的な感情が混じっていた。彼自身も、出稼ぎで王都に出た一人だ。
子供たちが遠巻きにこちらを見ている。珍しいものを見る目。おそらく貴族の女性がここを歩くこと自体が、何年ぶりかの出来事なのだろう。
一人の男の子が、勇気を出して近づいてきた。
「おねえちゃん、だれ?」
「新しい領主の……セラフィーナですわ」
男の子は首を傾げて去っていった。「りょうしゅ」の意味がわからなかったのかもしれない。
◇
午後。鍛冶場。
集落の外れに、煤けた石造りの小屋が建っていた。
中に入った瞬間、熱気が頬を叩いた。炉の赤い光が薄暗い室内を照らし、鉄と炭の匂いが鼻を焼く。金属を打つ甲高い音が、リズミカルに響いている。
巨漢の男が炉の前に立っていた。四十代半ば。禿頭。分厚い革のエプロン。腕は丸太のように太く、握っているハンマーが小さく見える。
マルクス。ヘルムガルド唯一の鍛冶職人。
ヨハンが声をかける前に、マルクスがこちらを一瞥した。そして——また炉に視線を戻した。
無視。完璧な無視。
「マルクス親方、こちらが新しい領主のセラフィーナ様——」
「忙しい」
一言。ハンマーが再び鉄を打つ。火花が散る。会話終了。
ヨハンが困った顔で私を見た。「だから言ったでしょう」という目だ。
だが、私はマルクスの仕事を見ていた。
鉄を打つリズム。温度の見極め。鉄が赤から橙に、橙から黄に変わる一瞬を捉えて打つ。水に浸ける。蒸気が噴き上がる。
——腕がいい。
前世の知識を総動員して観察する。この人の技術は、旧式ではあるが基礎が極めて正確だ。温度管理の勘が優れている。問題は設備だ。送風機構が原始的で、炉内の温度を十分に上げられていない。
「この炉、改良すれば生産効率三倍は出せますわ」
思わず口に出た。
ハンマーの音が——止まった。
マルクスがゆっくりと振り向いた。汗にまみれた顔に、初めて表情が浮かんでいた。驚きと、不快が半々。
「……何だと」
「送風機構の改善で炉内温度を上げれば、今より高品質な鋼が作れます。さらに浸炭処理を併用すれば強度が——」
「女子供に鍛冶がわかるか」
予想通りの反応。しかしマルクスの目が私を見つめている。完全な無視ではなくなった。怒りの裏に、微かな好奇心が見えた。
今は引く。種は蒔いた。
「失礼いたしましたわ。お仕事の邪魔をして申し訳ありません」
カーテシーをして退出した。扉を閉める直前、マルクスのハンマーの音が再開した。しかしそのリズムは、さっきまでと微かに違っていた。何かを考えながら打っている音。
ヨハンが小走りでついてくる。
鍛冶場を離れた後、村の端を歩いていると子供たちがまた遠巻きに集まってきた。さっきの男の子が、今度は友達を連れている。
「りょうしゅさま、どこいくの?」
「山を見に行きますわ」
「やまこわいよ。おっきいけものがいるって」
子供の言葉に、ヨハンが少し表情を強張らせた。獣——熊か狼か。辺境では珍しくないのだろうが、気にかけておく。
「セラフィーナ様、なぜ鍛冶場の改良がわかるんですか?」
「前世の……いえ、書物ですわ」
「書物で鍛冶を?」
「世の中には色々な書物がありますの」
嘘は苦しい。でも「前世で製造業のクライアントを担当していて工場見学を何十回もした」とは言えない。
◇
三つ目。廃坑。
集落から北西に馬で一時間。山の中腹に、朽ちた坑道の入口が口を開けていた。
坑道入口の空気は冷たく湿っていた。朽ちた支柱の木の匂いがする。闇の奥から、微かな風が吹いている。
「ヨハン、ここは崩落の危険がありますか」
「入口付近は大丈夫だと思います。奥の主坑は崩落していますが、入口から百歩ほどは補強が残っています」
松明を手に、慎重に中に入った。岩壁が松明の光を反射する。鉄鉱石の赤黒い層が、壁面に筋を引いていた。
「見てください、ヨハン」
壁面に手を当てた。指先に冷たい岩の感触。
「この鉱脈、まだ生きていますわ。太さも十分。廃坑になったのは主坑が崩落したからであって、鉱脈が枯渇したわけではない」
「でも、再開するには——」
「主坑を使わなければいい。この支脈だけを小規模で掘る。大量の鉱夫も大規模な設備も不要。少人数で、高品質な鉄鉱石だけを選んで採掘する」
ヨハンが目を丸くしている。私は頭の中で原価計算を回していた。
採掘コスト。精製コスト。輸送コスト。マルクスの技術で加工した場合の付加価値。
数字が合う。ぎりぎりだが——合う。
坑道を出た。午後の陽光が眩しかった。山の空気が肺を満たす。冷たくて、清潔で、可能性の匂いがした。
領主館に戻り、調査ノートを整理した。
問題点。農地の疲弊。人口流出。商人不在。インフラの老朽化。冬季の厳しさ。
ポテンシャル。鉱山の鉄鉱石。マルクスの鍛冶技術。薬草の自生地。辺境ゆえの競合不在。
改革案の最後に、赤インクで書いた。
「第一段階——鉱物資源の直接取引モデル」
仕入れを変えれば、この領地は化ける。中間搾取を排除し、高品質な製品を直接取引する。前世で学んだサプライチェーン理論の、異世界版。
ステップ一。マルクスの協力を得て、鍛冶場の改良を行う。
ステップ二。廃坑の支脈から高品質の鉄鉱石を少量採掘する。
ステップ三。鉄鉱石を現地で加工し、高付加価値の鋼製品として出荷する。
ステップ四。王都の仲買を通さず、近隣領地に直接販売する。
並行して、薬草事業の調査も進める。オルガという薬草師がいるとヘルガから聞いた。明日以降に訪問する。
ペンを置いた。蝋燭の炎が揺れ、壁に私の影を大きく映している。夜は静かだ。王都の喧騒はない。風の音と、どこかで鳴く鳥の声だけ。
ヨハンが扉をノックした。
「セラフィーナ様、まだ起きていらっしゃいましたか。明日の予定を確認したいのですが」
「入ってくださいな」
ヨハンが入ってきて、机の上の調査ノートを覗き込んだ。目を丸くしている。
「これ全部、今日一日で?」
「コンサルの基本ですわ。現場を見て、分析して、計画を立てる。一日で終わらないほうがおかしい」
「……コンサル、とは?」
「外部の専門家が組織の問題点を洗い出して解決策を提案する仕事ですわ。前世——いえ、書物で読みましたの」
「また書物ですか」
ヨハンは呆れたような、しかし感嘆したような顔で笑った。
この青年と一緒に働くのは、前世のどの同僚よりも楽だ。嘘をつかず、虚勢を張らず、素直に驚き、素直に笑う。
やるべきことが見えた。仲間がいる。
あとは——やるだけだ。




