おにぎり
死のうと思って、おにぎりを握った。
死ぬ前に食べておきたいもの、などという話はいかにも自殺の為のマニュアル本に書いてありそうな事なのだが、しかし実際問題として、死ぬには体力が要る。案外と。
コンビニのおにぎりではいけなかった。
手で握ったものを食べたかった。熱々の米粒が指先にまとわりつくあの感触、それだけがなんというか、まだ「人間」の証しのように思えたのだ。
滑稽だろうか。いや笑ってくれて構わない。これは滑稽なことだ。
おにぎりは三角に握れなかった。丸くなった。
形の悪い人間が、形の悪いものを作ったまでだ。僕はひどく安心した。ああ、最後まで自分は自分でしかないのだと絶望的に。
昼過ぎには死ぬ予定だった。
でも洗濯機を回してしまって、干すまでは死ねないと思った。生きているあいだは人に迷惑はかけたくない。死んだあとにもかけたくない。そういうところだけ、きちんとしている。
そのくせ、どうしようもなくダメだ。
かつての彼女は言った。「あなたの部屋の天井はとても寂しい」
詩的な表現だと思って聞き返したら、照明のカバーが落ちかけているのを指していた。僕は、実際もはっきりしない宙ぶらりな人間なのだ。
そのくせ、そういうエピソードを今思い出しながら笑ってしまう自分もいる。死ぬ前に笑うなどおこがましいにもほどがあると思うのだけれど。
死にたいのではなく死んでいたい。
死にたいというのは能動形で、死んでいたいというのは受動形だ。僕にできるのはせいぜい後者。そういう人間だ。
おにぎりは、結局食べずじまいだった。
腐る前に冷蔵庫に入れた。それが昨日。
今日も、死ねていない。