表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

第3話 四十人の村

村に入った瞬間、視線が集まった。


 それは当然だった。


 森の奥から現れた、見知らぬ男。

 しかも服装はこの土地の誰とも違う。黒い上着に白いシャツ、首には細い布。足元は革靴。村の誰も着ていない格好だった。


 畑にいた男が、鍬を持ったまま立ち止まる。

 井戸の横で水を汲んでいた女が、手を止める。

 子どもたちは少し離れたところで、興味と警戒の入り混じった目でこちらを見ていた。


 圭太は歩みをゆっくりにした。


 こういうとき、急に動くのはよくない。

 警戒を刺激する。


 会社の会議でも似たようなことがある。

 部外者が突然、強い言葉で議論に入れば空気は固まる。まずは状況を観察すること。自分の立場を確認すること。


 少女――リナが振り返る。


 「こっち」


 彼女は何の躊躇もなく、村の中央へ歩いていく。


 圭太はその後ろについていった。


 村は小さかった。


 家は十五軒ほど。

 畑が広がり、鶏小屋と羊の囲いがあり、中央には井戸と小さな広場がある。


 地面は土で、ところどころ踏み固められている。

 道というほどの道はないが、人の動線ははっきりしていた。


 圭太は無意識に見ていた。


 家の配置。

 畑の広さ。

 井戸の位置。

 薪の積み方。

 干し草の山。


 そして、人の数。


 働いているのは二十人弱。

 子どもと老人を含めて、三十〜四十人。


 リナの言った数字は、だいたい合っている。


 小さな農村だ。


 「お父さん!」


 リナが声を上げた。


 畑の中で作業していた男が顔を上げる。


 四十代くらい。

 日焼けした腕。

 鍬を持っている。


 リナは言った。


 「森で迷子見つけた」


 圭太は軽く頭を下げた。


 「すみません。森で道に迷ってしまって」


 男は黙って圭太を見ていた。


 視線は鋭いが、敵意はない。

 ただ、状況を測っている。


 圭太はその目に見覚えがあった。


 現場の責任者の目だ。


 余計な言葉に反応せず、まず相手を観察する。

 それは企業の工場長や職人の親方にもよくある表情だった。


 男は言った。


 「……村長のところへ行こう」


 村長の家は、他の家より少しだけ大きかった。


 といっても立派な建物ではない。

 木で組まれた質素な家だ。


 中には机と椅子、そして棚がある。

 窓は小さい。


 暖炉にはまだ火が残っていた。


 そこに座っていたのが村長だった。


 六十歳くらい。

 白髪。

 深い皺。


 だが目はしっかりしている。


 圭太は軽く頭を下げた。


 「突然すみません。森で道に迷ってしまって」


 村長はしばらく黙っていた。


 そして言った。


 「どこから来た」


 圭太は答えに迷った。


 東京。


 そう言っても通じない。


 少し考え、言葉を選ぶ。


 「遠い土地です」


 村長は何も言わない。


 嘘を見抜こうとしているのかもしれない。


 圭太は続けた。


 「森で気を失って、気づいたらここにいました」


 半分は本当だ。


 村長は腕を組んだ。


 「金はあるか」


 率直だった。


 圭太は首を振った。


 「ありません」


 村長はさらに聞いた。


 「仕事は」


 圭太は少し考えた。


 これも難しい質問だった。


 コンサルタント。


 そう言っても意味がない。


 しばらく沈黙したあと、圭太は言った。


 「……考える仕事です」


 村長は眉を動かした。


 「考える?」


 「問題を整理して、解決の方法を考える」


 村長はしばらく黙った。


 それから言った。


 「剣は使えるか」


 「使えません」


 「畑は」


 「やったことはありません」


 村長は深く息を吐いた。


 それは「困った」というため息だった。


 しばらく沈黙が続いた。


 圭太はその間、部屋の中を見ていた。


 机の上。

 棚。

 窓。


 棚には麻袋がいくつか置かれている。

 穀物だろう。


 机の上には木の板があり、そこに印が刻まれていた。


 記録だ。


 おそらく収穫や配分の簡易な記録。


 圭太は思った。


 この村は回っている。


 規模は小さいが、秩序はある。


 村長が中心になって、何とか生活を維持しているのだろう。


 村長が言った。


 「ここは余裕のある村じゃない」


 圭太は頷いた。


 「分かります」


 「食べさせる余裕はない」


 「はい」


 圭太は静かに答えた。


 それは当然だ。


 人口四十人の村に、働けない大人が一人増えれば負担になる。


 会社でも同じだった。


 小さなチームほど、余剰人員は抱えられない。


 そのとき、圭太の頭の中で一つの考えが浮かんだ。


 外に広がる畑。


 さっき見た畝。


 干し草の積み方。


 水路の位置。


 圭太は言った。


 「一つだけ聞いていいですか」


 村長が顔を上げる。


 「何だ」


 圭太は言った。


 「小麦、あまり取れていませんよね」


 部屋の空気が止まった。


 リナの父親が、圭太を見た。


 村長も目を細める。


 「……なぜ分かる」


 圭太は答えた。


 「畝が狭い」


 そして続ける。


 「水はけも悪い」


 村長は黙った。


 圭太はさらに言う。


 「干し草の積み方も、少し損しています」


 今度は、リナの父親が眉をひそめた。


 圭太は慌てて付け加える。


 「責めているわけじゃありません」


 そして正直に言った。


 「ただ、改善できると思います」


 村長は長く黙っていた。


 暖炉の火が小さく音を立てる。


 外では鶏が鳴いた。


 やがて村長が言った。


 「お前、畑をやったことはないと言ったな」


 「はい」


 「なのに分かるのか」


 圭太は少し苦笑した。


 「仕事で似たようなことをしています」


 村長は聞いた。


 「何を」


 圭太は答えた。


 「無駄を探す」


 村長は再び黙った。


 そしてゆっくり言った。


 「……面白い男だ」


 圭太は何も言わなかった。


 村長は椅子にもたれた。


 「すぐには信じない」


 それは当然だ。


 圭太は頷いた。


 「はい」


 村長は続けた。


 「だが、試すことはできる」


 圭太は顔を上げた。


 村長は言った。


 「畑を一つ、お前に任せる」


 圭太は外に出た。


 夕方の光が畑を照らしている。


 風が吹く。


 小麦が揺れる。


 彼は少しだけ笑った。


 東京では、何百億の事業計画を作っていた。


 だが今、目の前にあるのは小さな畑だ。


 それでも――


 胸の奥で、何かがほんの少し動いた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ